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京都地方裁判所 昭和61年(ワ)1409号 判決

《目次》

事件の表示

判決

当事者、訴訟代理人及び指定代理人の表示(別紙目録のとおり)

主文

〔別紙〕認容金額一覧表(一)

〔別紙〕認容金額一覧表(二)

〔別紙〕請求棄却原告一覧表

事実

第一章当事者の求めた裁判

第一節請求の趣旨

第二節請求の趣旨に対する答弁

第二章当事者の主張

第一節請求原因

第一被告チッソらの責任原因

一被告チッソ

二被告チッソ子会社

第二被告国及び県の責任原因

一被告国及び県の国民に対する安全確保義務

二事実の概要並びに被告国及び県の認識状況

三魚介類の漁獲、販売、摂食等に関する規制権限の不行使による責任

1 食品衛生行政上の規制権限の不行使

2 水産行政上の規制権限の不行使

3 行政指導の懈怠

四工場排水に関する規制権限の不行使による責任

1 水質二法上の規制権限の不行使

2 水産行政上の規制権限の不行使

3 毒物及び劇物取締法上の規制権限の不行使

4 漁港法、港則法等の港湾等管理権限の不行使

5 行政指導の懈怠

五公の造営物の管理責任(国家賠償法二条一項)

第三水俣病の病像及び診断

一水俣病の病像の捉え方

二水俣病の症状

三水俣病の診断

第四原告らの水俣病罹患

第五損害

一水俣病被害の捉え方

二包括請求とその正当性

三本件における請求額

第六原告らの主張の要約

第二節請求原因に対する認否

第一被告チッソ及び同チッソ子会社

第二被告国及び県

第三節被告らの主張

(被告国及び県)

第一被告国及び県の責任について

一本件における基本的問題点

二原告らの主張する規制権限について

1 食品衛生法

2 漁業法

3 水産資源保護法及び熊本県漁業調整規則

4 水質二法

5 毒物及び劇物取締法

6 漁港法、港則法等の港湾等管理法令

7 行政指導

8 公の造営物の管理責任(国家賠償法二条一項)

第二水俣病の病像及び診断について

一水俣病の病像

二水俣病の診断

第三原告らの水俣病罹患について(被告チッソ及び同チッソ子会社)

第四節除斥期間の経過

第一被告国及び県の主張

第二主張に対する原告らの答弁及び再主張

第三原告らの再主張に対する被告国及び県の答弁

第三章証拠

〔別紙〕当事者目録

〔別紙〕代理人目録

〔別紙〕遅延損害金請求起算日一覧表

〔別紙〕除斥期間経過原告一覧表

理由

第一章水俣病に関する事実関係の概要

第一被告チッソの沿革とアセトアルデヒド製造の経緯

一被告チッソの沿革

二チッソ水俣工場におけるアセトアルデヒドの製造

三通産省による石油化学工業の育成とチッソ水俣工場におけるアセトアルデヒドの製造中止

第二チッソ水俣工場における排水路の変遷

一チッソ水俣工場の排水系統の概略

二アセトアルデヒド排水系統の変遷

第三水俣病の被害の実態、原因究明の経過並びに被告国及び県らの対策

一昭和二九年まで

二昭和三一年

三昭和三二年

四昭和三三年

五昭和三四年

六昭和三五年以降の研究成果

七被告国による水質二法関係の対策

第四不知火海沿岸地域の水銀汚染状況

一不知火海沿岸地域住民の毛髪等水銀値

二魚介類の含有水銀値

三不知火海へのメチル水銀排出量

第五水俣病の発生機序等

一水俣病の発生機序

二自然界における無機水銀のメチル水銀化について

三塩化ビニールモノマー製造工程におけるメチル水銀化合物の副生について

第二章被告国及び県の責任について

第一国家賠償法一条一項に基づく責任について

一魚介類の漁獲、販売、摂食等に関する規制権限の不行使について

1 食品衛生法

2 漁業法三九条一項及び熊本県漁業調整規則三〇条

3 行政指導の懈怠

二工場排水に関する規制権限の不行使について

1 公共用水域の水質保全に関する法律及び工場排水等の規制に関する法律

2 熊本県漁業調整規則三二条

3 毒物及び劇物取締法

4 漁港法、港則法等の港湾等管理法令

5 行政指導の懈怠

第二国家賠償法二条一項に基づく責任(公の営造物の管理責任)について

第三結論

第三章被告チッソの責任について

第四章被告チッソ子会社の責任について

第一法人格の形骸化

第二法人格の濫用

第五章水俣病の病像と診断に関する問題について

第一水俣病の病像

一水俣病の意義

二水俣病の疫学的研究

1 ハンター・ラッセル症候群

2 徳臣の研究

3 新潟水俣病の研究

4 熊大二次研究班の調査

5 藤野らによる鹿児島県出水市桂島の住民調査

6 藤野らによる御所浦地区の住民検診

7 井形らの研究

三病理学的考察による水俣病の一般的特徴

四水俣病の病像に関する小括

第二主要神経症状の特徴と診断における一般的留意事項

一感覚障害

1 水俣病にみられる感覚障害の特徴

2 感覚障害の診断

3 感覚障害の臨床症状における問題

二運動失調

1 水俣病にみられる運動失調の特徴

2 小脳性運動失調の診断

3 水俣病における小脳性運動失調の出現パターン

三視野狭窄

1 水俣病にみられる視野狭窄の特徴

2 視野狭窄の診断

四難聴

1 水俣病にみられる難聴の特徴

2 難聴の診断

五言語障害

1 水俣病にみられる言語障害の特徴

2 小脳性構音障害の診断

第三水俣病にみられるその他の症状について

一味覚及び嗅覚障害

二精神障害

三全身病説について

第四遅発性水俣病、長期微量汚染型水俣病について

一問題の所在

二化学物質による中毒症の発症機序の一般的特徴

三水俣病の発症機序についての理論的考察

1 人体のメチル水銀吸収率について

2 メチル水銀中毒症の発症閾値について

3 メチル水銀の生体内における分解排泄速度について

4 遅発性水俣病及び長期微量汚染型水俣病の検討

第五感覚障害のみを呈する水俣病罹患者

一問題の所在

二感覚障害という初発症状段階で症状の進行が止っている可能性の検討

三臨床上、感覚障害のみが残存している可能性の検討

四まとめ

第六水俣病の判断基準

一判断方法

二他原因との鑑別

三水俣病の行政認定の判断基準について

四まとめ

第七原告らの水俣病罹患の判断についての一般的考察

一有機水銀の曝露に関する事実をめぐる問題点

1 有機水銀の曝露に関する事実に関する証拠資料

2 原告らの供述に基づく証拠の信用性

3 喫食にかかる魚介類の汚染濃度

4 不知火海沿岸における一般的汚染状況

5 まとめ

二原告らの症状に関する診断書等の信用性

1 原告ら個々の症状に関する証拠資料

2 門医師及び池田医師の診断書

3 審査会資料

4 診断書及び審査会資料の信用性

三臨床症状をめぐる問題

1 神経症との鑑別について

2 構音障害の検査について

3 審査会資料中の神経内科医と精神科医の所見の齟齬について

4 感覚障害において一般に疑われる主な他原因について

第六章原告ら個々の水俣病罹患についての検討

第一藤本モカ(原告番号二)

第二西川トヨ子(原告番号三)

第三福田シズ子こと

福田シヅコ(原告番号六)

第四木本正栄(原告番号八)〈省略〉

第五竹房アサ子(原告番号一〇)〈省略〉

第六迫本ヨシ子(原告番号一一)〈省略〉

第七松永時吉(原告番号一二)〈省略〉

第八佐々木一雄(原告番号一四)〈省略〉

第九大山アヤ子(原告番号一八)〈省略〉

第一〇佐々木トミ子(原告番号一九)〈省略〉

第一一東和子(原告番号二〇)〈省略〉

第一二岸本良子(原告番号二二)〈省略〉

第一三城野ミツエ(原告番号二四)〈省略〉

第一四長田イズ子(原告番号二七)〈省略〉

第一五東サクラ(原告番号二九)〈省略〉

第一六荒木繁孝(原告番号三一)〈省略〉

第一七蟻川秀子(原告番号三二)〈省略〉

第一八上村チヨ(原告番号三七)〈省略〉

第一九沖口克明(原告番号四〇)〈省略〉

第二〇金子重雄(原告番号四二)〈省略〉

第二一川元ヨシ子(原告番号四五)〈省略〉

第二二佐々木ユキ子(原告番号四七)〈省略〉

第二三千々岩吉常(原告番号五二)〈省略〉

第二四冨岡正子(原告番号五四)〈省略〉

第二五中川絹子(原告番号五五)〈省略〉

第二六藤井クミエ(原告番号六一)〈省略〉

第二七森裕士(原告番号六八)〈省略〉

第二八山下宗忠(原告番号七三)〈省略〉

第二九山端美智子(原告番号七四)〈省略〉

第三〇国本重男こと

李宗述(原告番号七五)〈省略〉

第三一荒木トキエ(原告番号七六)〈省略〉

第三二大矢世嗣(原告番号八二)〈省略〉

第三三川崎洋治(原告番号八五)〈省略〉

第三四田口甲子(原告番号八七)〈省略〉

第三五竹田政行(原告番号八八)〈省略〉

第三六竹原トメヲ(原告番号九〇)〈省略〉

第三七寺下タツ子(原告番号九四)〈省略〉

第三八西伸男(原告番号九六)〈省略〉

第三九松永ツイ子(原告番号九八)〈省略〉

第四〇吉本郁子(原告番号一〇三)〈省略〉

第四一尾田朋子(原告番号一〇七)〈省略〉

第四二大塚アサエ(原告番号一〇八)〈省略〉

第四三大塚光吉(原告番号一〇九)〈省略〉

第四四田崎時義(原告番号一一四)〈省略〉

第四五松田勝馬(原告番号一一五)〈省略〉

第四六樋口刀貴男(原告番号一二七)〈省略〉

第七章損害

一損害に対する見解

二一部請求について

三認容原告らに対する慰謝料の算定

四弁護士費用

五遅延損害金の起算日

第八章除斥期間について

第九章結論

〔別紙一ないし一五〕〈省略〉

主文

一  被告チッソ株式会社、同国及び同熊本県は、連帯して別紙認容金額一覧表(一)記載の原告らに対し、各原告に対応する同表「認容金額」欄記載の各金員及びこれに対する平成四年一〇月三〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告チッソ株式会社は、別紙認容金額一覧表(二)記載の原告らに対し、各原告に対応する同表「認容金額」欄記載の各金員及びこれに対する平成四年一〇月三〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  別紙認容金額一覧表(一)記載の原告らの被告チッソ株式会社、同国及び同熊本県に対するその余の請求並びに同チッソ石油化学株式会社、同チッソポリプロ繊維株式会社及び同チッソエンジニアリング株式会社に対する請求をいずれも棄却する。

四  別紙認容金額一覧表(二)記載の原告らの被告チッソ株式会社に対するその余の請求並びに同国、同熊本県、同チッソ石油化学株式会社、同チッソポリプロ繊維株式会社及び同チッソエンジニアリング株式会社に対する請求をいずれも棄却する。

五  別紙請求棄却原告一覧表記載の原告らの被告らに対する請求をいずれも棄却する。

六  訴訟費用の負担は次のとおりとする。

1  別紙認容金額一覧表(一)記載の原告らと被告チッソ株式会社、同国及び同熊本県との間に生じた分は、これを三分し、その二を同原告らの負担とし、その余を同被告らの負担とする。

2  別紙認容金額一覧表(二)記載の原告らと被告チッソ株式会社との間に生じた分は、これを三分し、その二を同原告らの負担とし、その余を同被告の負担とする。

3  別紙認容金額一覧表(二)記載の原告らと被告国及び同熊本県との間に生じた分は、同原告らの負担とする。

4  別紙請求棄却原告一覧表記載の原告らと被告チッソ株式会社、同国及び同熊本県との間に生じた分は、同原告らの負担とする。

5  原告らと被告チッソ石油化学株式会社、同チッソポリプロ繊維株式会社及び同チッソエンジニアリング株式会社との間に生じた分は、原告らの負担とする。

七  この判決の第一、二項は仮に執行することができる。

事実

第一章  当事者の求めた裁判

第一節  請求の趣旨

一  被告らは各自、原告らに対し、各金一九八〇万円及びこれに対する別紙遅延損害金請求起算日一覧表記載の各起算日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

三  仮執行宣言

第二節  請求の趣旨に対する答弁

(被告ら)

一 原告らの請求をいずれも棄却する。

二 訴訟費用は原告らの負担とする。

(被告国及び同熊本県)

三 敗訴の場合、担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第二章  当事者の主張(後記理由中にも記載)

第一節  請求原因

第一  被告チッソらの責任原因

一 被告チッソ

1 一般に化学工場は、化学反応を利用して各種の化学製品を製造するが、製造過程において多種多量の危険物を原料や触媒として使用することから、右過程において、動植物や人間に対して重大な危害を加えるおそれのある物質が副生される可能性が大きく、また、副生された危険物質が排水中に混入して排出される可能性も高い。したがって、化学工場が排水を工場外に排出する場合、常に最高の知識と技術を用いて、排水中の危険物質の混入の有無、程度、性質等を調査し、これがために人の生命、身体に危害を加えることのないよう万全の態勢を整え、有害であることが判明し安全性に懸念が生じたときには、直ちに操業を中止する等の必要な措置を講じ、地域住民の生命、健康に対する危害の発生を防止すべき業務上の注意義務がある。

2 ところで、被告チッソ株式会社(以下「被告チッソ」という。)は、水俣工場のアセトアルデヒド等の製造工程において水俣病の原因物質である有機水銀化合物(メチル水銀化合物)が副生しており、同工場の排水中には右有機水銀化合物が混入していたのであるから、このような場合、被告チッソとしては、水俣工場の工場排水を水俣湾又は不知火海に排出するに当たり、排水中の危険物混入の有無及び危険物の調査解明を行って水俣病の原因物質の特定をするとともに、危険物質を除去するか又は工場外に排出しないようにすべき業務上の注意義務を負っているにもかかわらず、これを怠り、長期かつ大量に右危険物質を含む工場排水を水俣湾及び不知火海に排出した過失により、不知火海の魚介類を有機水銀化合物(メチル水銀化合物)によって汚染し、右汚染魚介類を経口摂取した者をしていわゆる水俣病に罹患させたものである。

二 被告チッソ子会社

1 被告チッソ子会社の概要

(一) 被告チッソ石油化学株式会社(以下「被告チッソ石油化学」という。)は、昭和三七年六月一五日、石油化学製品の製造等を目的として設立された、資本金二〇億円で、全株式を被告チッソが保有する会社である。

(二) 被告チッソポリプロ繊維株式会社(以下「被告チッソポリプロ繊維」という。)は、昭和三八年五月一八日、ポリプロピレン繊維の製造加工等を目的として設立された、資本金八億四四〇〇万円で、全株式を被告チッソが保有する会社である。

(三) 被告チッソエンジニアリング株式会社(以下「被告チッソエンジニアリング」という。)は、昭和四〇年二月八日、化学工場設備の計画、設計等を目的として設立された、資本金三億六〇〇〇万円で、全株式を被告チッソが保有する会社である。

2 被告チッソの子会社政策

被告チッソは、昭和三四年ころには既に水俣病の加害者として社会的に非難を受けつつあったものであるが、これによる企業のイメージダウンを避け、かつ、水俣病患者に対する賠償を事実上回避するために、1記載の三株式会社(以下「被告チッソ子会社」という。)を設立して資産等の分散を図り、責任財産の隠蔽を工作した。

3 法人格の形骸化

被告チッソ子会社は、いずれも全株式を保有する被告チッソの全面的な支配を受け、人的にも事業活動上でも被告チッソの一事業部門と評価できる程の一体性を有する存在である。したがって、被告チッソ子会社は、被告チッソと別法人であると区別して評価するに足りる独自性、独立性を有しないから、少なくとも本件訴訟に関する限り、その法人格は否認されるべきであって、被告チッソとともに原告らに対する損害賠償責任を負うべきである。

4 法人格の濫用

被告チッソは、昭和三四年ころには既に水俣病の加害者として患者に対する賠償責任を負担せざるを得ないことを予期し、責任財産の隠蔽を図る目的の下に、被告チッソ子会社を設立し、資産等の分散を実行した。このような被告チッソの法人格濫用の意図は以下の事実からうかがうことができる。

すなわち、被告チッソは、通産省の提唱にかかる第二次石油化政策の実施に際して、被告子会社を設立して石油製品の製造、加工等の事業を行ったものであるが、被告チッソとすれば、右石油化に当たっては単に自社の一事業部門として業務を行えば十分であったはずである。しかるに、被告チッソはあえて被告子会社を設立し、主要製品であるアセトアルデヒド等の製造設備、資本、資産等を移し換えることによって、子会社に化学製品メーカーとしての存在基盤を移転したものであるが、実態においては、被告子会社を自らの一事業部門として全面的に支配しているのである。このことは、被告チッソが水俣病患者らに対する賠償責任を事実上回避し、子会社に姿を変えて資本の生き残りを図る意図を物語るものである。

したがって、本件においては、被告チッソが被告チッソ子会社を実質的に支配しつつ、その法人格を利用して水俣病患者に対する賠償責任を回避するものと評価できるのであるから、被告チッソ子会社は、少なくとも本件訴訟に関する限り、その法人格は否認されるべきであって、被告チッソとともに原告らに対する損害賠償責任を負うべきである。

第二  被告国及び県の責任原因

一 被告国及び県の国民に対する安全確保義務

1 国政の究極的目的は国民の生命及び健康の安全を確保することにある(憲法一一条、一三条、二五条)。国民の生命及び健康が、公害等によって直接的に侵害されている等その侵害が明白で、かつ切迫している状況下では、国及び地方自治体は一体となって、あらゆる法規や規制権限を有効、適切に用いて国民の生命及び健康の安全を図るべき法的義務を個々の国民に対して負うものである。国及び地方公共団体がこのような義務に反し、国民の生命及び健康が脅威にさらされるまま放置することは違法であって、このような行政上の不作為は国家賠償責任を基礎付けるものである。

2 本件における被告国及び同熊本県(以下「被告国及び県」という。)の責任は、一私企業である被告チッソが行った加害行為(有機水銀化合物を含む工場排水を水俣湾等へ排出した行為)及び被害の発生(有機水銀化合物によって有毒化した魚介類を原告らが経口摂取して水俣病に罹患したこと)を適切な行政措置を講ずることによって防止すべき義務が存したにもかかわらず、これを防止しなかったことにある。すなわち、被告国及び県とすれば、被告チッソによる有害な工場排水の排出によって、水俣湾等不知火海の海域汚染が次第に進行し、同海域の魚介類が有毒化し、動植物のみならず多数の住民の生命及び健康に重大な危害が発生していたのであるから、まず、魚介類の漁獲、販売、摂食等を規制し、さらに、被告チッソの排出する工場排水を規制すべきであった。この点、以下に述べるように被告国及び県には、各種法規によって規制を行う権限が付与されており、かつ、以下に述べるような事実関係のもとでは右規制権限を行使すべき作為義務が発生していたものである。

二 事実の概要並びに被告国及び県の認識状況

1 昭和二九年八月ころまでに、被告チッソの戦前からの工場排水放出によって、水俣湾及びその附近海域が汚穢汚濁し、、カキ、ボラ等の魚介類の斃死や漁獲量の減少等の漁業被害のみならず、その魚介類を摂食したカラスや猫が狂死し、また、沿岸住民の中にも原因不明の中枢神経疾患に罹患する者も出現する等、同湾沿岸で被告チッソ水俣工場(以下「チッソ水俣工場」という。)の排水の影響による異変が頻発していた。このような事情の下では、被告国及び県において、海域汚染及び環境異変の実態を調査し、周辺住民らの健康被害が発生する危険性を予見して、早急に魚介類の有毒化や工場排水の有害性を解明し、水俣病の発生を防止すべき義務が発生していたというべきである。

被告国及び県としても、水俣市漁業協同組合の漁業被害調査の要請や、昭和二七年八月ころの熊本県水産課三好礼治係長の現地調査報告、昭和二九年八月一日付けの茂道部落での猫狂死事件の新聞報道等により、水俣湾及びその周辺地域の異変を認識していたのであるから、昭和二八年八月の時点において、水俣病という重大な人体被害の発生を予見することができたはずであり、直ちに右規制権限を発動することが可能であった。

2 昭和三一年五月一日に水俣病が公式に発見され、以後、水俣保健所長伊藤蓮雄(以下「伊藤所長」という。)らの調査研究によって同病患者が多数存することが明らかにされるに至った。昭和三一年八月二四日、被告熊本県らの要請の下に熊本大学内に水俣病医学研究班(以下「熊大研究班」という。)が組織され、同年一一月に厚生省内に厚生科学研究班が設置される等、水俣病の原因究明を担う公的機関が相次いで整備されるに至った。水俣病の原因究明が進められる中で、熊大研究班の調査や伊藤所長の猫実験等の成果を受けて、昭和三二年七月、厚生科学研究班は、水俣病は水俣湾で漁獲される魚介類を経口摂取することで発病するある種の重金属による中毒症であることを確認し、厚生省、熊本県等に報告した。このような状況の下で、昭和三二年八月ころには、被告熊本県の行政担当者らにおいて、水俣湾内の魚介類の摂食中止の緊急性及び必要性があることを認識し、水俣湾産の魚介類について食品衛生法四条二号の適用を検討していた。

以上の事実からすれば、遅くとも昭和三二年九月ころまでには、重金属等の有毒物質によって水俣湾及びその付近海域の魚介類が汚染され、それらを摂食した人間や動物が水俣病に罹患するということは明らかであったのであり、被告国及び県においては、水俣病の防止のために水俣湾の魚介類の漁獲、販売及び摂食を禁止する措置を講じるべきことを認識し又は認識し得たはずである。また、魚介類の汚染原因であるある種の重金属類がチッソ水俣工場の排水に含まれていることが当時から強く疑われていたのであるから、被告国及び県においては、チッソ水俣工場の排水を停止させるべき必要性及び緊急性を認識し得たはずである。

3 昭和三四年一一月ころまでの状況

昭和三三年九月、被告チッソがアセトアルデヒド排水の排水路を水俣湾に通じる百間溝から水俣川河口に通じる排水路へ変更したことにより、水俣川河口付近の住民にも水俣病患者が続発したのみならず、汚染が不知火海全域に拡大し、同海一円において水俣病の前触れである猫の狂死が相次ぎ、やがて鹿児島県でも患者が発生するに至った。

昭和三四年七月、熊大研究班は、水俣病はある種の有機水銀中毒症であって、魚介類の汚染源はチッソ水俣工場の工場排水であると推定しうる旨の研究発表を行い、被告チッソらからの反論等がなされたものの、同年一一月一二日には厚生大臣の諮問機関である食品衛生調査会は、水俣病は、水俣湾及びその周辺に生息する魚介類を多量に摂食することによって発病する主として中枢神経系統が障害される中毒性疾患であり、その主因をなすものはある種の有機水銀化合物である旨の答申を行った。

したがって、その頃には、チッソ水俣工場の工場排水(特にアセトアルデヒド排水)に含まれる有毒物質(水銀化合物、特にある種の有機水銀化合物)が水俣病の原因物質であることが明らかであって、被告国及び県において、水俣病の防止のために水俣湾の魚介類の漁獲、販売及び摂食を禁止する措置を採るべきこと、チッソ水俣工場の排水(特にアセトアルデヒド排水)を規制する必要があることを認識し、又は認識し得たはずである。

三 魚介類の漁獲、販売、摂食等に関する規制権限の不行使による責任

1 食品衛生行政上の規制権限の不行使

(一) 食品衛生法(昭和四七年六月法律第一〇八号による改正前のもの。以下同じ。)

(1) 食品衛生法は、制定後数次の改正を経ているが、その目的とするところは、「飲食に起因する衛生上の危害の発生を防止し、公衆衛生の向上及び増進に寄与すること」(一条)にある。同法は、この目的達成のために、四条において有害食品等の販売等の禁止を定め、食品衛生行政を全うさせるために一七条(報告、臨検、検査、試験用の収去)、二二条(廃棄、除去命令、営業許可の取消、営業の停止等)、三〇条(罰則)などの強大な規制権限を厚生大臣に付与し、その規制権限の適正な行使を通じて、食品による公衆衛生の安全を確保するという体系をとっている。

(2) ところで、食品衛生法は、直接的には食品製造販売業者を規制の対象とし、公衆衛生の安全確保を目的としているが、公衆衛生の安全確保は、個々の国民の生命及び健康の安全の集積であるから結局、間接的究極的には個々の国民の生命及び健康の安全確保に欠かすことのできない食品の衛生及び安全な供給の確保を目的としているものである。殊に、食品は人類生存の基礎であり、その安全性を確保することが人間の生命、健康の尊厳を守るという課題の要であることに鑑みれば、食品衛生法は、厚生大臣に公衆衛生確保のための右権限を付与したにとどまらず、付与された権限を適切に行使して食品による個々の国民の生命及び健康の安全の確保を図るべき職務上の義務を負わせた法規であるというべきである。

(二) 食品衛生法四条の該当性

(1) 同法同条は行政機関をも含む全ての国民の行動の規範を定立しているものである。同条該当の事実があれば、行政機関は、食品の販売及び販売に至る一連の過程(採取、製造、輸入、加工使用、調理、貯蔵、陳列)において、あらゆる措置を講じて危険な食品が流通し、摂食されることを防止すべきことが法的に義務付けられるというべきである。食品衛生法に定める様々な規制権限の規定は、行政機関がとらなければならない最小限の措置を定めたにすぎないものである。

なお、食品衛生法四条二号は販売等の禁止される食品として、「有毒な、又は有毒な物質が含まれ、又は附着しているもの。但し、人の健康を害う虞がない場合として厚生大臣が定める場合においては、このかぎりでない。」と定めていたところ、昭和四七年の改正により、「又はこれらの疑いがあるもの」という表現が新たに付け加えられた。この点、刑事上の犯罪構成要件としての解釈はさておき、行政解釈としては行政上の目的を達成するためにある程度の合目的的解釈が許されるのであるから、食品衛生行政を達成するための同条同号の解釈としては、同法の趣旨からして、改正前といえども有毒性に疑いのある食品を放置しておくことを容認していたものではなく、緊急に何らかの規制をしなければならないことは、食品衛生行政の責務からして当然である。昭和四七年の改正はこのことを明確にしたにすぎないものである。

(2) 昭和二九年八月ころまでに、水俣湾及びその周辺地域において、魚介類の斃死、鳥や猫の狂い死等の異常現象が頻発し、また、水俣病患者も既に発生していたことからすると、遅くとも同月ころには、水俣湾及びその周辺海域に棲息し、又は回遊する魚介類は、食品衛生法四条二号にいう「有毒な、又は有害な物質(以下「有毒有害物質」という。)が含まれ、又は附着したもの」に該当していた、あるいは、同条四号にいう「不潔、異物の混入又は添加その他の事由により、人の健康を害う虞があるもの」に該当していた。

また、昭和三四年以降は、チッソ水俣工場のアセトアルデヒド排水の排水路変更に伴って有機水銀が不知火海全域に拡散されていったこと、同海周辺地域において魚介類の斃死や鳥や猫の狂い死等の異常現象のほか、水俣病患者が発生していたことからすると、同年以降は、不知火海全域に棲息し、又は回遊する魚介類は、食品衛生法四条二号又は四号に該当していたものである。

(三) 食品衛生法上の規制権限の不行使の違法性

(1) 調査義務の発生

ア いやしくも食品の安全性を確保すべき行政機関は、食品の危険性を徴表する具体的事象を知ったときは、その危険性の全貌を速やかに掌握するために調査すべきことは当然である。食品衛生法は、一七条において行政機関の調査権限を定めているが、ある食品の危険性が疑われた場合は、行政機関において速やかに同法四条各号の該当性について一七条所定の権限等を用いて調査すべき義務を負うものである。

イ 昭和二九年八月の時点で、水俣湾及びその周辺地域の動植物の異変が頻発していたのであるから、同湾及びその周辺海域に棲息しまたは回遊する魚介類の有毒性について調査すべき作為義務が生じていた。

ウ 昭和三一年五月の水俣病公式発見後、遅くとも昭和三二年九月の時点までに、熊大研究班の研究や、伊藤所長の猫実験及び厚生科学研究班らの研究によって、水俣病が水俣湾に棲息し又は同湾を回遊する魚介類の摂食が原因であると解明されるに至っていたのであるから、被告国及び県としては、右魚介類が食品衛生法四条二号に該当するか否かを判断するためにも、水揚げされている魚介類の種類、数量等の実態を調査し、水揚げされた魚介類を種類ごとに「無償で収去」した上、動物実験(猫実験)を行って有毒有害性につき検査する等の権限を行使して調査していれば、今日のような被害の発生を防止することができた。

エ さらに、昭和三四年一一月の時点までには、水俣病の被害が不知火海全域に及んでいたこと、熊大研究班や食品衛生調査会等の研究により水俣病の原因物質として有機水銀説まで発表されていたのであるから、被告国及び県は食品衛生行政として早急に不知火海全域の魚介類について調査すべきであった。

(2) 告示周知徹底義務の発生

ア ある食品が同法四条各号に該当する場合は、行政機関等において食品販売業者らに対して、同法二二条の所定の各行政措置や同法三〇条所定の刑罰を科し得るものである。しかし、まずもって行政機関としては、危険な食品から国民住民を守るため、当該食品が同法四条に該当する危険食品であること、同法二二条によりその採取、販売等が禁止されること、違反者らには同法三〇条によって罰則の適用があること等をあらゆる行政活動を通じて、関係業者、住民らに対して告示し周知徹底させるべき義務を食品衛生法は認めているものである。

イ 本件の場合、昭和二九年八月時点で水俣湾及びその周辺海域に棲息し又は回遊する魚介類は食品衛生法四条二号又は四号に該当する危険な食品に該当していたものである。この点、遅くとも伊藤所長の猫実験や熊大研究班等の研究によって同魚介類が水俣病の原因物質を媒介する危険な食品であることが明らかにされた昭和三二年九月の時点において、被告国及び県は右魚介類が食品衛生法四条二、四号に該当する危険な食品であることを容易に知ることができたのであるから、水俣湾周辺の関係住民(既に水俣病患者又はその疑いある患者が発生し、又は猫、犬、豚等が狂死している地域及びその周辺一帯の住民)に対して、厚生大臣及び熊本県知事は、その採取、販売等を禁止することを周知徹底させる義務を負っていたものである。

さらに、魚介類の汚染が不知火海全域に拡大した後である昭和三四年七月の段階では、不知火海全域に棲息し又は回遊する魚介類の採捕、販売等を禁止する旨を告示し同海周辺の関係住民らへ周知徹底させる義務が生じていたものである。

(3) 危害除去、営業停止等の義務の発生

食品衛生法二二条は、厚生大臣又は都道府県知事に対して、危険な食品から国民を守るために危険な食品の危険度、販売量、営業姿勢等を勘案して、①危険な食品(魚介類)を廃棄させる等の食品衛生上の危害を除去するために必要な措置、②期間を定めて営業を停止させる措置、③営業の全部又は一部を禁止する措置、④営業の許可を取り消す措置をとる権限を付与している。

本件の場合、遅くとも昭和三二年ころには、水俣湾及びその周辺海域で漁獲された魚介類について、また、昭和三四年以降は不知火海全域で漁獲された魚介類について、厚生大臣又は熊本県知事は、漁港から魚市場に搬入された段階で、当該魚介類の廃棄処分等の各行政措置をとり、また、廃棄処分に応じない営業者に対しては営業の停止、営業許可の取消等の行政処分を行うべき作為義務が発生していたものである。

(4) しかるに、被告国及び県は、右各食品衛生行政上の各権限を行使することなく、有毒魚介類の摂食を放置した。

なお、昭和三二年八月一六日付けで、被告熊本県は厚生省に対し、「水俣湾内に棲息する魚介類は、食品衛生法四条二号に該当する」旨の県告示を行い、同法四条二号を適用することについて照会を行ったにもかかわらず、厚生省は、同年九月一一日付けで「水俣湾特定地域の魚介類のすべてが有毒化しているという明らかな根拠が認められない」との理由で、同法の適用を拒否する回答を行い、以後、本法に基づく有毒魚介類の摂食、販売等の禁止措置を講ずることをしなかったという経緯がある。

2 水産行政上の規制権限の不行使

(一) 水産行政の目的は、食糧としての魚介類が安全にかつ恒久的に国民に供給されることを実現することにある。ところで、水産行政上での各種規制権限を定める漁業法、熊本県漁業調整規則(以下「調整規則」という。)は、いずれも直接的には漁業の民主的発達と水産資源の確保培養を目的とするが、究極的には国民の食糧としての魚介類の安全及び恒久的供給を目的とするものである。殊に、漁業法三九条一項は、「公益上の必要」がある場合に、都道府県知事をして漁業権の変更、取消、その行使の停止を命じることができる旨を規定し、また、調整規則三〇条一項は、「公益上必要があると認めるときは」知事許可漁業の内容の変更、制限、操業停止、又は許可取消を行うことができる旨を規定しているが、いずれも規制権限の発動要件である「公益上の必要性」の中には、当然、食糧としての魚介類の有毒性から国民の生命、健康の安全を守るべき場合が含まれるものである。したがって、漁獲される魚介類が食糧として不良である場合は、被告国及び県においては、右各法規に基づく規制権限を行使して、不良魚介類が食糧として漁獲、採捕されることのないよう義務付けられているというべきである。

(二) 本件において、被告国及び県は、遅くとも昭和三二年九月までの段階においては、水俣湾及びその周辺海域において漁獲される魚介類が水俣病の原因となることを容易に知り得たのであるから、漁業法三九条一項に基づいて水俣市漁業協同組合が有していた共同漁業権の行使を停止し、また、調整規則三〇条一項に基づいて同海域での知事許可漁業を取り消し、当該魚介類の漁獲、採捕を禁止すべき義務が発生していたものである。さらに、遅くとも昭和三四年一一月の段階では、前記各法規に基づいて不知火海全域の漁業権の行使の停止、許可漁業の取消しを行い、当該海域の魚介類の漁獲、採捕を禁止すべき義務が発生していた。

殊に、漁業法によって漁業権の規制を行う場合、同法三九条五項において、規制による損失について政府は漁業業者に補償をしなければならないとされるが、水俣湾及びその周辺海域、又は不知火海で漁業を営む者は零細な者が多いことから、規制に伴う補償なくして漁獲禁止の実効性を高めることは著しく困難である。したがって、水俣病の発生を防止するために、水俣湾及びその周辺海域又は不知火海全域での魚介類の実効的な漁獲、採捕を禁じる必要性が明らかになった時点からは、漁業法、調整規則による漁獲禁止を行うべき作為義務が発生したものである。

(三) しかるに、被告国及び県は漁業法三九条一項、調整規則三〇条一項に基づく漁獲規制措置をとらずに、漁獲採捕を放置した違法がある。

3 行政指導の懈怠

(一) 厚生省は、厚生省設置法、厚生省組織令等の法規によって、国民の食生活における安全性の確保等の公衆衛生の改善保護を図るために多種多様な行政活動が期待されており、そのために事実上の強制力を有する様々な行政指導を行う権限を有する。特に、国民の生命、健康という公衆衛生行政における究極的価値が危険にさらされた場合において、直ちに依拠し得るだけの適切な規制法規がないが、危険の排除のために有効適切な規制を行う必要性がある場合は、右行政指導を行って危険の排除、国民の生命、健康の安全の確保を図るべき作為義務が発生するものである。

(二) 本件においては、厚生省は水俣病の被害を防止するために、遅くとも昭和三二年九月の時点では水俣湾及びその周辺海域における、昭和三四年一一月の時点では不知火海全域における魚介類の漁獲禁止、摂食及び販売の禁止を、行政指導として実効的に行うべき作為義務が発生していた。

(三) しかるに、被告国及び県はおざなりな指導を行っただけで、水俣病の被害が拡大することを放置した違法がある。

四 工場排水に関する規制権限の不行使による責任

1 水質二法上の規制権限の不行使

(一) 公共用水域の水質保全に関する法律、工場排水等の規制に関する法律(以下前者を「水質保全法」、後者を「工場排水規制法」といい、両者を併せて「水質二法」という。いずれも昭和三三年一二月二五日に公布され、昭和三四年三月一日に施行されたが、昭和四五年一二月に公布された水質汚濁防止法の実施に伴って廃止された。)の規制権限について

(1) 水質保全法によると、経済企画庁長官は公共用水域のうち汚濁が問題となっている水域を「指定水域」と指定し、その指定水域への排水について「水質基準」を設定する。他方、工場排水規制法によると、内閣は製造業者等の用に供する施設のうち、汚水の排出が問題となる施設を政令によって「特定施設」と定め、特定施設の種類ごとに政令でその排水規制を担当する「主務大臣」を定める。そして主務大臣は、指定水域に排水する特定施設を設置している者に対して、特定施設の状況、汚水処理の方法、工場排水の水質等の報告を命じ、工場排水等の水質が当該指定水域に係る水質基準に適合するかを検討し、適合しないと認めるときは、特定施設設置業者に対し、汚水等の処理の方法の改善、特定施設の使用の一時停止その他必要な措置をとるべきことを命じ、さらに必要によっては、立入検査や報告の徴収をすることによって、指定水域への工場排水による汚濁の防止を図るものである。

(2) 水質二法は公共用水域の水質汚濁を防止し、もって国民の生命、健康の安全を守るべく制定された公害防止を目的とする法律である。水質二法の目的に鑑みるならば、公共用水域において工場排水等による汚濁が問題となり、国民の生命、健康の安全が脅かされている状況下においては、指定水域及び水質基準の設定、特定施設の指定、さらに主務大臣の排水規制権限行使等いずれもが当該法律によって義務付けられるものである。

(二) 本件での具体的作為義務の発生

水質二法が施行されたのは昭和三四年三月一日であったが、昭和三三年九月以降、チッソ水俣工場のアセトアルデヒド排水路が百間港から水俣川河口へと変更されたことに伴い、水俣病の原因物質である水銀化合物による汚染が水俣湾から不知火海一円へと拡大していた。水質二法の施行後である昭和三四年一一月ころには、熊大研究班の研究報告や食品衛生調査会食中毒部会の厚生大臣への答申等から、水俣病はある種の有機水銀化合物による中毒性疾患であることが明らかにされていった。

ところで、戦前から諸外国においてアセトアルデヒド製造工程において有機水銀化合物が生成されることが知られており、水蒸気蒸留法及びジチゾン比色法を用いれば当時としても工場排水中に含まれる微量の水銀化合物について定性及び定量分析が技術的に可能であったこと等からすると、遅くとも昭和三四年一一月ころまでには、①経済企画庁長官は、水質保全法五条一項、二項に基づき、水俣川河口から水俣湾にかけての水域を「指定水域」に指定し、かつ、その排水から水銀またはその化合物が検出されないことという「水質基準」を設定すべき義務があり、②内閣(これを構成する国務大臣)は、工場排水規制法二条二項に基づき、政令でアセトアルデヒド酢酸製造施設及び塩化ビニールモノマー製造施設を「特定施設」と定め、かつ、その主務大臣を通産大臣と定める義務があり、③通産大臣は、右指定水域に排水する特定施設を設置する被告チッソに対し、右特定施設の状況、汚水処理の方法又は工場排水等の水質について報告を命じ、水質基準に適合していない場合は汚水等の処理の方法の改善、特定施設の使用の一時停止その他必要な措置、すなわち、閉鎖循環方式等による排水処置やアセトアルデヒド製造施設等の特定施設の操業停止等を命じるべき義務が発生していたものである。

(三) しかるに、被告国は水質二法による工場排水規制権限を行使することなく、被告チッソによる有機水銀化合物を含有した工場排水の排出を放置した違法がある。

2 水産行政上の規制権限の不行使

(一) 熊本県漁業調整規則三二条は、水産動植物の繁殖保護に有害な物を遺棄し、又は漏せつするおそれがあるものを放置すること禁じ、知事が、その違反者に対して除害に必要な施設の設置を命じ、又は既に設けた除害施設の変更を命じ得る権限を付与している。

(二) ところで、同条は、漁業法六五条及び水産資源保護法四条に基づいて制定された規則であるところ、右漁業法六五条及び水産資源保護法四条は、直接的には水産資源の保護培養を図ることで漁業の発展に寄与することを目的とするものであるが、漁業の発展とは詰るところ食糧としての魚介類の安全性を守ることにほかならず、他方、水産資源保護法は、一面では工場等の排水から水産資源を保護する目的で制定されたものであることからすると、調整規則三二条にいう「水産動植物の繁殖保護に有害な物」とは、単に水産動植物を斃死させ、その成長を阻害するものと限定すべきではなく、汚染等によって魚の市場価格を著しく減少させる場合や魚介類を有毒化して人体に害を及ぼすような場合をも含むと解される。したがって、人をして水俣病に罹患させる程に魚介類を有毒化せしめるチッソ水俣工場の工場排水は調整規則三二条にいう「有害な物」に該当するものである。

(三) 昭和二九年八月ころには、チッソ水俣工場の工場排水による海域汚染が水俣湾及びその周辺海域の魚介類を多量に斃死させ、また、右魚介類を摂食した鳥、猫などに異変を発生させていることが明らかであったから、熊本県知事は、調整規則三二条二項に基づいてチッソ水俣工場の排水の有毒物質の除害設備の設置を命ずる等の排水規制措置を講じるべき義務を負っていたものである。さらに、昭和三二年九月の時点で水俣病が工場排水によって汚染された魚介類の摂食によることが明らかとなり、昭和三四年一一月ころには工場排水中の有機水銀化合物が原因物質であることが明らかとなったが、このような事態の推移からすると年を追うごとに熊本県知事の調整規則上の工場排水規制権限の発動が強く義務化していったものというべきである。

3 毒物及び劇物取締法上の規制権限の不行使

(一) チッソ水俣工場は、アセトアルデヒド酢酸及び塩化ビニールモノマーの製造に際し、触媒として酸化水銀と塩化第二水銀を使用していた。ところで、右水銀化合物はいずれも毒物及び劇物取締法に定める毒物としての「水銀化合物」に該当し、したがって、被告チッソは同法二二条一項が定める毒劇物営業者ら以外の者で業務上毒劇物を取り扱う者(以下「業務上取扱者」という。)である。

(二) 同法によれば、業務上取扱者が毒劇物を漏出等していることが合理的に疑われ、保健衛生上必要があると認められるときは、厚生大臣及び都道府県知事において、立入検査等(一七条準用)を行い、漏出が判明した場合、毒物及び劇物取締法上の規制権限である漏出防止措置命令(二二条二項)や罰則適用(二四条の二)を行うことができる旨定めている。

(三) 被告チッソはアセトアルデヒド酢酸及び塩化ビニールモノマー製造工程の廃液として毒物である水銀化合物を水俣湾ひいては不知火海に漏洩していたものであるところ、遅くとも昭和三四年一一月ころには、水俣病の原因が被告チッソの漏出する水銀化合物によるものであるとの合理的な疑いが指摘されていたのであるから、被告国及び県とすれば、同法一七条に基づいて被告チッソから必要な報告を求め、又は工場内に立入検査等を行い、同法二二条二項に基づいて水銀化合物の漏排出を防止するのに必要な措置(工場排水の閉鎖循環方式の指示等)を命じ、さらに罰則の適用を求める(二四条の二、二六条)等により、水銀化合物の不知火海への漏出を阻止すべき義務が発生していたものである。

(四) しかるに、被告国及び県において毒物及び劇物取締法上の権限を行使しなかった違法がある。

4 漁港法、港則法等の港湾等管理権限の不行使

(一) 港湾、河川等の各種管理法令は、その水域における汚染の防止義務を定めており、その違反者に対して罰則の適用を予定している。被告チッソは工場排水によって河川、港湾等を汚染しており、以下に述べるように各管理法令の要件を充足していたのであるから、被告国(法務大臣)及び県(県警察本部)は、関係各法令に基づいてその義務違反の事実を捜査し、公訴を提起して処罰することができたのである。そして、これらの罰則を被告チッソに対して適用することによって、その工場排水の規制を一層実効的にすることができ、水俣病の発生及び拡大を防止できたのである。しかるに、被告国及び県は、これらの規制を怠り、水俣病を発生、拡大させた過失がある。

(二) 河川、港湾等の管理法令上の規制権限の不行使について

(1) 漁港法

漁港法三九条一項は、同法五条一項によって指定された「漁港」の区域内の水域において、汚水の放流又は汚物の放棄をしようとする者に対して農林大臣の許可を要する旨を、同条五項は、農林大臣は、右の者に対して汚水の放流又は汚物の放棄による危害を防止するための施設の設置を命ずることができる旨を、同法四五条四号は三九条一項違反である汚水の無許可放流者へ罰則を科し得る旨をそれぞれ定めている。

昭和二六年九月七日、丸島港は漁港法五条一項に定める漁港に指定されたのであるから、昭和二九年八月ころには、被告国及び県において同法に基づく危害防止設備の設置を命じ又は罰則の適用を行うことができたはずである。

(2) 港則法

港則法二四条一項は、何人も、港内においては、みだりに廃物を捨ててはならない旨定め、同法四一条二号は二四条違反者への罰則を定めている。

被告チッソの工場排水は同法二四条一項にいう「廃物」に該当するものであるところ、昭和二六年四月二日、水俣湾は港則法二条の港に指定されたのであるから、被告国及び県において同法に基づいて被告チッソに罰則の適用を行うことができたはずである。

(3) 旧河川法

旧河川法(昭和三九年七月廃止)一九条は、流水の清潔に影響を及ぼす虞ある行為に対し、命令を以て、禁止若しくは制限し、地方行政庁の許可を受けさせることができる旨を、同法五八条の五は、右命令には罰則を設けることができる旨をそれぞれ定めている。

被告国及び県としては、昭和三四年には、被告チッソのアセトアルデヒド酢酸製造排水路が水俣川河口へ変更されたことを知ることができたのであるから、同法に基づく命令等を早急に定め、水俣川の流水の清潔に影響を及ぼす行為である被告チッソによる工場排水の排出を規制すべきであった。

(4) 清掃法及び軽犯罪法

清掃法一一条二項は、何人も、みだりに、河川その他公共の水域にごみを捨てはならない旨を、同法二四条は一一条の違反者へ罰則を科し得る旨を定めている。軽犯罪法一条二七号は、ごみその他の廃物の投棄を禁止している。

被告チッソの工場排水は、右各法規にいう「ごみ」に該当するから、被告国及び県は、被告チッソによる工場排水の排出行為に対して右各法規に基づいて罰則を科すことができたはずである。

5 行政指導の懈怠

(一) 通産行政上の行政指導

通産省は、通産省設置法及び通産省組織令において、有機化学や工業用水の管理権限が認められている。したがって、通産省は工場排水に関する規制を行うについて右各組織法令に基づいて行政指導をなし得る権限を有していた。

(二) 具体的行政指導と作為義務の発生

(1) 分析調査をすべき義務

通産省工業用水課は、昭和三四年当時問題とされていたチッソ水俣工場の工場排水中の水銀化合物について調査するために行政指導によって被告チッソをして水俣工場のアセトアルデヒド工場と塩化ビニールモノマー工場への立入検査を認めさせ、製造工程、漏出口、排水口、排水槽等から採取した試料を分析させて、有機水銀の有無及び種類を調査させる必要があった。

(2) 閉鎖循環方式の行政指導

アセトアルデヒド工場の排水を水俣工場の構外へ出さない規制として、被告チッソに対し、工場排水の閉鎖循環方式を採らせるよう行政指導を行うべきであった。

この点、当時において閉鎖循環方式が技術的に可能であったかが問題となろうが、昭和三二年当時において、鋼鉄産業、石炭産業等は、大量の粉塵の洗浄水を途中のサイクレーターで粉塵を沈殿させながら循環使用していた(一時間当たり一八万三四六四立方メートル)事実があることからすれば、少量であるアセトアルデヒド排水(一時間当たり六立方メートル)の循環方式が採れないはずがない。したがって、技術的に可能であったというべきである。

ところで、昭和三四年一一月ころ、通産省は被告チッソに対して排水浄化装置の一種であるサイクレーターの完備を急ぐよう行政指導を行ったものであるが、サイクレーターはそもそも有機水銀の除去を目的に設置が計画されたものでもなければ、実際上、有機水銀を除去する能力もなかった。したがって、右行政指導は水俣病の発生抑止について意味のないものといわなければならない。

五 公の営造物の管理責任(国家賠償法二条一項)

水俣湾、百間港及び丸島漁港等の港湾並びに不知火海沿岸の海域(海浜、海面、海水及び海底により構成された自然公物)は、いずれも被告国及び県が所有し又は管理する「公の営造物」であるが、この水俣湾等において魚介類が有毒化するという事態が発生したにもかかわらず、同湾等を管理すべき被告国及び県は右事態を放置していたのである。このことは、公の造営物が本来備えるべき安全性を欠いたまま公共の利用に供されていたことに他ならない。原告らは、同港湾等の通常の利用方法である魚介類の採捕摂食によって、水俣病に罹患するという損害を被ったのであるが、この場合、原告らは公の営造物の管理上の瑕疵ゆえに損害を被ったことになる。したがって、被告国及び県は原告らに対して国家賠償法二条一項の責任を負うものである。

第三  水俣病の病像及び診断

一 水俣病の病像の捉え方

メチル水銀中毒症は、種子消毒殺虫剤製造工場で発生したメチル水銀中毒患者を研究した結果得られたハンター・ラッセル症候群(感覚障害、運動失調、構音障害、難聴、視野狭窄)で特徴付けられるものであるが、水俣病の場合は、同じくメチル水銀中毒症とはいうものの、その発生機序、経過、規模において工場労働者の経気道中毒症である右ハンター・ラッセル症候群を有する患者に限らず、より不定型であり、より多彩な病像を有する患者を包摂するものである。すなわち、水俣病は、被告チッソの工場廃液による広範な環境汚染の下、食物連鎖を通じて惹起された不知火海周辺地域住民の集団的メチル水銀中毒症であるから、汚染にさらされた個々人の汚染度の違い、その肉体的精神的条件の差異等に応じて住民各自に対して有機水銀がもたらす病状の内容、程度等が多種多様であることは当然である。現に、今日までの諸研究の結果、水俣病においては、その症度の点からも急性劇症患者から軽症者まで不断に連続していること、また、症状の発現形態においてもハンター・ラッセル症候群が全てそろった典型例からそれらがそろっていない不全型又は他疾患との合併がみられる症例まで多様性があること、発症経過からみても急性劇症型から慢性発症型まで様々であることが判明している。

二 水俣病の症状

このような環境汚染に起因する広範な集団的メチル水銀中毒症という人類がいまだ経験したことのない疾患である水俣病の病像を理解するには、ハンター・ラッセル症候群に依拠するだけでは不十分であって、被告チッソによってもたらされた汚染環境下で生活してきた関係地域住民に対する疫学的調査から丹念に水俣病の病像を考察するのが適切である。このような疫学的調査としては熊大第一次研究班の研究報告の他、熊大第二次研究班や藤野糺医師らによるものがあり、右各研究報告を総合すれば、概要、水俣病の臨床症状には以下のような特徴を見出すことができる。

1 多様な自覚症状の存在

四肢のしびれ、易疲労、物忘れ、頭痛、めまい、手足の力が弱い、からすまがり、耳鳴り、不眠、耳が聞こえにくい、倒れやすい、ぼんやり見える、イライラする、物を取り落とす、筋肉が痙攣する、言葉が出にくい、スリッパが脱げ易い。頭がポーッとする、指先が利かない、手が震える、何もしたくない、手足の痛み、舌がもつれる、味や匂いが分からない、周りが見えにくい等の自覚障害の出現頻度が顕著である。特に頭痛の主訴が最も多い。

2 特徴的な神経症状について

(一) 水俣病にみられる神経症状はハンター・ラッセル症候群として理解されている四肢末梢優位の感覚障害、運動失調、求心性視野狭窄、構音障害、感音性難聴(以下「主要症状」又は「主要神経症状」という。)の他、味覚障害、嗅覚障害、振戦、筋萎縮、意識障害による発作がある。

(二) 本訴における原告らの神経症状の特徴は、ハンター・ラッセル症候群がそろっていない不全型であり、また、症状の発現と進行が非常に緩やかである。このような水俣病は慢性水俣病として理解されるものである。

(三) 主要神経症状の特徴

(1) 感覚障害

ア 水俣病で発症する感覚障害の特徴は、四肢末梢優位の感覚障害及び口周囲の感覚障害である。このような感覚障害は水俣病の初発症状であり、また、有機水銀の曝露を受けた住民に最も高頻度に出現するものであって、水俣病における最も特徴的な症状である。

イ 水俣病の罹患者において神経症状として感覚障害のみが出現する可能性がある。このことは、有機水銀の曝露量が比較的少ない場合は、感覚障害という初発症状の発現段階で止っている場合があり得ること、また、感覚障害の快癒は著しく困難又は不可逆的であることから、一旦、感覚障害の他の症状も出現したが、感覚障害以外の症状は軽減して把握できなくなり、その結果、感覚障害だけが残存している場合があり得ることから理解し得ることである。

ウ 感覚障害の典型的発現形態はいわゆる四肢における手袋靴下型であるが、慢性水俣病患者においては感覚障害が全身に分布し、又は半身においてみられる場合が少なくない。

(2) 運動失調

ア 水俣病にみられる運動失調、構音障害は小脳の障害によるものと考えられている。

イ 運動失調は比較的快癒しやすい症状であって、水俣病の軽症例においては、臨床上、明らかな失調が認められず、動作の緩徐として発現している場合が多い。

ウ 水俣病にみられる構音障害も小脳性運動失調によってもたらされるが、その特徴は、甘えたような口調で喋ること等である。

(3) 視野狭窄

メチル水銀による視中枢障害は周辺視野を司る神経細胞を傷害することが特徴的であって、求心性視野狭窄は水俣病の主要症状であるとともに、水俣病以外では極めて稀にしかみられない症状である。有機水銀の曝露を受けた者において求心性視野狭窄が認められる場合、ほぼ水俣病の罹患を肯定してもよいものである。

(4) 感音性難聴

水俣病の場合、メチル水銀が大脳聴覚野を傷害する結果、後迷路性難聴をもたらすものである。さらに、水俣病罹患者において内耳性難聴が出現することも否定できない事実である。水俣病においては、内耳性又は後迷路性の難聴である感音性難聴が特徴的症状である。

3 精神症状

(一) 知能機能障害

記銘、記憶、思考、計算、読み書き、理解等の能力の低下がみられるが、判断力、批判力は比較的よく保たれている。

(二) 性格及び情意障害

感情に温かみを欠く、精彩を欠く、柔軟性の欠如、無関心、無表情、幼稚化、我慢できなく短気、怒りっぽい、自己中心的、固執傾向、反復傾向が特徴的である。

(三) その他

幻覚、妄想、躁鬱、神経衰弱、ノイローゼ、ヒステリー等の精神症状がみられる。

4 その他全身の障害

経口摂取された有機水銀は、血管を通じて脳、神経のみならず全身各臓器に浸潤することから、自律神経障害、高血圧、肝機能障害、腎機能障害、脳血管障害等全身の障害をもたらすものである。

三 水俣病の診断

1 有機水銀曝露歴の把握

水俣病は有機水銀に汚染された魚介類を媒介とする中毒症であるから、原告らの水俣病罹患の事実を知ること、すなわち、個々における有機水銀値の曝露の有無及び程度を知ることが必要である。この点、行政の怠慢により有機水銀汚染の有無及び程度を直接証明し得る資料となるべき沿岸住民の血中水銀値又は毛髪中水銀値等の測定及び調査がほとんどなされていないので、原告ら個々の有機水銀曝露の事実は、その居住歴、生活歴、職歴、食生活歴、環境の異変、生活環境を同じくする近隣住民や家族、家畜の水俣病罹患の事実等の事実(これらを「疫学条件又は疫学的条件」という。)によって推認することになる。これらの疫学条件を知ることによって、原告ら個々の有機水銀曝露の有無はもちろん、曝露の濃淡をも推認することは可能である。

2 症状の把握

(一) 個々の原告らにおいてハンター・ラッセル症候群として理解されている有機水銀中毒症の典型的症状が一つでも臨床的に把握されれば、水俣病の罹患を認めることができる。水俣病においては、感覚障害のみを呈する場合があることは諸種の研究において明らかであるから、原告らにおいて感覚障害しか臨床的に認められない場合であってもその者をして水俣病と判断するのに十分である。

(二) ところで、ハンター・ラッセル症候群は、一工場内でのメチル水銀の経気道中毒症の特徴を表すものであるのに対し、水俣病の場合は前代未聞の環境汚染に起因する集団的有機水銀中毒症であって、等しく有機水銀の曝露を受けた者の中にも急性劇症患者から慢性患者まで不断に連続する症状を呈するものである。このような水俣病を臨床症状から判断するには、まず、水俣病の臨床的特徴自体を拾い出す作業(疫学的調査)が必要であって、その疫学的調査の結果から水俣病の病像を確定することが必要である。このような疫学的調査の結果、現時点では、水俣病罹患者が自覚症状や日常生活上の支障として訴えるところの多種多様の症状が存することが判明しており、それら多種多様な症状のいずれもが現時点の医学的知見において明らかに有機水銀の影響ではないと断ぜられるまでに至っていないものである。ただし、慢性水俣病罹患者の訴える自覚症状や日常生活上の支障には前記のとおり一定のパターンが存するものであるから、原告らの水俣病の罹患を判断するには、まず、その自覚症状や日常生活上の支障を丹念に検討し、多種多様な症状の中にも現時点で水俣病の罹患を認めるに十分な自覚症状又は日常生活上の支障のパターンが確認される場合は水俣病と判断すべきである。

(三) さらに、慢性水俣病罹患者においては有機水銀曝露時から現在までの長期間の経過の中で症状の変動があることも明らかであるから、現在の一定の症状の有無に拘泥することなく、症状の経過の把握に努めることも重要である。

(四) 他原因について

ある患者に水俣病に特徴的な症状と同じ症状を呈し得る他の疾患の存在が積極的に証明されたとしても、それは水俣病を否定する根拠とならない。有機水銀の曝露を受けた住民には、曝露前に健康であったものも既に他の疾病を有していた者もいたのであるし、また、曝露後の時日の経過で他の疾患に罹患する者が存することも当然のことである。原告ら個々における症状が専ら他の疾患によるものであることが明らかでない限り、その疾患は水俣病の合併症である可能性の方がより高いと考えることこそ当然である。

3 水俣病の判断基準

(一) 以上からすると、汚染地区に居住し魚介類を多量に摂取した者に、水俣病にみられる典型的神経症状の一つでもあれば当然水俣病と考えられる。そのような典型的神経症状が明らかに認められなくても、症状の経過や自覚症状又は日常生活上の支障において水俣病にみられる一定のパターンが認められる場合には水俣病を疑うべきである。そこで、原告ら個々に対し確実に(高度の蓋然性をもって)水俣病であるか否かを判断するには、以下の基準に照すことが妥当である。

① 不知火海の魚介類を多食し、有機水銀曝露歴を有すること。

② 四肢末梢型感覚障害を主徴とする有機水銀中毒の症状を呈すること。

③ ②の症状が専ら他疾患によるものであることが明らかである場合を除くこと。

(二) 被告らの判断基準の不当性

被告らは水俣病と医学的に認めるには最低限、環境庁が昭和五二年七月一日に環境庁企画調整課環境保健部長名で発した「後天性水俣病の判断条件について」と題する通知で示した水俣病の判断基準(以下「五二年判断条件」という。)をみたすことが必要である旨主張する。五二年判断条件とは有機水銀の曝露を受けた者において、臨床上、感覚障害と、それ以外に運動失調等典型的神経症状のいずれかの症状の組合せが認められる者を水俣病と診断すべしとするものである。しかしながら、五二年判断条件は、そもそも水俣病患者の切捨てを目的とするものであって、水俣病の病像を不当に狭めるものであること、感覚障害のみを呈する者を水俣病罹患者から排除していること等からみて慢性水俣病患者の呈する病状を医学的に分析検討したものとはいえないこと等から水俣病の判断において依拠するに足りないものである。

第四  原告らの水俣病罹患

原告らはいずれも不知火海沿岸の水俣病患者多発地域に居住し、多年にわたって不知火海に生息するメチル水銀に汚染された魚介類を多食してきたことによって有機水銀汚染を濃厚に受けており、少なくとも四肢末梢優位の感覚障害の発症が認められる。したがって、原告らが水俣病に罹患していることは明らかである。

第五  損害

一 水俣病被害の捉え方

原告らは、水俣病に罹患したことによって人間としての全生活が破壊され、長期間にわたる精神的、肉体的、家庭的、社会的、経済的損失を被ったものである。このような原告らの損害を算定するに当たっては、単に水俣病というメチル水銀中毒症に起因する精神的、肉体的な支障や苦痛にのみ目を奪われることなく、被告らによる環境破壊とその実態の隠蔽という犯罪的行為が積み重ねられてきた今日までの歴史の下での原告らの人間としての生存の困難さや苦しみにも注視すべきである。

二 包括請求とその正当性

原告らは、本訴訟において、被告らの犯罪的行為によって人間としての全生活が破壊されたことの原状回復を求めるものであって、原告らの長期間にわたる精神的、肉体的、家庭的、社会的、経済的損失等、水俣病に起因する総体としての損害を包括して請求する(ただし、将来の医療及び健康管理に関する費用は除く。)。

従来、損害賠償請求訴訟では、個々の被害者について逸失利益等の財産的損害を個々の費目ごとに主張立証させ、かつ、狭義の精神的損害(慰謝料)を併せて請求させるといういわゆる「個別算定方式」が取られていたものであるが、このように損害を分断し個別化することは、水俣病のような人間としての全生活が破壊されたことによってもたらされた損害を正当に評価しえないものである。原告らの人間としての全生活が破壊されたことの原状回復を行うには、「人間の尊厳」そのものを回復させるという観点から損害の算定を行なうべきであって、水俣病の被害の深刻さ、被害を発生させるに至った経過、被害発生後における加害者の措置、現時点における被害者に対する態度等全ての状況を総合的に判断して総体としての損害を適正に評価すべきである。逸失利益、過去の治療費やその他個別的な財産的損害は、右包括請求の算定に当たっての斟酌事由の一内容になることは当然である。

三 本件における請求額

本件原告らの総体としての損害の額は、本来、膨大なものであるが、本件においてはそのうちのごく一部を控え目に請求することとし、さらに、被害の等質性等に鑑み一律の額で請求することとし、各原告につき慰謝料として一八〇〇万円、弁護士費用として右金額の一〇パーセント(一八〇万円)の計一九八〇万円を請求する。

第六  原告らの主張の要約

以上のとおり、原告らは被告らに対し、民法七〇九条、国家賠償法一条一項、同法二条に基づく損害賠償請求権に基づき、各金一九八〇万円及びこれに対する各訴状送達の日の翌日である別紙遅延損害金請求起算日記載の各日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第二節  請求原因に対する認否

第一  被告チッソ及び同チッソ子会社

一 請求原因第一(被告チッソらの責任原因)の事実のうち、一(被告チッソ)は、メチル水銀化合物がアセトアルデヒド製造工程以外の製造工程でも副生されていたとする点は否認するが、その余はあえて争うものではない。

二 同第一の二(被告チッソ子会社)の事実は否認ないし争う。

三 同第三(水俣病の病像及び診断)の事実は争う。

四 同第四(原告らの水俣病罹患)の事実は否認する。

五 同第五(損害)は事実は争う。

第二  被告国及び県

一 請求原因第二(被告国及び県の責任原因)の事実は否認ないし争う。

二 同第三(水俣病の病像及び診断)の事実は争う。

三  同第四(原告らの水俣病罹患)の事実は否認する。

四 同第五(損害)の事実は争う。

第三節  被告らの主張

(被告国及び県)

第一 被告国及び県の責任について

一 本件における基本的問題点

1 公務員の規制権限の不行使が国家賠償法一条一項にいう「違法」な行為と評価されるためには、公権力の行使に当たる公務員が損害賠償を求める当該国民に対して一定の規制権限を行使すべき個別具体的な職務上の法的義務(作為義務)を負担している場合で、かつ、右職務上の法的作為義務に違反したと観念されることが必要である。ところで、行政機関として規制権限を発動することは、規制を受ける者にとっては公権力による権利の制約を意味するものであるから、右職務権限の有無は、法律による行政の原理から見て、法律によってその規制権限の目的、内容及び発動要件が明確に規定されていることが必要であり、事態の重大性、緊急性といった状況的判断のみで行政機関があらゆる規制措置を法律の明確な根拠なく発動し得ると解することは許されない。

2 本件において、原告らは、漁獲禁止や排水規制における被告国及び県の担当公務員の職務権限の有無及びその範囲を子細に検討することなく、水俣病の被害の重大性、緊急性のみから、その時々においてかかる措置を講ずることが有効であるとの一事をもってあらゆる規制措置を当然に発動すべきであったかのように主張するが、このような主張は法律による行政の原理に反するものといわなければならない。

3 また、担当公務員の作為義務は、個々の原告らとの関係においてその損害発生を防止することを目的とした規制権限を定めた法律が存してはじめて観念し得るものであるところ、原告らが規制権限の根拠として主張する法律である食品衛生法、漁業法及び水質二法は、いずれも個々の国民の生命、健康の安全を保護法益とするものではなく、関係する国民一般の利益、すなわち公益一般の保護を目的とする法律である。右法律に基づく規制権限の行使の結果、個々の国民のうち利益を受ける者も生じるが、それは法が直接に意図した結果ではなく、反射的にもたらされたものに過ぎない。したがって、右各法律は、担当公務員に対し原告ら個々の権利、利益を守らせるための規制権限の発動を義務付ける根拠となるものではない。

二 原告らの主張する規制権限について

1 食品衛生法

(一) 食品の安全の確保は、第一次的かつ最終的には食品製造販売業者の責任であり、行政機関の規制は、補完的、後見的、二次的な立場で行われるものである。食品衛生法は、食品衛生行政機関に対して、食品の製造、販売等に関し、積極的な行政責任を負わせた規制法ではなく、本来営業の自由に属する食品の製造、販売等に対し、食品の安全性という見地から必要最低限度の取締りを行うことを目的とする消極的な警察取締法規にすぎない。すなわち、同法四条は有害有毒な食品を販売又は販売目的で採取等をしようとする者に対し、不作為(禁止)義務を課した規定であるが、食品の安全性の判断については本来業者の自主管理(日常点検、定期点検)に委ねる趣旨であって、一律にかつ裁量的に厚生大臣又は都道府県知事において個々の食品の危険性を認定させる権限を付与したものではない。

したがって、ある食品が同法四条に該当するか否かは、本来有毒有害物質を科学的に定量分析して行うのが望ましいが、原因物質が判明していない場合でも、その時点における科学的知見や長年の経験に照して、有害性等を明確に判断できることが必要である。さらに、この点については、同条が、同法二二条、三〇条等に定める刑罰や行政処分の発動要件であることから、その該当性の判断は厳格に行うことが必要である。加えて昭和三〇年代前半当時の食品衛生法四条二号においては、「有毒な、又は有害な物質が含まれ、又は附着しているもの」と確実に判断し得るもののみがこれに該当した食品であり、単なる「疑い」があるといった程度では、当該法律の警察規制的権限を行使してはならないことは当然である。

したがって、衛生担当公務員が特定の食品について同条二号にいう有毒有害食品に該当すると判断するためには、当該食品に有毒有害物質等が含まれ又は附着していると確定的に判断できるだけの根拠が存した場合にのみ、同法二二条や三〇条の規制権限を発動できるのであって、そのような根拠なくして右規制権限の発動を義務付けることはできないものである。

(二) 食品衛生法四条二号の該当性について

以上を前提に、当時において水俣湾及びその周辺海域に生息ないし回遊する魚介類が同法四条二号に該当したかを検討する。

まず、魚介類を有毒化せしめる原因物質の分析から判断できたかを考えるに、昭和三四年一一月段階においても、熊大研究班の中でも種々の見解があり、原因物質を特定するに至っておらず、また、厚生省食品衛生調査会の厚生大臣に対する答申にしても、水俣病の「主因をなすものはある種の有機水銀化合物である。」とするにとどまり、原因物質の特定にはなお時間を要したこと、他方、当時は有機水銀を分析定量し得る技術は存しなかったから数ある有機水銀化合物中のいかなる種類のものをして有毒とするか判定することができなかったから、原因物質に着目して食品衛生法四条二号の該当性を判断することはできなかったものである。次に他の科学的知見、経験等に基づいて右魚介類の有害性を明確に判断しえたかを検討するに、昭和三四年一一月段階までの動物実験や疫学的調査の結果等の諸研究を総合しても、水俣湾産の魚介類のすべてが有毒有害化しているといえなかったことはもちろん、種類や棲息場所を限定して有毒化している魚介類を特定化することもできなかったのである。

したがって、そもそも昭和三二年九月当時においてはもちろん昭和三四年一一月当時においても、水俣湾及びその周辺海域に生息し又は回遊する魚介類が有毒食品であると判断できなかったから、同条の該当性を前提に発動し得る同法二二条や三〇条による規制権限の発動要件自体を満たしていなかったものである。

(三) 食品衛生法四条四号について

同条の「その他の事由」とは、同条一号ないし三号以外の事由による人の健康を害う虞のあるものについての規定である。当時、水俣病の原因としては、「有毒有害物質」が含有又は附着している魚介類との認識はあったのであり、あくまで、四条二号の対象となるか否かを検討すべき問題であった。

さらに、前述のとおり同法四条の該当性の判断は厳格に行うことが要請されることから、水俣湾及びその周辺海域に生息し又は回遊する魚介類の危険性が確実に判断できない状態であった以上、同法四条四号への該当性をも判断するには至らなかったものである。

(四) 仮に、当時右魚介類が食品衛生法四条二号又は四号に該当するものであったとしても、同法二二条(廃棄、営業の停止等)等の規制の名宛人は食品流通に関係する営業者であって、自ら食するために漁獲採取する漁民は含まれない(同法二条七項但書)から、専ら本件魚介類を自家摂食していた原告らの漁獲採捕行為を禁止する手段として同法二二条等の規制権限は原告らの水俣病罹患を防止することにおいて実を上げるものではなかった。また、本件魚介類を販売目的で採取し、又は販売していた営業者に対して右規制権限を行使しても、自ら漁獲してきた本件魚介類を自家摂食していた原告らの被害を防止することにはならなかったのである。したがって、原告らの損害の発生を防止するために、右規制権限の行使が義務化していたとは考えられない。

(五) 食品衛生法一七条(報告、臨検、検査、試験用無償収容)の権限は、営業者において同法四条各号に該当する食品を取り扱っているか否かの事実を調査確定するために認められているものである。したがって、右権限を発動するためには、同法四条に該当すると判断される食品が存在していなければならない。前述のとおり本件においては、当時、水俣湾及びその周辺海域に生息し又は回遊する魚介類が同法四条二号又は四号に該当すると判断できなかったのであるから右規制権限を発動することはできなかったといわなければならない。

2 漁業法

(一) 漁業法は漁業生産力の発展及び漁業の民主化という公益を保護することを目的とし、有毒魚介類から個人の生命、健康を守ることをそもそも予定する法律ではない。特に同法三九条一項による漁業権の規制は零細漁民の生活を守り、漁業の民主的発展を図ることを主眼に規制を行う趣旨であり、原告らの水俣病罹患を防止するために同規制が義務化すると考えることはできない。漁業権の規制によって原告らが有害魚介類から生命、健康の安全が守られることがあるにしてもそれは反射的利益であって、同法による規制権限の発動を義務付ける根拠とはなし得ない。

(二) 仮に昭和三二年九月当時、水俣湾及びその周辺海域において漁業法三九条による共同漁業権の規制を行ったとしても、原告らは、専ら右規制の対象外である自由漁業(一本釣り、延縄漁)によって自家摂食用の魚介類を採取していたことからすると、右規制権限の不行使によって原告らが水俣病に罹患したという関係に立つことがなく、漁業法による右漁獲規制の懈怠と水俣病発生の因果関係はない。

3 水産資源保護法及び熊本県漁業調整規則

(一) 水産資源保護法及び熊本県漁業調整規則は、水産資源の保護培養、すなわち、漁業生産力を将来にわたって持続的に拡大していくための資源として水産動植物の繁殖保護を図ることを目的としているものである。同法及び調整規則はそもそも有毒魚介類から個人の生命、健康を守ることを予定する法律ではない。したがって、反射的利益である個人の生命、健康の安全を図るために右法規の規制権限が義務化すると考えることはできない。

(二) この点、調整規則三〇条一項の知事許可漁業の取消の要件である「漁業調整その他公益上必要あると認めるとき」とは、水産資源の保護培養の必要性をいうのであって、原告らの水俣病罹患の防止という個人食生活上の安全を図る必要性を含むものではない。

また、同規則による許可漁業を取り消しても、原告らはその規制対象外である漁業により専ら自家摂食用の魚介類を漁獲していたものであるから右規制権限の不行使によって原告らが水俣病に罹患したという関係に立つことがなく、漁業法による右漁獲規制の懈怠と水俣病発生の因果関係はない。

(三) また、調整規則三二条二項にいう「有害な物」とは水産動植物の繁殖保護にとって有害な物をいい、同規則により保護すべき利益は水産資源としての水産動植物であり、本規則の発動が仮に義務化するといえるのは水産資源の枯渇を回避する必要性が高い場合である。有毒魚介類から原告ら個人の生命、健康の安全を図る必要性をもって同規則の発動が義務付けられることはないというべきである。

さらに、当時(昭和二七年から三四年一一月までの間)、チッソ水俣工場の工場排水が水俣病を発生させるという意味での水産動植物に対する有害な物であると判断することはできなかった。したがって、熊本県漁業調整規則三二条による排水規制を発動することはできなかった。

4 水質二法

(一) 水質保全法五条二項に基づいて水質基準を設定するための要件としては、①特定の公共用水域の汚濁原因物質が特定されていること、②当該汚濁原因物質が工場から排出されていることが科学的に証明されていること、③当該汚濁原因物質の分析定量方法が確立されていること、④当該汚濁原因物質についての許容量を科学的に決定し得ること(再現性ある数値として求められること)が必要である。特に、同法は単に公衆衛生の向上のみを図る趣旨ではなく、産業の相互協和をもその目的とするものである以上、汚濁物質の科学的特定と分析定量化が厳密に行われない限り右水質基準の設定は許されないものというべきである。

また、工場排水規制法にいう「特定施設」の指定についても、当該施設が関係産業に相当な損害を与え、公衆衛生上看過し難い影響を発生させると特定できるに足りる汚水又は廃液を排出する施設であると認められるだけの科学的根拠が存することが必要である。

(二) ところで、本件においては、昭和三四年一一月段階でも水俣病の原因物質が特定できず、また、チッソ水俣工場のアセトアルデヒド酢酸製造施設等から有機水銀化合物が排出されていることが確認できなかった。この点、確かに昭和三四年一一月時点で食品衛生調査会は水俣病の主因をなすものは「ある種の有機水銀化合物」である旨の答申を厚生大臣に行っていたが、右答申は病理及び水銀量等から原因物質を「ある種の有機水銀化合物」と大枠で特定したにすぎず、多数存在する有機水銀化合物中のいかなる化合物であるのかという点が未解明であったし、有機水銀説に反対する学説も無視できず、有機水銀化合物をもって水俣病の原因物質と断定できる状況ではなかった。また、当時、チッソ水俣工場がアセトアルデヒド酢酸製造過程で触媒として無機水銀を使用していたことは明らかであったものの、それが右製造工程中で有機水銀に変化する機序の解明にはなお相当の日数を要するという研究段階であり、チッソ水俣工場の工場排水(特にアセトアルデヒド酢酸製造から生じる排水)をして水俣病の原因となる汚染源であると断定することはできなかった。さらに、当時の技術に鑑みるならば、工場排水から僅かな有機水銀を定量分析して許容量を設定することは不可能であった。

したがって、昭和三四年一一月当時においては水俣病の原因となる汚染源としてチッソ水俣工場の工場排水について「水質基準」を設定して「指定水域」として指定すること及びアセトアルデヒド酢酸製造工場等を「特定施設」として指定することは、いずれも不可能であった。

(三) 原告らは、有機水銀化合物のみの規制が技術的に困難であれば、それをも含んだ「水銀及び水銀化合物全て」(総水銀)について検出されないこととする「水質基準」を設定すべきであった旨主張するが、前述のとおり、当時は水銀化合物の一種である有機水銀化合物がそもそも水俣病の原因物質であるとの説自体が確定されたものではなかった以上総水銀の規制の合理性が明らかであったとは断定できない。加えて、総水銀の規制を行うことは、水俣病の原因物質ではない金属水銀や無機水銀をも取り込んだ規制を行うことを意味することになるが、これでは、「産業の相互協和」をも目的とする水質保全法の趣旨に反し、過剰規制として違法な行政行為を行うことになり、許されるものとはいえない。また、工場排水中の僅かな総水銀を分析定量しうる技術も当時においては一般的なものではなかったことに鑑みると総水銀の規制についても当時としては技術的に困難であったといわなければならない。

したがって、総水銀が検出されないこととする「水質基準」もまた設定すべきことを義務付けることはできなかったものである。

(四) ところで、工場排水規制法が定める主務大臣の排水規制措置の発動は、水質保全法による「水質基準」の設定と「指定水域」の指定及び工場排水規制法による「特定施設」の指定がなされてはじめて行えるものである。本件においては、当時において、「水質基準」の設定と「指定水域」の指定及び「特定施設」の指定のいずれも行うことができなかったのであるから、主務大臣(通産大臣)による排水規制権限の発動を義務付けることはできなかったものである。

(五) なお、水質保全法による「水質基準」の設定と「指定水域」の指定及び工場排水規制法による「特定施設」の指定とも個々の国民の利益を図ることを目的として行われる行政行為とは著しく性格の異なる一般的行政規範の定立行為であり、このような規範定立による国民個々の利益は反射的にもたらされるものに過ぎないから、原告らは自己の損害賠償請求において右規範を定立すべき作為義務を問擬することはそもそもできないものである。

5 毒物及び劇物取締法

(一) チッソ水俣工場が触媒として使用していた酸化水銀及び塩化第二水銀は、毒物及び劇物取締法にいう「毒物」に該当するものであるが、水俣病との関係においては、この触媒として用いていた無機水銀である水銀化合物の漏出等が問題とされるべきものではない。また、被告チッソにおいても右無機水銀を漏出等したことはない。

(二) ところで、水俣病の発生との関係で問題となるのは、チッソ水俣工場から排出された工場排水中に、微量の水銀化合物(メチル水銀化合物)が含まれていたことである。しかし、以下に述べるように、微量の水銀化合物が含まれている排水は、毒物及び劇物取締法が対象とする毒物又は劇物には該当しない。

(1) 毒物及び劇物取締法は、規制の対象とする毒物及び劇物を指定するについて「甲(原体)及びこれを含有する製剤」の規定方法によっているが、「原体」とは、そこに指定された物質そのもの、又は、それに粉砕、成型等組成に影響しない物理的な操作を加え製品化しているものを意味し、「原体を含有する製剤」とは、原体の効果的利用を図るために意図的に右以外の操作を加えたものをいう。

(2) 上記のことを水銀化合物の場合に当てはめると、「水銀化合物」とは、水銀と他の物質が化合して生じた、一定の組成を有し、しかも各成分の性質がそのまま現れていない物質そのものを意味し、「水銀を含有する製剤」とは、水銀の効果的利用を図るために意図的に製剤化されたものを意味することになる。

(3) 以上のことからすると、工場排水は、同法にいう「水銀化合物」ではないし、また、「水銀化合物を含有する製剤」にも該当しない。殊に、製剤とは、特定の物質を社会的に有用なものとして利用するために調整されたものをいうが、この点、被告チッソの工場排水は社会的に無価値なものであり、しかも、意図せざる結果である水銀化合物が含有されているにすぎないから「製剤」に該当しないことは明らかである。

(三) 以上のとおりであるから、チッソ水俣工場の排水が毒物及び劇物取締法にいう毒物又は劇物に該当することを前提とする原告らの主張は失当であるというべきである。

6 漁港法、港則法等の港湾等管理法令

(一) 原告らは漁港法、港則法等の港湾管理法等の罰則を適用することによってチッソ水俣工場の工場排水を規制すべきであった旨主張する。

しかし、罰則適用のための犯罪の捜査及び公訴の提起は、国家及び社会の秩序維持のために行われるものであって、被害者の被害回復を目的とするものではないから、被害者が捜査又は公訴によって受ける利益は反射的にもたらされる事実上の利益にすぎず、法律上保護された利益ではない。

したがって、犯罪の捜査及び公訴の提起の懈怠をして、原告らへの損害賠償責任を基礎付ける違法があったということはできない。

(二) さらに、当時、原告が主張する各管理法令の要件を充足する事実は、以下のとおり存しなかったというべきである。

(1) 漁港法

漁港法三九条一項の許可は漁港区域内に直接汚水等を排水する場合を対象としている。

ところで、チッソ水俣工場はその排水を百間港及び水俣川河口附近に排水していたものの、丸島港の漁港区域内に排水したことはない。したがって、漁港法を適用する前提を欠くといわなければならない。

(2) 港則法

港則法二四条一項(廃物の投棄禁止)は、港内又はその附近の水面にごみ等の廃物が投棄されることにより船舶の運航、貨物の荷役等の港の利用に支障が生じることを防止する目的で制定されたものであるから、同条同項にいう「廃物」とは港内での船舶交通の安全及び港内の整頓の確保に支障をもたらすおそれのあるものを指すと解すべきである。

そうすると、被告チッソの工場排水は、船舶の交通の安全及び港内の整頓の確保に何ら支障を来さないから右「廃物」に該当しないというべきであって、被告チッソに対し同法を適用することはできない。

(3) 旧河川法

同法一九条の命令の根拠規定である政令は制定されておらず、また、都道府県規則である熊本県の河川取締規程には工場排水を規制する規程は存しなかった。したがって、当時、河川法一九条(水質管理)をもってチッソ水俣工場の排水に適用する余地はそもそもなかった。

昭和三四年六月ころ、水俣川河口附近に排出されていたチッソ水俣工場の排水が「流水の清潔」を確保する上で問題があるとは当時の状況からは判断するに十分な事実がなかった。

(4) 清掃法及び軽犯罪法

同法にいう「ごみ」とは、「社会通念上、人の営む生活環境に支障を生じるため占有者が占有の意思を放棄して廃棄した物又は廃棄しようとしている物」で排気及び排水は含まれていない。したがって、被告チッソの工場排水の排出行為に対して右各法規を適用することはできない。

7 行政指導

(一) 原告らは昭和三四年までに通産省が行政指導によって排水規制を行うべきであったと主張する。

(1) しかし、既に当時担当公務員は、以下のとおり被告チッソに対しできる限りの行政指導を行っていた。

すなわち、昭和三四年末ころ、通産省軽工業局において、チッソ水俣工場に対し、水俣川河口の排水路を廃止するとともに排水浄化施設を完備し、原因究明等の調査について十分な協力をするよう口頭で指示した。完備を指示したサイクレーターは結果的には有機水銀化合物を除去する能力に欠けていたものであるが、このことは当時、被告国及び県としては知るよしもなかった。

(2) 昭和三四年当時において、熊大研究班や食品衛生調査会によるの有機水銀説には、有力な反論もあり、一学説に依拠して軽々に法規上の根拠もなく、工場の操業停止につながるような工場排水の全面停止という侵害的な規制的行政指導はできない状況であった。

(3) 閉鎖循環方式の行政指導について

閉鎖循環方式とは、排水を原料用水として工場外に排出しない方式をいうが、当時、化学工場の排水についてかかる循環方式を採用するという発想は乏しかった上、技術的にも困難であって、行政指導として行うことは無理であったし、行政指導をしても短期間の内に実現したとは考えられない。

(二) 摂食禁止についても、当時適切な行政指導を行い一定の成果を挙げていたものであって、不履行の責任を問われることはない。

すなわち、奇病発生以来、衛生担当公務員において水俣湾産の魚介類の摂食の自粛を行政指導していた。その結果、昭和三一年一二月から昭和三三年八月までの間水俣病の発生を防止できた。昭和三三年八月一一日に患者が発生したことから、再び水俣保健所において回覧や学校を通じて想定危険海域の魚介類の摂食禁止の広報宣伝活動を行った。熊本県水産課は、漁協等に漁介類の漁獲の自粛を指導していた。さらに経済部長名で、想定危険海域内での漁獲操業の自粛を指導通知した。昭和三四年六月ころ、漁獲禁止区域を津奈木村勝崎から恋路島外端、鹿児島熊本県境を結んだ線内にまで拡大した。昭和三四年八月一二日、水俣保健所は、鹿児島県出水市米ノ津天神部落の猫に奇病が発生したとの報告を受けるや、米ノ津、阿久根両漁協に水俣方面での漁獲の自粛を求めた。その結果、昭和三六年以降の水俣病の発生を防止できた。

(三) 行政指導の不作為との因果関係

行政指導は相手方の任意の協力を得てはじめて実現できるものである。そこで、指導内容(相手の不利益の程度)と指導実績、相手との関係、相手の受入姿勢等を総合考慮して、当時被告チッソによる任意の協力が求められたかを判断するに、①従来から、被告チッソに対し工場排水ひいては操業について同種の行政指導をして実績を上げたという関係がなかったこと、②商工会議所会頭らから営業停止反対の陳情があったことからすると、当時、行政指導として工場排水の停止や操業停止を求めてもおよそ任意に協力を得られる状況ではなかった。

8 公の営造物の管理責任(国家賠償法二条一項)

(一) 原告らは、「公の営造物」として水俣湾、百間港及び丸島漁港等の港湾並びに不知火海沿岸の海域(海浜、海面、海水及び海底により構成された自然公物)というが、国家賠償法二条の対象として不特定である。

すなわち、原告らの主張によれば、管理上の瑕疵を問う対象は、結局、不知火海の海域内の沿岸部分並びに海浜及び港湾施設ということになろうが、このような対象の定義では、対象となる海域及び沿岸の境界が不明確で、管理上の瑕疵を問擬すべき対象が特定できず、国家賠償法二条の責任を問う前提に欠ける。

(二) 翻って、原告らの主張する対象の個々が「営造物」に該当するかを検討するに、原告ら主張の対象物のうち、「港湾施設」「漁港施設」「その区域内の海底部分」は、原告らの損害の発生について因果関係を有しないから、本件においてその管理上の瑕疵を問擬すべき必要はないというべきである。

原告らの損害(水俣病)発生との関係で検討されるべき対象物は、「水俣湾、百間港丸島港等の港湾並びに不知火海沿岸の海域」中の「海水」そのものということになろう。しかし、「海水」は以下の理由から見て「公の営造物」に該当しないというべきである。

(1) 一定区域内の水域といっても観念的なものであり、そこに含まれる海水は海流等により常に移動しているのであるから、漁港管理者において海水自体の水質を管理することは事実上不可能であって、そもそも、海水の水質を特定の状態に管理することはおよそ考えられていない。

(2) 国家賠償法二条一項は、民法七一七条の特別法であり、不法行為法体系の一部を構成する規定である。同条は国の管理責任を問う規定であるから、管理が予定されていない対象物まで「営造物」概念に含めるべきではない。

(3) 領域内の海には、国家主権が及び、国は、自然状態のままで国民の自由な利用に供している。しかし、海水を一般的に管理するよう定めた法令は存せず、また、事実上管理していたこともなかった。国家主権が及んでいるとの理由だけでは、国家賠償法二条一項に基づく責任を負わせることはできない。

(4) 原告らが海の管理責任の根拠として掲げる各種法規(港湾法、港則法等)は、いずれも、港としての機能を維持する、港内における船舶交通の安全を図る等の観点から一定の規制を行っているにすぎず、海(特に海水)自体の一般的管理を定めた法令は存しない。このことは、海自体の管理(海水の性質を特定の状態に管理する)がおよそ考えられていないことを意味する。

(三) さらに、水俣病の発生について被告国及び県による不知火海海域の海水について管理上の瑕疵があったかを検討する。

原告らが主張する管理上の瑕疵とは、不知火海海域において有毒な魚介類を生ぜしめないように海水の品質を管理していなかったことと要約し得る。

しかし、海水に対する管理権限や義務を定める法律はなく、また事実上、海水の水質管理が不可能であることからすると、海水の水質を一般に管理することは求められていないというべきであって、本件において管理上の瑕疵を問擬することはできない。

(四) 以上のとおり、原告らの主張する国家賠償法二条一項の主張は理由がない。

第二 水俣病の病像及び診断について

一 水俣病の病像

1 水俣病とは、工場排水に含まれるメチル水銀が魚介類に蓄積され、それを長期かつ大量に経口摂取することによって起こる有機水銀中毒症である。

水俣病は神経系疾患であって、その主要な症候はハンター・ラッセル症候群として理解されているものである。

2 水俣病の主要臨床症状の特徴

(一) 感覚障害

(1) 水俣病にみられる感覚障害は四肢末梢性で左右対称のいわゆる多発性神経炎型(手袋靴下型)を呈し、表在感覚、深部感覚及び複合感覚の全てが障害されるのが通常である。

(2) このような多発神経炎型の感覚障害は水俣病にのみ特有なものではなく、脊椎症や糖尿病等多種多様な疾患によって発現するものであり、また、老齢者において多々みられるものである。

ところで、水俣病による感覚障害は主に大脳知覚野の器質的障害によって発症するものである。大脳知覚野の障害に起因することから四肢において表在感覚、深部感覚及び複合感覚という全感覚の低下がみられるのが原則であって、表在感覚の中でも触覚、痛覚及び温度覚の全てが低下するのが一般であって、ある特定の感覚のみ障害される場合、半身性である場合等感覚の乖離等がみられる場合は他疾患による可能性が高い。また、器質的障害に基づくものであるから、短期間のうちに感覚障害の部位が大きく変動することは考え難い。また、水俣病における感覚障害は四肢末梢型であって、全身の感覚障害が発症することはいまだ医学的承認を得たものではない。

(3) 水俣病の軽症例においては、臨床上、主要症状の全てがそろわないいわゆる不全型と呼ばれる例が存することが現在認められている。しかし、感覚障害しか呈しない者をして水俣病であるとする見解は現在の医学において一般に承認されたものではない。

この点、原告らは、感覚障害のみを呈する水俣病患者が存在する医学的可能性として、①初発症状として感覚障害が発症しその段階で病状が停止している場合、②他の主要症候は軽快したが感覚障害のみは残存している場合が考えられるという。しかし、①については、そもそも感覚障害が水俣病の初発症状であるとする前提自体、一般に医学的承認を得たものではなく単なる仮説にとどまること、②についても感覚障害以外の症状が臨床的に全く捕捉できないほど軽快したとされる例の存在を一般的に肯定するに足りるだけの医学的資料はいまだ存しない。したがって、現在の医学では、感覚障害のみの水俣病患者というものを認めるだけの理論的根拠が十分に得られていないというべきである。

(二) 運動失調

(1) 水俣病にみられる運動失調は、メチル水銀により小脳の虫部及び半球の双方が障害されることの結果として、平衡機能障害及び協調運動障害のいずれもが左右同程度に出現することを特徴とする。したがって、平衡機能又は協調運動のいずれか一方の障害しか出現していない場合、運動失調が左右の一側にしか出現していない場合は水俣病にみられる全小脳性の運動失調の存在を認めることができないものである。

(2) 原告らは水俣病の軽症例においては、運動失調が臨床上動作の緩徐として発現するという。しかし、動作の緩徐というだけでもって運動失調があるとすることは誤りである。運動失調がある場合に動作が緩徐となるということは、あくまで運動失調がある場合には動作の巧緻性が失われることの結果として動作が緩徐となるという、二次的な現象をいうのであって、単に動作の緩徐ということのみが単独で出現するものではない。小脳性運動失調の有無は運動の巧緻性が認められることが必要であって、動作の緩徐イコール運動失調であるとすることは誤りである。

(3) 水俣病にみられる構音障害もメチル水銀による小脳障害に起因して出現するものである。単に甘えた口調というものではなく、爆発性言語等構音障害の特徴的臨床症状がみられることが必要である。

(三) 視野狭窄

水俣病にみられる視野狭窄は、大脳後頭葉鳥距野の障害に起因する求心性視野狭窄であり、器質的障害に起因するものであるから、複数回の検査において時として正常所見が得られるというようなことはあり得ないものである。

(四) 難聴

水俣病にみられる難聴は、大脳側頭葉横側頭回領域の障害に起因する後迷路性難聴である。同じく感音性難聴として分類される内耳性難聴は水俣病において特徴的なものではないから、被検者において感音性難聴がみられる場合、それが水俣病にいう難聴であるというには、さらに後迷路性難聴であるかの鑑別が必要である。

(五) その他

原告らは水俣病は全身病であるとして、脳血管障害、肝機能障害、腎機能障害等も全てメチル水銀の影響によるものである旨主張するが、それらはいずれも医学的根拠がない。

3 水俣病の発症機序について

(一) 水俣湾及びその周辺海域におけるメチル水銀の濃厚汚染は昭和三五年ころまでであって、それ以降、汚染濃度は低下の傾向を示し、遅くとも昭和四四年ころ以降は非汚染地区と同程度にまで低下している。原告らの中には、メチル水銀の濃厚な汚染のあった昭和三三、三四年ころから一〇年以上も経た昭和四五年ころになって初めて感覚障害等水俣病にみられるのと同様の神経症状が出現した者、症状の初発時期が昭和四五年より前であっても、汚染地域から転居することによりメチル水銀に曝露される可能性がなくなってから相当期間を経過した後に感覚障害等水俣病にみられるのと同様の神経症状が出現している者が存する。この点、原告らは、いわゆる遅発性水俣病と呼称されるところのメチル水銀の取込が終了してからかなりな年月を経過した後に神経症状が発現する場合や微量に汚染された魚介類を長期にわたって摂食していた者が、その後神経症状を発現する場合も水俣病の一形態であるとして、右原告らも水俣病である旨主張する。しかし、以下述べるように、このような場合をして水俣病であるとする医学的根拠はない。

(二) まず、水俣病はメチル水銀という化学物質の中毒症であるが、このような化学物質による中毒症は、化学物質がその生体内で反応閾値を超えて蓄積された場合に限って発症するものである。したがって、原告らをして水俣病であるというには、原告ら個々の体内においてメチル水銀が水俣病という病状を発症させるに十分な程度に蓄積されていることが前提となる。

ところで、一旦生体内に取り込まれた化学物質はいつまでも滞留するものではなく、分解排泄されるものである。このような化学物質が体内から排泄される速度は、取り込まれた化学物質の種類や取り込んだ生物の種差によって異なるが、生物学的半減期として化学物質及び生物の種により一定しているものである。メチル水銀が人体に摂取された場合、その生物学的半減期は約七〇日程であることが種々の研究によって明らかにされている。

このようなメチル水銀における生物学的半減期の知見からすると、一旦体内に取り込まれたメチル水銀はその後の時日の経過によって体外に排泄されることから、一旦濃厚なメチル水銀の汚染を受けた者であっても相当な年月が経過すればその体内に蓄積したメチル水銀は発症閾値を下回る程度にまで排泄されてしまうこと、また、長期にわたって毎日、微量にメチル水銀を摂取しても全てが蓄積されるのではなく、順次体外に排泄され続けることから、微量汚染を長期にわたって受けた者であっても水俣病の発症閾値を超えるメチル水銀を体内に蓄積するには至らないことが理解されるのである。

(三) 右のような化学物質の中毒学で示されるところの量反応関係、生物学的半減期の知見に照すと、原告らが主張するいわゆる遅発性水俣病や長期微量汚染に起因する水俣病という症例は、現在の医学上、いずれもメチル水銀中毒症として理解することは困難である。

二 水俣病の診断

1 訴訟上の因果関係と証明の程度

本訴は原告らが被告らの環境汚染に起因して有機水銀の曝露を受けたことから水俣病に罹患したとしてその損害賠償を請求する訴訟である。このような不法行為に基づく損害賠償を請求する訴訟においては、原告ら個々において水俣病に罹患したことを自ら立証する必要があるが、その立証の程度は高度の蓋然性の程度にまで裁判官をして真実であると確信させることが必要である。この点、本件においては、原告ら自ら、①メチル水銀によって汚染された魚介類を摂食したこと、②その魚介類の摂食によって原告らにおいて水俣病の発症閾値を超えるメチル水銀が体内に蓄積されたこと、③その蓄積されたメチル水銀の影響によって水俣病にいう中毒症状を呈していることをそれぞれ立証する必要がある。

2 有機水銀の曝露について

右①及び②の点は、原告の有機水銀曝露の事実に関するものである。この点、血中水銀値又は毛髪水銀値等の資料があれば原告ら個々の有機水銀曝露の有無及び程度を直接的に把握し得るのであるが、本訴においては右のような有機水銀の曝露の直接的指標となる客観的資料が存しないから、この点、原告らの居住歴、食生活歴、職業歴等原告らが呼ぶところのいわゆる疫学的条件、すなわち、原告ら個々人がメチル水銀に汚染された魚介類を多食したことをうかがわせる間接事実から推認せざるを得ないものである。

ところで、原告らにおける発症閾値を超えたメチル水銀の摂取蓄積を推認するに当たって、最も重要な事実は、原告ら個々における魚介類の摂食状況に関わることである。このような事実を示す証拠としては、本件の場合、陳述録取書等原告らの供述をもとにする証拠資料しか存しないのであるが、まず、このような原告らの供述は三〇年前の記憶に基づくものであること等からその信用性に多大の疑いを拭えないものであること、その摂食にかかる魚介類の汚染度を知る上で必要不可欠というべきところの当該魚介類の生息場所、生息時期、生息期間等が特定されていないこと、汚染が疑われる魚介類を摂食した時期、期間、量が明らかでないこと等の点に鑑みれば、原告らの供述にかかる証拠からは最大限有機水銀の曝露を受けたことは推認し得るにしても、それを超えてその曝露の程度、特に発症閾値を超える有機水銀の体内摂取の有無までは到底推認し得るものではない。

結局、原告らの有機水銀の曝露歴を示す間接事実からは、水俣病の発症を確信させる有力な指標であるメチル水銀の発症閾値を超える体内摂取蓄積を確信をもって推認することは困難であって、水俣病の罹患を知る上での前提であるメチル水銀の発症閾値を超える体内摂取蓄積は原告ら個々における臨床症状の特徴から推認せざるを得ないものである。

3 臨床症状について

(一) 水俣病に典型的な神経症状もその個々をみるといずれも非特異な症状であって、いずれの症状もその一つをもって直ちに水俣病の罹患を確信付けるに足りないものである。

特に、四肢末梢型の感覚障害は様々な原因から発症する多発性神経炎において発現するものであること、水俣病患者において四肢末梢型の感覚障害のみが単独で発現する例が医学的に承認されていないことはもちろん臨床例としても多く報告されているものではないことからすると、有機水銀の曝露を受けたことがある者において臨床的に感覚障害のみを呈している場合、そのことから直ちにメチル水銀の発症閾値を超える体内蓄積の事実とメチル水銀による中毒症の発現の事実を高度の蓋然性をもって真実であると判断することは困難である。

(二) ところで、現在、水俣病患者の中にはハンター・ラッセル症候群が全てそろっていない不全型の患者が存することが多くの研究によって明らかにされているものではあるが、一概に不全型といってもその症状の内容及び程度は様々であって、これら不全型の症状を呈する者のうちいかなる内容及び程度の症状を呈する者をして水俣病と医学的に診断し得るかを問題とせざるを得ない。この点、五二年判断条件は、臨床症状からみて水俣病であることを医学的に否定できないと診断するには、最低限、感覚障害と他の運動失調等の神経症状のいずれかが臨床上組み合わせて認められることが必要であるとしている。この五二年判断条件は、公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法又は公害健康被害の補償等に関する法律の趣旨を斟酌しながら、水俣病の医学的診断基準としてまとめられたものである。そうすると、五二年判断条件は水俣病であることの医学的可能性を否定できない者を広く救済するという観点から定められた基準であるというべきものである。したがって、本件のような損害賠償請求訴訟において、原告ら個々における水俣病の罹患の事実を高度の蓋然性をもって真実であると判断するには、五二年判断条件を最低限の基準とし、さらに各原告ごとの疫学条件や臨床症状を総合して判断することが必要であるというべきである。

4 他原因との鑑別について

原告らは、原告らの症状が水俣病以外の他原因によることが明らかでない限り水俣病と認定すべきであるという。この他原因の主張立証責任を論ずる前提として、まず、原告らの主張にかかるメチル水銀に汚染された魚介類を多食した者において四肢末梢の感覚障害等の一症状でもあれば水俣病であると高度の蓋然性をもっていえるとする判断基準が妥当であるかであるが、そもそも前記のとおりこのような医学的経験則は存しないのであるから、原告らが右診断基準に依拠して水俣病の罹患を立証したとしても、被告らにおいて他原因の指摘はもとより何らの反証をするまでもなく、原告らの請求は因果関係の立証がないものとして棄却を免れないものである。

さらに、原告らの症状が他原因に基づくものか否かの判断は原告らが水俣病に罹患しているか否かの判断と表裏の関係にあるのであるから、原告らは、個々人が水俣病に罹患していることを、その訴える症状が他の原因によるものでないことをも含めて、高度の蓋然性の程度まで立証する必要があるのである。

第三 原告らの水俣病罹患について

本件原告らはかつて不知火海沿岸に居住し、同海域の魚介類を多食していたと主張するが、原告らが現に摂取した魚介類が有機水銀に汚染されていたかについては不明であって、原告ら個々が水俣病を発症するに十分な程度にメチル水銀を体内に蓄積していたとは認め難い。また、原告らは少なくとも四肢末梢優位の感覚障害が発症していると主張するが、四肢末梢優位の感覚障害のみからメチル水銀中毒症であることを推測することは困難である。さらに、運動失調など原告らが主張するその他の症状については、いずれも他覚的所見が乏しく、また、加齢的影響など他原因との鑑別が十分でないことからすると、原告らの主張する症状をしてメチル水銀の影響によると推測することは困難である。すなわち、原告らの主張する有機水銀曝露歴及び臨床症状からみても、原告らが水俣病に罹患していると高度の蓋然性をもって認めるに十分でない。

(被告チッソ及び同チッソ子会社)

一 水俣病の病像及びその診断、原告らの水俣病罹患、原告らの損害に関しては被告国及び県の主張と同一である。

二 被告チッソ子会社の責任について

1 子会社設立の経緯及び子会社の概要

(一) 被告チッソ石油化学

石油化学という新規事業に伴う危険の分散や丸善石油化学コンビナートに参加するための企業を独立して形成する必要から、昭和三七年六月一五日、資本金一億円で設立した会社であって、設立当初から被告チッソがその株式を一〇〇パーーセント保有するものであるが、主要事業所として千葉県五井に工場を有し、昭和六三年三月時点における従業員数は七七一名、年間売上高は五五〇億円である。

(二) 被告チッソポリプロ繊維

ポリプロピレン繊維の製造の分野に進出するに当たり、新規事業に伴う危険の分散という目的の他に、技術提携先との合弁による会社を設立することが得策であるとの経営判断に基づいて、昭和三八年五月一八日、資本金三億円で設立した会社であって、被告チッソの株式保有率は設立当初八五パーセントであったが昭和五二年一〇月から一〇〇パーセントとなった。主な事業所として滋賀県守山市に工場を有し、昭和六三年三月時点における従業員数は一八三名、年間売上高は六二億円である。

(三) 被告チッソエンジニアリング

化学工場の設備等の計画、設計等のエンジニアリング事業を営むに当たり、分散している技術者と技術を一つに統合し、有効利用するためには別会社とすることが必要であるとの判断に基づき、昭和四〇年二月八日、資本金七五〇万円で設立した会社であって、被告チッソの株式保有率は設立当初は一〇〇パーセントであったが昭和五九年四月から九〇パーセントとなった。事務所は東京都千代田区内幸町の賃貸ビル内にあるが、昭和六三年三月時点における従業員数は二一六名で、年間売上高は一二二億円である。

2 法人格の形骸化に該当するとする主張への反論

原告らは、被告チッソは同チッソ子会社に対して全面的支配を行い被告チッソの一事業部門としての実態しかないと主張するが、被告チッソと同チッソ子会社との間には企業グループとしての合理的な一体性はあるものの、右のとおり各子会社はそれぞれ独自の組織と資産財産の下で独立した事業活動を営んでいるものであって、法人格が形骸化しているとは評価できないものである。

3 法人格の濫用に該当するとの主張への反論

原告らは、被告チッソが水俣病被害者に対する賠償責任を回避する目的で被告チッソ子会社を設立したと主張する。しかし、被告チッソ子会社は、我が国における石炭産業から石油産業への転換政策の下で、いずれも被告チッソの石油化学事業の展開を図る合理的な企業経営上の必要性に基づいて設立されたのであって、水俣病被害者に対する賠償責任を回避する目的で設立されたのではない。このことは、各子会社が設立された当時、熊本県では水俣病問題は終焉したと一般に考えられており、被告チッソにおいて当時、水俣病被害者への賠償責任が今日のように拡大すると予想し得なかったのであって、当時、あえて会社財産を子会社の法人格を濫用して隠蔽することを画策する必要がなかったことからも推知することができよう。

さらに、原告らは、被告チッソ子会社設立後、被告チッソにおいて会社財産の子会社への分散隠匿を図ったといい、アセトアルデヒド製造工程や利潤の移し換えを行ったと主張する。しかし、仮に被告チッソが製造設備や利潤を子会社に移し換えたとしても、被告チッソは保有する各子会社の株式を通じて子会社に移し換えた製造設備や資産財産を把握していることに変りはなく、何ら責任財産の隠匿として実の上がる工作となるものではない。このことは、被告チッソへ損害賠償請求を行う水俣病被害者としては被告チッソが保有する子会社の株式を差し押え換価することで容易に子会社の資産財産を損害賠償の引き当て財産となし得ることをみれば容易に理解し得るものである。さらに、被告チッソが製造会社としては衰退し、被告チッソ子会社が栄えるに至ったのは石炭産業から石油産業への産業構造の変革がもたらしたものであって、被告チッソによる賠償責任回避のための資産隠しによるものではないのである。

第四節  除斥期間の経過

第一  被告国及び県の主張

民法七二四条後段の規定は除斥期間を定めたものと解するのが相当であり、また、右除斥期間の起算点である「不法行為ノ時ヨリ」とは損害発生の原因をなす加害行為が行なわれた時点と解するのが相当である。

ところで、原告らの被告国及び県に対する損害賠償請求権はいずれも民法七二四条後段の適用を受けるものであるところ、別紙除斥期間経過原告一覧表記載の原告らにおいては、本件において原告らが被告国及び県の公務員による違法行為と主張している不作為の違法状態が原告ら個々人について終了した時点である水俣病に罹患する可能性のあった地域から関西方面に転出した時点から二〇年を経過して本件の提訴がなされていることからすると、仮に被告国及び県に対する本件損害賠償請求権が存したとしても、右請求権は除斥期間の経過により消滅しているものである。

また、遅くともチッソ水俣工場でのアセトアルデヒド製造が停止された昭和四三年五月一八日時点では不知火海海域に生息する魚介類のメチル水銀汚染状況は水俣病を発生せしめるようなものでなかったから、右時点で原告らの主張する被告国及び県の公務員の加害行為は終了していたというべきであるところ、別紙除斥期間経過原告一覧表記載の原告中、右アセトアルデヒド製造停止時点から二〇年を経過して提起した原告である尾田朋子(原告番号一〇七)他五名の損害賠償請求権は除斥期間の経過によって消滅しているものである。

第二  主張に対する原告らの答弁及び再主張

一 除斥期間の進行についての反論

1 被告らの除斥期間に関する主張は争う。

2 民法七二四条後段をして除斥期間と解するとしても、同条後段の期間の起算点は損害が現実化、顕在化した時点と解すべきである。

そして、原告らにおいて損害が現実化、顕在化した時点とは、自覚症状の発生時や主治医の診断時ではなく客観的に原告らの水俣病に罹患したことが確認された時点、又は、水俣病の病状の増悪進行が止んだ時点とするのが相当であって、このような時点から原告らの水俣病に起因する全損害の賠償請求権が総体一括して進行すると解するべきである。そうすると、原告らにおいてはいまだ公的に水俣病であることが客観的に確認されていないこと、又は水俣病に基づく病状の進行がいまだ停止していないことからすると、民法七二四条後段に規定する消滅時効期間は進行するに至っていないものである。

3 仮に、民法七二四条後段の起算点を加害行為時とするにしても、不知火海海域のメチル水銀汚染はチッソ水俣工場がアセトアルデヒドの製造を停止した昭和四三年五月一八日以降現在に至るもなお除去されていないのであるから、昭和四三年五月一八日以降も不知火海沿岸に居住していた原告らに対する被告国及び県の不法行為は継続しているのであって、損害賠償請求権の消滅時効又は除斥期間はいまだ進行していないものというべきである。

二 再主張

被告国及び県は被告チッソによる不知火海沿岸の環境破壊を助長し、かつ、水俣病の被害の実態を隠蔽し続けたものであるから、原告らの損害賠償請求権が除斥期間の経過によって消滅した旨の主張を行なうことは信義に反し、かつ、権利の濫用に当たるものであって認められるべきではない。

第三  原告らの再主張に対する被告国及び県の答弁

原告らの再主張については争う。除斥期間の経過による原告らの損害賠償請求権の消滅という法律効果は法律上当然に発生し、かつ、その効果は当事者の援用を要せず裁判所において判断すべきものであるから、被告国及び県の右主張が信義則違反ないし権利の濫用となる余地のないものである。

第三章  証拠

理由

第一章水俣病に関する事実関係の概要

第一被告チッソの沿革とアセトアルデヒド製造の経緯

一被告チッソの沿革

被告チッソは、野口遵により明治三九年一月一二日に設立された電力供給を目的とする曾木電気株式会社に始まり、明治四〇年に現在の熊本県水俣市に株式会社日本カーバイド商会を設立してカーバイドの製造を始め、明治四一年八月に曾木電気株式会社は日本窒素肥料株式会社と商号を変更し、株式会社日本カーバイド商会を吸収合併し、明治四二年五月には水俣市に石灰窒素製造工場を建設して、肥料、硫安、アンモニア等の製造を行い、大正年間には我が国における有機化学工業界の旗手として注目される存在となった。日本窒素肥料株式会社は、昭和七年、水俣工場においてカーバイドからアセチレン、アセトアルデヒドを経て醋酸を製造するという合成醋酸の製造に成功してから、無水醋酸、アセトン、醋酸エチル、醋酸ビニール、醋酸繊維素、醋酸人絹、塩化ビニール等のアセチレン誘導品の開発等アセチレン系有機合成化学工業の分野に進出した。

第二次世界大戦後、日本窒素肥料株式会社は、昭和二四年から水俣工場においてアセトアルデヒド、塩化ビニール等の生産を再開した。昭和二五年一月、企業再建整備法に基づいて日本窒素肥料株式会社は解散し、同社の稼動資産の一切を承継する新日本窒素肥料株式会社を設立し、旧会社が製造していた製品の生産を続行した。昭和四〇年一月一日、新日本窒素肥料株式会社はチッソ株式会社と商号を変更し、現在に至っている。

(〈書証番号略〉、証人加藤邦興の証言)

二チッソ水俣工場におけるアセトアルデヒドの製造

1 アセトアルデヒドは、メチル基とアルデヒド基が結合した有機化合物であり、反応性に富み、種々の物質との置換、付加、縮合反応を行いやすく、合成繊維、合成樹脂、溶剤、可塑剤等の製品を製造するに当たって需要の高い中間原料である。このアセトアルデヒドは、昭和三〇年代までは、酢酸エチル、オクタノールなどアセチレン系誘導品の中間原料としてアセチレン系有機合成化学工業の中核製品であり、我が国においては、昭和三〇年に三万五〇〇〇トンであった生産量が昭和四〇年には二六万九〇〇〇トンと年平均22.5パーセントの割合で増産されてきた。

このアセトアルデヒドの製造法としては、旧来法であるアセトアルデヒド水和法や石油化学法であるエチレン直接酸化法等があるが、我が国においては、昭和三年に日本合成化学工業株式会社が旧来法により製造を開始して以来、昭和三七年に三井石油化学株式会社が石油化学法による生産を開始するまでは、全て旧来法によって行われていた。

(〈書証番号略〉、証人加藤邦興の証言)

2 チッソ水俣工場におけるアセトアルデヒド製造も右旧来法によるものであり、その工程は概略、以下のようなものであった。

(〈書証番号略〉)

(一) アセトアルデヒド生成器に、触媒である0.1ないし0.3パーセント酸化水銀(無機水銀)、一五ないし二五パーセント硫酸、助触媒である硫酸鉄及び水から成る触媒液(これを「母液」という。)を入れ、軸流ポンプで攪拌しながら、生成器の下部からブロアーでアセチレンガスを吹き込むと、同ガスは、母液中の水と反応してアセトアルデヒドに変化し、母液中に溶解する。母液中に溶解したアセトアルデヒドは、生成器から蒸発器に送られ、ここでアセトアルデヒドが溶解した母液の一部を蒸発させ、気化した母液を第一精溜塔に送り、残りの母液は順次生成器に戻される。第一精溜塔に送られたアセトアルデヒドを含む蒸気は、第一精溜塔及びこれに続く第二精溜塔の中で水蒸気を液化して分離させ、純粋なアセトアルデヒドを製造する一方、第一、第二精溜塔内で水蒸気が液化したものは、順次排水として排出される(これを「精ドレン排水」という。)。

水俣病の原因物質であるメチル水銀化合物は、アセチレン加水反応中に生成器内で副生したものであり、精ドレン排水中に含まれて排出された。

(二) ところで、母液からアセトアルデヒドを分離抽出する方法には、加熱蒸発式、真空加圧式及び全真空方式の三種類がある。いずれも生成器内の反応原理は同じであるが、アセトアルデヒドの分離工程における温度、圧力及び母液中の助触媒の成分が異なるため、アセトアルデヒド生成能力に差があり、後者ほど生成能力が高くなる。

(三) 当初、チッソ水俣工場では、アセトアルデヒドの蒸発器を摂氏一一〇度に加熱して母液からアセトアルデヒドを蒸発分離する加熱蒸発式を採用し、昭和七年のアセトアルデヒド製造開始当時は第一期から第七期までの生成装置が建設されていたが、そのうち、第一期から第五期までは加熱蒸発式であった。

昭和二六年、被告チッソの研究員であった五十嵐赳夫らの研究の結果、蒸発器内を減圧することでより低温(摂氏六〇度から七〇度)で反応母液からアセトアルデヒドを分溜する方法(真空加圧式、なお被告チッソではこれを「真空法」ないし「新チッソ法」と呼称していた。)が開発された。この真空加圧式の開発によって、冷却装置の負担が軽減されただけでなく、気化される触媒水銀の量を減少させることが可能となり、低コストでアセトアルデヒドを大量に生産することが可能となり、同年、第五期工場を真空加圧式に変えた。

さらに、被告チッソは、昭和二七年一〇月、アセトアルデヒドからオクタノール(塩化ビニールの可塑剤《DOP、DOA等》の原料)を誘導合成することに成功したことから、塩化ビニールの大量生産が可能となるに至り、その増産に応じるため一層のアセトアルデヒドの生産が必要となったため、真空加圧式による第六期工場を昭和二八年から稼働させた。そして、昭和三一年ころには、第五期及び第六期工場を真空加圧式に改良を加えた全真空方式に変えたばかりでなく、昭和三四年から同方式による第七期工場を新たに稼働させた。このように被告チッソは、昭和二八年から昭和三四年にかけてアセトアルデヒドの製造整備を増強拡大していった。

三通産省による石油化学工業の育成とチッソ水俣工場におけるアセトアルデヒドの製造中止

我が国においては昭和二〇年代半ばにおける朝鮮特需及びこれに続く消費景気の拡大により各種消費材の需要が急増し、衣料、包装資材原料である合成樹脂、合成繊維の需要も拡大していった。このような需要増に対して政府は合成繊維産業育成対策等の政策を講じていたが、旧来法の化学工場では必要十分な量の原料を低コストで供給するには十分でないことが次第に明らかとなった。当時アメリカ合衆国ではポリエチレンを中心に石油化学工業による大量生産体制が整いつつあり、昭和二、三〇年代における石油化学工業の発展は世界的趨勢であって、我が国においても石油化学工業の育成が急務となってきた。このような背景の下に、通産省は、昭和三〇年七月に「石油化学工業の育成対策」を省議決定し、当時石油化学の企業化構想を有していた一部企業はこの省議決定を受けて各社の石油化計画を具体化し、三井グループ(山口県岩国市)、三菱グループ(三重県四日市市)、住友化学(愛媛県新居浜市)及び日本石油化学グループ(神奈川県川崎市)の四計画(以下「第一期石油化計画」という。)が昭和三三年から昭和三四年にかけて実行された。

しかし、需要は同計画策定当初の予想よりも遥かに速いテンポで伸張し、ポリエチレンは昭和三四年において国内生産より輸入が多い状況が続いていた。このような予想を上回る市場の拡大に伴い、各社は石油化事業の拡充及び新規進出を計画し、昭和三四年半ばにおける各社の企業化計画では所用建設資金の総額は六八二億円の多額に上っていた。このような動きの中で、需要のアンバランスなどを回避しつつ基礎化学製品などのコストダウンとその供給力の向上を図ること等が化学工業界の課題となった。このため通産省は、昭和三四年一二月に「石油化学工業化計画の処理方針について」を策定し(以下「第二期石油化計画」という。)、以後これに基づいて企業化が行われることとなった。

第二期石油化計画の下に被告チッソも昭和三五年に子会社による千葉県五井地区の丸善石油化学コンビナートへの参加を決定した。

以上のような流れの中、昭和四三年五月一七日、被告チッソは、水俣工場での旧来法によるアセトアルデヒドの製造を中止した。

(〈書証番号略〉)

第二チッソ水俣工場における排水路の変遷

一チッソ水俣工場の排水系統の概略

チッソ水俣工場における主要な排水は、カーバイド残渣排水(アセチレン残渣排水とも呼ばれる。昭和三四年当時の排出量は毎時約一一〇立方メートルであった。以下、各排水系統の排出量は昭和三四年当時のものである。)、アセトアルデヒド排水(アセトアルデヒド製造工程で生じる排水をいい、精ドレン排水及び漏出した母液等を洗浄した排水を含む。排出量は毎時約九ないし一三立方メートルであった。)、塩化ビニール排水(塩化ビニールモノマーを塩化第二水銀を触媒としてアセチレンガスと水素ガスとを反応させて生成した際に母液中に残存する塩化水素ガスを洗い流した排水をいう。排出量は毎時約一〇立方メートルであった。)、燐酸排水(排出量は毎時約七立方メートルであった。)、硫酸ピーボディ塔排水(排出量は毎時六〇立方メートルであった。)、重油ガス化排水(排出量は毎時約八〇立方メートルであった。)、カーバイド密閉炉排水(排出量は毎時二五〇立方メートルであった。)の七系統であった。

以上の排水はいずれも排出開始時期が異なり、また経路などにおいて変遷しており、昭和三一年五月以降の排水経路の概略は別紙一(排水系統図)のとおりである。以上の排水のうち、水銀を含む排水はアセトアルデヒド排水と塩化ビニール排水である。

二アセトアルデヒド排水系統の変遷

1 昭和七年から昭和二〇年までの間

アセトアルデヒド排水は、特段の処理をされることなく百間排水溝を経由して百間港に排出されていた。

2 昭和二一年から昭和三三年までの間

アセトアルデヒド製造施設に鉄屑槽が設置され、アセトアルデヒド排水は、これを通過させた後、百間排水溝を経由して百間港に排出されていた。

3 昭和三三年九月から昭和三四年一〇月までの間

アセトアルデヒド排水の排出先が従来の百間港から水俣川河口に面した八幡中央排水溝に変更され、アセトアルデヒド排水は、製造施設内の鉄屑槽を経た後、八幡プールへ送られ、同プールから八幡中央排水溝を通じて水俣川河口に排出された。

4 昭和三四年一〇月一九日から同年一二月一九日までの間

(一) アセトアルデヒド排水と塩化ビニール排水は、昭和三四年一〇月一九日に完成した酢酸プールを通して八幡プールに送られるようになった。酢酸プールは、チッソ水俣工場が、当時水俣病の原因物質として有力化しつつあった有機水銀説に対応し、水銀の除去を目的として計画実施した施設で、鉄屑を敷き詰めたプールに排水を滞留させて、水銀を除去しようとするものであったが、酢酸プールを通してもメチル水銀化合物を完全に除去することはできず、八幡中央排水溝からメチル水銀化合物が水俣川河口に排出されていた。

(二) 同月三〇日から一二月一九日までの間は、八幡プールの排水を八幡中央排水溝に排出するのを停止し、同プールの上澄水をアセチレン発生施設に逆送するように排水路が変更された。逆送されたアセトアルデヒド排水はアセチレン発生装置で余剰が生じた場合は不定期的にカーバイド密閉炉にも逆送し、循環使用することにした。

5 昭和三四年一二月二〇日から昭和三五年七月までの間

(一) 昭和三四年一二月一九日、排水浄化装置であるサイクレーターが完成し、翌二〇日からその運転が開始された。

サイクレーターによる浄化システムは、ペーハーメーターの指示にしたがって酸、アルカリを排水に添加して中和を行い、排水のペーハーを調節した後、凝集沈殿剤により排水中の固形物を沈殿させて除去させるというものであった。サイクレーターは、有機水銀説が発表されるよりも前の段階でアセトアルデヒド及び塩化ビニールの各排水を除くその他の排水の濁り(固形物)を除くこと、固形物の大部分を占めるアセチレン発生残渣を他の残渣から分離してマグネシアンクリンカーを作ることを目的として設計され、かつ、被告チッソにおいて設置されたものであったため、メチル水銀化合物除去の効果は当初から予定されておらず、また、その能力もなかった。

チッソ水俣工場では、サイクレーター運転開始時から同月二四日ころまでは、アセトアルデヒド排水を鉄屑槽、酢酸プールを経てサイクレーターに通して百間港に排出していたが、同月二五日ころからはサイクレーターに通すことを止め、アセトアルデヒド排水を八幡プールに一旦貯めた後アセチレン発生装置等に逆送し、循環使用するようにした。

(二) 昭和三五年一月二一日、逆送水中に含まれている不純物のため発泡現象が起こったため、アセトアルデヒド排水等をアセチレン発生装置へ逆送するのを中止した。アセトアルデヒド排水は、鉄屑槽、酢酸プール、八幡プールを経由させた後、サイクレーターを通して百間港に排出するようにした。

(三) 同年一月二五日から、アセトアルデヒド排水は、酢酸プール、排泥ピット、サイクレーター排泥用八幡プール、アセチレン発生残渣用八幡プール、サイクレーターを経由して百間港へ排出されるようになった。

6 昭和三五年八月から昭和四三年五月一七日(アセトアルデヒド生産停止時)までの間

昭和三五年八月から、チッソ水俣工場は、精ドレン排水をアセトアルデヒド製造装置内で循環させるといういわゆる装置内循環方式を採用した。

昭和四一年七月以降は、アセトアルデヒド排水を地下タンクに集め、これを再びアセトアルデヒド生成器に送り循環させるという方式(被告チッソはこれを「完全循環方式」と呼んでいた。)が採用された。

(〈書証番号略〉、証人加藤邦興の証言)

しかし、この装置内循環方式又は完全循環方式の採用によって、アセトアルデヒド排水が工場外に完全に排出されなくなったわけではなく、この点、後述(第四、三、3)するようにアセトアルデヒド排水はアセトアルデヒドの生産停止に至るまでなお排出されていたものと推認される。

第三水俣病の被害の実態、原因究明の経過並びに被告国及び県らの対策

一昭和二九年まで

1 チッソ水俣工場は、戦前から、工場排水として水俣湾に排出した変性硫安残渣廃水やアセチレン発生残渣廃水等によって、同湾の汚染(海面が黒色を呈したり、水酸化マグネシュームの沈殿によって白濁する等の事態)をもたらしたが、戦後にいたっても、昭和二四年ころには百間港のカーバイド残渣の堆積量が著しい所で6.5メートルに達し、船舶の出入りに支障を来す等の事態を招く等、同湾を汚染していた。このような水俣湾の汚染は、当時、漁業補償という形で被告チッソと水俣市漁業協同組合(以下「水俣漁協」という。)との間で問題とされており、昭和一八年以来、被告チッソが水俣漁協に対して漁業権の補償をする等して、幾度も工場排水に起因する紛争の沈静化を図っていた(〈書証番号略〉、証人加藤邦興の証言)。

2 熊本県水産課技師三好礼治による実地調査

(〈書証番号略〉、証人加藤邦興の証言)

昭和二七年ころ、被告熊本県は、水俣漁協組合長から水俣湾の漁場汚濁の実情調査の要請を受けたので、同年八月二七日、県経済部水産課振興係長三好礼治(以下「三好」という。)をして、チッソ水俣工場の排水及び水俣湾周辺の実地調査を行わせた。三好は、県経済部長に宛てた復命書をもって、チッソ水俣工場からの外形的に着色していて浮遊物(水酸化鉄)が見られる一般的排水とカーバイド残渣の百間港への排出が水俣湾沖の巾着網、ボラ囲刺網、大網、延繩等の操業に悪影響を与え、漁獲高の減少をもたらしている旨の報告を行った。三好は、右復命書において、戦前からの漁獲被害の原因としてチッソ水俣工場の工場排水が疑われるから、必要によってはチッソ水俣工場の排水の成分分析が望ましい旨を指摘していたが、当時、同人において排水中に水銀が含まれそれが漁業被害の原因物質であるとの認識は有しておらず、排水の成分分析の必要性をいうもそれは、PH、水素イオン濃度、BOD等の一般的な排水の分析の必要性を念頭に置いていただけであった。

3 茂道部落におけるネコの狂死事件

昭和二九年六月初めころから、茂道部落で、猫が狂い死にしてほぼ全滅する事態が発生し、同部落の漁師が水俣市衛生課にネズミの駆除を申し入れる騒ぎが起こった。同部落では、この猫の狂死を「ねこテンカン」と呼び、気味悪がった。このことは、同年八月一日、熊本日日新聞によって報道されたが、当時、同部落の住民らに特段の健康異常がみられたわけでもなかったから、水俣市の保健所でも右猫の狂死事件を殊更注目することはなかった。

(〈書証番号略〉、証人加藤邦興の証言)

二昭和三一年

1 昭和三一年五月一日、熊本県水俣保健所の伊藤所長は、チッソ水俣工場附属病院(以下「チッソ附属病院」という。)小児科部長野田兼喜から、同年四月ころ、原因不明の脳症状を呈する田中静子(当時六歳)他三名の患者が月浦地区で発生し、同病院に入院するに至った旨の報告を受けた(以下「公式発見」という。)。

早速、伊藤所長は同保健所予防課長をして、入院患者及び現地である月浦地区を調査させ、同年一月ころから猫の狂死が見られたこと、前年から同様の症状を発して短期間で死亡した者が存したこと等を知るに至った。伊藤所長は、右奇病について、患者らが共同で使用していた井戸水からの伝染性の病原を疑い、右井戸及び患者等の家屋を消毒し、県衛生研究所に同井戸水の検査を依頼するとともに、右事実を同月四日付けの「水俣市字月浦附近に発生せる小児奇病について」と題する文書(〈書証番号略〉)で熊本県衛生部長に宛てて報告した。なお、県衛生研究所で井戸水を検査したところ、異常は認められなかった。

(〈書証番号略〉)

2 奇病対策委員会の設置

水俣保健所は、さらに患者家族や月浦地区の住民から聞込調査を進めたところ、同様の症状を呈する者は昭和二八年ころから散発しており、現在なお自宅療養を行っている者が存することが分かった。そこで、伊藤所長らは、患者の発見と奇病の原因を究明するために、昭和三一年五月二八日、水俣保健所を中心に、水俣市医師会、水俣市、同市立病院、チッソ附属病院の五者で構成される水俣市奇病対策委員会(以下「奇病対策委員会」という。)を発足させた。奇病対策委員会の調査の結果、患者は昭和二八年から五〇名を越え、そのうち一七名が既に死亡していること等が判明した。さらにチッソ附属病院に入院している患者の付添家族が発病したことから、県予防課予防係長をして市伝染病舎に患者を隔離させた。このような状況の下で、伊藤所長は水俣市立病院長とともに、同年八月一四日、熊本大学(以下「熊大」という。)学長に水俣病の原因究明を正式に依頼した。

他方、被告熊本県も、その衛生部において同年七月二六日、水俣病の原因究明の調査研究を熊大学長に正式に依頼し、同年八月三日、衛生部長名で、厚生省防疫課長に原因不明の脳炎様疾患が多発している旨を電文で報告し、さらに同年九月八日に改めて右状況を文書で報告した。

(〈書証番号略〉)

3 熊大研究班の設置及び第一回研究報告会の開催

同年八月二四日、熊本大学は、被告熊本県及び奇病対策委員会の依頼を受けて、同大学医学部長尾崎正道を班長に、勝木司馬助(内科学教室)、長野祐憲(小児科教室)、武内忠雄(病理学教室)、六反田藤吉(微生物学教室)、喜田村正次(公衆衛生学教室)及び入鹿山勝郎(衛生学教室)の各教授で構成される水俣奇病医学研究班(以下「熊大研究班」という。)を設置し、水俣病の原因究明のための調査研究を奇病対策委員会から引き継ぐ形で開始した。熊大研究班への研究費用として、被告国は文部省関係の総合研究費等及び厚生省関係の厚生科学研究費の名目において、また、被告熊本県は調査研究委託費等の名目において、それぞれ援助を行うこととした。

同年一一月三日、熊大研究班は、同大学医学部において同研究班員、県衛生部職員及び奇病対策委員会の出席の下に第一回研究報告会を開催した。同研究会において、水俣病は伝染性疾患よりもある種の重金属による中毒症である可能性が高いとされた。特に、喜田村教授は、中毒症とすれば、その症状からまずマンガン中毒症が疑われると指摘し、また、入鹿山教授は、患者に漁夫が多いことから、奇病発生には海産食品が関係しているのではないかとした上、海産食品の特殊の汚染原因としてチッソ水俣工場排水を疑う必要がある旨の指摘がされた。

(〈書証番号略〉、証人加藤邦興の証言)

4 厚生省厚生科学研究班の結成

同年一一月二七日、厚生省は、国立公衆衛生院疫学部長松田心一を班長とし、国立予防衛生研究所リケッチア・ウイルス部長北岡正見、熊大医学部長尾崎正道、県衛生部長蟻田重雄らを班員とする厚生科学研究班を結成した。松田班長及び国立公衆衛生院の宮入技官は、同日、県衛生部予防課の貝塚医師を伴って水俣市の現地に訪れ、翌月二日までの間、水俣市袋の小、中学校で疫学調査を行った。

(〈書証番号略〉)

5 被告熊本県の対策

熊大研究班第一回研究報告会において、入鹿山教授らより水俣病の病原物質の媒介として水俣湾産の魚介類が疑われる旨の報告がなされたことから、伊藤所長は患者の続発を防ぐために、水俣市役所や水俣漁協組合長を通じ、さらに隣組等や各種住民の会合を利用して、水俣湾産の魚介類の漁獲及び摂食の自粛を指導し、また、新聞記者へも事態の重大性と危険性の報道を依頼し右魚介類の漁獲及び摂食の自粛の広報に努めた(〈書証番号略〉)。

三昭和三二年

1 公衆衛生院における研究発表会

昭和三二年一月二五日、二六日、厚生省、国立予防衛生研究所、国立公衆衛生院、熊大研究班、熊本県、水俣市及びチッソ附属病院の各関係者が東京の国立公衆衛生院において第一回合同研究会を開催した。この研究会において、奇病はある種の重金属の中毒であり、金属とはマンガンが最も疑われ、その中毒の媒介には魚介類が関係あると思われる旨の結論が出され、とりあえずの対策として危険が排除されるまで魚介類を食べないこと、今後の原因究明と対策を国の研究機関、熊大研究班、県衛生部、奇病対策委員会の四者間で極力行うことが決められた。

(〈書証番号略〉)

2 同年二月二六日、熊大研究班は、第二回研究報告会を開催し、病原物質の確定には至らなかったものの、水俣湾内の魚介類の有毒性はほぼ確定的であろうから水俣湾内の漁獲を禁止する必要がある旨が唱えられた(〈書証番号略〉)。

3 同年三月、熊大研究班は、それまでの研究の成果をまとめた報告書第一報「熊本縣水俣地方に發生した原因不明の中樞神経系疾患について」(以下「熊大研究班第一報」という。)を配付した。この報告書において、喜田村教授らは、昭和三一年九月以降の現地における疫学調査の結果をまとめて、水俣病は病理及び臨床所見よりみて感染症よりも中毒症であるとの疑いが強いこと、中毒症とすれば、共通原因による長期連続曝露を受けて発症するものと認められ、その共通原因として汚染された水俣港湾内に生棲する魚介類が考えられること、そして、港湾汚染源として名指しではないがチッソ水俣工場が疑われることを報告し、入鹿山教授らは、水俣病の発生にチッソ水俣工場、船舶及び家庭からの廃水による水俣湾の汚染と関係があるのではないかと指摘していた。その他、中毒症の原因物質として九州地方の土壤に多く含まれるマンガンを最も疑い、研究してきたが、マンガン中毒を肯定するには至っていない旨の報告もされていた。

(〈書証番号略〉)

4 厚生科学研究班は、国立公衆衛生院の宮入、佐藤両技官及び厚生省食品衛生課の岡部技官による昭和三二年三月一九日からの現地調査の結果を受け、同月三〇日、「熊本縣水俣地方に発生した奇病について」と題する研究報告書において、「現在最も疑われているものは疫学的調査成績で明らかにされた水俣港湾に於て漁獲された魚介類の摂食による中毒である。」「魚介類を汚染していると思われる中毒性物質が何であるかは、なお明かでないが、これはおそらく或る種の化学物質ないし金属類であろうと推測される。」と結論付けた上、今後の調査研究方針としてチッソ水俣工場の実態につき充分な調査を行い、工場廃水及び経路ごとの成分やそれによる港湾の汚染状況等をも明らかにすることにより、水俣病発生の原因を明らかにしたい旨の指摘がなされていた。なお、同報告書において、当時有力に主張されていたマンガン中毒説に対しては、患者の剖検死体諸臓器中や水俣港湾内魚介類のマンガン含有量に異常を認めず、水俣病をマンガン中毒とは推定できない旨の調査結果が記されている。

(〈書証番号略〉)

5 伊藤所長の猫実験

伊藤所長は、水俣湾内で捕獲した魚介類を摂食することにより水俣病が発症することを実証するため、武内教授の指導の下、同年三月二五日から猫七匹に水俣湾内(特にマテガタ付近)で捕獲された魚介類を無差別に投与する実験を開始した(以下「伊藤所長の猫実験」という。)。この実験の結果、実験開始後七日後に発症したのをはじめ同年六月までの間に五例において水俣病の発症が確認されたことから、水俣病は水俣湾内で捕獲された魚介類を摂食することにより発症することが実証されるに至った。その後、熊大研究班の各教室における実験でも同様の成績が相次いだ。

(〈書証番号略〉)

6 厚生科学研究班の第一回研究報告会

同年七月一二日に国立公衆衛生院において開催された厚生省厚生科学研究班の研究報告会において、伊藤所長の猫実験の成功を踏まえた上、水俣病は感染症ではなく、中毒症で、その原因としては水俣港湾内において何らかの化学毒物によって汚染を受けた魚介類を多量に摂取することによって発症するものであるという事実が確認された。ただし、この時点において有害毒物ないし発病因子として主に疑われていた物質はセレン、マンガン等であり、なお、喜田村教授らにおいて右物質についての研究が続行されていた。

(〈書証番号略〉)

7 同年九月二八日、熊大研究班は、第一報以後の研究成果をまとめて、「熊本県水俣地方に発生した原因不明の中枢神経系疾患について(第二報)」を配布した(〈書証番号略〉)。

その中で、喜田村教授らは、「水俣地方に發生した原因不明の中樞神経系疾患に関する疫學調査成績補遺」と題する論文(〈書証番号略〉)において、昭和三一年一一月以降に行われた疫学調査の結果、水俣病と診断された患者は累計五六名となったが、昭和三二年一月以降は新患者の発生が認められなかったこと、猫その他の動物の罹患状況からみて、いわしのごとき回遊性、外来性の魚類であり、水俣港湾内に比較的短期間(約二週間内外)滞留したものであっても毒性を帯びることが指摘され、また、「水俣地方に發生した原因不明の中樞神経系疾患に関する動物實験成績(第一報)」(〈書証番号略〉)において、マンガン又はセレンを猫やマウスに投与しても水俣病を発症させることができず、タリウムを経口投与すれば類似の症状を発症させうるがなお水俣病と本質的に同一のものとは首肯し難い点があると指摘し、さらに、「水俣地方に發生した原因不明の中樞神経系疾患に関する科學毒物儉索成績(第二報)」(〈書証番号略〉)において、現地発症の動物及び死亡患者の臓器から多量のセレンを検出したが、水俣港湾内の魚介類中には著明に多量のセレンは検出されなかった旨の指摘がなされた。武内教授らは、「水俣病(水俣地方に發生した原因不明の中樞神経系疾患)の病理學的研究(第二報)」と題する論文(〈書証番号略〉)において、水俣病の中枢神経系の著名な病変として小脳における顆粒細胞の消失脱落を指摘し、このような病変を招来する一般的原因の一つとして水銀中毒(ハンター・ラッセルの報告)を掲げているが、総括において、水俣病の場合にみられる神経細胞の変化から特定の中毒性因子を類推することはかなり困難であり、原因はなお不明であるといわなければならないと結論付けていた。

8 第一二回日本公衆衛生学会での厚生科学研究班の研究報告

同年一〇月二六日から開催された第一二回日本公衆衛生学会において、厚生科学研究班は、水俣病は、水俣湾内産の魚介類を摂食することによって起るものであることは明らかに実証されたが、その魚介類の有毒化の原因及び発症の転機については、今後さらに研究を続行し、近い将来これを解明したいと報告した。

(当事者間に争いがない。〈書証番号略〉)

9 厚生科学研究班の第二回研究報告会

同年一一月二九日、厚生省厚生科学研究班は、国立公衆衛生院において第二回研究報告会を開催した。同研究会において、水俣病は水俣港湾内である種の化学毒物によって汚染を受けた魚介類を多量に摂食することによって発症する中毒性疾患で、その化学毒物として現段階ではセレン、マンガン、タリウムが主として疑われると結論付けられた。

(〈書証番号略〉)

10 熊大研究班の被告チッソに対する照会と回答

熊大研究班は、昭和三二年九月七日、被告チッソに対し、廃棄物処理状況等について照会したが、被告チッソは、同年一二月二〇日、熊大研究班に対し、コットレルダストからタリウム、セレニウムを、排水口泥土からタリウム、セレニウムを各検出した旨回答した(〈書証番号略〉)。

11 被告熊本県の対策

(一) 水俣湾産の魚介類の摂食が原因であるとの研究報告が相次いだ昭和三二年初旬ころには、水俣湾周辺地域では、奇病に対する不安から同湾産の魚介類の摂食を控えるようになり、漁獲も規模を縮小するようになった。水俣漁協は、同年二月ころ、漁業被害対策委員会を発足させて、漁民の生活の困窮の救助を国及び県に求めるとともに、水俣湾内での漁獲自粛を申し合せた(〈書証番号略〉)。

(二) また、同じころ、漁民の生活困窮のみならず、水俣市内の旅館、市場、一般家庭における二次的被害が現れ始めたため、被告熊本県では、副知事を中心に、衛生部、民労部、土木部及び経済部の関係各部及び課による「熊本県水俣奇病対策連絡会」(以下「県水対連」という。)を設置することとし、同年三月四日、右連絡会の打合せ会において、漁業禁止措置については、漁業法、食品衛生法等関係法令による漁獲の法的禁止を現段階ではできないので、行政指導によって湾内での漁獲及び摂食の自粛を求めること、漁民には漁業の転換(漁場及び漁業種類の転換)の促進や生活扶助で対処すること等が決められた(〈書証番号略〉)。

(三) 同年三月六日、被告熊本県は、浜名湖あさり貝中毒事件における静岡県の対策について同県に照会を行ったところ、同年四月三日、その回答を受け取った。その回答によると、浜名湖内の特定区域から生産される貝類が食品衛生法四条二号の規定に該当するとしてその採取、販売等を禁止する旨の公告を出す等の対策を行ったというものであった。そこで、県衛生部において、同様の措置が採れるかについて検討したところ、いまだ水俣湾産の魚介類をして有毒であると確定できない以上、食品衛生法四条二号に該当すると直ちに判断できない等との理由から、同法の適用による法的規制措置の発動を控え、なお、従来通りの行政指導による魚介類の摂食自粛を求めることにした。

(〈書証番号略〉、証人傳勉の証言)

(四) 同年三月六日及び七日、県水産課技師内藤大介は、百間港一帯の漁業被害についての実地調査を行った。内藤は、復命書において、この一帯においては漁獲が皆無で漁民はこの付近で魚介類を獲ることに恐怖感を抱いていること、磯に付着しているカキ、フジツボ等の脱落が海岸一帯で顕著に見られること、体長一センチメートル前後の二枚貝の死骸が多数認められること、明神崎内側、恋路島の海岸には海草類の付着がほとんどなく、ワカメの生育地といわれる明神崎の突端から奥にある七ツ瀬の岩礁が灰泥に覆われて海草類が全然認められないこと、海岸に斃死した小魚、シャコの漂着が認められ、翼脚のないカイツブリを発見したが、このような海況の異変は昭和二九年以来頻繁にあったこと等を報告した。

(〈書証番号略〉、証人加藤邦興の証言)

(五) 水俣湾周辺地域の住民や漁民において、奇病ノイローゼや被告熊本県等による漁獲及び摂食の自粛要請から、同湾産の魚介類を漁獲、摂食する者はかなり少なくなっていたところ、同年三月二五日に津奈木村の衛生課職員から同村の平国部落で猫九匹が発病し斃死したとの報告がされた。それを受けた伊藤所長は、翌六日、早速平国部落を調査したところ、平国地区の漁業者の一部は、同年二月下旬ころから水俣湾内茂道及び百間地区等でイリコを漁獲しており、発病した猫はそのイリコを食べたものと考えられたことから、津奈木村長らにイリコの摂食と水俣湾内での漁獲の禁止の指導を依頼し、他方、県衛生部長に対し、「水俣奇病に関する速報について」と題する書面(〈書証番号略〉)をもって右事実を報告するとともに、天草郡、葦北郡及び八代郡方面の漁業者に対する水俣湾内での操業禁止を指示する必要がある旨の意見を述べた。

また、右猫の発病斃死事件の報告を受けた熊本県葦北事務所長は、同年四月四日、県経済部長に宛てて「水俣市における奇病(猫)に関する調査について」と題する書面(〈書証番号略〉)で、右猫の発病斃死事件の概要と、この事件に対する同事務所の措置として、各町村及び各漁協長に対し危険区域での操業を自粛するよう警告するとともに、今後の奇病の進展如何によっては水俣市以北の海域も危険区域として想定されるので操業は津奈木村以北で行うことを奨める旨の注意を促した旨報告を行った。

同年五月ころから、県水産課は、密漁監視船「阿蘇」及び「はやて」を水俣湾に派遣して、操業自粛の実効が上がるように努めた(〈書証番号略〉)。

(六) そのような状況の中、同年七月二四日の県水対連の会合が開催され、先の同月一二日に開催された厚生科学研究班の研究報告会が水俣病は水俣湾内の魚介類を摂食することによって発症すると一応結論づけたことを受けて、水俣湾産の魚介類を食品衛生法四条二号に規定する「有毒な、又は有害な物質が含まれ、又は附着するもの」とみなす必要があり、その旨を告示すべきであるとの方針が決定され、その実施にあたっては厚生省等と事前に連絡打合せを行う旨申し合わされた(〈書証番号略〉、証人傳勉の証言)。

(七) 同年八月一六日、被告熊本県は、水俣湾内に生息する魚介類をして食品衛生法四条二号に該当するとして同法を適用してよいかについて厚生省に照会を行った。

同年九月一一日、厚生省公衆衛生局長は、右照会に対し、「一、水俣湾内特定地域の魚介類を摂食することは、原因不明の中枢神経系疾患を発症する虞があるので、今後とも摂取されないよう指導されたい。二、然し、水俣湾内特定地域の魚介類のすべてが有毒化しているという明らかな根拠が認められないので、該特定地域にて漁獲された魚介類のすべてに対して食品衛生法四条二号を適用することはできないものと考える。」と回答した。

(〈書証番号略〉)

四昭和三三年

1 昭和三三年四月一六日、熊大研究班は水俣市において研究報告会を開催し、マンガン説、タリウム説、セレン説のそれぞれに対し、肯定的見解及び否定的見解の発表がなされた(〈書証番号略〉)。

2 同年六月、厚生科学研究班は、それまでの調査研究成績を「いわゆる水俣病に関する医学的調査研究成績」と題する報告書にまとめ厚生省食品衛生局に提出した。同報告書によると、原因物質としてセレニウム、マンガン、タリウムが主として疑われるが、工場廃棄物が魚介類体内に移行し、有毒化する経路又は機序については今後の綜合的研究にまたなければならないとされた。

(〈書証番号略〉)

3 参議院社会労働委員会における尾村偉久厚生省環境衛生部長の答弁

厚生省環境衛生部長である尾村偉久は、同年六月二四日に開催された参議院社会労働委員会において質問を受けた際、厚生科学研究班の研究成績報告を踏まえて、水俣病の原因物質はタリウム、マンガン、セレンのいずれかあるいはこの三つの二つないし三つの総合によるものであろうということ、これらの物質は水俣湾に接したところにある化学工場において生産されていること(ただし、マンガンについては昭和二八年まで)、右工場から当該物質が流出したと推定されることが現段階で分かってる旨の答弁を行った。ところで、尾村環境衛生部長は、右答弁において同時に、当該物質が魚類の体内において有毒化する機序が不明であること、当該物質を排出する工場は全国に多数あるにもかかわらず、二〇年以上にわたって操業してきた同工場付近のみにおいて、しかも昭和二八年以降になって患者が発生したことに疑問がある旨を付加した。

(〈書証番号略〉)

4 厚生省公衆衛生局長山口正義による関係各省庁及び被告熊本県への通知

同年七月七日、厚生省公衆衛生局長山口正義は、厚生科学研究班の研究報告等に基づき、水俣病は、水俣湾内において、ある種の化学物質によって有毒化された魚介類を多量に摂取することにより発症する中毒性脳症と称すべきものであり、主としてマンガン、セレン、タリウムが原因物質と疑われていること、チッソ水俣工場の廃棄物(原因物質として疑われている右物質が含まれている。)が水俣湾内の泥土を汚染していること、港湾生息魚介類ないし回遊魚類が右廃棄物に含まれている化学物質と同種のものによって有毒化し、これを多量摂食することによって水俣病が発症することが推定されること、しかしながら、工場廃棄物が魚介類体内に移行し、有毒化する経路又は機序については今後の総合的研究にまたねばならないこと等を内容とした「熊本県水俣市に発生したいわゆる水俣病の研究成果及びその対策について」と題する文書をもって、通産省等の関係各省及び熊本県に右研究に対する協力及び本問題に対する対策を要請した(〈書証番号略〉)。

5 水俣奇病綜合研究連絡協議会及び水俣奇病対策連絡協議会の設置

厚生省は、関係各省庁との協議の結果、同年八月七日、被告熊本県、熊大、九州大学及び関係各省庁の出先機関で構成する水俣奇病綜合研究連絡協議会を被告熊本県に設置し、さらに中央に厚生省、水産庁、通産省、文部省、運輸省及び海上保安庁で構成する水俣奇病対策連絡協議会を設置した(〈書証番号略〉)。

6 同年八月一一日、水俣市茂道に住む生駒秀雄(当時一五歳)が熊大徳臣教授により水俣病と診断された。医師により水俣病と診断された患者の発生は、昭和三一年一二月以来初めて確認された(新患者の発生)。水俣保健所長は、県衛生部長に対して「水俣病新患者発生報告について」と題する書面をもってこの事実を報告した。それによると右少年は、同年七月初めころ、袋湾内の蟹を数回にわたって捕獲捕食し、八月四日に発症したということであった。

その後八月に発病した丸島町在住の尾上ナツエは九月二〇日に水俣病と確認され、一〇月中旬ころから症状を訴えていた梅戸在住の田中ケトは一一月ころには水俣病患者と強く疑われるに至った。

(〈書証番号略〉)

7 被告熊本県の対策

新患者の発生に伴い、被告熊本県は、現地の保健所を介して、市の回覧板や地元の学校を通じて水俣湾内の魚介類の摂食自粛を広報した。また、県経済部長は、同年八月二二日、地元漁協に対し従前からの操業自粛の申合せを遵守するよう通知し、さらに県内各漁業協同組合長、県漁業協同組合連合会会長及び九州各県の水産主務部長らに対し、水俣湾内での操業を行わないよう指導するように想定危険海域の図面を添付して通知した。

(〈書証番号略〉)

8 同年九月二六日、武内教授は、熊大研究班の研究報告会において、水俣病の病理所見はハンター・ラッセルによって報告された有機水銀中毒症例に一致する旨の報告を行った。

同教授の右報告は、同年三月一三日及び一四日にかけて、当時多発性硬化症の研究のため熊大に来ていた英国の精神神経学者マッカルパインが一五人の水俣病患者を診察した結果、視野狭窄、難聴、運動失調等の症状がハンター・ラッセルの報告した有機水銀中毒に極めて類似しているとの示唆を受けたことを契機として調査研究した結果行われたものであった。同年九月二〇日、マッカルパイン自身も、英国においてランセット誌上で水俣病の症例が有機水銀中毒に類似する旨を発表した。

ちなみに、ハンター・ラッセルによる報告とは、一九三七年(昭和一二年)に英国で発生したメチル水銀中毒事件をもとにしてハンター、ラッセルらが一九四〇年(昭和一五年)に発表したメチル水銀中毒症の臨床症状の研究報告で、メチル水銀中毒症では運動失調、言語障害、視野狭窄が症候群として出現するとするものである。

(〈書証番号略〉、証人加藤邦興の証言)

9 水俣川河口付近へのアセトアルデヒド排水の排出

同年九月ころ、被告チッソは水俣工場のアセトアルデヒド排水の経路を変更し、従来は百間排水溝を通じて百間港に排出していたものを、八幡プールを経て水俣川河口に排出するようになった。この排水路の変更により、有機水銀を含んだアセトアルデヒド排水は大量に水俣川河口から不知火海を北上、南下することになった。

(〈書証番号略〉、証人加藤邦興の証言)

五昭和三四年

1 厚生省食品衛生調査会水俣食中毒部会の発足

厚生省は、水俣病の原因究明費用として予備費の支出が決定されたのを受けて、水俣病の原因についての総合的研究を推進する目的で、昭和三四年一月一六日ころ、熊大研究班、県衛生部、西海区水産研究所及び県水産試験所の関係者をもって、厚生大臣の諮問機関である食品衛生調査会に臨時的な特別部会として「水俣食中毒部会」を発足させた(〈書証番号略〉)。

2 熊大研究班第三報配布

同年三月三一日、熊大研究班は「熊本県水俣地方に発生したいわゆる水俣病に関する研究(第三報)」を刊行配布した。同報告書には、喜田村教授らによるセレン説の、瀬口三折教授らによるタリウム説の各研究成績の発表の他、武内教授らによって次のような報告がなされた。

同教授らは「慢性経過をとった水俣病・四剖検例についての病理学的研究」と題する論文(〈書証番号略〉)において、慢性経過をとった水俣病患者の病理解剖所見から原因物質を考察し、マンガン化合物については主要病変を異にしている、セレン化合物については病理所見が不明で比較検討が不可能である、タリウム塩についてはその解剖所見が必ずしも一致しない等と述べ、さらに、有機水銀中毒については、水俣病の臨床症状が有機水銀中毒にみられるハンター・ラッセル症候群の症状と一致すること、有機水銀中毒の病理所見と本症の解剖所見(特に脳の病理組織像の特異性)がよく類似していること等を根拠に水俣病を有機水銀中毒症として考察する必要を説いた。なお、同教授らは同時に当時においては有機水銀中毒をもたらすような有機水銀が果たして現地の魚介類に存在するかは尚検討されておらず、また公衆衛生の立場からかかる有機水銀が水俣湾内に存在し得るか否かは今後の検討にまたねばならない旨をも指摘していた。

(〈書証番号略〉)

3 熊大研究班による有機水銀説の研究状況

武内教授らによって唱えられた有機水銀説を検証するために、喜田村教授らは水俣病剖検例の臓器や水俣湾内の魚介類及び海底泥土中の水銀の検出定量を行ったところ、大量の水銀を検出することに成功した。なお、右検証をするに当たっては、水銀微量定量法の検討や習熟期間として三か月間を要し、また、水銀検出に当たって用いられた水銀定量法は、試料を湿式灰化した上、ジチゾン法により無機の水銀として測定する分析法であり、したがって右測定結果は全て総水銀としてであった。

他方、他の教授らによっても、臨床症状や病理所見から水俣病をして有機水銀中毒症と類似することの研究成績が蓄積されていった。

(〈書証番号略〉)

4 熊大研究班の研究報告会

同年七月二二日、熊大研究班は熊大医学部で県関係者ら出席上、研究報告会を開催し、臨床的、病理学的及び分析的研究の結果、「水俣病は現地の魚介類を摂取することによって惹起される神経系疾患であり、魚介類を汚染している毒物としては、水銀が極めて注目されるに至った。」と班見解を発表した。右班見解をまとめるもととなった各教授らによる研究内容は概要以下のとおりである。

(〈書証番号略〉、証人加藤邦興の証言)

(一) 武内教授らは、水俣疾患者の臨床症状の特徴(運動失調、構音障害、求心性視野狭窄)に加えて、患者の最も特徴的な病理解剖学的所見は小脳顆粒型萎縮及び視中枢荒廃であるが、これは有機水銀中毒症例にしか見出し得ないこと、水俣病患者の剖検例の臓器内に異常に大量の水銀が検出されたこと、水俣地区の泥土及び魚介類(ムラサキガイ)に著しく多量の水銀を検出でき、右魚介類を猫やネズミに投与することで水俣病同様の症状を再現できること等を根拠に水俣病が有機水銀中毒症類似の疾患であるとの説を発表した。なお、同教授らは、水俣湾の泥土そのものを動物(猫、うさぎ、にわとり)に投与しても特定の水俣病を起こし得ないことから泥土中の水銀ないし水銀化合物は水俣病の原因物質ではなく、魚介類の体内中の水銀化合物が原因物質であろうこと、さらに、ジメチル水銀の動物経口投与実験において水俣病同様の失調、運動遅鈍等の症状を起こし得たが、ジメチル水銀は水に溶けないが有機溶媒には溶けるところ、内田教授により水俣病の原因物質は水にも有機溶媒にも溶けないことが確認されていたため、ジメチル水銀自体が原因物質自体ではないことから、同教授らは、原因物質については水銀化合物であることは疑わないが、有機水銀(特にアルキル水銀に類似するもの)であることは臨床所見、病理学的所見及び文献的考察からの推定であり、今後の研究に待たねばならない旨を指摘していた。

(二) 徳臣教授からは、ジエチルジチオガルバミン酸銅法によって患者の尿中から高値の水銀を定量したこと、スペクトル分析法によって発病猫の脳、臓器から水銀の存在が認められたこと、エチル燐酸水銀を猫に投与して水俣病同様の症状を再現できたことから水俣病は有機水銀中毒であろうとの報告がなされた。

(三) 喜田村教授からは、ジチゾン法によって水俣湾内の泥土、魚介類、剖検例の臓器から大量の水銀が検出されたことから有機水銀説が極めて注目されるが、なお、セレン説の検討をも続ける予定である旨の報告があった。

(四) 宮川教授からは、酢酸タリウム中毒の症状及び病理組織的所見からみるにタリウムが依然として水俣病の主要な原因であると確信する旨報告がなされた。

5 後藤教授の発生機序に関する見解の発表

同年七月二三日、食品衛生調査会会員で熊大理学部生物学科教授である後藤源太郎は、チッソ水俣工場から排水される無機水銀が魚介類の体内で有毒な有機水銀に変化して水俣病の原因となる旨の見解を発表し、翌日新聞報道された(〈書証番号略〉)。

6 熊大研究班の研究発表に対する批判的見解の発表

(一) チッソ水俣工場は、同年八月五日、熊本県議会水俣病対策特別委員会で工場側の研究発表を行い、同工場では昭和七年からアセトアルデヒドの合成に無機水銀の一種である硫酸水銀を、昭和二四年から塩化ビニールの合成に同じく無機水銀の一種である塩化第二水銀をそれぞれ触媒として使用しており、これらの無機水銀の一部が排水溝から海に流れ水俣湾内に存することは事実であるが、これらの無機水銀から有毒な有機水銀化合物が副生されたという文献はいまだなく、同様の水銀を使用している他の工場から水俣病が発生したとの事実もなく、さらに無機水銀が魚介類の生体内で有機水銀に変化するというのは客観的に実証されない単なる推論でしかない等と熊大研究班で有力に主張され始めた有機水銀説は実証性のない推論であると批判した(〈書証番号略〉)。

(二) 東京工業大学の清浦雷作教授は、同年八月二四日から二九日までの間に行った水俣湾の水質調査の結果として、同湾の海水中のセレン、タリウム、水銀とも他の化学工場がある地域と比べて特別に濃度が高いということはなく、熊大の水銀説は一推論に過ぎないと批判した(〈書証番号略〉)。

(三) 同年九月二九日、日本化学工業協会の大島竹治理事は、水俣病は軍隊が集積所から水俣湾内に投棄した爆薬、薬品から流出した化学物質が原因である旨の見解を発表した(〈書証番号略〉)。

(四) その後同年一〇月ころ、被告チッソは「水俣病原因物質としての「有機水銀説」に対する見解」と題する文書で、また、同年一二月ころ、清浦教授は「水俣湾内外の水質汚濁に関する研究(要旨)」と題する文書で、先に発表した熊大研究班の有機水銀説に対する批判をそれぞれ公表した(〈書証番号略〉)。

7 食品衛生調査会合同委員会の開催

同年一〇月六日、東京において、食品衛生調査会合同部会が開催され、水俣食中毒部会は、「水俣病は臨床症状及び病理組織学的所見が有機水銀中毒に酷似し、ある種の有機水銀を猫及び白鼠に経口的に投与して、水俣湾魚介類によるものと全く類似の症状及び病理組織学的変化を惹起せしめ、かつ患者及び罹患動物の臓器中より異常量の水銀が検出される点より原因物質としては水銀が最も重要視される。

しかし、水俣湾底の泥土中に含まれる多量の水銀が魚介類を通じて有毒化される機序はいまだ明白でない。したがって今後の研究はこの点を明らかにすることと原因物質そのものの追求に向けられねばならない。」との中間報告を行った。

(〈書証番号略〉)

8 細川博士によるネコ四〇〇号実験

チッソ附属病院の細川医師は、同年七月二一日から猫にアセトアルデヒド廃水及び塩化ビニール廃水を直接餌にかけて摂取させる実験を行った結果、同年一〇月七日に至ってアセトアルデヒド廃水を投与してきた一匹の猫(ネコ四〇〇号)が発症したことを認め、その旨をチッソ水俣工場技術部へ報告した上、同月二一日この猫を屠殺し九大医学部に依頼して病理解剖したところ、水俣病と類似の所見が認められた。しかし、同年一一月三〇日ころ、右技術部が右実験の続行を禁止したため、細川医師は実験の続行を断念して研究を中止し、右実験結果は外部に一切公表されなかった。

(〈書証番号略〉)

9 食品衛生調査会の厚生大臣に対する答申と水俣食中毒部会の解散

同年一一月一二日、食品衛生調査会は、東京で常任委員会を開催し、水俣食中毒部会の中間報告をもとに、水俣食中毒の原因についての討論を行い、同日付けで厚生大臣に対し「水俣病は、水俣湾及びその周辺に棲息する魚介類を多量に摂食することによって起こる、主として中枢神経系統の障害される中毒性疾患であり、その主因をなすものはある種の有機水銀化合物である。」とする答申を行った。

翌一三日、厚生大臣は右食中毒部会の解散を命じた。さらに、同年一一月一八日、厚生省はその所管する水俣奇病対策連絡協議会を解散させ、これに伴い、被告熊本県に設置されていた水俣奇病綜合研究連絡協議会も解散した。以後、水俣病の原因究明(原因物質の発生原因、その生成過程の解明等)の主体は、厚生省から経済企画庁が中心となって発足させた水俣病総合調査研究連絡協議会へと移管された。

ところで、食品衛生調査会水俣病食中毒部会の代表を務めていた鰐淵前熊大学長、世良熊大医学部長、内田及び喜田村教授は、同年一一月二〇日、熊大医学部内で記者会見を行い、同部会解散に当たって、「水俣食中毒部会は、有機水銀化合物になる過程を研究することなく解散してしまった。厚生省のやる仕事としては、病気に限定したり、治療だけというのが最初からの方針ではなかった。部会としては医学的なことのほかに、海流や泥質のことまでやる意気込みだった。漁民のことは水産庁、工場のことは通産省というような各省庁のセクショナリズムが解散させたのだ。間もなく最終的な結論をだそうという時に、解散したのはいかにも残念だ。」等とのコメントのほか、熊大での研究に対する被告チッソの非協力的な態度及び厚生省が同種工場の資料を公表しないことへの非難等を談話として語った。

水俣食中毒部会の解散によって、熊大研究班への厚生省からの研究費は打ち切られることになった。

(〈書証番号略〉)

10 被害の状況及び被告熊本県の対策

(一) 水俣川河口における患者の発生

同年三月二六日、水俣川河口付近である水俣市八幡に住む森重義が水俣病と診断された。ただし、水俣保健所の調査によると同人は水俣川河口付近のほか、想定危険区域内でも漁獲していたことが判明し、直ちに危険海域が水俣湾以外の海域に拡大しているとは判断されなかった(〈書証番号略〉)。

同年四月二四日、水俣市浜に住む中村末義が水俣病と診断された。調査の結果、同人は水俣湾外の水俣川河口付近を漁場とし、そこで捕獲した魚介類を摂食して発病したと思われた(〈書証番号略〉)。

(二) 同年六月五日、県水産試験所技師沢本良は、水俣川河口の漁場調査に赴き、水俣漁協の中村参事から事情を聴取した。その結果、同年春ころから水俣川河口付近で魚類(ボラ、ススギ、チコ、コチ等)がフラフラして泳ぎ、斃死に至る現象が甚だしくなったこと、砂利採取人夫がフラフラしている魚類を金網で掬って食用に供したため水俣病らしい症状が出ていること、これらの原因としては工場廃水に由来するものと考えられ、工場廃水の流入状況については一昨年七月ころから新たに水俣河川口付近に流しているらしく干潮に廃水の流出した形跡がみられること、工場の工員の話では幹部がいるときは注意が行届いて流出していないが、不在時は処置に困るので流出しているということ、最近鹿児島県の幣串の漁師に水俣病の症状が出ていること、恋路島周辺で一本釣り五艘ないし六艘が出漁し太刀魚等を漁獲しているが太刀魚を食べた猫が一、二週間で奇病にかかった例もあること等が判明した。

(〈書証番号略〉、証人加藤邦興の証言)

(三) 被告熊本県における特別立法制定の陳情活動

同年六月二〇日ころ、水俣市議会議長らは、厚生省公衆衛生局環境衛生部長らに対し、水俣病発生原因の早期究明を要望するとともに、漁民の窮状を訴えつつ、食品衛生法の適用により魚介類を全面的に採取禁止することは不可能であり、また水産関係法規でも漁獲禁止をする方法がない現況であるので、水俣地先海面を漁獲禁止区域とし、特に、操業禁止に基づく漁民の損失についての全額補償をする旨の特別立法を制定する措置を取ってもらいたい旨を陳情し、その際、広田市議から最近被告チッソが水俣川の方へ廃水を三本排出している事実とこれが新患者発生と関係がある旨の説明がなされた。厚生省はこれに対して、摂食自粛の指導強化、有毒化されている区域の指定等の実施と、チッソ水俣工場の排水路の件と新患者発生の関係については近く食品衛生課長を現地調査に派遣する旨約束した。同議長らは、同月二二日に熊本県選出の衆議院議員坂田道太に、同年二四日に水産庁及び厚生省関係者らに同様の特別立法制定の陳情を行った。

(〈書証番号略〉)

(四) 同年七月二日、県衛生部長は、宇土、八代、本渡、牛深、松橋及び水俣の各保健所長に対し、水俣病の発病範囲が拡大するおそれがあるとして、不知火海沿岸の実態調査のため魚介類水揚げ地区における猫の発病についての調査を依頼した(〈書証番号略〉)。

(五) 同年七月八日、県議会に水俣病対策特別委員会を設置し、同月二四日、県知事及び県議会議長は、水俣病発生原因の早期究明を要望するとともに、昭和三二年以来水俣市漁民が水俣湾内での操業を自粛してきたが生活の困窮のゆえに危険とは知りながらもあえて漁獲せねばならないところまで追い詰められている旨を説明しつつ、危険海域を漁業禁止区域として指定する特別立法措置と漁民に対する援護を求める旨を関係各庁に陳情した(〈書証番号略〉)。

(六) 水俣漁協による漁業操業の自粛

水俣漁協は、同年六月一六日、水俣市議会の水俣病対策委員会による漁業自粛の指導に従って、想定危険海域を従来の明神崎から恋路島を経て茂道に至る海域から、津奈木村勝崎から恋路島外端、鹿児島熊本県境を結んだ線までの海域に拡大した(〈書証番号略〉)。

(七) 水俣市鮮魚小売商組合の不買決議

同年七月三〇日、水俣市鮮魚小売商組合は、水俣漁協の漁獲した魚介類は、天草、鹿児島などを除く水俣近海でとれた魚はたとえそれが禁漁区外のものでも一切取り扱わない旨決議し、同年八月二日から実施した。

右不買決議によって打撃を受けた水俣漁協は、同年八月六日、被告チッソと漁業補償一億円、ヘドロの除去及び優秀な廃水浄化装置の設置を要求して交渉を続けたところ、一旦交渉が決裂したものの、同月二九日、水俣市長らで構成する斡旋委員会の斡旋により、漁業補償三五〇〇万円の支払いと工場排水浄化装置を翌年三月までに設置すること等の条件で漁業補償契約を締結した。

(〈書証番号略〉)

(八) 鹿児島県出水市における猫水俣病の発生

同年八月一二日、鹿児島県出水市米ノ津天神部落の木下要松方の猫が発病した。被告熊本県は、鹿児島県衛生部を通じて現地の魚介類の流通経路を調査したところ、木下要松は築港の行商人から購入したものと判明した。

その報告を受けた同県出水保健所長は、同月一四日、管轄区域の開業医に水俣病の症状の説明と協力の依頼を行うとともに、米ノ津、阿久根の両漁協に対し水俣方面での漁業自粛を指導した。

(〈書証番号略〉)

(九) 葦北郡津奈木村での患者発生

同年九月二三日、葦北郡津奈木村岩城に住む漁民船場藤吉が水俣病と診断され、翌一〇月一四日、船場藤吉の父である岩蔵が続いて水俣病と診断された。船場藤吉らは水俣湾から七、八キロも北の津奈木湾でとった魚を摂食していたものであった。この時点において、水俣病と診断された患者は七六名となり、死亡者は二九人となった。

同年九月下旬、津奈木村漁協組合等葦北郡の各漁協組合は相次いで決起集会を開き、被告チッソに対し漁業被害の補償と工場排水の水俣川河口付近への排出停止を求める旨決議した。

同年九月二八日、吉田葦北町長を会長とする葦北沿岸漁業振興対策協議会、津奈木村関係者等一二人が被告チッソの西田工場長らと面会し、水俣川河口への排水即時中止等を求めたところ、西田工場長は、八幡(水俣川河口)の排水を中止することはできないが、浄化設備は来春三月末完成を目途に既に着手しており、従来同海岸へ流していた一時間当たり六〇〇トンの排水を九月末から工場内に沈殿池を造り現在三〇〇トンにしている。来春完成予定の新日本化学マグネシアクリンカーを設置することで現在の排水量は四分の一に減る等と回答した。

同年一〇月一四日、葦北沿岸漁業振興対策協議会の藤田田浦町長、斎藤津奈木村長ら七人は、工場排水の即時中止を求めて西田チッソ水俣工場長と面会し、同工場長から、八幡へ放出している排水を再利用する循環設備の完成を急いでおり、遅くとも今月中には工事を完成し、排水をストップする旨の回答を得た。

(〈書証番号略〉)

(一〇) 県漁業協同組合による被告チッソに対する団体交渉の申入

同年一〇月一七日、県漁業協同組合連合会主催による漁民総決起大会が開催され(なお、水俣漁協は既に補償契約を締結していたので参加していない。)、被告チッソに対し、工場排水浄化装置完成まで操業を停止することや漁業被害の補償等を求める旨決議し、その後、チッソ水俣工場への団体交渉を申入れに行ったが、被告チッソによって拒否された。

同年一一月一四日、県漁業協同組合連合会は県知事に対し、漁業補償のあっせんを依頼した。

(〈書証番号略〉)

(一一) 特別立法制定の陳情

被告熊本県は、同年一〇月一五日、関係各省庁に対し、熊本県知事及び同県議会議長の名で、水俣病発生原因の早期究明、危険海域の調査指定並びに危険海域における漁獲操業禁止、完全浄化及び漁民への補償を内容とする特別立法の措置を陳情した。

被告熊本県は、同年一〇月二六日に開催された県議会水俣病対策特別委員会で、国費による原因究明、危険海域での漁業規制及び漁民への補償を内容とする水俣病対策特別措置法要綱案を公表した。

(〈書証番号略〉)

(一二) 同年一一月一日から三日にかけて、衆議院の農林水産委員会、社会労働委員会、商工委員会及び関係各省庁担当者で構成する衆議院水俣病調査団が水俣病の原状調査のため熊本県を訪れた。まず、調査団は、県当局、県議会水俣病対策特別委員会、熊大、県漁連の各代表者を集めた公聴会を開き、席上、南葉熊大教授からチッソ水俣工場では昭和七年から現在まで総計六〇六トンの水銀を水俣湾に流し、うち約半分が湾外へ流れ出た旨の説明を受けた。その後、調査団は、チッソ水俣工場を視察し、被告チッソに対し、熊大の研究への協力を要望し、排水浄化装置建設着手の遅れを質した。

(〈書証番号略〉)

(一三) 水俣市議会等の工場操業停止阻止のための動き

同年一〇月二六日に開催された熊本県水俣病対策特別委員会の席上、荒木委員らから、人命尊重の立場からチッソ水俣工場の操業を病気の原因が分かるまで中止すべきであると意見が出たことから、被告熊本県においてこの中止申入れについて検討することにした。

同年一一月五日、熊本県水俣病対策特別委員会において、チッソ水俣工場に操業を全面的に即時中止させるための条例の制定を求める委員と操業中止に反対するチッソ水俣工場労組統制委員長でもある委員との間で右条例制定をめぐって激しい論戦が行われ、内部分裂状態となった。同委員会の決議としては、早急に県議会を開き条例制定の可否について研究審議することとなった。

同日、水俣市議会は、チッソ水俣工場の操業を行政的配慮により停止すべしとの風潮もあるが、水俣病の原因がいまだ解明されていない今日において同工場の操業を停止することは極めて重大な結果を招来するおそれがあるので、工場をして浄化装置の完成を促進せしめ、操業停止の事態が発生しないように措置するよう要望する旨の決議文を採択し、翌六日、農林大臣へ送付した。

さらに、水俣市長、市議会議長、商工会議所会頭らは、同年一一月七日、熊本県知事に対し、チッソ水俣工場の操業中止につながる工場排水の全面的中止に反対する旨陳情した。

(〈書証番号略〉)

(一四) 被告国及び県がチッソ水俣工場の排水について行った措置

(1) 水俣川河口付近海域の汚染が判明した同年八月以降、漁業関係者らを中心にチッソ水俣工場排水の浄化装置の設置や水俣川河口付近への排水ないし全面的な排水停止を求める声が高まるなか、同年一〇月二一日、通産省は、被告チッソに対して、水俣川河口への排水を即時中止し、従来どおり百間港へ戻し、廃水の浄化設備を年内に完成するよう努力するよう口頭で指示した。被告チッソは、前年の九月以来毎時三〇〇トンずつ八幡地先に流していた汚水を工場で循環使用する準備を急いでいたが、これが整ったので、同月二九日、水俣川河口への排水は中止し、浄化装置は同年一二月末には完成する等と語り、その旨翌三〇日付けの新聞で発表された。

(〈書証番号略〉)

(2) 同月三一日、厚生省公衆衛生局長は、通産省企業局長に対し、「水俣病の対策について」と題する書面をもって、食品衛生調査会水俣食中毒部会の研究の結果、水俣病は水俣湾付近の一定水域において漁獲された魚介類を摂食することに起因して発病するものであること、右魚介類中の有毒物質はおおむね有機水銀化合物と考えられることの二点が明らかになっているとし、このことをもって直ちに水俣市所在の化学工場からの排水に起因するものであると断定し難いとはいうものの、当該排水の排出状況と水俣病患者の発生の状況に相互関連があるとの意見があり、また、前年九月の新排水口の設置以来その方面に新患者が発生している事実もあることから、現段階において工場排水に対する最も適切な処置を至急講ずるよう要望した(〈書証番号略〉)。

これを受けて、通産省は、同年一一月一〇日、同省軽工業局長から被告チッソ社長宛ての「水俣病の対策について」と題する文書(〈書証番号略〉)で、「かねてから、排水路の一部の廃止等種々の対策を講ぜられているところであるが、水俣病が現地において極めて深刻な問題を惹起している状況には誠に同情すべきものがあるので、この際一刻も早く排水処理施設を完備するとともに、関係機関と十分協力して可及的速やかに原因を究明する等現地の不安解消に十分努力せられたい。」旨の通牒を発し、右同日、厚生省公衆衛生局長に対し、「当省としては、現在までのところその原因といわれている魚介類中の有毒物質を有機水銀化合物と考えるには、なお多くの疑問があり、したがって、一概に水俣病の原因をチッソ水俣工場の排水に帰せしめることはできないと考えているが、水俣病が現地に極めて深刻な問題を惹起している状況にかんがみ、既に同工場に対し、口頭をもって、(イ)直接不知火海に放出していた排水路を廃止するとともに、排水処理施設の完備を急がしめ、(ロ)原因究明等の調査について十分に協力するよう指示してあったが、更に上記の点について、あらためて文書をもって、チッソ社長宛に尽力方通牒を発した。」旨の通知を行った(〈書証番号略〉)。

(3) 水産庁においても、同年一〇月三一日、同庁次長から厚生省公衆衛生局長に対し、「水俣病の原因究明について」と題する書面(〈書証番号略〉)で、水俣病発症地域の拡大に伴い、漁業操業上の支障及び地元住民の不安が極度に増大し、県議会等から数回にわたる陳情を受けたことを述べ、原因の早期究明、現段階で判明している事項及び厚生省の意見を水産庁に知らせることを要望し、さらに、同年一一月一一日、水産庁長官から通産省企業局長及び軽工業局長に対し、「水俣病対策について」と題する書面(〈書証番号略〉)で、水俣病が水俣市所在の化学工場の工場廃水による水俣湾の水質汚濁と相当の因果関係があると思われる事実も発生しており、事態は極めて逼迫した状態にあると考えられるとして至急チッソ水俣工場の工場排水に対する適切な措置を講ずるよう要望した。

これに対し、通産省軽工業局長は、同月二〇日、「当省としては現状においては水俣病の原因をチッソ水俣工場の排水に帰せしめることはできないと考えているが、水俣病が現地で極めて深刻な問題を惹起している状況にかんがみ、既に同工場に対し、口頭をもって、(イ)直接不知火海に放出していた排水路を廃止するとともに、排水処理施設の完備を急がしめ、(ロ)原因究明等の調査については今後とも一層関係方面と十分に協力するよう指示してあったが、更に上記の点について、あらためて文書をもって、チッソ社長宛に尽力方通牒を発した。」旨の通知を行った。

(〈書証番号略〉)

11 被告チッソの排水処理設備の完成

(一) 同年一一月一〇日、通産省秋山軽工業局長は、極秘に全国のアセトアルデヒド又は塩化ビニールモノマーを生産している工場(アセトアルデヒド工場七社、塩化ビニールモノマー工場一六社)に対し、触媒に使用した水銀の仕込量・回収量・消費量、工場排水の量、工場排水の放流量、工場排水処理の状況、工場排水の水質(特に水銀の含有量)、排水口付近の推定の泥土中の水銀含有量、水銀の状態、水銀触媒の取扱状況、水銀が消費されると思われる箇所等について調査を依頼した(〈書証番号略〉)。

(二) 同年一一月一一日、被告チッソは、熊本県経済部鉱工課長及び熊本県議会水俣病対策特別委員会に対し、「水俣工場の排水について(その歴史と処理及び管理)」と題する書面を提出し、各製造施設ごとの排水処理を明らかにした。右文書において、アセトアルデヒド酢酸設備の排水は昭和三三年九月からアセチレン発生残渣とともに八幡プールに送られ、同年一〇月一九日からは酢酸プールで微量の残存金属を除去した上で八幡プールに送られたこと、構内プール、酢酸プール及び浸透水逆送管等の設備完成後の排水分析によれば、水銀濃度は厚生省令水道法水質基準に合格するものであること、間もなく完成するサイクレーター及びセディフローター等の排水処理装置の浄化原理は、排水に中和剤を混入してPHを中和し、アルギン酸ソーダ等の凝集沈殿剤によって固形物を沈殿させるものであることなどが報告された(〈書証番号略〉)。

(三) サイクレーター及びセディフローター(セディフローターは重油ガス化排水の浄化に使用され、アセトアルデヒド排水及び塩化ビニールモノマー排水の浄化処理に使用されたことはない。)は、昭和三四年一二月一九日に完成した。翌二〇日から右装置の運転を開始し、水銀の除去効果を試験するためにアセトアルデヒド排水を鉄屑槽、酢酸プールを経てサイクレーターに通していたが、効果がなかったので同月二五日からは、サイクレーターを通すことを止めて、アセチレン発生装置に逆送して循環使用するようになった。ところで、サイクレーターは、昭和三三年一二月ころ、被告チッソにおいて、有機水銀説が発表されるよりも前の段階でアセトアルデヒド及び塩化ビニールの各排水を除くその他の排水の濁り(固形物)を除くこと、固形物の大部分を占めるアセチレン発生残渣を他の残渣から分離してマグネシアンクリンカーを作ることを目的として設置が決定され、同年夏ころ荏原インフィルコ株式会社に発注したものである。発注に当たって被告チッソは荏原インフィルコ株式会社に対し、いずれも水銀を使用していない工程から生じる廃水、すなわち、硫酸製造工場の硫酸製造工程から出る赤く濁った廃水(ガス洗浄廃水)、重油ガス化工場で石油を分解して水素ガスを製造する工程から出る煤で黒く濁った廃水(ガス洗浄廃水)、燐酸製造工場の燐酸製造工程から出る石膏を含んだ廃水及びカーバイド工場のカーバイドの廃水という四種類の廃水から濁りを除去してもらいたい旨の注文をしていたのみであり(注文書にはアセトアルデヒド酢酸製造工程及び塩化ビニールモノマー製造工程からの廃水は含まれていなかった。被告チッソは、当時、荏原インフィルコ社から排水処理装置の製造のため排水調査に赴いた同社の研究員に対して、アセトアルデヒド工場の廃水を開示せず、水銀については処理計画で考慮する必要はない旨申し向けていた。)、荏原インフィルコにおいても右廃水中の濁度、色素及びPHの三項目についての処理を目的に、専ら廃水中の炭素及び酸化カルシューム等の懸濁物(水中で溶解せずに浮遊する固形物)の除去を目的にサイクレーターの製造に当たったものであり、特に水銀の除去を目的として導入が検討された設備でもなく、また、その能力もなかった(当時において、サイクレーターが排水に溶解している水銀に対して除去能力がないことは荏原インフィルコの技術者において明らかであった。)。

(〈書証番号略〉、証人加藤邦興の証言)

12 通産省によるチッソ水俣工場の工場排水の分析

(〈書証番号略〉)

(一) 通産省は、同年一一月二日、同省企業局長及び軽工業局長の名で工業技術院長宛てにチッソ水俣工場の排水の分析を依頼し、これを受けて、右院長は、同月六日、東京工業試験所にその旨依頼した。

(二) 同年一一月一九日、通産省軽工業局長は、被告チッソに対し、工場排水を週二回採取し東京工業試験所へ送付せよと指示した。

(三) 東京工業試験所においてチッソ水俣工場の排水中に含まれる水銀量を同年一一月二六日から翌昭和三五年八月二四日までの間定量分析したところ、最高0.084PPM、最低0.002PPMで、ほぼ0.02PPM以下ではあったが、水銀の排出が測定された。

六昭和三五年以降の研究成果

1 熊大研究班第四報配布

昭和三五年三月、熊大研究班は「熊本県水俣地方に発生したいわゆる水俣病に関する研究(第四報)」を配布した。各教授によって、未だ魚介類中の毒物物質を特定するには至っていないが、有機水銀説の実証にむけての各研究成績が述べられた。

(〈書証番号略〉)

2 内田教授らの研究

内田教授らは、昭和三五年から昭和三六年にかけて、生化学的立場から水俣湾産のヒバリガイモドキから有機水銀化合物を抽出し、昭和三六年にそれが硫酸メチル水銀であると発表した(〈書証番号略〉)。

3 入鹿山教授らの研究

(一) 昭和三六年九月一日、入鹿山教授らは、猫の脳幹を通過して蓄積して神経症状を発症させる有機水銀として考えられるのはメチル又はエチルという低級アルキル水銀が水俣病の原因物質であるとの命題のもと、水俣湾産のヒバリガイモドキから有機水銀を抽出したところ、メチル水銀化合物の存在が確認された。水俣病の原因物質がメチル水銀化合物である旨発表した。入鹿山教授らが、水俣湾産の魚介類からメチル水銀化合物を抽出することに時間がかかったのは、メチル水銀のような低級アルキル水銀は生体内の蛋白質中のSH基と結合していて有機溶媒で抽出することが困難であったからである。

(〈書証番号略〉)

(二) 昭和三六年一〇月ころ、チッソ水俣工場の酢酸工程の反応管から昭和三四年八月及び昭和三五年一〇月に採取して冷暗室に密封保存していた水銀滓から、直接塩化メチル水銀を抽出することに成功した(〈書証番号略〉)。

(三) ところで、チッソ水俣工場は、触媒として無機水銀を使用していたものの直接メチル水銀を使用していたものではなかったので、入鹿山教授らは、さらに、アセトアルデヒド製造工程内でのメチル水銀化合物生成機序の解明にあたり、実験を行ったところ、アセチレンと無機水銀との反応だけでは直接メチル水銀化合物は生成しないが、これに鉄塩、二酸化マンガン及び塩化物を加えることにより、メチル水銀化合物の生成が推知されたとの実験結果を得、これを昭和四二年三月一五日に日本衛生学雑誌に投稿し、右雑誌は同年六月に刊行された(〈書証番号略〉)。

(四) さらに入鹿山教授らは、昭和四一年七月、一〇月及び一二月にチッソ水俣工場の排水処理系統の水銀汚染の調査を行い、アセトアルデヒド製造施設の精溜塔廃液から塩化メチル水銀化合物を検出し、昭和四二年三月一五日に日本衛生学雑誌に投稿し、右雑誌は同年八月に刊行された(〈書証番号略〉)。

4 政府公式見解の発表

昭和四三年九月二六日、厚生省は、「水俣病は、水俣湾産の魚介類を長期かつ大量に摂食したことによって起こった中毒性中枢神経疾患である。その原因物質は、メチル水銀化合物であり、新日本窒素水俣工場のアセトアルデヒド酢酸設備内で生成されたメチル水銀化合物が工場廃水に含まれて排出され、水俣湾の魚介類を汚染し、その体内で濃縮されたメチル水銀化合物を保有する魚介類を地域住民が摂食することによって生じたものと認められる。水俣病患者の発生は昭和三五年を最後として、終息しているが、これは三二年に水俣湾産魚介類の摂食が禁止されたことや、工場廃水処理施設が昭和三五年一月以降整備されたことによるものと考えられる。なお、アセトアルデヒド酢酸設備の工程は本年より操業を停止した。」と政府公式見解を発表した。

(〈書証番号略〉)

七被告国による水質二法関係の対策

昭和三三年一二月二五日に公布され、昭和三四年一日に施行された水質二法に基づく不知火海の排水汚染対策の実施状況は以下のとおりである。

(〈書証番号略〉)

1 水質保全法に基づく対策の実施状況

(一) 調査基本計画の立案作業状況

昭和三四年度の調査水域として取り上げられたのは、石狩川、江戸川、渡良瀬川、木曽川、淀川、遠賀川の六つの水域であり、水俣湾水域は調査対象水域に取り上げられていなかった。

昭和三四年一一月二四日から二九日にかけて経済企画庁係官が現地を調査し、不知火海が来年度の指定水域となることは困難との談話を発表した。

昭和三五年二月三日から五日にかけて森水質調査課長らは水質調査(水質、ドベの分析、潮流調査)の準備のため、水俣地方の現地視察を行った。

同月一二日、水質審議会は不知火海南半部分海域を昭和三四年度の調査水域として追加指定した。

(二) 水俣湾及びその周辺海域の水質調査の実施状況

経済企画庁は、昭和三五年二月二五日から水俣市周辺海域の水質調査に着手した。

経済企画庁は、水俣湾内の海水の水質、海底泥土の調査をするに当たって、同年三月九日付けで水俣市周辺海域の水質及び海底泥土の分析を財団法人資源科学諸学会連盟資源科学研究所に委託し、同年六月一一日に熊本県鉱工課、国立工業試験場、国立衛生研究所及び国立水産試験場に依頼し、同年一一月に熊本県に依頼し、それぞれ調査分析を行わせた。

(三) 調査基本計画の公表

経済企画庁は、昭和三六年七月七日、「調査基本計画」(経済企画庁告示第三号)を公表した。同計画によると、調査対象水域を不知火海南半部分及び水俣川を含む全国一二一水域とし、不知火海南半部分海域及び水俣川の調査終了時期は昭和四六年三月三一日とするというものであった。

(四) 水俣における水質基準の設定及び指定水域の指定

経済企画庁長官菅野和太郎は、昭和四四年二月三日、指定水域として「水俣大橋(左熊本県水俣市八幡町三丁目三番地の二四号地先、右岸同市白浜町二一番地の二五号地先)から下流の水俣川、熊本県水俣市大字月浦字前田五四番地の一から同市大字浜字下外平四〇五一番地に至る陸岸の地先海域及びこれらに流入する公共用水域」を指定し、水質基準として、水銀電解法苛性ソーダ製造業又はアセチレン法塩化ビニールモノマー製造業の工場または事業場からの排水について「メチル水銀含有量が検出されないこと」とし、右にいうメチル水銀が検出されないこととは「昭和四三年七月二九日経済企画庁告示第七号に規定するガスクロマトグラフ法及び薄層クロマトグラフ分離ジチゾン比色法の両方法によってメチル水銀を検出した場合以外の場合をいうものとする。」とし、この水質基準の適用の日を「昭和四四年七月一日」とすると定め、告示した。

2 工場排水規制法に基づく対策の実施状況

内閣は、昭和三四年一二月二八日、政令第三八八号「工場排水等の規制に関する法律施行令」によってカーバイドを使用するアセチレン製造施設を特定施設と定め、主務大臣として通産大臣を指名した。

昭和四四年三月一三日、内閣は右政令の一部改正によって、特定施設に「塩化ビニールモノマー洗滌施設」を加えたが、アセトアルデヒド製造施設については特定施設として指定しなかった。

第四不知火海沿岸地域の水銀汚染状況

一不知火海沿岸地域住民の毛髪等水銀値

1 昭和三四年一二月から昭和三五年一月にかけて、喜田村教授ら熊大衛生学教室は、水俣病患者らを含む水俣地方の住民の毛髪(爪)中の水銀量調査を行った。その結果は別紙二(「毛髪(爪)中の水銀量」)のとおりである。それによると、水俣地区においては健康者であっても対照地区の健康者(最高7.49PPM、最低0.14PPM、平均2.28PPM)に比べて毛髪や爪中の水銀値が高いこと、水俣地区のかなりの者が一〇PPMを超える水銀を保有しており、中には一〇〇PPMを超える者も存することが認められ、この地域においては住民のほとんどが有機水銀の曝露を高度に受けていたことがうかがわれる。

(〈書証番号略〉)

2 熊本県衛生研究所の松島義一らは、昭和三五年一一月から昭和三六年三月にかけて行った不知火海沿岸地域(水俣市、津奈木町、湯浦町、葦北町、田浦町、御所浦村、竜ケ岳及び姫戸村)住民の毛髪水銀値を調査した(第一回調査)。第一回調査の検査結果は別紙三表一(「第1回・不知火海沿岸住民の毛髪中の水銀量地区別成績(熊本県、一九六〇年)」のとおりであり、喜田村らによる前記1の調査結果に比べて調査地区の一般健康者の水銀値は、一〇〇PPM以上の高濃度含有者の割合が減少しているが五〇ないし一〇〇PPMの値を示す者の割合が増加していること、田浦、湯浦及び葦北地区等水俣地区以外の一般健康者の水銀含有度が増加していることが認められる。このことからすると、水俣湾以北の不知火海沿岸地域住民も広く有機水銀の曝露を受けていたことがうかがわれる。

また、松島義一らは昭和三六年一〇月から昭和三七年三月にかけての同地域において第二、第三回目の毛髪水銀値調査を行った。各検査結果は別紙三表二(「第2回・毛髪中の水銀量地区別成績(熊本県、一九六一年)」)及び表三(「第3回・毛髪中の水銀量地区別成績(熊本県、一九六二年」)のとおりであって、五〇PPM以上一〇〇PPM未満という高値を示す者の全検査数に占める割合は第一回検査時の14.9パーセントから第二回検査時で6.2パーセント、第三回検査時で1.1パーセントと減少しているが、一〇ないし五〇PPMの値を示す者が第二回検診時では58.5パーセント、第三回検診時では26.4パーセント存しており、昭和三七年に至るもなお水俣湾以北の不知火海沿岸住民の有機水銀汚染は継続していたことがうかがえる。

(〈書証番号略〉)

3 入鹿山、藤木ら熊大医学部衛生学教室が昭和四三年に行った水俣市の住民二〇一人(患者五七名、漁業従事者六五名及び一般住民七九名)の毛髪中水銀濃度調査結果によれば、自宅療養患者の平均値は約10.6PPM(最高値64.9PPM、最低値1.5PPM)、漁業従事者の平均値約9.2PPM(最高値73.8PPM、最低値2.6PPM)、一般住民の平均値約8.1PPM(最高値16.1PPM、最低値2.6PPM)であった。なお、同教室による昭和四四年度の調査では漁業従事者の平均値5.5PPM(最高値18.3PPM、最低値1.2PPM)であり、昭和四五年度の調査では漁業従事者の平均値3.7PPM(最高値9.5PPM、最低値1.2PPM)と減少したことが認められる。

(〈書証番号略〉)

4 鹿児島県衛生研究所の坂田旭らは、昭和三五年五月から昭和三七年二月までの間、鹿児島県内の不知火海沿岸及びその周辺地区の住民の毛髪水銀値を調査した。その調査結果は別紙四(「毛髪中の水銀量地区別成績(鹿児島県、一九六二年)」)のとおりであるが、これによると出水市米ノ津地区、長島の東町地区、高尾野町及び阿久根市の各地区において五〇PPMを越える高い毛髪水銀量を示したものが認められ、同地区の住民も有機水銀の曝露を一般的に受けていたことがうかがわれる(〈書証番号略〉)。

二魚介類の含有水銀値

(〈書証番号略〉)

1 水俣湾及びその周辺海域における魚介類の含有水銀値

(一) 昭和三四年における水俣湾の魚介類の含有水銀値は、喜田村教授らの調査によるとヒバリガイモドキで一〇八PPM(乾重量当たり総水銀)、アサリで一七八PPM(乾重量当たり総水銀)、イシモチで一五PPM(湿重量当たり総水銀)であった。

(二) 昭和三五年から昭和四六年までの間の水俣湾及びその周辺海域の各種魚介類中の総水銀値の推移は、入鹿山教授ら熊大医学部衛生学教室の調査によると、別紙五表一(「水俣湾および水俣川河口の貝中水銀量」)及び表二(「水俣湾およびその周辺の魚類中水銀量」)のとおりである。

まず、貝の有機水銀汚染の状況をみるに、同湾沿岸である月ノ浦の緑海岸に固定生息するヒバリガイモドキ(イ貝)中の水銀濃度は、昭和三五年一月に八五PPM(乾燥重量当たり総水銀、以下同じ。)であったものが、昭和三八年一〇月ころには一二PPMに減少しているが、他方、同地区のアサリ貝中の水銀含有量は昭和四〇年までは三〇PPM前後、昭和四一年一〇月には八四PPMを示し、その後減少したもののチッソ水俣工場においてアセトアルデヒドの製造が中止される直前の昭和四三年三月まで一〇PPM以上(二〇PPM以上の値を示すことも少なくなかった。)の値を、また直後の同年六月及び七月においても八ないし九PPMの値を示しており、同年八月以降に至って漸く四PPM以下を示すようになったことが認められる。また、水俣川河口付近の大崎のアサリ貝については、昭和四三年六月までは五PPM前後を示すことが多く、同年七月以降になってようやく一PPM以下の値を示すようになってきた。なお、対照海域の魚介類中の総水銀濃度は0.03PPMであったことを考慮すると、水俣湾及びその周辺海域の有機水銀汚染はチッソ水俣工場におけるアセトアルデヒドの生産が中止されるまで続いていたものと考えられる。

次に、魚類においては総じて一〇PPM前後という高度の水銀の蓄積が認められ、それらにおいて一PPM以下にまで減少するに至るのは昭和四一年以降であった(昭和三六年三月は二〇ないし六〇PPM、昭和三八年一〇月はボラ約一〇PPM前後、昭和四〇年五月はボラを除いて六ないし三〇PPMと増加したが、昭和四一年以降は一PPM以下の値に減少している。)。

2 不知火海における水銀汚染の拡大状況

(一) 昭和三四年の喜田村教授らによる不知火海の魚介類中の水銀含有量の調査によると、北では樋島のタチウオに約4.8PPMの総水銀(湿重量当たり)が、南では鹿児島県櫓木のヒバリガイモドキに約10.1PPM(乾重量当たり)が認められた。

(二) 昭和四六年及び昭和四七年に藤木らが行った調査の結果は、別紙六(「各地区の魚貝類中水銀濃度の比較」)のとおりであるが、これによると水俣湾内外、水俣川河口、水俣沖タチウオ漁場、御所浦、倉岳、牛深の各海域では対照海域の魚介類と比較して高い水銀濃度を示したことが認められる。

三不知火海へのメチル水銀排出量

1 昭和七年から昭和四三年までの間にチッソ水俣工場でアセトアルデヒドの生産に伴って生成されたメチル水銀量は、喜田村教授らによると約14.6トンないし22.82トンであると推定されている。この生成されたメチル水銀のうち、どれだけの量が不知火海に排出されたかについて、藤木は、メチル水銀の生成量をアセトアルデヒド生産量の0.0035ないし0.005パーセント程度と仮定し、チッソ水俣工場でのアセトアルデヒド排水路の変遷に応じたメチル水銀の除去効果を推定しつつ、さらに、環境汚染の変遷と精ドレン排水の排出量との関係、特に魚介類中の水銀濃度、住民臍帯中のメチル水銀濃度の年次的変化と精ドレン排水の排水状況を対比させる等をして算出する試みを行った(〈書証番号略〉)。そこで、藤木の試算によりメチル水銀の排出量を推定すると以下のとおりとなる。

(一) 昭和七年から昭和二〇年までの間、アセトアルデヒド排水は特段の処理をされることなく、百間港に排出されていたのであるが、この間のメチル水銀の流出量は一六四七キログラムないし二五六〇キログラムとなる。

(二) 昭和二一年から昭和三三年八月までの間、アセトアルデヒド排水は専ら鉄屑槽を通過して百間港に排出されていたのであるが、鉄屑槽による除去率を二〇パーセントと仮定すると、この間の精ドレン排水中のメチル水銀排出量は一七一〇ないし二六六一キログラムとなる。

(三) 昭和三三年九月から昭和三四年一〇月までの間、アセトアルデヒド排水は八幡プールを経て八幡中央排水溝から水俣川河口へ排出されていたが、鉄屑槽の前記除去率に加えて、八幡プールでの除去率(沈殿率)を五〇パーセントと仮定すると、この間のメチル水銀排出量は三〇四ないし六一三キログラムとなる。

(四) 昭和三四年一〇月一九日に鉄屑槽と八幡プールの間に酢酸プールが完成したので、同日から同月二九日までの間、アセトアルデヒド排水は鉄屑槽から酢酸プール、八幡プールを経て水俣川河口に排出していた。同月三〇日からは、八幡プールから水俣川河口への排出を止め、同年一一月一九日までの間、八幡プールの上澄水をアセチレン発生装置へ逆送するようになった。同年一二月二〇日にサイクレーターが設置、運転されるようになったことに伴い、同日から昭和三五年一月二四日までの間は、アセトアルデヒド排水の一部をサイクレーターを通して百間港に排出するようになった。同月二五日から昭和三五年一月二〇日までの間は、アセトアルデヒド排水をサイクレーターに通すことを止め、八幡プールからアセチレン発生装置へ逆送するようになった。

藤木は、アセトアルデヒド排水がアセチレン発生装置へ逆送されていた昭和三四年一〇月三〇日から同年一二月一九日までの間、メチル水銀は工場外に排出されていなかったと推定し、サイクレーターを通して百間港に排出していた同年一二月のメチル水銀排出量は、サイクレーターでの除去率(沈殿率)は不明であるとしつつも、仮に被告チッソの報告にある五〇パーセントと仮定すると六ないし一一キログラムであると推定した。

(五) 昭和三五年一月二一日、被告チッソはアセトアルデヒド排水のアセチレン発生装置への逆送を止め、八幡プールを経た後、サイクレーターを通して百間港に排出するようになった。同月二五日から同年七月ころまでの間は、ほぼ、アセトアルデヒド排水は酢酸プール、排泥用ピット、アセチレン発生残渣水用八幡プールを経てサイクレーターを通して百間港に排出していた。

藤木は同年一月二一日から同年七月までのメチル水銀排出量を三二ないし四九キログラムであると推定した。

2 右のとおり、藤木によるメチル水銀の排出量の試算は、仮定的要素が多いとはいえ、少なくともメチル水銀排出量の下限は示し得る値であると考えられる。したがって、昭和七年から昭和三五年七月までの間、少なくとも右のとおりのメチル水銀は工場外に排出されたと認められる。

3 ところで、被告チッソが昭和三五年八月から昭和四一年六月までの間は精ドレン排水をアセトアルデヒド製造装置内で循環使用する方式(装置内循環方式)を完成させたので、事故時や定期解体等の場合を除いて右排水を工場外へ排出することはなくなったか、また、昭和四一年七月には工場排水の全てについて完全循環方式が採用されたことから、アセトアルデヒド排水を含む工場排水は一切工場外へ排出されることがなくなったかどうかについて判断する。

確かに、前示のとおり水俣地域の住民らの毛髪中水銀濃度及び同地域付近の魚介類中の水銀濃度の変化によると、昭和三五年以降は水銀値の値が前年までに比べて減少してきており、排出ないし流出するメチル水銀化合物の量は減少したとは考えられる。しかしながら、前記一及び二で認定したとおり、水俣地域の住民らの毛髪中水銀濃度及び同地域付近の貝類(特にアサリ貝)中の水銀濃度の推移によると、チッソ水俣工場でのアセトアルデヒド製造が中止される昭和四三年五月以前は、なおいずれの水銀値も比較的高い値を示しており、右製造中止後になってようやく概ね他の地域と比べても異常でない値をとるようになっているのである。水俣湾の地形や潮流の関係等から同湾内にメチル水銀化合物が長く滞留するという要素があるとはいうものの、アセトアルデヒド製造中止までの間ある程度の水銀含有値が維持され、他方、製造中止後は水銀値が目立って減少していることから判断して、昭和四三年五月までは、アセトアルデヒド排水が流出していたと考えざるを得ない。

そして、流出の経路としては、精ドレン排水が循環中に次第に汚れることは避けられず、発泡現象等を起こしかねないことを考えると、装置内循環方式採用直前のように、サイクレーターを経由して百間港へ排出されていた可能性が高いと考えられるが、また、水俣川河口側である大崎のアサリ貝の水銀値が昭和四三年六月まで三ないし九PPMで推移していたのに同年七月以降一PPM以下に急激に減少していることや、原告ら主張のような八幡プールの構造等から判断して、同プールに貯水されていたアセトアルデヒド排水が地下に浸透し、地下水と共に水俣川河口海域に流出した可能性も否定できない。

したがって、昭和三五年八月に装置内循環方式が採用された後も、具体的な流出経路の確定は別としても、アセトアルデヒドの製造が停止された昭和四三年五月まで、メチル水銀化合物を含むアセトアルデヒド排水が水俣湾及びその周辺海域へ流出していたものと認めるのが相当である。

第五水俣病の発生機序等

一水俣病の発生機序

1 メチル水銀の毒性の特色

(〈書証番号略〉、証人藤木素士の証言)

熊大研究班の研究を中心として、現在、水俣病の原因物質はアセトアルデヒド酢酸製造工程過程で副生されるメチル水銀化合物であることが判明した。

ところで、水銀及びその化合物は、その化学的性質によって分類すると、金属水銀、無機水銀化合物及び有機水銀化合物の三種類に分類できる。メチル水銀はエチル水銀、プロピル水銀等と同じく有機水銀化合物中のアルキル水銀として分類されるものである。水銀及びその化合物の毒性は、その分類に応じて以下のような特徴を有している。

(一) 金属水銀は経口毒性をほとんどみない。経気毒性としては、神経系統を侵し、神経症状、振戦等の症状が顕れる。しかし水銀から離れると回復する。

(二) 無機水銀化合物は、経口経気毒性として、歯齦炎、口内炎、嘔吐、腹痛、下痢等の症状がみられ、主として肝臓や腎臓に蓄積される。

(三) 有機水銀化合物の毒性は一様でなく、フェニル水銀化合物の毒性は、経口経気毒性として無機水銀化合物のそれとほとんど同じであるが、アルキル水銀化合物の中でもメチル水銀やエチル水銀は、脳血管関門機構を通過して脳内に侵入する。特にメチル水銀は神経細胞を障害して、感覚障害や運動失調などのいわゆるハンター・ラッセル症候を引き起こす。

2 水俣病の発生機序の特異性

(〈書証番号略〉)

(一) メチル水銀は化学的には水銀化合物であるが、毒物学的には水銀化合物とは言えない特異な性質をもっている。すなわち、メチル水銀は、腸管吸収がよく、分解排泄が起こりにくいため人体に蓄積しやすい。また、メチル水銀は、脂溶性であり、かつ、生体の蛋白SH基との結合力が極めて強く、その解離恒数Kは10-17と考えられ、両者は不可逆的に結合するため、いかなる希薄溶液からでも、水中生物は体表面を通じ又は鰓呼吸を通じてメチル水銀を体内に取り入れる。このため、直接の体内呼吸によるだけでもメチル水銀の蓄積吸収比は極めて大きいが、加えて水中生物には植物性プランクトン→動物性プランクトン→水生昆虫→食虫性昆虫→魚介類→食魚性魚類という食物連鎖のつながりがあり、それぞれメチル水銀を蓄積したものを順次餌として摂食するので、メチル水銀の著しい濃縮蓄積が起こる。魚介類は食物連鎖の最後に位置するのでメチル水銀の濃縮比は最も大きく、一〇ないし二〇PPMのメチル水銀を含有し、水俣病の原因食品となった有毒魚介類では汚染水域中のメチル水銀濃度に比し数万ないしは一〇万倍の濃縮を来していたと推定される。

(二) メチル水銀の特異毒性として、メチル水銀が徐々に体内蓄積を来した場合、障害を被るのは高等動物の神経系に限られるという事実である。水俣病患者が水俣湾内で漁獲された新鮮で活きの良い魚介類を摂食して同病に罹患したという事実は、メチル水銀を高濃度に蓄積した水中生物にメチル水銀が障害を及ぼさなかったことの証左である。原形質毒、細胞毒と呼ばれ全ての生物に同じ毒性をもつ無機重金属塩であれば、人間が食べて障害を来すほどの蓄積が起こるまでに魚介類自体が死滅し、食物連鎖が途中で切れることは明白である。メチル水銀は超希薄濃度に汚染された有毒有害物質が魚介類に高度に濃縮する可能性をもつ現在知られている唯一の有毒物質である。

(三) しかし、メチル水銀といえども、汚染水域においてある程度以上の希薄濃度が維持されていない限り、いかに食物連鎖を経るとはいえども魚介類の有毒化にはつながらず、絶えず流下する河川又は希釈の著しい海域にあっては魚介類が有毒化する時間もない。他方、高濃度のメチル水銀汚染があれば魚介類は極めて短時間でも有毒化するかといえばそうでもなく、水域のメチル水銀濃度は0.1PPMオーダーにも達したならば魚介類はたちまち死滅してメチル水銀の蓄積が起こらない。すなわち、一過性の汚染では魚介類に毒物の蓄積は起こり得ず、必ず長期継続の汚染があり、かつ、汚染水域に超希薄濃度が保たれてこそ魚介類へメチル水銀の蓄積が起こり得る。チッソ水俣工場では古くからアセトアルデヒドの生産を行っていたにもかかわらず、ある時期になって水俣病患者が発生した理由はそこにある。

二自然界における無機水銀のメチル水銀化について

1 チッソ水俣工場においては、アセトアルデヒド酢酸製造工程及び塩化ビニールモノマー製造工程において無機水銀を触媒として使用し、その無機水銀が工場排水として水俣湾等に多年にわたって流出しており、昭和三五年を過ぎても水俣湾底の泥土中には多量の無機水銀が堆積している(〈書証番号略〉)。

原告らは海底泥土中の水銀化合物の除去の不作為についての被告国及び県の責任を主張しているので、このような無機水銀自体が有機化して水俣病の原因物質となり得るかについて検討する。

2 喜田村教授らによると、水俣湾及び水俣川河口付近の海底泥土中の水銀は、その分析結果からして、硫化水銀や酸化水銀という無機水銀の形で存在するものと認められた。それらの昭和三四年当時の堆積状況は別紙七(「水俣湾内泥土中水銀量」)のとおりであって、水俣工場排水の排水溝付近では水銀値が二〇一〇PPMと異常に高い値を示しており、周辺に至るに従って急激に減少していることが認められる。

ところで、喜田村教授らの調査によると、水俣川河口付近では海底泥土中の水銀量が少ないにもかかわらず、同所で採取したアサリには水俣湾内のヒバリガイモドキに劣らぬ多量の有機水銀を含有し、毒性が強烈であったこと、水俣湾内に固定生息するヒバリガイモドキの採取場所ごとの水銀含有量は海底泥土中の水銀量の分布とは一致しないでむしろ潮汐による湾内の海流の動きに一致すること等が認められている(〈書証番号略〉)。

他方、自然環境下で無機水銀が光化学反応や微生物の作用によって有機水銀化するという研究結果が報告されているが、微生物による有機水銀化の研究には否定的研究も多く、また、光化学反応による有機水銀化についても、海水中ではそれを抑制又は分解する因子も多いこと、特に水俣湾泥土の場合は有機水銀化しても泥土層にメチル水銀を吸収する性質があることが判明していること等から、自然環境下で無機水銀が有機化するとしても極めて微量であって、水俣病の原因物質としてアセトアルデヒド排水の場合と同様に考えることはできない(〈書証番号略〉)。

以上のとおり、海底泥土中の無機水銀の堆積状況と魚介類の有毒な水銀化合物による汚染の程度は一致しないこと、無機水銀が自然環境下で有機水銀に変化して水俣病の原因物質となりうることは一般に承認された学問的知見とは認め難いことからすると、原告らの右主張を採用することはできない。

三塩化ビニールモノマー製造工程におけるメチル水銀化合物の副生について

塩化ビニールモノマー製造工程では、塩化第二水銀(昇汞)を触媒とし、アセチレンガスと塩化水素ガスとを反応させて塩化ビニールモノマーを生成する。塩化ビニールモノマー製造工程で生じる排水(塩化ビニールモノマー排水)も、残存する塩化水素ガスを洗い流した排水であり、微量の触媒としての無機水銀を含むものであるが、アセトアルデヒド製造工程の場合のように右製造工程中でメチル水銀化合物が副生されることを認めるに足りる証拠はなく、むしろ否定的に解するのが相当である。

(〈書証番号略〉)

したがって、塩化ビニールモノマー排水中の水銀は無機水銀であって水俣病発生とは関係ないというべきである。

第二章被告国及び県の責任について

第一国家賠償法一条一項に基づく責任について

国家賠償法一条一項は、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が、個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を与えたときに、国又は公共団体がこれを賠償する責任を負うことを規定するものであり(最高裁昭和六〇年一一月二一日第一小法廷判決民集三九巻七号一五一二頁)、同条同項にいう違法とは、公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背することである。そして、公務員の規制権限の不行使という不作為が個別の国民に対する関係で違法であると評価するには、国又は公共団体の公務員に対し当該国民の法益を保護するに十分にして有効かつ適切な規制権限が予め法律により与えられていること、当該規制権限発動のための要件が充足されていること、当該規制権限の行使に当たる国又は公共団体の担当公務員において、損害賠償を求める個々の国民に対する関係で右規制権限を行使すべき個別具体的な職務上の法的義務(作為義務)があり、右作為義務に違反したと観念できることが必要である。

そこで、以下、原告らが主張する被告国及び県の規制措置の懈怠について、被告国及び県の公務員が、当時の法律に基づいていかなる規制権限を有し、それを行使すべき職務上の作為義務が発生していたかについて、順に検討する。

一魚介類の漁獲、販売、摂食等に関する規制権限の不行使について

1 食品衛生法(昭和四七年六月法律第一〇八号による改正前のもの。以下本項において単に「法」ともいう。)

(一) 原告らは、昭和二九年八月ころまでには、水俣湾及びその周辺海域に生息し又は回遊する魚介類は法四条二号又は四号に該当していたとして、同月ころ又は遅くとも昭和三二年九月ころまでには被告国及び県において水俣湾及びその周辺海域に生息し又は回遊する魚介類が法四条二号又は四号に該当することを調査し、速やかにその旨を告示して住民らに周知させ、また、危害の発生を防止するために採捕、販売等の行為を禁止すべき作為義務が発生していた。また、昭和三四年一一月ころまでには、不知火海全域の魚介類が法四条二号又は四号に該当していたとして、同月ころには同じく不知火海全域の魚介類についてその旨告示して危険の周知徹底を図り、採捕、販売等を禁止すべき作為義務が発生していたと主張している。

(二) 食品衛生法の目的及び構造

食品衛生法は、制定後数次の改正を経ているが、その目的とするところは、「飲食に起因する衛生上の危害の発生を防止し、公衆衛生の向上及び増進に寄与すること」(一条)にある。

同法は、この目的達成のために、四条において有毒食品等の販売等の禁止を定め、食品衛生行政を全うさせるために一七条(報告、臨検、検査、試験用の収去)、二二条(廃棄、除去命令、営業許可の取消、営業の停止等)などの規制権限を厚生大臣及び都道府県知事に付与してその規制権限の適正な行使を通じ、また、三〇条において四条違反の行為に対する罰則を定めることにより、食品に関する公衆衛生の安全を確保するという体系をとっている。

すなわち、食品衛生法は、本来営業の自由に属する食品の製造、販売等に対し、食品の安全性という見地から必要最低限度の取締りを行うことを目的とする消極的な警察取締法規にすぎないものであり(最高裁昭和三五年三月一八日第二小法廷判決民集一四巻四号四八三頁)、食品の安全性の確保については、第一次的には食品を販売又は販売目的で採取等をしようとする者の自主管理(日常点検、定期点検)に委ね、法四条に違反する行為があった場合には、法三〇条の罰則の適用があるほか、業として食品を製造、販売等する者(以下「食品取扱業者」という。)に対しては二二条に基づく行政処分が行われるなど、行政庁の規制は、補完的、二次的な立場で行われることになっているのである。そして、食品の危険性の判断に当たっては、実体的かつ客観的に危険性が認められることが必要であり、一律にかつ裁量的に厚生大臣又は都道府県知事においてそれを認定する権限を付与したものでもない。

(三) 原告らの主張する告示周知徹底義務の有無について

(1) 原告らは、行政機関の規制権限について食品衛生法一七条及び二二条所定の各規制権限のほか、同法四条及び同法全体の趣旨を根拠に、被告国及び県には食品の有毒性等についての告示及び周知徹底権限が存し、その不行使を問題としているので、まず、右主張にかかる規制権限がそもそも存在するか否かについて検討する。

(2) 原告らは、食品衛生法四条及び同法全体の趣旨を根拠に、被告国及び県には、水俣湾及びその周辺海域に生息し又は回遊する魚介類並びに不知火海全域の魚介類が同法四条二号又は四号に該当し、その採捕、販売等が禁止されている旨を関係住民に告示し、周知徹底させるべき義務があったと主張している。そして、原告らは、同法四条が行政機関に特定食品をして危険食品であるか認定する権限を付与しており、右機関は右認定にしたがって特定食品の採捕及び流通の許認可処分をなし得るとし、右許認可という行政処分を行うに当たっては、予め右行政処分の結果の告示をなすことが当然法によって認められているとの解釈論を展開している。

しかしながら、法四条は、前示(二)のとおり有毒食品の販売、販売目的の採取等をしようとする者に対し不作為義務を実体的に課した規定であって、厚生大臣及び都道府県知事に行政処分としての危険性の認定権限を付与したものではないし、その認定に基づく食品の流通の規制権限を付与したものでもない。また、他に行政機関においてある食品が同法四条に該当する旨を告示する権限を定めた規定は存在せず、そのような義務を課している規定も存在しない。

この点、確かに、危険食品が存する場合、行政機関とすればその旨を告示する等の行為を行うことは、広く公衆衛生の安全を図る上で望ましい措置である。そして、現に昭和三二年三月ころから被告熊本県において検討されていた告示というのもまさにこのような性格を持つものであり、漁民らに水俣湾産の魚介類の有毒性を認識させて、その捕獲、販売等を自粛させる効果を期待したものであった。しかし、これはあくまで事実上の抑止的効果をねらったものであり、法的意味における行政処分には該当せず、むしろ一種の行政指導の性格を持つものというべきである。

(3) したがって、被告国及び県において行政処分としての告示及び周知徹底を行う権限はなく、その作為義務違反という問題も生じる余地はないから、原告らの主張は失当である。なお、これらの行為については後述する行政指導の懈怠の違法性の判断の項でも検討する。

(四) 本件における規制権限行使の要件の充足について

(1) 被告国及び県の各規制権限は、いずれも当該食品が法四条各号に該当することを前提としてその発動が許されるものである。そこで、まず、水俣湾及びその周辺海域に生息し又は回遊する魚介類若しくは不知火海全域の魚介類について、当時、法四条二号又は四号に該当していたかについて検討する。

(2) 同法四条は、行政機関による規制権限発動の実体的要件を定めた規定となるものであることから、同条各号の該当性の判断は厳格に行うことを要するのは当然である。したがって、同条二号にあっては、「有毒な、又は有害な物質が含まれ、又は附着しているもの」(以下「有毒食品」という。)というのがその要件であり、後に同法の改正によって、同条同号は「又はこれらの疑いがあるもの」との要件が新たに付加されるのであるが(昭和四七年の改正による。)、改正前の同条項の解釈としては単に疑いがもたれる程度ではこれに該当しないといわなければならない。

ところで、ある食品が法四条二号に該当するか否かの判断は、本来有毒有害物質を科学的に分析定量して行うのが望ましいが、原因物質が科学的に全て解明されていなくとも、危害の発生が一般に予見され、その時点における科学的知見、経験的知見及び状況的証拠に照して、当該食品に有毒有害物質が含まれ、又は付着していると認められるならば、当該食品は法四条二号に該当すると解すべきである。

そして、食品取扱業者に対して本法所定の規制権限を発動するに際しては、有毒有害であると認められた食品がこれらと社会通念上共通する特定の範囲の食品のうちの大部分を占めるため、当該特定範囲の食品全体について一般的に有毒有害であると認められるならば、右範囲に含まれる全ての食品が同条同号にいう有毒食品に該当すると解すべきであって、食品取扱業者らが現に扱う具体的な食品自体の有毒有害性が個々に認められなくとも、当該食品が右範囲に含まれるならば、同条同号に該当するものとして食品衛生法上の各規制権限を発動し得るもとの解するのが相当である。

なぜならば、食品衛生法が、食品衛生を確保するために行政的な各種規制権限を認めている趣旨は、流通食品による公衆衛生上の危害は一度発生すれば不特定多数の国民の生命及び健康上に回復し難い危害をもたらしかねないことから、危険と思料される食品の流通を未然に予防することを求めるからに他ならないところ、厳密には一部に有毒有害でない食品が含まれている可能性がある場合でも、特定の範囲の食品全体について有毒有害性が認められ、かつ、当該有毒食品の流通により公衆衛生上甚大な危害をもたらす可能性が高く、その危害の防止のためには特定の範囲の食品全体の流通を規制することが不可欠である場合には、そのような形による規制が認められてしかるべきであると考えられるからである。

また、食品衛生法に関する他の行政実例をみるに、①東京都下において昭和二八年四月ころ、太平洋又はインド洋の熱帯及び亜熱帯海岸に生息していて南方漁業の延繩漁で容易に捕獲される毒カマス(俗称「沖カマス」)を摂食した者において中毒症状が発症した際、当時、毒カマスにおいてはアルカロイド系の自然毒を有するものと考えられていたものの、毒物本体を解明するには至っておらず、また、毒カマスの有毒性については個体差があること、時季によって有毒性の有無に変化があることも知られていたのであるが、東京都は、都下で販売されている毒カマスを法四条二号に該当するとして、その加工及び販売の一切を禁止し、厚生省においても同省環境衛生部長名で各都道府県衛生部長に宛てて、毒カマスの販売その他についての十分な処置を求める旨の通達を行ったこと(〈書証番号略〉)、②岩手県衛生部長が、小麦粉一三九八袋中の一一袋から不良小麦粉が混入していることが判明したとして右全袋の小麦の処置について厚生省に照会したところ、昭和二六年二月一二日付けで同省食品衛生課長はそれに対し、原則として全袋を不良品と判定し、学者の判断で良品というものについては必要に応じて個々の袋の再検査を行い、良否を判定すべきである旨の回答を行ったこと(〈書証番号略〉)等の先例に鑑みると、規制対象とすべき食品の全てに有毒有害性が証明されなくとも法四条二号に該当すると判断していることが認められる。

(3) 本件魚介類の該当性について

第一章で認定したとおり、昭和三二年二月、熊大研究班はその第二回研究報告会において水俣湾産の魚介類の有毒性はほぼ確定的であろうから同湾産の漁獲を禁止する必要があると唱えたこと、同年六月、伊藤所長の猫実験の結果、水俣湾内で漁獲された魚介類を摂食することで水俣病が発症することが実証されたこと、同年七月一二日、厚生科学研究班は、第一回研究報告会において、水俣病は感染症ではなく水俣湾内で何らかの化学毒物によって汚染された魚介類を多量に摂食することによって発症する中毒症であると結論付けたこと、同月二四日、県水対連は水俣湾産の魚介類を法四条二号に規定する「有毒、又は有害な物質が含まれ、又は付着するもの」と看做す必要があり、その旨を告示すべきであるとの方針を決定したこと、同年八月、被告熊本県は厚生省に対し、水俣湾内に生息する魚介類をして法四条二号に該当するとして同法による規制を行うことの是非についての照会を行った事実に徴するならば、昭和三二年九月当時において水俣湾産の魚介類の有毒性が相当程度疑われていたことは認められるものの、なおその原因物質についてようやく諸説が出され始めた時期であり、発生原因については有力な手掛かりすら得られていなかったのであるから、水俣湾で捕獲される魚介類全体について一般的に有毒有害であるとまで認めることはできなかったといわなければならない。昭和三二年九月一一日、厚生省公衆衛生局長が被告熊本県の照会に答えて「水俣湾内特定地域の魚介類すべてが有毒化しているという明らかな根拠が認められない」ことを理由として同湾内で漁獲された魚介類についての法四条二号の該当性判断が困難である旨の回答をしているが、右当時においてこのような判断をしたことはやむを得なかったと考えられる。

しかしながら、その後水俣病に関する調査、研究が進み、昭和三四年一一月一二日には厚生省食品衛生調査会が厚生大臣あてに水俣病の原因物質についてある種の有機水銀化合物である旨の答申を行ったことに加え、水俣湾周辺において有機水銀化合物を排出し得ると考えられる施設はチッソ水俣工場のみであり、同工場がアセトアルデヒド排水の排水口を水俣川河口に変更して以後不知火海沿岸地域において新たな患者の発生をみるようになったことから、原因物質の排出源としてはチッソ水俣工場が強く疑われるようになっていたこと等の事情に徴すると、遅くとも昭和三四年一一月末ころまでには、水俣湾内で漁獲された魚介類については、その大部分が有毒有害なものであり、したがって、その全体について一般的に有毒有害であると認識できるような状況であったというべきであり、食品衛生法四条二号にいう有毒食品に該当しており、被告国及び県においても、右事実を認識することができたものとみられる。

(4) このような解釈については、規制の対象とすべき範囲の特定が問題となるが、確かに水俣湾を超えてその周辺海域における魚介類をして有毒食品に該当すると判断するには、なお周辺海域の境を確定するについての技術的困難さはもちろん、周辺海域の魚介類の有毒性を推認させる科学的知見及び経験的知見とも不十分な点が多かったといわなければならないけれども、水俣湾内に滞留しそこで漁獲された魚介類については、固定定着性のものに限らず回遊性のもの(鰯類)も水俣病を発症させる危険性を有することが、前示伊藤所長の猫実験及び熊大喜田村教授らの疫学的調査結果等から相当程度に認められていたことからすると魚種を特段特定しなければ過剰な規制となるとはいい難いし、また、「水俣湾」の範囲については、水俣地方の住民らにおいて一般に明神崎、恋路島、茂道岬を結ぶ線から沿岸側の海域と考えられており(〈書証番号略〉)、また、右範囲の海域においては港湾の地形、潮流等の影響から、その外側の海域の環境とある程度異なる閉鎖的環境が形成されていること(〈書証番号略〉)、この範囲は想定危険海域として漁獲自粛の申合せ及び行政指導がなされていたことからすると、範囲を特定することは技術的に可能であったというべきである。これらのことからすると、水俣湾内の魚介類を対象にして食品衛生法の規制を行うならば、過剰な規制となるとは考えられない。

(5) 次に、昭和三四年一一月ころにおいて、不知火海全域で漁獲される魚介類について食品衛生法四条二号に該当したかについて検討するに、昭和三三年九月、被告チッソにおいてアセトアルデヒド排水の排出先を百間港から水俣川河口付近へと変更し、その後、不知火海沿岸において猫水俣病をはじめ人水俣病の発症もみられたが、不知火海全域は水俣湾とは比較できないほど広大であり、不知火海全域から漁獲される魚介類全体をして有毒であると認めることはできず、また、不知火海の特定海域を区切ってそのような判断をするに足りる証拠も不十分であるといわなければならないから、この点は否定的に判断せざるを得ない。また、同法同条四号についても、その該当性を判断するに足りる証拠はない。

(五) そこで進んで、本法所定の規制権限、すなわち、報告、検査等(一七条)及び廃棄、除去、営業停止等(二二条)の規制権限の不行使が違法となるかについて検討する。

(1) 一般な作為義務の有無

食品衛生法は、直接的には公衆衛生の安全確保を目的としているが、食品を飲食するのは抽象的な「国民」ではなく、個々の具体的な国民であるから、同法は、個々の国民の生命及び健康の安全確保に欠かすことのできない食品の衛生及び安全な供給の確保を目的としていると解される。殊に、食品の安全性を確保することは、人間の生存の基礎をなすものであるから、食品衛生法は、厚生大臣らに公衆衛生確保のための右権限を付与したにとどまらず、付与された権限を適切に行使して食品による個々の国民の生命及び健康の安全の確保を図るべき職務上の義務を負わせた法規であるというべきである。

(2) 本件における具体的作為義務の存否について

ア 本件において、各規制権限の不行使が違法であるというには、本件各事実関係の下において、具体的な作為義務が発生していることが認められなければならないが、被告国及び県の担当公務員の具体的作為義務を肯定するには、当該権限根拠規定の趣旨、目的、性格を踏まえた上で、危害の重大性及び切迫性、結果回避可能性(当該規制権限の行使と原告らの損害発生防止との因果関係、効果等)、規制される側の不利益、他にとり得る手段の有無等要件が充足された時期における諸般の事情を総合的に検討する必要がある。

イ まず、法一七条に基づく規制権限は、食品取扱業者等において法で定められた基準、命令が遵守されているかどうかを監視し、法四条各号違反等の事実を確定するための調査等を行う権限であるところ、前示(四)のとおり、昭和三二年九月当時においては、水俣湾内で捕獲された魚介類を全体として法四条二号にいう有毒食品に該当すると判断できる状況ではなく、その後熊大研究班、厚生科学研究班の精力的な研究等の結果ようやく昭和三四年一一月末ころに右要件該当性の判断が可能になったのであるから、昭和三二年九月当時は、厚生大臣らにおいて、法一七条の権限を行使し、魚介類を検査する等したとしても、法四条各号違反の事実を確定することはできなかったといわなければならない。したがって、昭和三二年九月当時において厚生大臣らに法一七条の規制権限を行使すべき作為義務が生じたとは認められない。

また、付言すると、昭和三四年一一月末ころには、前示(四)のとおり、法四条二号の要件に該当していたと認められるから、もはや法一七条による調査義務違反の問題は生じない。

ウ 次に、法二二条の趣旨、目的及び昭和三四年一一月末当時における諸般の事情を検討するに、以下の点を指摘することができる。

a 法二二条に定める行政規制の対象となる食品取扱業者とは、不特定多数に対して流通する食品について、その流通過程(採捕から小売り販売まで)にかかわる「営業者」をいい(法二条七項本文、八項)、自ら摂食するために漁獲、採捕する農業漁業従事者を含まない(法二条七項但書)。

本件における原告らは、水俣湾内で捕獲された魚介類を鮮魚商等から購入して摂食したことによって水俣病に罹患した可能性のある者は少なく、専ら自ら又は家族若しくは近隣の者において水俣湾内から捕獲した魚介類を摂食すること(いわゆる自家摂食)によって罹患した可能性がある者である。そうすると、原告らの採捕行為を法二二条の各規制権限によって規制できなかったことはもちろん、右各規制権限によって水俣湾及びその周辺地域の鮮魚商等の販売行為等を規制しても、本件原告らの水俣病罹患を防止することに直接効果があったと認めることはできない。

原告らは、漁民らも頒布目的で魚介類を採取しているのであるから、漁民らに対する関係でも、被告国及び県は漁民らの採取、頒布等の行為を規制すべき作為義務があったと主張しているけれども、法二二条は前示のとおり営業者に対する規制の規定であり、他に具体的な行政処分の根拠規定はない。原告らの主張からは法四条を根拠と考えていると推測されるが、前示のとおり、同条は国民に対する一般的な禁止規定であり、かつ、法二二条等の規制権限発動等の要件を定めた規定であって、同条自体により何らかの行政規制を行い得る権限が付与された根拠規定となるものではない。原告らの主張は、国民一般に対する不作為義務(禁止)の問題と行政機関に対する権限付与及び作為義務の問題とを混同したものといわなければならず、採用できない。

b また、第一章で判示したとおり、昭和三一年一一月の熊大研究班第一回研究報告会で入鹿山教授らから水俣病の病原物質が水俣湾産の魚介類によって媒介されている可能性があるとの研究報告なされて以来、水俣保健所の伊藤所長らによって同湾産の魚介類の漁獲の自粛指導が行われていたこと、昭和三二年二月以降、水俣漁協は水俣湾内での漁獲の自粛を行っていたこと、同年三月には県水対連が設置され、水俣漁協の協力の下、同会が中心となって水俣湾及び周辺海域に想定危険海域を設け漁獲の自粛を指導してきたこと、同年四月には熊本県葦北事務所所長は葦北郡の各漁協長に対し危険区域での操業を自粛するよう指導していたこと、同年五月ころからは操業自粛の実効を高めるため、熊本県水産課において密漁監視船を水俣湾に派遣していたこと、これらの漁獲自粛は相当な程度に効果を上げていたことが認められ、さらに、昭和三四年七月には水俣市鮮魚小売商組合の不買決議が実施されるなど特に流通過程における自粛はかなり進んでいたものである。

エ 結論

以上のとおり、食品衛生法二二条の各種規制はそもそも営業者における有毒食品の販売等の流通過程の規制であること、本件原告らは専らいわゆる自家摂食による水俣病罹患を主張しているものであること、昭和三四年一一月末当時水俣湾産の魚介類の流通はすでにかなり自粛されていたことなど諸般の事情を総合して考慮すると、現在客観的に判断するならば、水俣湾内で捕獲された魚介類は法四条二号に該当していたということができるものの、昭和三四年一一月末当時、被告国及び県において、本件原告らとの関係で食品衛生法二二条の各規制権限を行使すべき作為義務が発生していたと認めることはできない。

昭和三二年三月ころから、被告熊本県において食品衛生法の適用が検討されていたが、その内容は、水俣湾産の魚介類が有毒食品であるから採取、販売等を禁止する旨の告示を行うというものであった。そして、これは、法四条二号との関係での県の解釈を示し水俣湾産の魚介類の捕獲、販売等を自粛させる事実上の効果をねらったものであり、法的意味における行政処分には該当しないのであって、要件該当性に関する解釈の誤りが即作為義務違反につながるものではない。

(六) 以上の次第であって、昭和三二年九月ころ及び昭和三四年一一月末ころにおいても、食品衛生法上の各種規制権限を発動すべき具体的作為義務が発生していたとは認められないから、被告国及び県が、当時食品衛生法上の各種規制権限を発動しなかったことをもって、原告らに対する損害賠償責任を基礎付ける違法があったと認めることはできない。

2 漁業法(昭和三七年法律第一五六号による改正前のもの。以下本項において単に「法」ともいう。)三九条一項及び熊本県漁業調整規則(昭和二六年熊本県規則第三一号。以下本項において単に「調整規則」ともいう。)三〇条

(一) 原告らは、水俣病被害の発生拡大を防止するために、昭和三二年九月ころまでには水俣湾及びその周辺海域において、また、昭和三四年一一月ころまでには不知火海全域において漁業法三九条一項及び熊本県漁業調整規則三〇条による漁獲規制を行うべきであったという。

(二) 本件における規制権限行使の要件の充足について

(1) まず、漁業法三九条一項によって、都道府県知事が漁業権の規制を行うには、「漁業調整、船舶の航行、てい泊、けい留、水底電線の敷設その他公益上必要があると認められる」ことが必要である。ところで、漁業法は漁業生産力の発展及び漁業の民主化という公益を保護することを目的とするものであり(同法一条)、特に同法三九条一項による漁業権の規制は零細漁民の生活を守り、漁業の民主的発展を図ることを主眼とするものである。したがって、同条同項にいう「その他公益上必要があると認められるとき」とは、物権的排他性を有する漁業権を保護することによって侵害される公共の利益であって、しかも、その利益の実現のために水面の利用が不可欠であり、その水面の利用が漁業権の有する物権的排他性により実現できないことが不都合であるような公共の利益をいうものと解すべきである。この点、同条をして有毒有害魚介類からそれを摂食する虞のある個人を守るために漁業権の規制を行わせることは、法の予定しないところといわなければならない。そうすると、本件の場合、原告らが主張する理由だけでは本条による規制権限を発動する要件を欠いているというべきである。

(2) また、熊本県漁業調整規則三〇条一項は、「漁業調整その他公益上必要があると認めるとき」には知事による許可漁業の規制を行い得る旨規定しているが、調整規則は、漁業法六五条及び水産資源保護法四条一項に基づいて制定された規則であって、その目的とするところは水産資源の保護培養、すなわち、漁業生産力を将来にわたって持続的に維持拡大していくための資源として水産動植物の繁殖保護を図ることにあるから、同規則三〇条一項にいう「その他公益上必要があると認めるとき」とは、乱獲等、許可漁業によって水産資源の枯渇が懸念される事態を想定するものであって、有毒魚介類から個人の生命及び健康の安全を守るために許可漁業の規制を認める趣旨ではない。したがって、本件の場合、原告らが主張する理由だけでは本条による規制権限を発動する要件を欠いているといわなければならない。

(3) ところで、原告らの各供述及び喜田村教授らの実態調査によると、原告らの摂食にかかる魚介類は専ら右規制の対象外である自由漁業(一本釣り、延繩漁)によって採取されていたことが認められるから、昭和三二年九月当時、水俣湾及びその周辺海域における漁業法三九条による共同漁業権の規制を行ったとしても、原告らの水俣病罹患を防止するについていか程の効果があったか疑わしいこと、漁民らの漁業権の規制を行うことは漁民らの生活の途を奪うことにつながり、その補償の問題を解決することなく漁業権の規制のみ行うことには相当の問題があったこと、前示のとおり、昭和三二年九月当時すでに水俣湾及びその周辺海域で漁獲される魚介類については相当程度漁獲自粛の効果が上っていたこと、また、昭和三四年一一月ころにおいて、不知火海全域の魚介類が有毒であるとまでする根拠は乏しかったことなどを考えると、被告国及び県において、水俣湾又は不知火海全域において漁業権の規制を行うべき作為義務が発生したと認めることは困難である。

3 行政指導の懈怠

(一) 原告らは、公衆衛生の改善及び確保すべき任務を有する厚生省は、昭和三二年九月ころには水俣湾及びその周辺海域で、さらに昭和三四年一一月ころには不知火海全域及び沿岸地域において漁獲禁止並びに摂食及び販売等の禁止の行政指導を実効的に行うべきであったと主張する。また、原告らが主張する水俣湾及びその周辺海域で漁獲される魚介類が有毒化しているかを調査解明すべき義務並びに右魚介類が危険である旨を告示し周知徹底させるべき被告国及び県の義務については、前述のとおり行政指導として位置付けるものであるからここで検討することとする。

(二) まず、行政指導とは、おおむね行政機関が一定の行政目的を実現するために行政客体に働き掛け、相手方の同意又は任意の協力を得て、その意図するところを実現しようとする事実行為である。行政指導は、①個別法令の根拠に基づくもの、②行政機関の権限に基づくもの(許認可、改善命令等)、③個別法令の根拠に基づかないものに分類される。個別法令の根拠に基づかない行政指導は、各省庁の設置法等のいわゆる組織規範に基づいて認められるものである。

本件の場合、原告らの主張する行政行為はいずれも個別法令の根拠に基づかないものであって、厚生省組織規範に根拠を有するものである。

ところで、法令に基づかない行政指導の場合、行政指導を行う主体、客体はもとより、指導内容及び方法等については、全く規定がなく、すべて行政機関の公益的見地に立った政治的、技術的裁量に委ねられているものである。すなわち、行政指導の実施主体、実施時期、実施内容、実施方法等全てにおいて法律の要件から自由であり、全ての判断は行政庁の自由な裁量に委ねざるを得ないものである。したがって、所轄官庁において行政指導を行うことが法的義務化することは原則としてないというべきである。

しかしながら、行政指導は、時々変化する現実社会に対して行政を臨機応変に対応させる手段となり得ることや事実上の権力的処分に準ずる効果が期待できること等から、硬直化する法令によって救済できない新しい問題、とりわけ新しい人権侵害の発生に対処しうる手段として広く国民から期待されているものでもある。したがって、①国民の生命・身体・健康に対する差し迫った重大な危険が発生していて、②既存の法令では適切に対処できず、かつ、新たな立法措置を待つ時間的余裕がなく、③所掌行政庁が緊急事態を認識し又は認識し得る場合で、④右事態に対処するに当たって行うべき行政指導の内容が明白で、そのような行政指導を国民が期待しており、⑤さらに行政指導に対する相手方関係者の任意の受容が期待できる事態においては、行政指導といえども担当行政機関においてその行使が法的に義務化するというべきである。

(三) まず、本件において漁獲、販売、摂食等の禁止について被告国及び県において行政指導をすべき作為義務が発生していたかについて検討する。

この点、第一章で認定したとおり、①昭和二九年六月ころの茂道部落での猫狂死事件や昭和三一年五月一日の水俣病急性劇症性患者の発生等の異常事態が起る等、同年ころまでには水俣湾沿岸住民の生命等への差し迫った重大な危険が発生していた。昭和三二年の熊大研究班の研究報告や伊藤所長の猫実験等から被告国及び県において水俣湾産の魚介類の摂食によってある種の中毒症が発症することは認識し得た。②右奇病は専ら水俣湾沿岸住民が自家摂食するために採捕した水俣湾及びその周辺海域に生息し又は回遊する魚介類の摂食によってもたらされたものであったが、そのような採捕及び摂食等を規制するについて食品衛生法や漁業法等既存の法令では右魚介類の漁獲又は摂食等を禁止するに適切有効に対処できず、また、水俣病の患者が続発する状況の下では当時右事態に対応する新たな立法的措置の定立を待つ余裕がなかった。③厚生大臣及び熊本県知事は、飲食に起因する衛生上の危害発生を防止することを所管事項としていたから、水俣湾産の魚介類の摂食による危害発生を防止するための行政指導をすべき責務を負っていたし、そのために少なくとも水俣湾内で漁獲される魚介類の全面的漁獲採捕の禁止、同湾産魚介類の摂食の禁止という内容の行政指導をすべきことが理解され、伊藤所長、熊大研究班員らをはじめ、沿岸漁民住民らからもその旨要望されていた。④漁民らにおいても事は自身の生命及び健康にかかわるものであったことから漁獲禁止等の行政指導を受け入れることは容易に期待できた。これらの事実からすると、遅くとも昭和三二年九月ころには右行政指導をすべき具体的作為義務が発生していたというべきである。

(四) ところで、本件においては、水俣湾内の魚介類についての漁獲、販売、摂食等に関しては、第一章で認定したとおり、被告国及び県において水俣病の公式発見(昭和三一年五月一日)以後種々の行政指導を行っており、主だったものを列挙すると以下のとおりである。

(1) 水俣病の公式発見以来昭和三一年においては、奇病の実態及び原因を究明するために水俣保健所が中心となり奇病対策委員会を設置し、さらに水俣保健所及び被告熊本県において熊大に対し原因究明の研究を依頼し、被告国においても厚生省及び文部省において研究費を援助し、さらに厚生省に厚生科学研究班を設置するなどを行い、以後熊大研究班らの研究によって水俣病の原因が究明されるに至った。

(2) 熊大研究班や伊藤所長らによって、奇病の病原物質の媒介物が水俣湾及びその周辺海域に生息し又は回遊する魚介類であるとの疑いが濃厚となってからは、昭和三二年三月四日、被告熊本県において県水対連を設置し、水俣漁協に対して想定危険海域での漁獲自粛を要請し、さらに、同月二五日、水俣湾内で漁獲されたイリコを摂食したと思われる津奈木村の猫が狂死したことを知るや熊本県葦北事務所長は各町村及び各漁協長に対して危険区域での操業の自粛を要請し、県水産課においても同年五月ころから密漁監視船「阿蘇」及び「はやて」を水俣湾に巡回させて操業自粛の実効性があがるように努めた。昭和三三年八月までの間、水俣地方において水俣病の患者の発生をみなかった。

(3) 昭和三三年八月に水俣湾沿岸地域において新患者が発生したことから、被告熊本県は水俣市の回覧板や学校を通じて水俣湾内の魚介類の摂食の自粛を呼び掛け、地元漁協に対して操業自粛の申し合せの遵守を通知し、さらに県内各漁協組合長、県漁協連合会会長、九州各県の水産主務部長らへ想定危険海域内での操業自粛を通知した。

(4) その結果、以後昭和四〇年代に至るまで、水俣湾沿岸地域からの患者発生は確認されなかった。

(五) 右各事実からすると被告熊本県において行った水俣湾内の魚介類についての漁獲及び摂食等の自粛を求めた行政指導は、奇病ノイローゼといわれる右魚介類を恐れる現地の状況とあいまって相当の効果をあげていたものと認めることができる。したがって、昭和三二年九月当時、被告国及び県において、水俣湾及びその周辺海域の魚介類について法的に要求される告示及び周知徹底、漁獲及び摂食禁止等の行政指導は履行されていたと認めるのが相当である。

(六) 次に、昭和三四年一一月ころ、被告国及び県において、不知火海全域の魚介類について漁獲及び摂食禁止の行政指導をすべき作為義務が発生し、その懈怠が認められるかについて検討する。

被告国及び県においてチッソ水俣工場の排水路の変更を知るに至った時期は、沢本技師の現地調査が行われた昭和三四年六月以降と認められるが、同年一一月当時においても、不知火海全域の魚介類が有毒であるとする実証的研究結果は存しなかったから、行政機関が、確たる証拠もなく広範な範囲の漁民の生活にかかわる不知火海全域の漁獲規制や摂食規制を内容とする行政指導を行うこと自体の相当性には疑問があるし、仮に行政指導を行ったとしても漁民らにおいて任意に協力するとは考えられない状況であったといわなければならない。この点、被告国及び県において漁民の生活の全面的補償を伴う漁獲規制等を行えば協力を得られたとも考えられるけれども、不知火海全域の魚介類が有毒であるとまでする根拠に乏しく、進んで補償を行うべき段階ではなかったというべきである。

したがって、昭和三四年一一月ころにおいて不知火海全域の魚介類の漁獲規制及び摂食規制を内容とする行政指導の作為義務の発生を認めることはできない。

二工場排水に関する規制権限の不行使について

1 公共用水域の水質保全に関する法律及び工場排水等の規制に関する法律(以下前者を「水質保全法」、後者を「工場排水規制法」といい、両者を併せて「水質二法」という。いずれも昭和三三年一二月二五日に公布され、昭和三四年三月一日に施行されたが、昭和四五年一二月に公布された水質汚濁防止法の施行に伴って廃止された。)

(一) 水質二法による工場排水の規制の概要

(1) 水質二法は、工場、事業場における汚水処理施設の整備の遅れ等の事情から河川・海水面等の水質の汚濁問題が頻発するに至り、その対策のために制定された法律である。

水質保全法は、従前制定されていた鉱山保安法等や本法と同時に制定された規制実施法である工場排水規制法の基本法たる性格を有し、経済企画庁長官において、公共用水域のうち水質の汚濁が原因となって関係産業に相当の損害が生じ、若しくは公衆衛生上看過し難い影響が生じ又はそれらのおそれがある場合に、一定の水域を「指定水域」に指定し(同法五条一項)、同時に「水質基準」を設定することにより(同法五条二項)、工場、事業場、鉱山・水洗炭業にかかる事業場、公共用下水道及び都市下水路から「指定水域」に排出される水の汚濁の許容限度を明確にして(同法三条二項)、産業の相互協和と公衆衛生の向上に寄与しつつ、公共用水域の水質保全を図ることを目的とする法律である。

(2) 工場排水規制法は、製造業者等の用に供する施設のうち、汚水又は廃液の排出が水質汚濁の問題となる施設を政令によって「特定施設」と定め(同法二条二項)、特定施設を設置している者をして指定水域に排水又は廃液を排出する際にその水域に定められている「水質基準」を遵守せしめることとし(同法三条)、さらに、特定施設の種類ごとに政令でその排水規制を担当する「主務大臣」と定め(同法二一条)、その主務大臣によって、公共用水域の水質の保全を図るために必要な限度において、指定水域に排水する特定施設を設置している者に対し、特定施設の状況、汚水処理の方法、工場排水の水質等の報告を命じ(同法一五条)、工場排水等の水質が当該指定水域に係る水質基準に適合するかについて検討し、適合しないと認めるときは、特定施設設置業者に対し、汚水等の処理の方法の改善、特定施設の使用の一時停止その他必要な措置をとるべきことを命じ(同法一二条)、さらに必要によっては、立入検査や報告を徴収することによって(同法一四条)、指定水域への工場排水による汚濁の防止を図るものである。

(二) 本件における規制権限行使の要件の充足について

(1) 規制権限行使の要件

水質保全法にいう「指定水域」における「水質基準」とは、工場等から排出される水の汚濁の許容限度を定めるものである。したがって、水質基準を設定するためには、①特定の公共用水域を汚濁させる原因物質が特定されていること、②当該汚濁原因物質が特定の工場等から排出されていることが判明していること、③当該汚濁原因物質の分析定量方法が確立されていて、当該汚濁原因物質についての排出許容量を決定し得ることが必要である。

また、工場排水規制法にいう「特定施設」の指定についても、当該施設が関係産業に相当な損害を与え、公衆衛生上看過し難い影響を発生させると特定できるに足りる汚水又は廃液を排出する施設であると認められることを要するが、その内容は、水質保全法について述べたのと同様である。

(2) 原因物質の特定について

ア第一章で判示したとおり、本法施行後である昭和三四年三月以降においては、昭和三四年七月二二日の熊大研究班の研究報告会に至るまでの同研究班の武内教授らをはじめとする各種研究成績、厚生省食品衛生調査会水俣食中毒部会の中間報告(同年一〇月六日)及び食品衛生調査会の厚生大臣への答申(同年一一月一二日)等によって、遅くとも同年一一月末ころには、水俣病の原因物質はある種の有機水銀化合物であることが高度の蓋然性をもって判明していたと認めるのが相当である。

イ この点について、当時、被告チッソ、東京工業大学教授清浦雷作及び日本化学工業協会理事大島竹治らの熊大有機水銀説に対する批判的見解が存し、また、熊大研究班内においても宮川教授らによるタリウム説の主張が存したことは第一章で認定したとおりである。しかし、右見解はいずれも有機水銀説を否定するに足りる合理性を有していなかったものである。

清浦教授は、昭和三四年八月二四日から二九日にかけて水俣湾の水銀濃度を測定し、その結果同湾の海水中の水銀濃度は他の同種工場が存する地域に比べて異常ではないとして、熊大の有機水銀説を批判するものであったが、右調査方法は海水だけしか検査していない点で十分な検査を行っているものとはいえず、また、同教授は自己の見解を同年一一月一〇日「水俣湾内の水質汚濁に関する研究(要旨)」と題する文書(〈書証番号略〉)にまとめたが、同文書中において「詳細なデータは現在整理中」と記載していたところ、結局後になってもそのようなデータが公表された形跡はなく、同教授による他の地域との比較の仕方に科学的裏付があるのか極めて疑問が存したこと、熊大においてすでにアミンについて検討したところを無視していること等からすると、右批判は首肯し難いところである。

大島理事による批判的見解は、水俣、八代一帯に存した特攻隊と軍隊の弾薬集積所から水俣湾内に戦後投棄された爆薬・薬品から四エチル鉛、ヘキソーゲン、ピクリン等の化学薬物が昭和三一年ころ流出したことが水俣病の原因ではないかとする説であるが、「終戦時袋湾(茂道)に於ける軍需品処理について」(〈書証番号略〉)によれば、茂道地区にあった旧海軍の弾薬が戦後駐留軍によって運搬撤去され、残存部品は某会社により買い取られ海路運搬されており、これらを袋湾付近に海中に投棄した事実はないことが認められ、この事実は既に熊大研究班第一報掲載の喜田村教授らによる「熊本縣水俣地方に發生した原因不明の中樞神經疾患について」(〈書証番号略〉)によって調査報告されており、他に大島理事において自説の証拠となる資料等は一切公表されることがなかったことからすると責任ある意見であるか疑わしいものである。

果たして、当時の新聞報道(〈書証番号略〉)によれば、右両見解とも、最も水俣病の原因究明に積極的に取り組んでいた熊大研究班内において一顧だにされていなかったことが伝えられている。

次に、熊大研究班の宮川教授は研究開始当初からタリウム説を唱え研究を重ねていたが、昭和三三年四月一六、一七日に開催された水俣奇病研究発表会での同教授の研究経過報告(〈書証番号略〉)及びそれまでの熊大研究班の研究結果によると、動物実験や罹患者の病理所見及び臨床所見等からも当時右説を有力に根拠付けるデータが必ずしも得られていたわけではなく、当時の熊大研究班内において有機水銀説と伍するほどの有力な見解ではなかったことがうかがわれる。

ところで被告チッソは有機水銀説に対する反論として、同社から無機水銀化合物の排出はあり得るが有機水銀化合物の排出はありえないといい、水俣湾に有機水銀が存する可能性はない又は不明であることを理由に熊大の有機水銀説を批判していた。この点、確かに当時においては熊大研究班においても有機水銀化合物自体の排出源を特定できず、無機水銀の魚介類体内における有機化などが研究されていたものであったけれども、当時、水俣湾周辺住民はもちろん熊大研究班の研究者においても有機水銀化合物が被告チッソの工場排水中に含まれていることが強く疑われており、被告チッソの右研究への非協力的態度ゆえに工場内からの有機水銀化合物の排出を調査研究できなかったことがうかがわれ(〈書証番号略〉)、被告チッソの右反論をして学問的に意味のある見解ととらえる研究者や風潮はなかったといわなければならない。

ウ 以上の次第であるから、遅くとも昭和三四年一一月ころには熊大の有機水銀説は最も有力にして合理性ある学問的研究結果として位置付けられていたことが認められる。そうであるからこそ、同年一一月二二日、厚生省の諮問機関である食品衛生調査会は厚生大臣に対し水俣病の主因はある種の有機水銀化合物であるとする答申を行い、翌一三日、厚生大臣は水俣病の原因を究明するために食品衛生調査会に設置されていた水俣食中毒部会がその目的を達したとして解散させたものと考えられるのである。

したがって、昭和三四年一一月末ころには、被告国及び県において、水俣病の原因物質がある種の有機水銀化合物であると十分に特定し、かつ、認識していたというべきである。

(3) 工場排水から原因物質が排出されていることの判明について

ア 次に、昭和三四年一一月末ころまでに、被告国及び県において、チッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造工程から水俣病の原因となる有機水銀化合物が排出されていたことを認識し得たかについて検討する。

イ アセトアルデヒド製造工程におけるメチル水銀化合物の副生の解明について、まず、被告チッソにおいては、チッソ付属病院長細川一医師が昭和三四年一〇月七日にネコ四〇〇号実験を成功させた後、チッソ水俣工場の川崎技術部長は、精ドレン排水を分析し、R・Hg・X系の有機水銀(アルキル水銀)を検出し、その旨を同工場市川技術部次長に報告し(〈書証番号略〉)、さらに、被告チッソの技術者であった石原俊一は、昭和三六年五月から一二月にかけて精ドレン排水を分析して有機水銀化合物の存在を確認し(〈書証番号略〉)、石原はこれを結晶として取り出し、その化学構造上等から主要部分はメチル水銀であろうと推定するに至ったが、このような一連の被告チッソによる原因物質の生成過程の究明は、後の吉岡チッソ社長の刑事事件公判まで一切公表されなかった。また、熊大研究班の喜田村教授らがガスクロマトグラフ法を用いてメチル水銀の副生過程を実証的に明らかにしたのは昭和四一年であった(〈書証番号略〉)。このように、昭和三四年一一月当時において、アセトアルデヒド酢酸製造工程におけるメチル水銀の副生の機序についての科学的解明にはなお時間を要するものであった。

ウ しかしながら、戦前から諸外国において既にアセトアルデヒド製造工場の労働者に有機水銀中毒症が発生していたことはスイスのツァンガー博士らによって報告されており(〈書証番号略〉)、アセトアルデヒド製造工程において有機水銀化合物が生成される可能性があることを被告国及び県においては容易に知り得たと認められる(この点、水俣病は、ツァンガー博士らが報告するメチル水銀の工場内曝露による有機水銀中毒症と異なり、魚介類を媒介とする有機水銀中毒症である点に特異性を有するものであり、ツァンガー博士らの報告はアセトアルデヒド製造工程におけるメチル水銀の副生のシステムを解明したものでもないが、アセトアルデヒド製造工場において有機水銀中毒症が発生した事実から少なくとも同製造工程において有機水銀化合物が生成される可能性があることは十分認識可能である。)。また、水俣湾又は水俣川河口付近に存する化学工場はチッソ水俣工場のみであり、大量の魚介類を有毒化せしめる有機水銀化合物という化学物質の流出源としてはチッソ水俣工場しか考えられなかった(〈書証番号略〉、証人加藤邦興の証言)。そして、水俣湾及びその周辺海域の魚介類の捕獲、摂食自粛により昭和三一年一一月以降新しい患者の発生がみられなかったところ、昭和三三年九月にチッソ水俣工場のアセトアルデヒド排水経路が八幡プールを経て水俣川河口に排出するように変更された後である昭和三四年に水俣川河口付近及び不知火海沿岸で新たな水俣病患者が発生し始めた(被告国及び県も、同年六月ころには排水路の変更を認識し、また同年四月から一一月にかけて水俣川河口付近や葦北郡津奈木村での患者の発生が続いたことを認識していた。)。他方で、被告チッソは、熊大研究班の研究者らに対して工場内設備はもちろんその排水をも研究資料として提出することを拒んでいた。そして、厚生省及び水産庁は、原因物質の排出源としてチッソ水俣工場の排水が強く疑われるとの認識に基づき、同年一一月通産省に対し、チッソ水俣工場の工場排水に対する適切な措置を講ずるよう要望した。

エ これらの事実を総合して判断するならば、当時チッソ水俣工場における有機水銀の副生の機序は未だ科学的に解明されておらず、また魚介類の体内における有機化という考え方が有力であったといった事情を考慮しても、少なくとも水俣病の原因物質である有機水銀化合物又はその有機化前の水銀化合物の排出源としてはチッソ水俣工場のアセトアルデヒド排水以外には考えられない状況であり、被告国及び県においても、右に指摘した事実をいずれも認識していたものである。

したがって、被告国及び県において、遅くとも昭和三四年一一月末ころには、少なくとも水俣病の原因物質であるある種の有機水銀化合物又はその有機化前の水銀化合物の排出源がチッソ水俣工場のアセトアルデヒド排水であることを、断定はできないものの高度の蓋然性をもって認識できたというべきである。

(4) 水銀の定量分析方法について

ア 水質基準を定立するには汚濁原因物質を工場排水等から検出して定量分析する技術が確立されていることが必要である。本件においては昭和三四年一一月末ころにある種の有機水銀化合物を検出し、定量分析することができたか問題となるが、この点の検討を行うに当たって、水銀及び水銀化合物の定量分析技術の変遷と時代的限界について概観する。

a 昭和三四年当時の有機水銀の定量分析技術

① 総水銀の定量分析法

(〈書証番号略〉)

昭和三四年当時の一般的な定量分析技術としては、無機又は金属水銀を分析対象とする発光分析法と水溶状態(イオン化)にした水銀を分析対象とするジチゾン比色法があった。

発光分析法の原理は、元素(原子)が放出するその元素特有のエネルギー(輝線スペクトル)の種類と強さを検出することにより元素の特定と定量を行うというものであるが、これでは金属成分(元素)の定性分析しかなし得ず、水銀化合物の定量分析は不可能であり、発光分析法によっては排水中に含まれる微量の水銀化合物の定量分析は全くできなかった。

ジチゾン比色法というのは、ある特定の条件(酸性)下で、特定金属イオンとジチゾン(ある種の有機試薬)が結合した化合物(キレート)の呈する色の強弱を比色計で測り、その金属の定性、定量を行うというものであり、あらかじめ試料に酸化剤を加えて加熱し、酸化分解すれば、有機又は無機の金属化合物が分解され、金属イオンが単離するので、含まれている全ての金属を分析できる。したがって、試料を酸化分解しジチゾン比色法を用いることにより、総水銀の定量分析をなし得たのである。

当時、ジチゾン比色法による総水銀の定量分析の感度は、通常の操作を行う場合、サンプル量五〇〇ミリリットル(当時としては、これがサンプルの限界量であった。)当たり0.01PPMが定量限界であった。当時、熊大研究班において入鹿山教室の藤木素士がジチゾン比色法によって総水銀の定量分析を行ったがその感度は0.01ないし0.05PPMが限度であったということである(〈書証番号略〉)。しかし、昭和三四年一一月下旬ころにおいて、工業技術院東京工業試験所は独自に工夫したジチゾン比色法によって総水銀を0.001PPMレベルまで定量分析し得る技術を有していた(〈書証番号略〉)。そして、右東京工業試験所は、昭和三四年一一月二六日から翌昭和三五年八月二四日までの間、通産省の依頼によって、チッソ水俣工場の工場排水中の総水銀をジチゾン比色法によって定量分析し、0.002ないし0.084PPMの検査結果を報告している。

② 有機水銀の定量分析法

(〈書証番号略〉)

昭和三四年当時の有機水銀の定量分析技術としては、赤外線吸収スペクトル法、ポーラログラフ法及びペーパークロマトグラフ法があった。いずれも、以下に述べるように有機水銀については定性分析法として用いられるものであって排水中の微量有機水銀の定量分析に使用できるものではなかった(〈書証番号略〉)。

赤外線吸収スペクトル法は、有機化合物(分子基)が固有のエネルギー(赤外線スペクトル)を吸収することを利用し、その赤外線スペクトルの種類及び強さを分光光度計で測定することにより化合物の構造の解明を行うというものである。したがって、純度の高い均質な有機水銀化合物の分子構造の特徴を把握する、すなわち、定性分析を目的として使用するのみであり、微量の有機水銀の定量分析に使用できるものではなかった。

その点、ペーパークロマトグラフ法は、化合物の違いによって濾紙の中を移動する位置(移動速度)が異なることを利用して目的の化合物を分離するという原理に基づくものであるから、濾紙の一端に有機水銀化合物を含む溶質を塗布し、溶媒槽に下部を浸し、一定時間後に移動した場所に発色剤を噴霧し呈色させることによって、有機水銀の検出をすることができる。その上で、酸化分解によるジチゾン比色法で定量分析すれば、有機水銀を定量分析することができる。しかし、これは、濃度が高く、しかも不純物の少ない有機水銀農薬の定量分析を目的として開発されたものであるから、分析限界が約二〇〇PPMと感度が極めて悪く、海水や工場排水のように不純物が多く、しかも含まれる有機水銀の量が極めて微量なものの定量分析には使用できないものであった(〈書証番号略〉)。

ポーラログラフ法は、試料液中で放電させ、その時の電流と電圧曲線を自記させて、その波の半波電位を測定し、これが目的成分の種類により定まった値を示すことから、目的物質の定性分析ができ、また、平均限界拡散電流は目的成分の濃度に比例するところから、定量分析することができるものである(〈書証番号略〉)。ポーラログラフ法によって低級アルキル水銀(酢酸フェニル水銀)の定量分析を行った結果が昭和三二年国立衛生試験所の佐藤寿によってなされているが、一〇数PPM程度の感度であり排水中の微量有機水銀の定量分析を行い得る方法ではない。

したがって、昭和三四年当時においては、排水中の微量有機水銀を定量分析し得る方法ないし技術は未だ確立されていなかったのである。

b その後の有機水銀の定量分析法の確立経過

(〈書証番号略〉)

① 昭和三六年ころ、有機水銀を直接定量分析する方法として、我が国にブローダーソンの開発したガスクロマトグラフ法が導入された。ガスクロマトグラフ法の分析原理は、カラム(細い管)の中をガス状の試料が移動する場合に、各化合物ごとに移動速度に差が生じることを利用して、溶媒に溶かした試料又はガス状の試料をガスクロマトグラフ装置(カラム、検出器、記録計等からなる。)に入れ、各化合物を分離し検出器により保持時間、濃度を測定するというものである。

しかし、当時のガスクロマトグラフ法の検出感度は極めて低く(約二〇〇〇PPM)、排水中の微量のメチル水銀の定量分析は不可能であった。

② 排水中の微量メチル水銀の測定が可能になったのは、昭和四一年五月に喜田村教授らが、「ガスクロマトグラフによる有機水銀化合物の分離・定量」という論文において、電子捕獲型検出器(EDC)付きガスクロマトグラフを用いて、ブローダーソンらのガスクロマトグラフの数百万倍の感度で微量のメチル水銀の定量分析が可能になったことを発表してからである。すなわち、ガスクロマトグラフ装置の検出器に電子捕獲型検出器を使えば、通常のサンプル量でその当時約0.001PPMの微量のメチル水銀を測定することができるようになったのである。ただし、これは、放射能性のものであるから直ちに一般化されたわけではなく、一般的に実用化されるようになったのは昭和四三年以降のことであった。

③ 昭和四三年七月、さらに有機水銀の定量分析方法として、薄層クロマトグラフが開発され、ジチゾン法と併せて有機水銀の定量分析に使用されるようになった。なお、被告国は、昭和四四年二月に水俣湾について指定水域と指定した際、ガスクロマトグラフ法及び薄層クロマトグラフ分離ジチゾン比色法をして水質基準(メチル水銀含有量)の検出方法と指定した(〈書証番号略〉)。

c 水蒸気蒸留法について

水蒸気蒸留法とは、多少の蒸気圧を有する個体又は液体が不揮発性のものと混ざっているとき、又は普通の方法で蒸留すれば分解するものについて用いられる。精製しようとする物質を含むものを多量の水とともにフラスコに入れて熱し、水蒸気をその中に通すと、目的物の蒸気が水蒸気とともに出てくるので、これを冷却水に導くと目的物を集めることができる。目的の有機水銀化合物が個体又は液体とともに混じる場合にこれを適当な溶媒によって抽出するためにしばしば使われた(〈書証番号略〉)。

昭和三七年八月、熊大研究班の入鹿山及び藤木らは、水蒸気蒸留法によって水俣湾産の魚介類や水銀残渣(スラッジ)からメチル水銀化合物を抽出することに成功した。魚介類やスラッジに含まれるメチル水銀は極めて高濃度であり、水蒸気蒸留法はこのような高濃度の有機水銀の分離抽出に適しているものであり、微量のメチル水銀化合物を含む工場排水については水蒸気蒸留法を用いても魚介類やスラッジと同じようにメチル水銀化合物を抽出することはできるものではない。

イ 以上の事実からすれば、昭和三四年一一月当時においては、未だ工場排水中の微量な有機水銀化合物を定量分析しうる方法は確立されていなかったから、有機水銀の検出禁止をもって水質基準を定立することは意味のないことである。

しかしながら、当時、総水銀(水銀及びその化合物)についての定量分析方法としてジチゾン比色法があり、しかも工業技術院東京工業試験所においては0.001PPMオーダーまで分析可能であったのであるから、水俣病の発生という重大なる被害を防止するためには、総水銀による規制もやむを得なかったと考えるべきである。

ウ この点、被告国は、無機水銀をも取り込んだ規制方法は、過剰規制であると主張しているが、水俣病という前代未聞の重大な公衆衛生上の問題であり、また、昭和三一年五月の公式発見以来既に死亡者を含む多数の患者が発生していて、その被害拡大の防止には一刻の猶予も許されず、しかも、チッソ水俣工場の排水が原因物質である有機水銀化合物の排出源であることが高度の蓋然性をもって認識されていたが、科学的知見の限界から総水銀による規制しか行い得ないという当時の状況に鑑みると、規制を受ける被告チッソの不利益及び「産業の相互協和」という法の趣旨を考慮したとしても、総水銀による規制が過剰規制であるという批判は失当であり、水質保全法五条三項に反するものではない。

また、ジチゾン比色法によるもチッソ水俣工場の排水中の微量水銀の検出を問題とせざるを得ないから、畢竟、検査機関をして工業技術院東京工業試験所のみに委ねることになる。この点、被告国は、右試験所の分析定量は再現性のあるデータとはいえないから基準とはできないと主張しているが、右試験所においては0.001PPMまで分析定量が可能であった事実を否定する根拠はなく、水俣病被害を防止する必要性、被告チッソの態度等に鑑みれば、可能な手段があればそれによるべきであって、通常の場合とは異なるこのような基準によることも必要であるというべきである。

(5) 以上の次第であるから、昭和三四年一一月末ころには、経済企画庁長官及び内閣らにおいて水質二法上の各種規制権限を行使する要件を充足していたものと認められる。

(三) 経済企画庁長官及び内閣らの作為義務について

(1) 一般的な作為義務の有無

水質保全法は、公共用水域のうち水質の汚濁が原因となって関係産業の相当の損害が生じ、若しくは公衆衛生上看過し難い影響が生じ又はそれらのおそれがある一定の水域の水質汚濁を防止し、もって産業の相互協和と公衆衛生の向上を図ることを目的とする法律であるが、特に、水質汚濁によって公衆衛生の安全が脅かされる場合、事は、国民の生命、健康の安全にかかわる事項であり、一度危険が顕在化した場合には、国民において回復不能な損害を与えかねない事態が生じることに鑑みるならば、公共用水域において工場排水等による汚濁が問題となり、国民の生命、健康の安全が脅かされていることが明白にして切迫しているという状況下においては、個々の国民の生命、健康の安全は単なる反射的利益にとどまらず、経済企画庁における「指定水域」の指定及び「水質基準」の設定は、個々の国民との関係においても、当該法律によって義務付けられるものと解すべきである。

そして、同様の理由によって、水質汚濁防止のための規制実施法である工場排水規制法においても、同様の状況下においては、内閣の特定施設及び所管主務大臣の指定、さらに主務大臣の排水規制権限等の行使がいずれも法的に義務付けられると解すべきである。

(2) 本件における具体的作為義務の存否について

そこで進んで、経済企画庁長官らの具体的な作為義務の存否について検討する。具体的作為義務の有無を判断するに当たっては、当該規制権限根拠規定の趣旨、目的、性格を踏まえた上で、危害の重大性及び切迫性、結果回避可能性、規制される側の不利益、他にとり得る手段の有無等要件が充足された時期における諸般の事情を総合的に検討する必要がある。

ア まず、経済企画庁長官の水質保全法上の権限を行使すべき具体的作為義務の発生の有無について検討する。

a 前示(1)のとおり、水質二法に基づく各種規制との関係で、個々の国民の生命、健康の安全は単なる反射的利益にはとどまらないところ、各種規制権限の要件が充足された昭和三四年一一月末当時における水質二法による規制をめぐる諸般の事情として以下の点を指摘することができる。

① 昭和三三年九月ころに被告チッソがアセトアルデヒド排水路を水俣川河口に変更して以来、昭和三四年四月二四日に水俣川河口付近の魚介類を専ら摂食していた中村末義が水俣病と診断されたことを始めとして、同年六月ころには鹿児島県の幣串の漁師に水俣病の症状が出ている旨の報告があり、同年八月一二日には同県出水市米ノ津で猫水俣病の発症が報告され、同年九月以降、船場藤吉ら熊本県葦北郡津奈木村の住民らにおいても水俣病の発症が報告される等、同年一〇月ころには熊本県葦北郡津奈木村から鹿児島県出水市までの広範囲な不知火海沿岸住民に水俣病の蔓延化が認められ、その時点での水俣病患者は七六名(うち死亡者は二九人)になっていた。

② 昭和三四年六月一六日、水俣病被害の拡大から、水俣市議会の水俣病対策委員会が中心となって、想定危険海域を従来の水俣湾海域から津奈木村勝崎から恋路島外端、鹿児島県と熊本県の県境を結んだ範囲内の海域まで拡大し、以後、同海域での漁獲操業を自粛するよう関係各漁協等の協力を求めていたが、漁民らを中心に不知火海沿岸住民の生活が次第に困窮する実情の下、不知火海海域での漁業の復興等同地域住民の救済を図るために早急に汚染の源であるチッソ水俣工場の排水自体を規制すべきであるとの声が次第に強くなり、同年九月下旬ころ、津奈木村漁業協同組合、葦北沿岸漁業振興対策協議会らは、相次いでチッソ水俣工場の排水停止を要求した。さらに、同年一〇月一五日、熊本県知事らは国の関係各省庁に対し、チッソ水俣工場の排水の完全浄化政策等を含む特別立法の制定を陳情し、同年一一月五日、熊本県水俣病対策特別委員会でチッソ水俣工場の操業を即時に中止させるための条例の制定を求める意見が多く出されるようになっていた。

③ 経済企画庁長官において指定水域の指定及び水質基準の設定を行ったならば、チッソ水俣工場は排水停止により操業停止に追い込まれかねず、先に認定された程度の事実に基づきそのような強力な処置をとることは水質保全法が目的とする産業協和という点に反するとの反論もあったが、チッソ水俣工場では昭和三五年八月よりアセトアルデヒド排水について装置内循環方式を採用し、建前上は同排水を外部に排出していないわけであり、外部への排水停止が必ずしも工場の操業停止につながるものではなかった上、前示①及び②で指摘したような当時の状況に鑑みれば、水質二法に基づく排水規制を行うことで、一時的に被告チッソが操業停止に追い込まれるとしても不知火海沿岸住民の生命、健康の安全を図ることはもとより、循環汚染の継続及び拡大を防止し、沿岸住民の福利を図るためにはやむを得ない規制として是認されるべきものであったと考えられる。

④ さらに、第一章で判示したとおり、被告チッソがアセトアルデヒド排水を水俣川河口付近へ排出することを止めた昭和三四年一〇月三〇日以降もなおアセトアルデヒド製造を中止する昭和四三年五月までの間は、被告チッソによる不知火海へのメチル水銀化合物の排出は継続していたと考えられる。少なくともその間、アセトアルデヒド排水は、昭和三四年一二月二〇日から昭和三五年七月までの間は、途中の経路に変更は多々あったものの結局百間排水溝を通じて百間港に排出され、精ドレン排水の装置内循環方式が採られるようになった同年八月から昭和四一年六月までの間は毎日連続していたのではなかったにせよ、やはり百間排水溝を通じて他の工場排水とともに水俣湾から徐々に不知火海へ排出され、又は八幡プールから地下水とともに不知火海へ流出していたものと認められる。また、当時水俣湾産の魚介類の捕獲、流通の自粛はかなり進んでいたものの、貧しさゆえに他に食品が乏しいことやこれまでの魚中心の食生活を急には変えられないことから、また情報伝達の不十分さから、なお本件原告ら一部の地域住民は水俣湾及びその周辺海域で魚介類の捕獲、摂食を行っており、不知火海の魚介類についてはなお相当程度捕獲、摂食が行われていたと考えられる。したがって、被告国においてチッソ水俣工場の工場排水に含まれる水銀が水俣病の原因物質であると認識することができたと考えられる昭和三四年一一月末以降において、早急に水俣湾及び周辺海域に水質基準を設定し、チッソ水俣工場の排水に対する規制を行っていれば、その後の水俣病患者の発生を具体的に防止できたものというべきである。

b 以上のような昭和三四年一一月末当時の諸般の事情を総合して判断すると、経済企画庁長官は、水質保全法五条一項、二項に基づき、水俣川河口から水俣湾にかけての水域を指定水域に指定し、かつ、その排水から水銀またはその化合物が工業技術院東京工業試験所によるジチゾン比色法によって検出されないことという水質基準を設定すべき具体的な作為義務があったと解するのが相当である。

c 被告国は、指定水域の指定及び水質基準の設定のためには詳細な実態調査及び科学的調査が必要であるところ、当時の担当者の人数及び予算の制約、科学的見地等からすると、原告ら主張のように昭和三四年一一月末の段階で水俣湾周辺水域を指定水域に指定することは不可能であったと主張しているので、この点について検討する。

経済企画庁長官が水質基準を設定して指定水域を指定するに当たっては、同長官において公共用水域の水質の調査に関する基本計画(「調査基本計画」)を立案し、水質審議会の議を経て、右計画が決定されることが必要であり(同法四条)、確かに、経済企画庁長官に右時点において右作為義務が発生していたとしてもその不作為が違法となるのは、右調査基本計画の定立及び水質調査に要する相当日数が経過してからであると考えられる。しかしながら、問題となっているのが水俣病という前代未聞の重大な公衆衛生上の被害であること、昭和三一年五月の公式発見以来既に死亡者を含む多数の患者が発生しており、その発生拡大の防止には一刻の猶予も許されない状況があったこと、昭和三一年以来の伊藤所長や熊大研究班らによる水俣湾及び水俣川河口付近の汚染及び被害の実態の調査結果、汚濁物質に関する科学的分析研究結果等多数の資料がそろっていたこと等の当時の状況に鑑みれば、経済企画庁において、調査基本計画の立案、水質審議会の審議等の手続を特に迅速に進めることにより、長くとも一か月程度あればこれらの手続を経て水俣湾及び水俣川河口付近への総水銀の排出の水質基準を定立することが可能であったと考えられる。

d  したがって、経済企画庁長官においては、昭和三四年一二月末までに、水俣湾及び水俣川河口付近の公共用水域のうち水俣病の原因物質を含むと思料される総水銀がチッソ水俣工場の工場排水から排出され公衆衛生上重大な影響をもたらされている水域を指定水域として指定し、かつ、同水域に排出される排水から工業技術院東京工業試験所のジチゾン比色法によって総水銀が検出されるべきではないという水質基準を定立すべき作為義務が発生していたものと認めるのが相当である。

イ  また、前示のとおり被告国において昭和三四年一一月ころには旧来法によるアセトアルデヒド酢酸製造施設が、水俣病の原因物質であるところのある種の有機水銀化合物を排出していることが認識できたと認められ、内閣による特定施設の指定は指定水域の水質基準の設定とあいまって行われるものであるから、経済企画庁長官による水俣湾及び水俣川河口付近の指定水域化及び同水域にかかる水質基準の定立がなし得たと認められる昭和三四年一二月末までに、内閣において、工場排水規制法二条二項に基づき、政令でチッソ水俣工場のアセトアルデヒド酢酸製造施設を「特定施設」と定め、かつ、その主務大臣を通産大臣と定めるべき作為義務が発生していたものと認めるのが相当である。

(四) 被告国の作為義務違反

(1) 被告国が現に行った水質二法関係の対策は以下のとおりである。

ア 関係省庁間の協議

第一章で判示したとおり、被告チッソによるアセトアルデヒド排水経路が水俣川河口に変更され水俣病の発生地域が拡大したことに伴って、漁業関係者らを中心にチッソ水俣工場の工場排水の浄化装置の設置や工場の操業停止を求める世論が高まるなか、昭和三四年一〇月三一日、厚生省公衆衛生局長は通産省に対し、チッソ水俣工場の工場排水に対する最も適切な処置を至急講ずるよう要望したところ、同年一一月一〇日、通産省は同省軽工業局長名で、現時点では水俣病の原因をチッソ水俣工場の工場排水に帰せしめることはできないと考えていること、被告チッソには口頭で工場排水の処理設備の完備を急ぐように指導していること等を内容とする回答を行い、また、同月一一日、水産庁は通産省に対し、チッソ水俣工場の工場排水について至急適切な措置を講ずるよう要望したところ、通産省は、同月二〇日、先に厚生省へ回答をしたことと同様の内容の回答を行った。

イ 水質保全法による対策の実施状況

第一章で判示したとおり、水質保全法が施行された昭和三四年度の調査水域には、当初水俣湾水域は対象として取り上げられていなかったが、昭和三五年二月三日から五日にかけて森水質調査課長らによる水俣現地視察等を経て、同月一二日、経済企画庁は不知火海南半部分の海域を昭和三四年度の調査水域として追加指定した。同庁を中心とする水俣湾水域の水質調査は同月末ころから開始され、昭和三六年七月に公表された「調査基本計画」によると不知火海南半部分及び水俣川の調査終了時期は昭和四六年三月三一日とされた。昭和四四年二月三日、経済企画庁長官は水俣川及び不知火海南半部分海域を「指定水域」に指定し、水銀電解法苛性ソーダ製造業及びアセチレン製造法塩化ビニールモノマー製造業の工場又は事業場からの排水について「メチル水銀含有量が検出されないこと」とする水質基準を設定した。

他方、内閣は昭和三四年一二月二八日にカーバイドを使用するアセチレン製造施設を「特定施設」と定め、主務大臣を通産大臣と指名し、昭和四四年三月三一日、さらに特定施設に塩化ビニールモノマー洗滌施設を加えた。

右のとおり、経済企画庁長官による水質基準の設定、内閣による特定施設の設定のいずれにおいてもアセトアルデヒド製造施設が対象とされることはなかったのであり、また、右規制が行われた昭和四四年にはチッソ水俣工場による旧来法でのアセトアルデヒド製造は既に停止されていたことから、水俣病の防止のためにアセトアルデヒド製造施設を規制対象とする必要性もなかったのである。

(2)  右に認定した事実からすると、被告国の対応は遅きに失するものであって、水質二法による前記各作為義務を履行したものとは到底認められない。特に、厚生省及び水産庁が工場排水に対する適切な措置を講ずるよう要望したのに対し、通産省は、産業保護の立場から、チッソ水俣工場の操業停止につながりかねない排水停止措置については消極的であり、結果として被告国全体としての対応の遅れが生じたことがうかがわれる。本件については関係する被告国の省庁が多数にわたり、各担当省庁にはそれぞれの立場、権限、予算等の問題があり、経済企画庁を中心に調整を進めるにはかなりの時間を要したと推測されることや、公害問題に対する社会全体の認識及び取組みが遅れていた当時の時代背景等を考慮しても、なお、被告国全体として水俣病に対する認識及び判断を誤り、これに対する対応措置が遅れたことは、行政裁量の範囲を逸脱したものといわなければならない。

(五)  結論

したがって、被告国には水質二法に基づく工場排水の規制権限の行使を怠った過失があり、昭和三五年一月以降に不知火海の魚介類を摂食して水俣病に罹患した者に対しては、損害賠償責任を負うと解するのが相当である。

2 熊本県漁業調整規則(昭和二六年熊本県規則第三一号。以下本項において単に「調整規則」ともいう。)三二条

(一) 本件における規制権限行使の要件の充足について

(1) 調整規則の目的

熊本県漁業調整規則三二条は、水産動植物の繁殖保護に有害な物を遺棄し、又は漏せつするおそれがあるものを放置することを禁じ、知事が、その違反者に対して除害に必要な施設の設置を命じ、又は既に設けた除害施設の変更を命じうる権限を付与している。本条は、漁業法六五条及び水産資源保護法四条に基づいて制定されたもので、その趣旨とするところは水産資源の保護培養、すなわち、漁業生産力を将来にわたって持続的に維持拡大していくための資源として水産動植物の繁殖保護を図ることにある。

(2) チッソ水俣工場の排水が「有害な物」に該当するか

ア 熊本県知事が調整規則三二条所定の規制権限を行使するに当たっては、「水産動植物の繁殖保護に有害な物」を遺棄し又は漏せつするおそれがあることが要件となるが、ここにいう「有害な物」とは、前記(1)の調整規則の趣旨に鑑みれば、魚介類等の水産動植物をしてその水産資源としての価値を損ねる影響を与える物をいうと解釈すべきである。したがって、直接水産動植物を斃死させ、その成長を阻害し、又は産卵や種苗等の育成に悪影響を及ぼす可能性のあるものはもちろん、魚類の来遊を阻害するもの又は汚染等によって食品としての魚介類の市場価格を著しく減少させる可能性のあるものも該当すると解するのが相当である。

メチル水銀は高等動物の神経系統を障害する媒介に当たる魚介類自体にはほとんど作用を及ぼさないという特徴を有する。したがって、メチル水銀は、魚介類を直接斃死させる等の影響を与えないが、それを蓄積した魚介類を摂食した人間に中枢神経系疾患をもたらすという意味で魚介類の水産資源としての価値を損ねるものである。したがって、調整規則三二条一項にいう「有害な物」に該当することは論を待たない。

イ ところで、熊本県知事が調整規則三二条二項所定の規制権限を発動するには、単に魚介類が人にとって有害であるというだけでは足りず、魚介類をして有害ならしめる物が特定でき、その有害な物を遺棄又は漏せつするおそれのあるものを放置する者が特定されることが必要である。

まず、本件において魚介類を有害ならしめる物を特定し得た時期を考えるに、前示(1、(二)、(2))のとおり熊大研究班らを中心とする種々の研究成績からみて、遅くとも昭和三四年一一月末ころには水俣病の原因物質がある種の有機水銀化合物であると特定できたと認められる。

さらに、被告熊本県において右有機水銀化合物又はその有機化前の水銀化合物の遺棄又は漏せつするおそれのあるものを放置する者が被告チッソであると特定できた時期を考えるに、やはり前示(1、(二)、(3))のとおり、遅くとも昭和三四年一一月末ころにはこれを特定できたと認められる。

ウ したがって、昭和三四年一一月末ころには、チッソ水俣工場のアセトアルデヒド排水が調整規則三二条一項にいう水産動植物の繁殖保護に有害な者を遺棄し又は漏せつするおそれがあるものに該当していたと認めるのが相当である。

(3) 除害設備の設置等の可能性

熊本県知事が調整規則三二条二項によって有害物質を遺棄又は漏せつするおそれのあるものを放置する者に対して行い得る規制は、有害な物の除害設備の設置命令又は既にある除害設備の変更命令である。

ところで、熊本県知事に対して除害設備の設置又はその変更を命ずべき作為義務を課するには、予め有害な物を定量分析し得る技術が当時において存することが必要であるが、この点、昭和三四年一一月末ころ、熊本県知事において水俣病の原因物質であり魚介類を有害化せしめる物を定量分析することが可能であったかを考えるに、前示(1、(二)、(4))のとおり、当時においては工場排水中の微量な有機水銀化合物を定量分析する方法が未だなかったことから、有機水銀化合物のみを除害する設備の設置を命ずることはできなかったものの、総水銀については工業技術院東京工業試験所においてジチゾン比色法により0.001PPMレベルまでの定量分析が可能であったし、また、水俣病の被害の甚大さや事態の切迫性等に鑑みれば、総水銀についての除害設備の設置を命ずることが許されると解すべきであることから、当時において水銀又はその化合物の除害に必要な設備の設置又は変更を命ずることは可能であったと認められる。

(4) したがって、昭和三四年一一月末ころには、熊本県知事において調整規則三二条の規制権限を行使する要件は充足していたものと認められる。

(二) 熊本県知事の作為義務について

被告熊本県は、調整規則は漁業の安定的発展のために水産動植物の保護を目的とするものであるから、個々の住民の生命、健康の保護との関係で作為義務が発生する余地はないと主張する。

しかしながら、先に水質保全法関係の作為義務に関する部分(1、(三)、(2)、ア)で判示したような昭和三四年一一月末当時の諸般の事情に徴すると、水俣病という前代未聞の重大な公衆衛生上の被害が発生しておりその被害拡大防止のためにはもはや一刻の猶予も許されない状況にあったものであるから、かかる緊急事態においては、当該法規の直接の保護目的が個々の住民の生命、健康の保護にない場合であっても、当該規制権限行使の要件が充足されており、当該規制権限の行使が被害の発生及び拡大防止に有効であって、かつ、他にとるべき手段がない場合には、公務員は右規制権限を行使し得るのみならず、これを行使すべき職務上の法的義務があるものと解するのが相当である。

したがって、昭和三四年一一月末ころには、熊本県知事において調整規則三二条の規制権限を行使すべき作為義務が発生していたと認められる。

(三) 熊本県知事の作為義務違反

(1) 当時被告チッソによって行われた排水浄化設備の整備は以下のとおりである。

ア 昭和三四年一二月一九日、被告チッソは工場排水の総合的浄化設備としてサイクレーター及びセディフローターを設置し、翌二〇日からその運転を開始したものであるが、アセトアルデヒド排水の浄化にも用いられたサイクレーターについては、第一章で判示したとおり、被告チッソにおいてそもそも水銀の除去を目的として設置したものでもなく、また、水銀の除去を期待し得るものでもなかった。したがって、サイクレーターの設置をもって水俣病を発症させる有害な物の除外に必要な設備が設置されたことにはならない。

この点、被告国及び県は、サイクレーターの効用については当時被告チッソの言い分を信じるしかなく、実際の効果についても知る由もなかったと主張している。しかし、多少の化学知識がある者が当該サイクレーターの設計図等を見れば、それが水銀の除去を目的とするものでもなく、また、その能力もないことを容易に了解できたこと、右装置の製作に当たった荏原インフィルコ社に対して被告国及び県からその効用及び効果について問合せや資料等の請求はなかったことが認められ(〈書証番号略〉)、このような事実に鑑みるならば、被告国及び県の右主張は採用することができない。したがって、被告チッソによるサイクレーターの設置をもって被告熊本県の除害設備設置命令の作為義務が免除されることにはならない。

イ 被告チッソは、昭和三五年八月から昭和四一年六月までの間はアセトアルデヒド排水について装置内循環方式を採用していたので、事故時や装置の定期点検時以外は右排水が工場外に排出されることはなくなり、また、昭和四一年七月以降アセトアルデヒド酢酸の製造中止までの間は工場の全排水について完全循環方式を採用したのでメチル水銀化合物は一切工場外へ排出しなくなったという。しかし、第一章で判示したとおり、昭和三五年から昭和四三年五月までの間も被告チッソによる不知火海海域のメチル水銀汚染は継続し、少なくとも昭和四一年六月までは百間排水溝を通じてアセトアルデヒド排水がなお不知火海に排出されていたのであるから、被告チッソの右排水循環装置の設置をもって被告熊本県が除害設備設置命令を行う必要がなかった旨の主張は採用できず、被告熊本県の右作為義務が免除されることにはならない。

(2)  以上の次第であるから、熊本県知事において、昭和三四年一一月末ころには、調整規則三二条に基づく規制権限を行使すべき義務が発生していたものであるところ、サイクレーターの設置等の被告チッソによる自主的な排水浄化設備の不備を明らかにして、新たな除害施設の設置を命じ、又は既存の除害施設の変更を命ずるのに必要な期間は長くとも一か月間とみるのが相当であるから、熊本県知事において、遅くとも昭和三四年一二月末までに調整規則三二条二項所定の除害設備設置命令等の排水規制権限を行使すべき作為義務が発生していたにもかかわらず、これを怠った過失があるものと認めるのが相当である。

(四)  結論

したがって、熊本県知事には熊本県漁業調整規則による工場排水の規制権限の行使を怠った過失があり、被告熊本県は、昭和三五年一月以降に不知火海の魚介類を摂食して水俣病に罹患した者に対しては損害賠償責任を負うと解するのが相当である。

3 毒物及び劇物取締法(昭和三九年法律第一六五号による改正前のもの。以下、本項において単に「法」ともいう。)

(一) 原告らは、被告チッソが水俣工場のアセトアルデヒド製造工程及び塩化ビニールモノマー製造工程において触媒として使用していた酸化水銀及び塩化第二水銀並びに製品製造工程で副生されたメチル水銀化合物を工場排水に混入させて不知火海に漏出していたとし、右酸化水銀、塩化第二水銀及びメチル水銀化合物を含む工場排水は、いずれも毒物及び劇物取締法の規制対象である「水銀化合物」又は「水銀化合物を含有する製剤」に該当するものであり、被告国及び県は被告チッソに対し、同法に規定する各種規制権限を行使すべきであったと主張する。

(二) 本件における規制権限行使の要件の充足について

毒物及び劇物取締法は、「水銀化合物及びこれを含有する製剤」をして同法にいう「毒物」に該当すると定め(毒物及び劇物取締法施行規則一六条の二、同規則別表第二、第三項)、これら毒物又は劇物を業務上取り扱う者に漏出等防止義務(法一一条)等を負わせ、また、厚生大臣又は都道府県知事は、保健衛生上必要があると認めるときは右業者らの作業場等への立会検査(法一七条)や漏出等の防止に必要な措置を講ずるよう命令すること(法二二条二項)ができる旨を定めている。

法の規制対象である「水銀化合物」とは、水銀と他の物質が化学結合によって生じ、一定の組成をもち、各成分の性質がそのまま現れていない物質そのもの、又はそれに粉砕、成型等の組成に影響しない物理的な操作を加え製品化したものを意味し、「水銀を含有する製剤」とは、水銀の効果的利用を図るために意図的に製剤化されたものを意味すると解するのが相当である(〈書証番号略〉)。

まず、被告チッソがアセトアルデヒド製造工程及び塩化ビニールモノマー製造工程で触媒として使用していた酸化水銀及び塩化第二水銀はいずれも無機水銀化合物であって、毒物及び劇物取締法にいう「水銀化合物」に該当するものである。前示第一章第五「水俣病の発生機序等」の項で判示したとおり、被告チッソはこれら無機水銀化合物を工場外に排出していたものであるが、結果としてこれら無機水銀化合物の排出と水俣病の発症との間には現在のところ因果関係が認められないのであるから、この点について被告国及び県の毒物及び劇物取締法に定める各種規制権限の不行使を本件において問擬することはできない。

次に、メチル水銀化合物を含む工場排水自体が毒物及び劇物取締法にいう「水銀化合物又はこれを含有する製剤」に該当するかについて検討するに、工場排水自体が「水銀化合物」に該当するものでないことはもちろん、工場排水自体は水銀化合物の有効利用を意図して製剤化したものではないから「水銀化合物を含有する製剤」に該当しないものである。第一章で判示したとおり、水俣病の原因物質であるメチル水銀化合物はアセトアルデヒド製造工程で意図せずに副生されたものであるが、法は漏出等の防止を義務付ける毒物又は劇物をして、毒物劇物営業者や特定毒物研究者らにおいては製品又は研究対象として直接取り扱うものを、右以外の者であって毒物又は劇物を業務上取り扱う者においては製品製造工程で使用する原材料、製品等として直接取り扱うものに限定する趣旨であると解するのが相当であるから、本件におけるメチル水銀化合物のように製品製造工程において意図せずに副生され、工場排水に含まれる形で存在するものを規制対象とするものではないというべきである。

(三) 以上のとおり、被告チッソが水銀化合物を含む工場排水の排出した行為について毒物及び劇物取締法の規制を加えることはできなかったのであるから、被告国及び県が同法上の各種規制権限を行使しなかったことをもって水俣病発症についての責任を問うことはできない。

4 漁港法、港則法等の港湾等管理法令

(一) 原告らは漁港法、港則法等の港湾管理法等の罰則を適用することによってチッソ水俣工場の工場排水を規制すべきであった旨主張する。

しかし、罰則適用のための犯罪の捜査及び公訴の提起は、国家及び社会の秩序維持のために行われるものであって、被害者の被害回復を目的とするものではなく、被害者が捜査又は公訴の提起によって受ける利益は反射的にもたらされる事実上の利益にすぎず、法律上保護された利益ではない(最高裁平成二年二月二〇日第三小法廷判決、裁判集民事一五九巻一六一頁)。したがって、犯罪の捜査及び公訴の提起の懈怠を問擬して国家賠償法の規定に基づく損害賠償請求をすることはできないというべきである。

(二) なお、原告主張の各個別法令の要件を充足する事実が当時存在したかについて検討しておく。

(1) 漁港法(昭和四二年法律第一二〇号による改正前のもの。)

原告らは、丸島港が漁港法五条一項にいう「漁港」に指定された後である昭和二八年八月ころには、被告国は被告チッソに対し、漁港法三九条一項及び五項並びに四五条に基づいてその工場排水の排出を規制すべきであったと主張する。

しかし、漁港法三九条一項及び五項に基づく農林大臣による汚水放流の規制は、同法五条一項に基づいて指定された特定の漁港区域内に直接汚水を放流する場合を対象としていると解するのが相当であるところ、チッソ水俣工場はその工場排水を、同法五条一項によって昭和二六年九月七日に「漁港」として指定された丸島港の区域内に直接排出していたものではないから、被告チッソによる工場排水の排出行為に対し漁港法に基づく規制を行うことはできなかったといわなければならない。

(2) 港則法(昭和四五年法律第一一一号による改正前のもの。)

原告らは、チッソ水俣工場の工場排水が港則法二四条一項の「廃物」に該当すると主張する。

しかし、港則法の目的は、港内における船舶交通の安全及び港内の整頓を図ることにあって(同法一条)、同法二四条一項は、港内又はその附近の水面にごみ等が投棄されることによって船舶の運航、貨物の荷役等の港湾利用に支障がもたらされることを防止する趣旨であるから、同条同項にいう「廃物」とは、港内での船舶交通の安全及び港内の整頓の確保に支障をもたらすものをいうと解するのが相当であるところ、チッソ水俣工場の工場排水は、船舶の交通の安全及び港内の整頓の確保等水路の保全にとって支障をもたらす性質のものでないから、同条同項にいう「廃物」に該当しないというべきであり、同法によって被告チッソの工場排水の水俣湾への排出行為を規制することはできなかったものである。

(3) 旧河川法(明治二九年法律第七一号)

原告らは、被告チッソが工場排水を水俣川河口に排出することで河川の流水の清潔に影響を及ぼしていたとして、旧河川法に基づいて被告国は早急に河川管理のための命令を制定すべきであったと主張する。

しかし、第一章で認定したとおり被告チッソの工場排水(アセトアルデヒド排水)が水俣病の原因物質を含んでいることを被告国及び県において認識し得たのは昭和三四年一一月末ころであると認められるところ、同月ころにおいては既に水俣川河口付近への工場排水の排出は被告チッソによって中止されていたのであるから、当時、水俣病の被害防止のため被告国において旧河川法に基づく命令を制定すべき事実は存していなかったというべきである。

(4) 清掃法(昭和二九年法律第七二号)及び軽犯罪法

原告らは、被告チッソの工場排水は清掃法一一条二項、軽犯罪法一条二七号にいう「ごみ」に該当するから、被告国及び県は右各法規に基づく罰則を被告チッソに対して適用すべきであったと主張する。

しかし、清掃法一一条二項及び軽犯罪法一条二七号にいう「ごみ」とは、社会通念上、人の営む生活環境に支障を生じるため占有者が占有の意思を放棄して廃棄した物又は廃棄しようとしている物と解するのが相当であるところ(〈書証番号略〉)、排気及び排水は右「ごみ」の概念に含むと解することはできず、被告チッソの工場排水は清掃法及び軽犯罪法にいう「ごみ」に該当しないから、被告チッソに対して清掃法及び軽犯罪法を適用することはそもそもできなかったというべきである。

(三) 以上のとおりであるから、原告らの右主張はいずれも理由がない。

5 行政指導の懈怠

原告らは、通産省の行政指導として被告チッソに対し工場排水を調査し、かつ、工場排水について閉鎖循環方式の指導を行うべき作為義務が発生していた旨主張するけれども、前示のとおり昭和三四年末においてはチッソ水俣工場の工場排水の規制について既存の法律によって対処できたのであり、実施主体、実施時期、実施内容、実施方法等種々の点について明確な法律に基づかない行政指導によって規制を行わせることは望ましくない上、当時の被告チッソの態度、及び水俣市議会や同商工会議所等の態度等の事情を考慮するならば、工場排水に対する規制を行政指導で行うべき作為義務は発生していなかったものというべきである。

第二国家賠償法二条一項に基づく責任(公の営造物の管理責任)について

一原告らは、被告国及び県が管理する水俣湾、百間港及び丸島漁港等の港湾並びに不知火海沿岸の海域(海浜、海面、海水及び海底により構成された自然公物)の管理上の瑕疵によって水俣病に罹患したとして、被告国及び県は原告らに対し国家賠償法二条一項に基づく責任を負う旨主張している。

二  第一章で認定したとおり、水俣病は、海水中に溶解していたメチル水銀化合物が魚介類の体内に蓄積され、それを不知火海沿岸住民らが摂食したことによって発生した疾患であるから、被告国及び県の国家賠償法二条一項に基づく責任の有無を考える上で問題にすべきことは、不知火海海域の海水について管理上の瑕疵が認められるか否かである。

ところで、この場合の海水の管理とは、当該海域に生息又は回遊する魚介類にメチル水銀化合物が蓄積しないように海水の水質を保つことに他ならないが、海水は海流等により常に移動していることから海域の管理者において海水自体の水質を管理することは事実上不可能なこと、海水の水質を一般的に管理するよう定めた法令は存しないこと等からすると、海域内といえども国又は地方公共団体において海水の水質を一定に管理することは、およそ考えられていないというべきである。そうすると、不知火海海域の海水について被告国及び県の管理上の瑕疵を問擬することは意味のないことである。

さらに、原告らは、被告国及び県の管理上の瑕疵を問うに当たって、百間港においてチッソ水俣工場から廃棄物が堆積して港の機能が麻痺していたことや不知火海の海底泥土中に沈殿蓄積していたチッソ水俣工場が排出した水銀を浚渫しなかったことを問擬するのであるが、第一章で認定したとおり、百間港の機能を麻痺させた堆積廃棄物は専らカーバイド残渣であり、海底泥土中に沈殿蓄積していた水銀は硫化水銀や酸化水銀といった無機水銀であるのであって、いずれも水俣病の原因物質であると認められていないから、被告国及び県の本件における損害賠償責任を考える上では意味のないことである。

三したがって、原告らの主張する国家賠償法二条一項に基づく主張は理由がない。

第三結論

以上のとおり、昭和三四年末において、被告国には水質二法によるチッソ水俣工場のアセトアルデヒド排水の規制権限の行使を怠った過失が、被告熊本県には熊本県漁業調整規則三二条による右同様の工場排水処理設備に関する規制権限の行使を怠った過失が認められるから、昭和三五年一月以後に不知火海の魚介類を摂食して水俣病に罹患し、又はその被害を拡大させられたと認められる別紙認容金額一覧表(一)記載の各原告に対しては、国家賠償法一条一項に基づいて水俣病罹患により被った損害の賠償責任がある。

そして、被告国及び県の右不法行為は、後記の被告チッソのアセトアルデヒド排水の排出という不法行為を阻止しなかったため、右原告らの水俣病発症又は症状悪化という結果をまねいたというものであり、いわゆる不作為の不法行為と目されるものであるところ、被告チッソの排水の排出という不法行為と客観的に関連共同する行為によって右原告らに損害を生ぜしめたものというべく、右原告らに対する関係ではその全損害につき被告チッソと連帯して賠償する責任があると解するのが相当である。

その余の被告国及び県の不法行為に関する原告らの主張は採用することができない。

第三章被告チッソの責任について

水俣病は、チッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造工程において副生された有機水銀化合物(メチル水銀化合物)を混入した工場排水が不知火海に排出されたことにより、魚介類がメチル水銀化合物によって汚染され、これを地域住民が経口摂取することによって発症する疾患であることは争いがなく、被告チッソの右排出行為に過失があることについては、被告チッソにおいて明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。

したがって、被告チッソの右行為は不法行為たるを免れず、不知火海の魚介類を摂食して水俣病に罹患したと認められる別紙認容原告一覧表(一)及び(二)の各原告に対して、民法七〇九条に基づいて水俣病罹患により被った損害を賠償するべき責任がある。

第四章被告チッソ子会社の責任について

第一法人格の形骸化

一原告らは、被告チッソ子会社はいずれも被告チッソの全面的専制的支配を受け、人的にも事業活動上でも被告チッソの一事業部門と評価し得る程度の一体性を有するものであって、被告チッソと別法人であると区別するに足りる独自性、独立性を有せず、その法人格は形骸化していると主張する。

ところで、法人においてその法人格が形骸化していて背後で支配する個人又は別法人と実質的に同一視するのが相当な場合は、当該法人の法人格を否認することができると解されるところ(最高裁昭和四四年二月二七日第一小法廷判決民集二三巻二号五一一号)、法人格の形骸化を認めるには、背後の個人又は別法人による全面的な支配がみられることに加えて、当該法人において独立した法人格を認めるに足りるだけの社会的実態が存しないと認められることが必要である。

そこで、まず、本件被告チッソ子会社の社会的実態を検討する。

二被告チッソ子会社の概要

(〈書証番号略〉)

1 被告チッソ石油化学は、昭和三七年六月一五日、石油化学製品(ポリプロピレン、アセトアルデヒド)の製造を目的として、資本金一億円(なお、その後の増資によって昭和四一年以降は二〇億円である。)で設立され、主な事業所は千葉県五井市に存し、昭和六三年三月時点における従業員数は七七一名、年商は五五〇億円の会社である。

2 被告チッソポリプロ繊維は、昭和三八年五月一八日、ポリプロピレンの加工(繊維の製造)を目的として、資本金三億円(なお、その後の増資によって昭和五二年一〇月以降は八億四〇〇〇万円である。)で設立され、主な事業所は滋賀県守山市に存し、昭和六三年三月時点における従業員数は一八三名、年商は六二億円の会社である。

3 被告チッソエンジニアリングは、昭和四〇年二月八日、化学工場設備の計画設計、工事の施工監督、運転指導等を目的として、資本金七五〇万円(なお、その後の増資によって昭和五九年四月以降は三億六〇〇〇万円である。)で設立され、主な事業所は東京都千代田区内幸町に存し、昭和六三年三月時点での従業員数は二一六名、年商一二二億円の会社である。

4 被告チッソによる被告チッソ子会社の株式保有率は、被告チッソ石油化学の場合は設立当初から一〇〇パーセントであり、被告チッソポリプロ繊維の場合は設立当初八五パーセントであったが昭和五二年一〇月以降一〇〇パーセントであり、被告チッソエンジニアリングの場合は設立当初は一〇〇パーセントであったが、昭和五九年四月以降九〇パーセントである。

5 親会社である被告チッソは、被告チッソ子会社の設立以来その主要役員を自らの役員をして兼任させており(〈書証番号略〉)、また、被告チッソ子会社の従業員は被告チッソにおいて一括採用した後、各子会社に振り分けるという労務政策をとっている(〈書証番号略〉)。

三右の事実からすると、被告チッソは被告チッソ子会社の株式を全部又は大部分を保有し、その経営に関してほぼ全面的に支配し、企業グループとして強い一体性を有するものであると認められるものであるが、他方、被告チッソ子会社はそれぞれ独自の組織、財産を有し、独自の事業活動を営んでいることも認められる。さらに、被告チッソと被告チッソ子会社との間での経理や会計処理において混同はみられないこと(〈書証番号略〉)からすると、被告チッソ子会社をして親会社である被告チッソとの関係において法人格が形骸化していると評価するに足りる実態は認められない。

四したがって、法人格の形骸化ゆえに被告チッソ子会社の法人格を否認すべしとする原告らの主張は理由がない。

第二法人格の濫用

一原告らは、被告チッソは水俣病被害者らに対する賠償責任を回避する意図の下に被告チッソ子会社を設立し自らの会社財産を子会社に分散したとして、このような目的の下に被告チッソが設立し運営している被告チッソ子会社はいずれも法人格を濫用するものであるから、その法人格は否定されるべきであると主張する。

法人格が背後で支配する個人又は別法人において法律の適用を回避するため濫用される場合にはその法人格を否認して背後者の責任を追及し得ると解されるところ(最高裁昭和四四年二月二七日第一小法廷判決民集二三巻二号五一一号)、背後者によって法人格が濫用されているとするには、背後者が実質的に当該法人を支配していることに加えて、背後者において法人格を濫用せんとする意図と濫用している実態がともに認められることが必要である。

二まず、被告チッソにおいて被告チッソ子会社の設立にあたって、水俣病患者らに対する損害賠償責任を回避する意図を有していたかについて検討する。

この点、被告チッソ及び同チッソ子会社は、被告チッソ子会社の設立事情について、被告チッソ石油化学は、石油化学という新規事業に伴う危険の分散の目的と丸善石油化学コンビナートに参加するための企業を独立して形成する必要から設立し、被告チッソポリプロ繊維は、ポリプロピレン繊維の製造の分野に進出するに当たり、新規事業に伴う危険の分散の目的と技術提携先との合併による会社を設立することが得策であるとの経営判断に基づいて設立し、被告チッソエンジニアリングは、化学工場の設備等の計画、設計等のエンジニアリング事業を営むに当たり、分散している技術者と技術を一つに統合し、有効利用するためには別会社とすることが必要であるとの経営戦略に基づき設立したと主張する。

ところで、我が国では、昭和三〇年の半ばころから通産省の指導の下に、石炭産業から石油産業へと産業構造の転換が図られるようになり、以後、旧財閥系企業をはじめとして多くの化学工業会社が石油化学事業へ進出した。被告チッソは昭和三〇年ころから石油化学事業への進出を計画し、通産省による昭和三四年一二月からの「第二期石油化計画」にしたがって石油化学工業の企業化に着手した。

このような時代的背景に加え、我が国は石油化学工業については欧米に比べて後発であったこと、また、被告チッソの石油化学事業への進出は国内においても旧財閥系企業に比べて後発であったこと、石油化学工業は石油コンビナート単位に参画する各社が一体となって営まれることが合理的であること、被告チッソは石油化学製品の技術導入について、当時国内有力企業が提携していた米国モンテカチーニ社ではなく、新進の米国アビサン社と提携することを企図しており、最先端技術による製品製造によって国内他社を凌駕しうるか否かについて予測不明な点が多かったこと等からすると、被告チッソ及び同チッソ子会社が主張する被告チッソ石油化学及び同チッソポリプロ繊維に関する設立目的は当時の経営戦略として存在していたであろうと推認し得るものである。また、被告チッソは石油化学事業に多くの子会社を設立して進出したのであるが、このように企業が多方面に分散する中で、各グループ会社ごとに蓄積された技術やノウハウを統合化し、ソフトウェア自体の有効利用としてその商品化を企図することは合理的な経営戦略として当然に首肯し得るものであるから、昭和四〇年において被告チッソエンジニアリングを設立し、その設立目的が被告チッソ及び同チッソ子会社の主張するとおりであると考えることは不自然なことではなく、当時そのような設立目的が存していたであろうことも推認し得るのである。

(〈書証番号略〉)

さらに、後述するように熊本県では昭和三五年から昭和四五年までの間、胎児性水俣病患者を除き、新患者の発生は公的に報告されることがなく、当時は既に水俣病は終焉したと一般に考えられていたこと、被告チッソも昭和三四年一二月にいわゆる「見舞金契約」を水俣病患者家族らと締結して賠償責任の範囲を極めて限定的なものとしていたことからすると、被告チッソ子会社の設立当時において、殊更、被告チッソが自己の責任回避のために被告チッソ子会社を設立したと推認すべき合理的理由は存しないものというべきである。

以上によれば、被告チッソにおいて、被告チッソ子会社を設立するについては自らの水俣病患者らに対する損害賠償責任を回避する目的であったと推認することは困難であって、この点に関する原告らの主張は理由がない。

三法人格の濫用の実態について

原告らは、被告チッソは製品製造会社であるにもかかわらず、昭和三三年三月期以降自らへの設備投資を行わず、主要製品であるアセトアルデヒドの製造を被告チッソ石油化学に移したこと、被告チッソは現在、被告チッソ子会社の製造製品を専ら販売する会社となっているが、異常に高い売上原価率を設定しており、その販売による利潤の大部分を子会社に移転させていること、被告チッソは昭和四八年までの間は被告チッソ子会社らに「ひもつき融資」(親会社が銀行から直接借入れた資金を、そのまま子会社へ融資すること)を繰り返し行い、子会社に資金を調達するための金融会社的役割しか果たしていないこと等の事実を指摘して、被告チッソはあえて企業活動を停滞させて利潤蓄積を怠るとともに、資産や利潤を被告チッソ子会社に意図的に移転しているのであって、これらの事実からすると被告チッソは自らの賠償責任を回避するために被告チッソ子会社の法人格を濫用していると主張する。

まず、被告チッソはアセトアルデヒドをカーバイド法によって製造していたものであるが(〈書証番号略〉)、被告チッソ石油化学はアセトアルデヒドを石油法で製造するものである。被告チッソによるアセトアルデヒドの製造が衰退し、被告チッソ石油化学によるアセトアルデヒドの製造がそれと反比例して盛んになったことは、石炭産業から石油産業へと変容していった我が国の時代の趨勢によるものであって、この両会社におけるアセトアルデヒド製造の推移から被告チッソが被告チッソ石油化学会社にアセトアルデヒド製造工程という資産を損害賠償責任を回避する意図の下に移転したと推測することはできない。また、被告チッソは製造会社としての設備投資を昭和三三年三月期以降行わず、また、昭和四八年ころまでは被告チッソ子会社の資金調達のために銀行からの借入れ等を積極的に行っており、被告チッソ自身は製品製造会社から子会社の製品販売会社へと変質していったのであるが(〈書証番号略〉、証人山口孝の証言)、これらのことも、石炭産業から石油産業へと時代が移り変わる中で、石炭産業を担ってきた被告チッソがその製造分野を縮小し、石油産業を担う関連子会社の育成を積極的に図ることも時代に対応した企業経営としては合理的な判断というべきであって、殊更、水俣病患者からの賠償責任を逃れるために子会社の法人格を利用したとまで推測することは却って不自然である。さらに、原告らは被告チッソは子会社の製品を販売するに当たって売上原価率を異常に高く設定しているとするが、山口孝著「チッソ企業集団の研究」(〈書証番号略〉)によると、昭和五三年から昭和五七年の間の売上原価率は被告チッソの場合は85.0パーセントから89.8パーセントの間で推移しているが、三菱化成においても84.0パーセントから89.6パーセントの間で推移していることが認められ、このことからすると被告チッソの売上原価率が他社に比べて異常に高いと評価し得るか疑問であって、殊更、被告チッソが自社の利潤を減少させて被告チッソ子会社の利潤蓄積に努めていると推認することは困難である。

以上からすると、原告らが主張するような被告チッソによる賠償責任回避のための被告チッソ子会社の法人格の濫用はいずれも実態として認めるに至らないものであり、その他、関係各証拠を精査するも被告チッソによる子会社の法人格を濫用していると認めるべき事情を認めることはできない。

四したがって、法人格の濫用を理由として被告チッソ子会社の法人格を否認すべしとする原告らの主張は理由がない。

第五章水俣病の病像と診断に関する問題について

第一水俣病の病像

一水俣病の意義

水俣病は、チッソ水俣工場がアセトアルデヒド酢酸製造工程で副生されたメチル水銀化合物を含む工場排水を水俣湾及び水俣川河口を通じて長期かつ大量に不知火海一円に排出した結果、メチル水銀が魚介類に蓄積され、これを経口摂取した不知火海沿岸住民にもたらされたメチル水銀中毒症である。このことについては当事者間に争いがない。

二水俣病の疫学的研究

1 ハンター・ラッセル症候群

(〈書証番号略〉)

ハンター、ラッセル及びボンフィールドは、一九四〇年(昭和一五年)にイギリスの硝酸メチル水銀系種子消毒剤製造工場の労働者らに起こったメチル水銀化合物の吸入による中毒事故(直接経気道中毒症例)の患者を分析した結果、①運動失調、②言語障害(構音障害)、③視野狭窄という三症状が特徴的に出現していると報告した。以後、この三症状はハンター・ラッセル症候群と呼ばれ、メチル水銀中毒症の特徴的症状であるとされるようになった。なお、その後の研究の進展から、現在では、さらに④感覚障害、⑤難聴もハンター・ラッセル症候群に加えられている。ただし、言語障害は運動失調に含めて理解されるのが一般的である。

2 徳臣の研究

(〈書証番号略〉)

(一) 熊本大学医学部第一内科助教授であった徳臣晴比古は、昭和三五年までに発症した成人の水俣病患者三四例についての症例分析を行った。その結果は別紙八(「水俣病症状発現頻度」)のとおりである。

症状の出現頻度をみると、求心性視野狭窄及び知覚障害(表在、深部)が一〇〇パーセント認められた他、運動失調(アジアドコキネーシス等)、言語障害、聴力障害、歩行障害、振戦、軽度の精神障害は七〇パーセント以上に出現し、筋強直、強剛、不随意運動等は八ないし二〇パーセントに、発汁、流涎等の自律神経症状は二三パーセントに認められている。腱反射については三八パーセントが亢進し、8.8パーセントが減弱を示し、その他は正常であった。徳臣はこの分析結果をもとに、「本病の症状は小脳症状を中心とし、一部錐体路、錐体外路症状、大脳皮質症状、末梢神経症状など多彩な症状を示していたが、本病固有の症状群が認められた。」と報告している。

(二) 徳臣は、いずれもハンター・ラッセル症候群が短期間に出現した初期の水俣病患者を、その症度に応じて①普通型、②急性劇症型、③慢性刺激型、④慢性強直型の四類型に分類した。

3 新潟水俣病の研究

熊本においては、昭和三六年以降、水俣病の新患者の発症がみられなくなったとして、徳臣らによって水俣病の発症が「漸く終熄した様である。」といわれるようになったため(〈書証番号略〉)、広範なメチル水銀曝露者に対する臨床的又は病理的研究はしばらくの間なおざりにされていたが、新潟水俣病の発生以降、再び水俣病の研究が深化した。

(一) 新潟水俣病の初期病例

(〈書証番号略〉)

(1) 昭和三九年八月から昭和四〇年七月にかけて新潟県の阿賀野川下流沿岸地区に有機水銀中毒の集団発生が起こった(新潟水俣病の発生)。そこで、昭和四〇年六月一四日から新潟大学医学部神経内科教授の椿忠雄らは阿賀野川下流の患者発生地区の全住民四一二戸二八一三名について系統的住民調査を行った。さらに患者発生地区周辺三八四九戸一九八八八名中自覚症状を訴える一二〇名についても診察を行った結果、二六名を水俣病患者と診断した。

(2) この初期段階での患者の臨床症状の分布は、別紙九図一(「新潟水俣病各症状の出現率」)のとおりであった。椿らは、このような調査結果から新潟水俣病の臨床上の特徴を「表在性知覚障害がもっとも多く、また多くは初期症状である。患者の多くはまず手指のびりびりするしびれ感に気づき、次いで足尖、舌、唇などにも同様なしびれ感が起こり、ときには全身に及ぶ。この部位には一般に知覚鈍麻を認める。一般に四肢末端部に障害が強いし、障害部位の局在が明らかに末梢神経(ことに尺骨神経)障害を思わせるものもある。このほか注目すべき所見として、頭部及び顔面の知覚障害が多いことが挙げられる。知覚障害に次いで、運動失調、聴力障害、筋力低下、求心性視野狭窄、言語障害などが比較的多い。」と報告している。

(3) ところで、椿らは、新潟水俣病の病像を捉えるに当たって、中毒にはごく軽症なものから定型的なものまで、いろいろの段階がありうるとの考えから、検診の初期には診断基準の枠をはめることを避け、疑わしいものを広くすくい上げ、あらためて診断要領を設定する方針をとった。椿らは、しばらく臨床的検査を継続した後、自らの経験より新潟水俣病の診断要領を設定し、それに照して二六名を水俣病と診断した。

なお、椿らの設定した診断基準は以下のとおりである。

ア 神経症状発現以前に阿賀野川の川魚を多量に摂取していたこと

イ 頭髪(または血液、尿)中の水銀量が高値を示したこと(この値は水銀摂取を止めれば、数か月後以内に正常に復するので、川魚摂取時期との関係において考慮すること。また、その時期の水銀量が不明の場合、できるだけ状勢判断を行うこと。たとえば、同一家族で食生活を共にしていたものの中に水俣病患者があったり、頭髪などの水銀量が高値を示していたものがあれば重視すること。)

ウ 下記の臨床症状を基本とすること(以下の四症候をすべて具備しなければならないわけではない。また、感覚障害は最も頻度が高く、とくに四肢末端、口周、舌に著名であること、またこれが軽快し難いことを重視する。)

a 感覚障害(しびれ感、感覚鈍麻)

b 求心性視野狭窄

c 聴力障害

d 小脳症状(言語障害、歩行障害、運動失調、平衡障害)

エ 類似の症候を呈する他の疾患を鑑別できること(糖尿病などによる末梢神経障害、脳血管障害、頸椎症、心因性疾患は、とくに注意を要する。ただし、上記の疾患を持っていても、患者の症状がそれのみで説明し難い場合は、水俣病と診断することができる。)

メチル水銀中毒症の個々の症候をみると、視野狭窄を除き、極めてありふれた神経症候である。視野狭窄もいろいろの条件で出現するが、視力正常で網膜疾患がない場合、心因性狭窄(これは管状視野、らせん状視野の存在で明らかに診断できる。)を除き、極めてまれである。したがって、視野狭窄があれば本症を疑う大きな根拠になるが、これを欠く場合、他の疾患との鑑別は慎重を要する。

(4) 椿らが水俣病であると認定した二六例にはハンター・ラッセル症候群のそろっていない比較的軽症者、特に知覚障害のみの症例が含まれている。椿らは新潟水俣病患者の臨床的特徴として、全体として必ずしも定型的なハンター・ラッセル症候群を呈しないことを強調していた。また、椿は高度の神経学的知識に基づき、加えて他疾患との慎重な鑑別を行った結果、症状が脳血管障害でほぼ説明できる片麻痺を呈する例についても、繰り返し診察するうちに、その症状の中に血管性障害だけでは説明できない水俣病の症状を発見するなどしている。

このことからすると、新潟水俣病においては初期の段階から不全型や他疾患によってマスクされているような症例が水俣病として取り上げられていたことが認められる。

(二) 症状の憎悪例の報告

(〈書証番号略〉)

(1) 椿らは初期における阿賀野川流域の住民診察において、当時、症状はなくても頭髪水銀値の高い者(二〇〇PPM以上)は、水銀保有者として入院させて臨床検査や治療(水銀排泄)を行い、その後も患者と同様に追跡検診を行った。また、水俣病と診断できないが、疑わしい例は要観察者として追跡検診に加えた。また、患者発生地区で神経症状のある人は、患者、保有者、要観察者でなくとも定期検診を受けることを勧めていた。

新潟県も新潟大学と協力して昭和四五年一〇月から、阿賀野川流域六〇キロメートルの住民について一斉検診を行った(第二次一斉検診)。調査方法は、昭和四〇年(一部は昭和四二年)の調査で川魚を摂取したと答えたもの及び流域の漁業従事者を合せた一一九〇四名を対象とし、三段階に分けて患者を発見しようとするものである。

(2) これらの調査の結果、認定患者一〇二名中死亡者及び重症者を除く七九名の主要症状は別紙九図二(「新潟水俣病の主要神経症状出現頻度」)のとおりであり、四肢遠位部に強い知覚症状が94.9パーセントとやはり高率にみられた。

(3) 初期症状の憎悪については以下のような報告がなされている。

ア 知覚症状の推移は別紙九図三(「知覚障害の推移」)のとおりであり、知覚障害は初期には四肢の遠位部だけにみられたものが次第に上行して躯幹に及び、胸髄から一部頸髄レベルに達するに至った者も発見された。知覚障害の上界はスモン病にみられる程度の不明確な境界で、この型をとるものが五〇パーセント以上に認められた。重症者では躯幹正中線寄りの部位に知覚障害がより強く認められる者もいた。顔面では口周囲ないし上口唇部を中心とするタマネギ状の知覚障害を示すものが多く、この口周囲知覚障害は68.4パーセントと高率であった。

初期症例に比べて、四肢の共同運動障害(87.3パーセント)、聴力障害(75.9パーセント)、視野狭窄(58.2パーセント)がより高率に認められている。不全片麻痺も59.5パーセントと多く認められている。輻輳不全(40.5パーセント)、追従不全(32.9パーセント)等の異常眼球運動もそれぞれ高率に認められた。さらに排尿障害、性障害等の訴えも約二〇パーセントと増加している。

イ 平均的な一例をもとに神経症状の推移をパターン化すると、早期にはハンドルを握る際、バスの吊革につかまる際又は長く立っている際に手足がしびれる、口周囲がこわばると訴えていた者において、一、二年後には四肢の遠位部の知覚障害が明らかになり、さらに五、六年後ではその知覚障害の上界は躯幹部にまで拡大し、徐々に強まる不全片麻痺とともに麻痺側に知覚障害が増強していることが明らかになる。深部反射は二、三年後で四肢遠位部で減弱ないし消失するが、その後膝反射はかえって亢進傾向を示してくる。視野狭窄は三、四年後に明らかになるものが多く、輻輳不全、追従不全等の異常眼球運動も加わっている。熊本水俣病罹患者では七、八年後から徐々に脊髄障害が加わった例を診ており、新潟でも六、七年後から比較的若年者でも排尿障害、性障害を訴える者があり、それらは躯幹に知覚障害がおよぶ時期と一致してみられている。共同運動障害は一九六五年(昭和四〇年)当時よりも軽快又は消失しているものもあるが、日常動作の緩慢化が目立つ者が多かった。

このような臨床症状の推移から、椿らは、病理学的にも確認されている大脳、小脳及び末梢神経症が徐々に増強するほか、六、七年後には中脳など上部脳幹から脊髄まで障害が及んでくると推定している。

(〈書証番号略〉)

(三) 遅発性水俣病

(〈書証番号略〉)

(1) 新潟水俣病発生早期(昭和四〇年ないし四一年ころ)に神経内科を受診し神経学的に病状を検討されていた患者に、昭和四七年ないし四八年に新潟大学の神経内科医らが行った再検診の結果は別紙一〇表一(「7年後の主要神経症状頻度」)のとおりであった。

これによると、全く自覚症状のなかった者(頭髪水銀量二〇〇PPM以上で無症状のもの)、又は全身倦怠感、頭痛、めまい、筋痛、関節痛等の愁訴だけで他覚的所見のなかった者(当時の診断の多くは水俣病恐怖症やノイローゼであった。)においても、六ないし八年の経過で他覚的に捉らえられる水俣病の主要症状が明らかになってきた例が認められた。

新潟では、昭和四〇年に汚染魚の摂取禁止等の行政指導が行われ、その指導を地域住民らはよく守っていたことから、右患者らは、一旦メチル水銀の曝露を受けたものの、水俣病の主要神経症状が明らかに出現するまでの間、新たなメチル水銀の侵入がなかったと考えられる者であった。新潟大学脳研究所神経内科の白川健一は、このようなメチル水銀の曝露後、新たなメチル水銀の侵入がなかったにもかかわらず数年の経過後に発病する症例を遅発性水俣病と呼んだ。

(2) 白川らは、遅発症例のうち詳細に経過を追跡できた七例について主要症状の出現時期を報告しているが、その結果は別紙一〇表二(「主要症状の発現時期」)のとおりである。

これによると、四肢遠位部の知覚障害が比較的早期に発症するが、視野狭窄は遅れる傾向にあり、感覚障害、協調運動障害、視野狭窄以外にも輻輳不全という異常眼球運動、不全片麻痺(なお、白川らは両側性障害で左右差のある場合も、現象的には不全片麻痺の病像を呈することから、この報告では不全片麻痺の中に含めている。)等も遅れて加わることが認められたとしている。

4 熊大二次研究班の調査

(一) 第一次検診

(〈書証番号略〉)

(1) 昭和四六年、熊本大学医学部神経精神医学教室立津政順教授らは、熊本大学一〇年後の水俣病研究班(通称「二次研究班」、以下「熊大二次研究班」という。)を結成し、最も水俣病患者が多発した水俣市の三地区(月浦、出月、湯堂)と、汚染の影響が疑われている御所浦地区(嵐口、越地、外平)、さらに汚染の可能性が小さいので対照地区とした有明地区(赤碕、須子、大浦)の住民(受診者は水俣地区で九二八名《82.9パーセント》、御所浦地区で一七二三名《93.4パーセント》、有明地区で九〇四名《77.6パーセント》であった。)について一斉検診を実施した。

(2) 昭和四六年から昭和四七年に実施された第一次検診の結果、神経症状ないし精神症状の出現頻度は、別紙一一表一(「神経精神症状の出現頻度の比較」)のとおりであり、水俣地区では精神症状と神経症状が認められる者が二一三人(22.9パーセント)、神経症状のみが二二四人(24.1パーセント)、神経症状のみが三四人(3.6パーセント)であり、同地区受診者の約半数の人が何らかの神経・精神症状をもち、御所浦及び有明地区に比べて遥かに大きいことを認めた。

(3) 熊大二次研究班は、水俣病における個々の神経症状、精神症状の特徴について以下のように報告している。

ア 水俣地区には、特に知覚障害、運動失調、構音障害、視野狭窄、難聴、振戦、関節症・神経痛、知覚障害、性格変化、神経症的色彩などの頻度が他の地区に比べてはるかに高く、これらの神経及び精神症はメチル水銀中毒症を特徴づける症状である。

イ 知覚障害は水俣地区において他の地域に比べ有意差をもって高率にみられる症状である。知覚障害の型にそれぞれの地域間で差異があるかを調べたところ、水俣地区においては圧倒的に口周囲の知覚障害と手袋靴下型の四肢の末梢性知覚障害が多くみられた。さらに、全身性の知覚障害、及び従来メチル水銀と関係があまりないと考えられていた中枢型や脊髄型の知覚障害も水俣地区に高率に証明されている。しかし、神経症状としての知覚障害だけの場合や、下肢又は上肢のみにみられる知覚障害には、水俣地区と他の地区の数字の間には有意差は認められなかった。

(4) さらに、臨床的症状からみて水俣病であるか否かを決する診断基準をどのように定立するかの問題を検討するために、個々の神経症状のうちから対照地区と有意差のみられる症状を選び出し、さらにその特徴からいくつかの組合せを設定しその存在率を比較検討した。その結果は、別紙一一表二(「臨床症状の組合せ」)のとおりであり、それによると四肢の末梢性知覚障害と口周囲の知覚障害とが必発し、その他難聴、錐体路症状、振戦等の神経症状のみられる場合(同表中の5))、四肢の末梢性知覚障害と難聴その他の神経症状の組合せがみられる場合(同表中の6))は水俣地区と他の地区との間に有意差がみられた。しかし、四肢の末梢性知覚障害のみのもの(同表中の7))は、水俣地区に二二例、御所浦地区に二二例、有明地区に一〇例がみられており有意差を認めるに至っていない。

(5) 熊大二次研究班の一斉検診によって、主要神経症状がそろっていない症例が多く報告されている。同研究班は、調査結果を踏まえて、水俣病には重症の者から軽症の者まで極めて広いばらつきがあること、症状の発症は昭和三六年以降も昭和四六年に至るまでみられていること、これらは症状の重さや加齢とは関係がないこと等を報告している。

(二) 第二次検診

(〈書証番号略〉)

(1) 熊大二次研究班は、さらに昭和四七年から四八年にかけて、より正確な診断と病態把握のための精密検診として、前回と同じ地区の住民に対して第二回一斉検診を実施した。

知覚障害を分類した成績は別紙一二表一(「知覚障害の型、内容、障害されている知覚」)のとおりであり、四肢末端の知覚障害を認めるものが九五パーセント、口周囲の障害を認めるものが五四パーセントと多く、障害の程度としては脱失が六七パーセント、全身性が三二パーセントみられた。異常知覚も一二パーセントみられており、その内容は主として四肢のジンジンする感じであるが、その他背中に虫の這う感じ、唇がブルブルして舌が焼ける感じがする等の訴えも報告されている。

(2) 熊大二次研究班の第二次検診によって水俣病と診断された症例の臨床像を構成する主な症状の組合せは別紙一二表二(「臨床像を構成する主な症状の組合せ」)のとおりである。水俣地区においては、知覚障害のみの症例中、水俣病と診断された例が二人、その疑いとされた例が五人、診断保留されたものが一名みられる。しかし、他の地域では知覚障害のみの症例をして水俣病であると診断した例は一例もなかった。

5 藤野らによる鹿児島県出水市桂島の住民調査

(一) 第一報

(〈書証番号略〉)

(1) 昭和五〇年、水俣協立病院の藤野糺医師は、汚染が疑われる地区でありながら放置されていた鹿児島県出水市の桂島(チッソ水俣工場から南西約1.2キロメートルの沖合に浮ぶ小島)の住民五七名の健康調査を行った。

(2) 調査成績

ア 検査時における住民らの頭髪水銀値は、最高37.44PPM、平均9.78PPM(総水銀)であって、対照地区である大口市住民の頭髪水銀平均値5.17PPMに比べて、高値であった。

イ 住民らの自覚症状は、物忘れ(一〇〇パーセント)、全身倦怠感・易疲労感(98.2パーセント)、筋力減弱(89.1パーセント)、頭痛・頭重(85.5パーセント)等が、水俣病特有と考えられていた異常知覚(83.6パーセント)、視野狭窄(60.0パーセント)、失調(69.1パーセント)などの愁訴より高頻度にみられた。

ウ 他覚所見では、神経症状として、知覚障害(一〇〇パーセント)、小手筋群(拇指対立筋、短拇指外転筋、第一背側骨間筋、小指外転筋)の筋力低下(一〇〇パーセント)、ゴールドマン視野計による視野狭窄(98.2パーセント)、滑動性眼球運動障害(89.5パーセント)、視野沈下(83.6パーセント)、難聴(82.6パーセント)、運動失調(52.6パーセント)、構音障害(26.3パーセント)、振戦(21.1パーセント)がみられた。

また、神経症状として、情緒障害(70.2パーセント)、知能障害(68.4パーセント)などが高頻度にみられた。

エ 四肢末梢性知覚障害を示すものを任意に一一名選び、正中神経、尺骨神経及び腓腹神経の知覚神経最大興奮伝達速度を測定した結果、六名(54.5パーセント)がいずれかの神経で遅延を示した。

オ 症状の出現パターンとしては、四肢末梢性知覚障害、視野狭窄、滑動性眼球運動障害、聴力障害の組み合わさった者が67.2パーセントを占め、聴力障害のない者を含めると81.1パーセントとなった。症状のそろっている者ほど日常生活上の症度が重い傾向を示していた。

カ さらに、合併症としては、動脈硬化(42.9パーセント)、高血圧(35.1パーセント)、糖負荷試験による反応の異常(32.7パーセント)がみられた。

(3) 藤野らは、臨床症状として知覚障害及び視野狭窄を有し、さらに難聴、滑動性眼球運動異常、運動失調又は構音障害の症状を少なくとも一つを有する者を水俣病とするという診断基準を定立し診察したところ、五七名中五一名を右基準に照して水俣病であると診断し、残り六名を水俣病の疑いと診断した。

(二) 第二報

(〈書証番号略〉)

(1) 藤野らは、昭和五一年、桂島での調査結果と対照するために、非汚染地域である鹿児島県大島郡瀬戸内町加計呂麻島の西阿室地区の住民七六名の健康調査を行った。藤野らは、桂島地区と西阿室地区との健康の有意的な偏りから水俣病の症状の特徴を疫学的に拾い出す試みを行った。

(2) 藤野らは、その調査結果から以下のように報告した。

ア 自覚症状の比較では、筋力減弱、健忘、歩行障害、現在の知覚障害、全身倦怠感・易疲労感、視野狭窄、頭痛・頭重、積極性減弱、協同運動障害、過去の知覚、振戦、発作性症状について有意差が認められ、それらは有機水銀の影響と考えられた。

イ 臨床症状及び臨床検査所見の比較において有意差があり、かつ、有機水銀の影響と考えられたものは、フェルステル型視野計・ゴールドマン視野計による視野狭窄、情緒障害、知能障害、視野沈下、失調、口周囲知覚障害(以上は影響がより強いと考えられた。)、振動覚障害、難聴、感音性難聴、気導オージオグラム斜降型、構音障害、振戦であった。

ウ 症状の発現に有意差があり、有機水銀の影響と考えたがいまだ断定できず今後の研究検討を要するものは小指筋群の筋力低下であった。

(三) 第三報

(〈書証番号略〉)

(1) 昭和五二年から昭和五四年にかけて、藤野らは、桂島の二〇代の青年及び二〇歳未満の若年者ら四五名(うち受診者は四〇名)の一斉検診を行った。藤野は、この調査において、若年者における症状の特徴と、有機水銀曝露歴(居住歴)の長さと症状の影響関係(量反応関係)を調べる試みをした。後者の観点から対象者を、汚染の経過から昭和二八年、昭和三五年、昭和四一年を境に、対象者を生年に応じて四つの群に分け(昭和二一年から昭和二八年までの間に生まれた者をA1、昭和二九年から昭和三五年までの間に生まれた者をA2、昭和三六年から昭和四一年までの間に生まれた者をA3、昭和四二年から昭和四七年までの間に生まれた者をA4とグループ化した。)に分けた。

(2) その調査成績は以下のとおりである。

ア 自覚症状の内容は、「体がだるい・疲れやすい」(42.1パーセント)、「物忘れ」(36.8パーセント)、「頭痛・頭重」(34.2パーセント)、「しびれ感・耳が聞こえにくい・イライラ感」(23.7パーセント)等であった。

神経症状として四肢末梢性障害型感覚障害(55.0パーセント)、手掌・足蹠の発汗過多(30.0パーセント)、聴力低下(17.5パーセント)がみられたが、運動失調はA1群にのみ一名みられたに過ぎず、視野狭窄、構音障害はみられなかった。

イ 各グループ間での症状の特徴は、自覚症状が最も多かったグループはA1群であり、A1群には一二名全員に四肢末梢型の感覚障害を認め、七名に聴力低下が、一名に運動失調が認められ、A2群では長期にわたって島外で居住した一名を除く六名全員に四肢末梢型の感覚障害が認められ、A3群では男三名(37.5パーセント)の手指・足趾に軽度な感覚鈍麻がみられ、A4群では女一名(7.7パーセント)に前腕中二分の一、下腿中二分の一にまでおよぶ末梢型の感覚障害がみられたというものであった。

(3) このような調査結果から、藤野は、五五パーセントにみられた四肢末梢型感覚障害は、有機水銀曝露歴(居住歴)の長いものほど高頻度でかつ程度が強いことが認められたとして、末梢型の感覚障害が有機水銀汚染の最も基本的な初期又は軽症の症状であると考えられた旨報告している。

6 藤野らによる御所浦地区の住民検診

(〈書証番号略〉)

(一)藤野らは、昭和五二年から昭和五三年にかけて、昭和四六年の熊大二次研究班による調査を受けた御所浦地区(嵐口、越地、外平)の三五歳以上(年齢は昭和五五年六月月末現在)の住民九九三名(男四三九名、女五五四名)のうち、30.6パーセントに当たる三〇四名(男一二七名、女一七七名)に対し六年ないし六年半後の健康障害の推移をみる目的で追跡調査を行った。

(二) 自覚症状の推移を調査した結果は別紙一三表一(「自覚症状の推移」)のとおりであり、「しびれ感」が7.1パーセントから79.5パーセントと激増しているのをはじめ、「物忘れ、考えがまとまらぬ」、「体がだるい、疲れやすい」、「めまい」、「頭痛・頭重」、「よろつく、倒れやすい」「イライラ、ゆううつ」、「耳がきこえにくい」などの項目における出現頻度が増加している。

神経症状の推移は別紙一三表二(「神経症状の推移」)のとおりであり、全感覚障害が11.2パーセントから80.3パーセント、四肢末梢性感覚障害が8.6パーセントから68.4パーセント、難聴8.2パーセントから40.1パーセントのほか、失調、視野狭窄、振戦、構音障害の項目における出現頻度の増加が著名である。

自覚症状と他覚所見の有無をそれぞれ対比して症状発現の推移を検討した結果は別紙一三表三(「自覚症状と他覚所見の対比及びその推移」)のとおりであり、自覚症状と他覚所見の高い一致がみられ、詐病又は心因性の症状ではないことがうかがわれる。

さらに、症状の組合せによる推移を調査した結果は別紙一三表四(「症状の組合せによる推移」)のとおりであり、最も出現頻度が高い四肢末梢型知覚障害のみの例が前回一六人(5.4パーセント)から八〇人(26.8パーセント)へと増加したのをはじめ、運動失調等その他の症状を伴う症例者の数も増加している。なお、藤野は感覚障害のみの症例においても日常生活の障害があること等から水俣病と診断したといい、今回の調査で二一二名(69.7パーセント)を水俣病と診断している。いずれの症状を呈すれば水俣病と診断できるかの点はさておくとしても、いずれの症状をも認められなかったものが前回の二五〇人(83.9パーセント)から五三人(17.8パーセント)へと減少しており、相当数が症状の発現をみたことになる。

(三) 藤野は、同一人物の六年ないし六年半後の症状の発現及び増大については、加齢によるとの所見も、また、加齢によって顕著化したとの所見も得られなかったとし、過去の濃厚汚染に引き続いて、現在も続いているメチル水銀の慢性微量汚染の影響である可能性が強く疑われるとしている。

(四) 藤野は、桂島や御所浦における検診の結果から、最近の患者の臨床的特徴はハンター・ラッセル症候群に限っていえば感覚障害(四肢末梢性障害タイプ)を底辺としてそれに聴力低下や軽度の運動失調を併せもつもの、又は感覚障害だけのものが圧倒的に多いことが挙げられるとし、四肢末梢型の感覚障害は変形性頸(脊)椎症でみられず、また、同様の症状を呈する多発性神経炎を起こすような原因物質が認められない(仮にあったとしてもそれは頻度の上で問題にならない。)ことからも、このタイプの感覚障害が水俣病に特徴的なものであり、疫学条件を満たしておれば感覚障害のみの症例においても水俣病である蓋然性が高いと判断すべきである旨を述べている。

7 井形らの研究

(〈書証番号略〉)

(一) 昭和四六年から昭和四九年にかけて鹿児島大学第三内科学教室の井形昭弘らは、出水市全域を含む有機水銀汚染地域の住民約八万人を対象として一斉検診を実施した。調査方法は、保健婦ないし市町村職員が面接してアンケートをとる第一次調査、医師会及び保健所医師による第二次検診、鹿児島大学グループが神経学的検査を行う第三次検診という三段階方式であった。

(二) 井形らは、第三次検診まで受けた二七八人をもとに多変量解析という統計的手法を用いて水俣病の診断基準の設定を試みた。この多変量解析による手法とは、対象者の有する数多くの情報(多変量)から、水俣病疾患と相関する因子(主成分)をまず統計的に選択し(因子分析)、続いて各因子の重要度を統計的に数量化し(判別分析)、各所見の重みに相当する点数(判別係数)を算出するというものであり、対象者において因子得点が大きいほど水俣病らしさが大きくなるとして、診断の客観化を図ろうとするものであった。

(三) 井形らは、右二七八名について出現頻度が三パーセント以上であった五三項目の神経学的症状を因子分析及び判別分析し、別紙一四表一(「水俣病症状の因子分析および判別分析」)のとおり、各因子に判別係数を設定した。同表によると、四肢知覚障害の判別係数が0.223、運動失調は総じて高く(指鼻試験拙劣5.023、舌運動拙劣4.125)、他方、構音障害はマイナス1.458、難聴はマイナス0.166となっている。

対象者全員における判別値の分布状況は別紙一四図一(「対象者全員についての判別値ヒストグラム」)のとおりであり、この結果、井形らは水俣病と非水俣病の判別基準点を9.616とした。

(四) ところで、井形らの多変量解析によれば、知覚障害のみの患者は非水俣病ということになる。

この研究に対する欠点として井形自ら、①疫学的条件が数量化されていないこと、②診断条件の中に症状の経過が加味されていないこと、③全ての症状がその原因如何を問わず平面的に多変量として加えられていることを述べている。

しかし、この手法の問題点はさらに、病理学的にも水俣病の主要症状として捉らえられている難聴にマイナスの判別係数が与えられること、合併症等によってマスクされた疾患における計量診断法自体に困難が予想されること、数量化にあたっての基礎情報の収集に井形ら研究者の主観的判断が混入し、データの客観的信頼性に欠けることが考えられる。加えて、そもそも計量診断の基礎となった水俣病患者の数値が実際の認定患者の数値よりもはるかに少ないこと、現に、井形らの住民調査の対象となっていたものからその後多くの認定患者が現れていること(藤野らの桂島検診の結果等によって多くの認定患者がその後確認されている。)も多変量解析によるデータの信頼性を考える上で考慮されなければならない。

三病理学的考察による水俣病の一般的特徴

1 熊本大学医学部病理学教室の武内忠男らは、水俣病罹患者の重症例から軽症例までの多くの剖検結果から、水俣病の病理学的な一般的特徴は以下のとおりであると報告している。

①メチル水銀化合物は、生体内に広く分布し、神経系のみならず一般臓器組織の細胞にも広範囲に沈着している。それにもかかわらず、その障害が特に神経系に強く現れ、一般臓器に軽いことは、本物質が神経毒であることを強く示唆するものである。②神経障害性であるのに、脳における障害部位の選択性は、他の神経毒物に見られない特徴をもっている。最も侵されやすい部は脳で、脳障害に比して末梢神経障害は極めて軽い。③脳では、大脳及び小脳とも侵され、いずれも神経細胞を中心として障害される。本毒物は脳皮質障害性である。二次的に髄質障害も来し得る。④大脳皮質では、後頭葉が前頭葉より侵され、特に鳥距野(視野中枢)の障害が強い。また頭頂葉の中心前回及び中心後回や側頭葉の聴中枢などが侵されやすく、前頭葉でも光感覚との関連が示唆されている第八ないし第九野が侵されることがある。⑤小脳皮質では、小脳皮質病変が主であって、歯状核の病変は著しく軽いかほとんど無障害である。皮質では、小脳中心性顆粒細胞優位の障害(顆粒細胞の単個壊死が招来され、プルキンエ細胞、ゴルギ細胞の障害は比較的軽い。)がある。顆粒細胞の脱落の仕方には特徴があり、新旧小脳の区別なく、小脳半球及び虫部の比較的深部中心性に障害が現れ、小脳回の深部のものに比較的早くかつ比較的強くあらわれ、その小脳回の尖端部のプルキンエ細胞層直下からはじまる顆粒細胞優位の障害である。小節・片葉や半球中心側が障害されやすい。⑥間脳、その他脳幹部の核群の障害は前者に比して軽く、機能的にほとんど問題とならないほどであるが、重症例では多少障害されるものがある。その場合は間脳の障害が比較的よくみられ、脊髄では、神経細胞の障害は脳幹と同様軽く、むしろ二次性変化が錐体路及びゴル索にみられることがあるに過ぎない。⑦末梢神経では、脳神経には初期の軽い変化のみで、脊髄末梢神経にとくに知覚神経優位の障害がある。軽い変化では脱髄性病変があり、重症病変としてはワーラー変性をみる。

(〈書証番号略〉)

2 武内らは、水俣病はメチル水銀の摂取量と蓄積量に応じてその病変には差異が生じ、そのことから水俣病の病状に種々の表現がなされるとし、水俣病の全体像を富士山の形態にたとえて、①死、②最重症型(植物的生存)、③強直・刺激型、④普通型(ハンター・ラッセル症候群をそろえたもの)、⑤不全型(症状のそろわない型)、⑥マスク型(合併症等で水俣病の症状が臨床的に把握できない型)、⑦特殊型(胎児性・知能低下等)、⑧不顕型(症状が把握されない型)に分類した(〈書証番号略〉)。

四水俣病の病像に関する小括

1 水俣病が発生する以前は、メチル水銀中毒症はハンター・ラッセル症候群を呈する疾患であると一般に理解されていた。水俣病においても、初期の急性劇症患者又は急性患者にハンター・ラッセル症候群が認められたことから、水俣病をしてメチル水銀中毒症であると究明されたのである。

このようなハンター・ラッセル症候群で特徴付けられるメチル水銀中毒症は、専らイギリスにおける種子消毒剤製造工場の労働者に発生したメチル水銀の経気道中毒を対象とした研究によって得られた病像であったが、水俣病の場合は、同じくメチル水銀中毒症とはいうものの、不知火海一円にわたる広範な環境汚染の下、食物連鎖を通じて惹起された沿岸住民の大規模な集団的メチル水銀中毒症であって、右イギリスでのメチル水銀中毒症とは、その発生の経緯・機序、被曝者の規模・肉体的精神的諸条件の多様性等諸々の事情において異なる点が少なくないことに鑑みれば、イギリスの経験から導かれたハンター・ラッセル症候群で特徴付けられるメチル水銀中毒症だけをもって直ちに水俣病の病像とすることは妥当でない。

そこで、我が国におけるメチル水銀汚染を受けた不知火海沿岸住民の疫学的病理学的諸調査の結果によると、症状の発現経過からみると曝露後短期間のうちに多様な神経的精神的症状を発現し死亡に至る急性劇症例から症状の発現が緩やかに進行する慢性例まで、症状の発現態様からみるとハンター・ラッセル症候群をそろえた典型例、更に大脳の重篤な障害、錐体路障害等が顕著である重症例、ハンター・ラッセル症候群をそろえていない不全例、他の合併症によってメチル水銀中毒症状がマスクされている例等、また、症度においても重症例から軽症例まで様々な病像が存することが明らかにされている。

2 このように水俣病の病像は多種多様であることが認められるのであるが、今日までの医学的研究によると水俣病の一般的特徴については以下のように概括することができる。

水俣病は、ハンター・ラッセル症候群にみられる神経症状を主要症状とする専ら神経系疾患であるが、症状の発現経過については急性型から慢性型まで存すること、初期の水俣病患者に多くみられた急性劇症例又は急性例の水俣病にあってはハンター・ラッセル症候群がそろってみられていたが、近時の水俣病患者においては主要神経症状がそろっていない不全型が大多数であること、軽症例においては他の疾患との鑑別が困難な例が多いこと、主要神経症状の出現頻度としては四肢における末梢優位の感覚障害が最も多く、また、初発症状として四肢のしびれ感等の異常感覚を訴える者が多いこと、不全例においても経年的経過によって症状が増悪し徐々にハンター・ラッセル症候群がそろってくる例があること、他方、当初主要神経症状を備えていた者であっても経年的経過によって右症状のいくつかは快癒し不全型となる例も存すること等の一般的特徴がある。

第二主要神経症状の特徴と診断における一般的留意事項

水俣病はメチル水銀中毒症であって、その主要な症状がハンター・ラッセル症候群として一般に理解されている神経症状であることは前示のとおりであって、この点、当事者間に争いがない。しかし、その各症状の内容については当事者間に少なからず主張の相違がある。そこで、まず、水俣病の主要症状の内容について検討する。

一感覚障害

1 水俣病にみられる感覚障害の特徴

(一) 感覚の意義

感覚には、視覚や聴覚等の特殊感覚及び内臓感覚を除くと、概要、表在感覚、深部感覚及び複合感覚がある。表在感覚とは、皮膚又は粘膜の感覚であって、触覚、痛覚、温度覚等がこれに属する。深部感覚とは、骨膜、筋肉、関節等から伝えられる感覚であって、関節覚、振動覚、深部圧痛覚がある。複合感覚とは、皮膚の二点を同時に触れてこれを識別する二点識別覚や、触っただけで物体が何であるか識別する立体覚、皮膚に書かれた数字等を識別する感覚等をいう。

(〈書証番号略〉)

(二) 水俣病における感覚障害の特徴

(1) 臨床的特徴

水俣病の感覚障害は、一般に表在感覚、深部感覚及び複合感覚の鈍麻が両側の四肢において末梢優位に現れることを特徴とする。このような特徴から、水俣病における感覚障害は、手袋靴下型の感覚障害、四肢遠位部優位の感覚障害又は四肢末梢性の感覚障害と呼ばれている。口周囲又は舌尖部においても表在感覚の鈍麻が認められることも水俣病に特徴的な感覚障害である。このような感覚障害の典型的特徴については当事者間に争いがない。

(2) 病理学的特徴

水俣病の感覚障害の責任病巣は、その病理学的所見によれば、大脳では感覚の高次中枢である頭頂葉の中心後回(体性知覚野)の病変が顕著であるが、小脳皮質障害が強いことから振動覚や識別覚の伝導路の障害も二次的に考慮され、さらに末梢神経障害の関与も認められている。ただし、病理学的研究によれば水俣病の感覚障害は中枢優位であるとされている。

(〈書証番号略〉)

(三) 感覚障害パターンの特異性について

四肢末梢優位のいわゆる手袋靴下型の感覚障害は、水俣病罹患者において最も出現頻度が高いものであるが、水俣病においてのみ出現する特異なパターンではなく、様々な原因疾患から出現する多発性神経炎(単発性神経炎に対応する末梢神経障害の総称である。)において一般に出現する感覚障害である(〈書証番号略〉)。

2 感覚障害の診断

(一) 診断方法

(〈書証番号略〉)

(1) 表在感覚については、触覚では筆等を、痛覚では針等を、温度覚では温湯や冷水を入れた試験管等を使用し、被検者の応答をもとにして他覚的所見をとる。

(2) 深部感覚については、振動覚では音叉を足首や手首等の骨に近い皮膚の上に当て振動を感ずるかどうかを応答させたり、関節位置覚では閉眼させた状態で指や四肢関節を屈曲させて被検者に指の向きや関節の位置を言わせたり、圧痛覚では筋や腱等に強い圧迫を加えて被検者から痛みを感じるかを応答させたりして、その障害の有無を診察する。

(3) 複合感覚については皮膚の二点を同時に触れたり、閉眼した状態で使い慣れた物体を被検者に触らせてその物品名を当てさせたり、皮膚書字試験で皮膚に書いた数字を当てさせたりして、その障害の有無を診察する。

(二) 診断における一般的留意事項

(〈書証番号略〉)

感覚障害の診察は前示のとおりいずれも被検者の応答に基づいて行われるものである。被検者の応答は、被検者の体調、精神状態等に左右されることはもちろん、医師による暗示を受けやすいという面を有する。したがって、感覚障害の診察に当たっては、応答の正確性、的確性についての不断の注意が要求される。

なお、このような感覚障害の臨床的把握の技術的限界から、幼児や小児等の場合、臨床検査結果として感覚障害が把握されない場合も生じ得る。

3 感覚障害の臨床症状における問題

(一) 全身性の感覚障害について

水俣病にみられる感覚障害は、四肢における手袋靴下型のパターンを典型とするものである。しかし、感覚障害の部位が四肢末梢に限らず、全身に及ぶ場合がある。

この点、先にみた椿、白川らによる新潟水俣病患者の追跡調査の結果(〈書証番号略〉)によれば、四肢末梢型の知覚障害が次第に増悪して全身性の感覚障害を示す例が認められており、また、荒木らの近時における水俣病患者の臨床症状の調査(〈書証番号略〉)によれば、全身の痛覚脱失ないし鈍麻等を示す例も報告されている。そして、前示水俣病の病理学的研究によれば、水俣病の感覚障害の責任病巣は主に大脳知覚野であることからすると、感覚障害が四肢に限らず全身に及ぶ場合があっても理論的に想定し難いものであるとまではいえない。

(二) 半身性の感覚障害について

(1) 被告らは、経口摂取されたメチル水銀は血行を介して脳内の細胞に沈着することから、理論的には左右の神経系に同程度に行き渡り、かつ、左右均等に障害すると考えられるので、神経系の障害部位に左右差が生じるとは考え難いとして、水俣病にみられる感覚障害に左右差がみられるはずがない旨主張する。

(2) しかし、被告らの主張する血行を介して脳細胞に浸潤するメチル水銀が左右の神経細胞を均一に障害し、左右等しく神経症状を発現させるとする命題は、本件で提出された証拠をみる限り、現時点において実証されているとは認め難く一つの仮定に止まるものであるし、また、後述するように水俣病の感覚障害は大脳知覚野の障害のみに起因するものではなく末梢神経障害の関与も疑われるものである。そして、末梢神経の障害部位における左右均一性も現時点では医学的に明らかなものではないこと、仮にメチル水銀が左右の神経系に均一に付着するとしても、生体の複雑なメカニズムからするとそのように沈着したメチル水銀によって必ず臨床症状も左右等しく現れるかは多分に疑問であること、現に椿や白川らは、メチル水銀の高濃度曝露者において半身性の感覚障害が出現する症例を認めた旨報告していること(〈書証番号略〉)、また、荒木らは水俣病患者に対して昭和四七年から昭和五七年にかけて二ないし五回の追跡調査を行い、近時における臨床症状の特徴を調査したところ、診察ごとに感覚障害の分布が変動した例として一〇〇例中六三例があったと報告し、その中で四肢末梢性から半身性へと変化した例を認めていること(〈書証番号略〉)からすると、半身性の感覚障害や感覚障害に左右差が存する場合でも一概にメチル水銀の影響によるものではないとまで断じることはできないといわなければならない。

したがって、感覚障害発生のメカニズムからすると、基本的には左右両方に症状が現れる場合が多いと考えられるが、実際には半身又は左右差をもって病状が発現することも十分考えられるのであって、被告らの主張は採用できない。

(3) なお、半身性の感覚障害は脳溢血等の脳血管障害において一般にみられるものであるから、被検者において半身性又は左右差がある感覚障害がみられた場合、メチル水銀によるものか脳血管障害等他原因によるものか鑑別を要することはもちろんである。

ちなみに、白川らは、半身性の感覚障害は不全片麻痺がみられたメチル水銀高濃度曝露者において認められる例が多かった旨報告する中で、通常の脳血管障害に起因する不全片麻痺の場合、急速に一側の麻痺を生じ漸次改善するのが一般であるが、水俣病患者にみられる不全片麻痺は発症後徐々に増強するという特徴があって、臨床的には脳血管障害とは異なるものであるといい、原因病巣としては脳血管障害ではなく、大脳皮質レベルでの障害によるものと推定されるとしており(〈書証番号略〉)、脳血管障害が認められない患者において半身性の感覚障害を認めている。

(三) 障害される感覚の乖離について

(1) 被告らは、水俣病では四肢末梢における表在感覚、深部感覚及び複合感覚の全てに低下がみられるものであるから、表在感覚中の触覚、痛覚及び温度覚の一部についてのみ異常が存するに過ぎない場合等、障害される感覚に乖離が存する場合は水俣病による感覚障害とは考え難いものであるという。

(2) 確かに、水俣病の感覚障害の責任病巣として大脳知覚野の障害が認められていることからすると、表在感覚及び深部感覚の全てに障害がもたらされるであろうことは理論的に想定されるものであり、また、典型的水俣病患者においては一般に全感覚の低下がみられたとの調査結果も報告されている。しかし、前示のとおり水俣病の感覚障害は大脳知覚野の障害のみに起因するものではなく末梢神経障害等他の神経系障害の関与も認められているものではあるが、本件各証拠を精査するも、現在の医学的知見によれば、水俣病の感覚障害の責任病巣におけるメチル水銀の作用の仕方、その発生機序、症状の経過等について全て明らかにされているものではなく、メチル水銀中毒症における感覚障害では障害される感覚に乖離が発生することはないとまで認めるに足りる医学的な実証的研究成果を見出し得ないこと、却って、有馬澄雄編集「水俣病」(〈書証番号略〉)によると水俣病の感覚障害の責任病巣の一つである末梢神経では運動神経よりも知覚神経がより強く障害されることが認められること等からすると、現時点において水俣病では障害される感覚に乖離がみられることはないという被告らの主張は一つの仮定に過ぎず、直ちに採用し難いものであるといわなければならない。

二運動失調

1 水俣病にみられる運動失調の特徴

(一) 運動失調の意義と分類

(1) 運動失調の意義

(〈書証番号略〉)

運動失調とは、随意筋の筋肉に変化がみられないにもかかわらず、随意運動が十分に行えないことをいい、運動の巧緻性が損われ、無駄な運動が増え、時間的、空間的、動作力学的に非能率な運動を行う状態を意味する。運動失調はその態様から協調運動障害(運動時運動失調、四肢失調又は動的失調)と平衡機能障害(静止時運動失調、躯幹失調又は静的失調)とに分けられ、また、その責任病巣によって小脳性(小脳虫部型、小脳半球型、全小脳型)、脊髄後索性、前庭迷路性、大脳性に分けられる。

(2) 責任病巣による分類と特徴

(〈書証番号略〉、証人岡嶋透の証言)

ア 小脳性失調

a 小脳虫部(新小脳)型運動失調

小脳虫部は、原始的な自動運動の平衡に関与し、起立、歩行等の姿勢をとる機能と関係するので、その部位に病変を生じると、姿勢性の小脳運動失調、すなわち、主として歩行、起立、起座における平衡機能障害が特徴的で、躯幹部の運動失調が強く現れる。しかし、四肢の協調運動障害はほとんどみられない。

b 小脳半球(古小脳)型運動失調

四肢の随意運動の協調性に関係する小脳半球又は脳幹にある小脳に関係した神経路の障害によって起り、四肢の協調運動障害を主要な特徴とする。運動のリズムがとれないという症状が特徴的である。

c 全小脳型運動失調

小脳虫部及び小脳半球がともに侵された全小脳の障害によるもので、起立、歩行などの姿勢をとる機能及び四肢の随意運動の協調性に関する機能の両者が侵されるため、平衡機能障害と四肢の協調運動障害とが双方相伴ってみられる。

イ 脊髄後索性失調(感覚性失調)

深部感覚の経路である脊髄の後根、後索、末梢神経の障害によって平衡機能障害がもたらされる場合をいう。深部感覚は、位置、動きに関する情報を末梢神経、脊髄の後根、後索を経て中枢に伝達するものであるから、右部位に障害がある場合、視覚によって右情報が代償される場合(開眼時)には動揺が少ないが、その代償が得られない閉眼時には動揺が大となる。ロンベルグ試験又はマン試験において陽性となる。

ウ 前庭迷路性失調

内耳神経の障害によってめまいが起こり躯幹の保持が困難となる形の運動失調である。起立及び歩行に際しての平衡機能障害が特徴的で、片側性で、患側に倒れやすい。四肢の協調運動には変化がみられない。

エ 大脳性失調(前頭葉性失調)

前頭葉等の障害により起こる運動失調で、身体がふらふらする症状を示す。病巣が片側の場合には、多くの場合失調の左右差が起こってくる。病巣と反対側の身体に出現するが、小脳性のものと似ており、鑑別が困難なことがある。ロンベルグ試験において陽性を示すことが多く(時に陰性である。)、錐体路障害を伴うことがある。

(二) 水俣病における運動失調の特徴

疫学的研究によると、水俣病患者において最も発症頻度の高い運動失調は平衡機能障害と四肢の協調運動障害である(〈書証番号略〉)。また、病理学的研究によると、典型的水俣病患者の場合、一般に新旧小脳の区別なく、小脳半球及び虫部の比較的深部に中心性の障害が現れるという特徴がある(〈書証番号略〉)。したがって、水俣病の典型的な運動失調は、全小脳型の運動失調であって平衡機能障害と協調運動障害の双方が出現するものである。

2 小脳性運動失調の診断

(〈書証番号略〉)

(一) 協調運動障害の診断方法

(1) 検査方法(運動の正確性、リズムの規則性)

ア 指鼻試験

検査者と被検者が相対して上肢を水平に挙上し、被検者の指先で検査者の示す指先と自らの鼻先とを交互に触れる動作を反復させる試験

イ 膝踵試験

仰臥位で両下肢を伸ばし、次に一側下肢の踵を他側の膝に乗せ、すねの上をこするようにして伸ばす動作を反復させる試験

ウ 交互変換試験(ジアドコキネーシス)

肘を曲げ、前腕を速やかに反復して、回内、回外させる試験

エ 膝打ち試験

座位で膝の上を速やかに手掌と手背で交互に反復して打つ試験

オ 膝叩き試験

仰臥位で一側の下肢を伸ばし、その膝を同じリズムで他側の踵で反復して叩かせる試験

(2) 診断

小脳半球に障害がある場合は以下のような異常所見が認められる。このような所見は他の責任病巣による運動失調の場合にはみられないものである。

ア ジスメトリア(測定障害)

指鼻試験や膝踵試験の際に、指先や踵が目標とする鼻先や膝に達しなかったり(測定過小)、行き過ぎたり(測定過大)する状態をいう。

イ アジアドコキネーシス(交互変換運動障害)

交互変換試験において一回ごとの回転角度が異なったり、変換のリズムが不規則になったりする状態をいう。

ウ ミスダイレクション

運動方向感の障害であって、目標物への方向を間違えないで近づくことができない状態をいう。

エ デコンポジション

動作解体ともいい、四肢の全機能が相協調せず、一定の動作の目的を達成させるための合目的で正確、迅速、円滑かつ無駄のない動作を行っていない状態をいう。

オ 企図振戦

指鼻試験において指が目的物に近づくにつれて手の振れが大きくなるというような、運動の終結点へ近づくにつれて振戦が増強する場合をいう。

(二) 平衡機能障害の診断方法

(1) 検査方法

ア 起立動作試験

椅子に座っている姿勢から立ち上がる姿勢までの一連の動作をみる試験

イ 歩行観察試験

自然歩行をみたり、継ぎ足歩行試験(一直線状を踵とつま先を交互にくっつけて歩行させる)を行う試験

ウ 立位観察試験

安定した立位をとらせ、姿勢、その姿勢の安定度をみる試験

a ロンベルグ試験

両足をそろえてまず、開眼して立たせ、次いで閉眼させて身体の動揺をみる試験

閉眼により身体の動揺が著明となり、倒れれば陽性と判断する(ロンベルグ徴候)。深部感覚障害による感覚性の運動失調を診る検査である。

b マン試験

両足を前後に一直線状にそろえ、足先と踵を接して、まず開眼して立たせ次に閉眼させて身体の動揺をみる試験

ロンベルグ試験と同じく、深部感覚障害による感覚性の運動失調を診る検査であり、閉眼により身体の動揺が著明となり倒れれば陽性と判断する。ただし、マン試験は被検者への負荷が大きいため高齢者(六〇歳以上)では正常人でも異常所見が出やすい。

c 片足立ち試験

片足で安定して立てるかどうか、また、できる場合は閉眼で片足立ちができるかをみる試験で、閉眼で一〇秒以上立てると正常、五秒以内では失調を疑う。

(2) 診断

平衡機能障害は、小脳半球型運動失調を除く全ての運動失調にみられるものであるが、小脳虫部型運動失調では開眼時と閉眼時のいずれにおいても身体の動揺がみられ、かつ、動揺の程度に差がないことから、ロンベルグ試験及びマン試験において陽性とならず、この点において脊椎後索性失調や前庭迷路性失調と区別される。

(三) 眼振、眼球運動障害と小脳性運動失調について

(1) 眼球運動の種類

眼球運動には、向き運動(水平、垂直、斜め方向への眼球の動き)と寄せ運動(輻輳と開散)がある。向き運動には、衝動性運動(「SM」と略記され、視野内にある対象物を速い眼の動きでとらえ、それを中心窩で固視するための動きをいう。)、滑動性追従運動(「SPM」と略記され、対象物が動くのと同じ速度で固視を保ちながら追い続ける動きをいう。)、前庭動眼反射(「VOR」と略記され、頭部や身体の回転方向と反対方向にスムーズに眼球を動かして、中心窩で固視できるようにする動きをいう。)、視運動性眼振(「OKN」と略記され、移動する外界が視刺激となって誘発される眼振をいう。)の四系統がある。

(2) 小脳障害と眼球運動異常

小脳半球及び虫部に障害が存する場合には眼球運動に異常が出現し、両側性の衝動性眼球運動異常(ジスメトリア)、視運動性眼振(OKN)の異常(視運動性眼振パターン検査《OKPテスト》で主に眼振頻度の減少、緩徐相の抑制等のパターンがみられる。)である。

(四) 小脳性運動失調の診断における一般的留意点

(1) 脱力検査

運動失調は随意筋の筋肉に変化がみられないにもかかわらず随意運動が十分行なえない状態を指すことから、運動失調の診断に当たっては、まず、脱力(筋力低下)、筋萎縮、筋緊張(筋トーヌス)に異常がないかを調べる必要がある。

(2) 動作の緩慢

原告らは、水俣病軽症例における運動失調(協調運動障害)の特徴は、臨床的には動作の拙劣さや遅さとして発現するといい、あくまで日常生活における種々の支障と関係付けて意味付けることが必要との留保を付するものの、臨床所見として動作の緩徐がみられた場合は、それ自体、軽度の運動失調と捉えるべきである旨主張するので、この点について検討する。

まず、水俣病患者の現在までの臨床症状の変化に関する調査によると、「交互変換運動障害(アジアドコキネーシス)が37.9パーセントで正常化して協調運動障害は認められなくなった。」(〈書証番号略〉)、「小脳症状は比較的軽く、改善の傾向を認め、交互反復運動テストで運動の不規則性より遅れが目立つ」(〈書証番号略〉)、「かつての典型的な運動失調症状を示した例でも経過とともに運動失調は不明確となっている。」(〈書証番号略〉)、「軽症例では四肢の運動失調は認めにくいが動作は緩慢で単純な反復運動でも一定以上のスピードで行うことができず、運動の開始の遅れ、変換の遅れなどから一定以上のリズムでの運動が行いにくい等の特徴がある。」(〈書証番号略〉)等と報告されており、これらの研究成績からすると小脳性運動失調は比較的軽快しやすく、典型的水俣病患者においても経年的経過によって明らかな協調運動障害の症状を呈するものが減少しており、近時の軽症水俣病患者では運動障害については動作の緩徐が臨床上認められるに止まる者が少なからず存することが認められる。

しかし、このような研究成績が認められるからといって、現に水俣病に罹患しているか否か不明な者において動作の緩徐が認められた場合に、その者をして直ちに経年的経過によって協調運動障害が快癒傾向を示している水俣病罹患者であると認めることはできない。また、臨床的に動作の緩徐がみられる者をして協調運動障害を推認し得るかについては、本件の関係各証拠を精査するも、動作の緩徐それ自体が小脳性運動失調の特徴的所見であるとする医学的知見を見出すことは困難である。却って、現在の一般的な医学的知見によると、協調運動障害が存する場合に動作の緩徐が付随的に出現する可能性があることから、臨床的に動作の緩徐がみられた場合には協調運動障害を疑う契機になり得るに過ぎず、さらに運動失調の存否を明確に診断するには、諸検査においてジスメトリア、アジアドコキネーシス、デコンポジション等が認められることが必要であるとされているのである(〈書証番号略〉)。

そうすると、水俣病であるか否か不明である者において臨床上動作の緩徐が認められた場合、そのことから直ちに協調運動障害を推認することは困難であるというべきであって、さらに協調運動障害に関する検査所見を考察して協調運動障害の有無を判断する必要があるというべきである。

(3) ロンベルグ試験又はマン試験における陽性所見について

小脳性(小脳虫部)運動失調の場合、前示のとおり開眼時及び閉眼時のいずれにおいても同程度の動揺がみられるものであるから、ロンベルグ試験又はマン試験において陰性となるのが特徴である。一般に、ロンベルグ試験又はマン試験において陽性所見が認められた場合は運動失調としては脊髄後索性又は前庭迷路性が推認される。ところで、水俣病の判断においてロンベルグ試験又はマン試験陽性との所見が得られた場合、被検者に疑われる運動失調をして積極的に小脳性運動失調ではないと推認すべきであろうか。

この点、水俣病患者における臨床的調査によると、水俣病患者においてロンベルグ徴候がみられる例が少なくないこと(〈書証番号略〉徳臣「成人の水俣病」42.9パーセント、〈書証番号略〉白川「遅発性水俣病について」63.3パーセント、〈書証番号略〉荒木「慢性水俣病の臨床像について」三一パーセント)、病理学的研究によると、水俣病患者では随意運動の中枢である大脳の中心前回領域の障害が否定できず、さらに錐体路の系統的障害が招来されることも認められていること(〈書証番号略〉)からすると、水俣病罹患者において小脳性運動失調とは別に深部感覚伝導路等の障害によってロンベルグ徴候等が出現する可能性があることが認められるものである。

そうすると、メチル水銀の曝露経験がある者において、ロンベルグ試験又はマン試験において陽性所見がみられた場合、それゆえに小脳性運動失調が否定されるものでもないというべきである。

3 水俣病における小脳性運動失調の出現パターン

(一) 被告らは、水俣病ではメチル水銀が血行を介して小脳虫部及び小脳半球に等しく浸潤し、かつ、等しく障害するとして、水俣病における小脳性運動失調は必ず小脳虫部の障害に起因する平衡機能障害と小脳半球の障害に起因する協調運動障害を相伴って発症させるものであり、いずれか一方の異常所見しか得られない場合、特に、協調運動の異常所見(企図振戦、ジスメトリア、デコンポジション等)が乏しく平衡機能にのみ顕著な異常を示している場合、又は運動失調について左右差が存する場合は、水俣病による運動失調ではないと主張する。

(二) しかし、水俣病においては、経口摂取されたメチル水銀が血行を介して小脳虫部及び小脳半球に必ず均一に分布・沈着するかについては、本件各証拠を精査するも、そのような医学的知見が現在確立されていると認めることは困難である。この点、武内忠男の論文「水俣病、とくに慢性水俣病について」(〈書証番号略〉)によれば、小脳では中心性に顆粒細胞優位の脱落があり新旧脳回ともに侵すことが特徴ではあるが、軽いものは虫部垂、片葉、虫部小節などに限られる場合があると報告されていることからすると、軽症例におけるメチル水銀の沈着部位については一様に確定し得ないものであると認められ、現に、武内らの軽症水俣病患者の剖検結果において小脳の部分的障害の例がみられたこと(〈書証番号略〉)、新潟水俣病患者の中の不全片麻痺様の症状を呈していた患者に対して、椿らが脳血管障害等の不全片麻痺を一般に発症させる疾患との鑑別を高度の神経学的知識と他疾患との慎重な鑑別を行うことによってメチル水銀中毒症罹患者であると認めることができたこと(〈書証番号略〉)、仮に経口摂取されたメチル水銀が小脳虫部及び小脳半球に均等に分布、沈着するとしても、生体の複雑なメカニズムからすると臨床症状が必ずメチル水銀沈着部位又は障害部位に応じて出現すると断定することはできないこと等に鑑みると、被告らの右主張は直ちに採用するに至らないものである。

(三) したがって、メチル水銀の曝露経験者において小脳性運動失調の発現パターンにおいて協調運動障害と平衡機能障害に乖離がみられたり、又は運動失調における半身性、左右差がみられたとしても、そのことから直ちにメチル水銀の影響による小脳性運動失調ではないとまで断ずることはできないものと解すべきである。

三視野狭窄

1 水俣病にみられる視野狭窄の特徴

(一) 視野の意義

(〈書証番号略〉)

視野とは、一点を凝視して同時に見ることができる眼前の全範囲をいうが、視野の範囲は指標の色、大きさ、明るさに応じて、網膜の感度が異なるため、より正確には、その眼のもつ視覚の感度分布であると定義される。視野の異常には、視野の一部が点状又は斑状に欠損する暗点視野(視野沈下)、視野が半損する半盲及び視野の広さが狭くなる狭窄(視野狭窄)に大別される。

(二) 水俣病における特徴

(〈書証番号略〉)

(1) 臨床的特徴

水俣病にみられる視野狭窄は、求心性視野狭窄と呼ばれるものであって、周辺部の視野の広さが狭くなるが、中心部の視野は一般に比較的よく保たれていることが特徴である。

求心性視野狭窄は水俣病においてのみみられる疾患ではなく、他に純眼科的疾患である緑内症や網膜色素変性症、ヒステリー性視野狭窄等でも発症し得るものである。しかし、これらの眼科的疾患がうかがわれない場合に求心性視野狭窄が発症することは極めて稀であるので、メチル水銀の曝露経験を有する者において求心性視野狭窄が認められる場合は、水俣病の罹患を推認する有力な根拠となり得るものである。

(2) 病理学的特徴

水俣病の視野狭窄の責任病巣は、病理学的にみると大脳の後頭葉、特に周辺部視野の中枢である鳥距溝前半部の病変である。

2 視野狭窄の診断

(一) 診断方法

(〈書証番号略〉)

視野検査は、簡便な方法として対坐法がある。対坐法とは被検者に対面した医師が指等を使用して行う簡易な検査法である。

器具を用いて視野を定量的に把握する方法として、簡便なアイカップを用いる方法とゴールドマン視野計を用いる検査がある。ゴールドマン視野計とは、視標の面積に応じて六段階に、視標の輝度に応じて四段階に分け、それを組み合せた各視標を視野の周辺から中心に移動させ、被検者が認めた視標の軌跡(これをイソプター《等感度線》という。)を視野表に記録する装置である。ゴールドマン視野計による視野測定は、被検者の応答に依拠する自覚的検査方法であるから、検査結果の正確性を保つためには、検査医の習熟度はもちろん、被検者の肉体的精神的状況を常に注意し、適切に整えておくことが必要である。

(二) 診断における一般的留意事項

(〈書証番号略〉)

対坐法やアイカップ検査は、ゴールドマン視野計に比べて、被検者が対面しているものが機械ではなく医師本人であること、指標の視認にあたって、医師と被検者のコミュニケーションが随時行われることと、被検者が視標を認めた際、対坐法やアイカップ検査では口頭での応答を行えば足りるのに対して、ゴールドマン視野計では被検者自らが機械を操作しなければならないこと等の点から、特に被検者が初回検診者、老人、小児らの場合にはその心理的影響の面で一般的に負担が少ないものといえよう。

しかし、対坐法は、著しい狭窄や半盲等の存在等を大まかに検出する方法として有用なものであるが、視野異常の有無を定量的、かつ、精密に把握するには専門の器具を用いた検査方法に頼らなければならない。また、アイカップ検査の場合は、室内照明、指標の大きさ等の測定条件によって測定結果に差が生じやすく、また、測定の精密度においても、測定時にカップの位置がずれやすいこと、視野計のエッジに角度が付いているので、特に耳側視野測定時に指標を固定し難いこと、指標の明るさを一定に保ちにくいこと等の問題点に鑑みると、ゴールドマン視野計に測定精度の面において劣るものである。したがって、現在では、被検者の応答に依拠する視野検査の中では、ゴールドマン視野計による視野検査が最も精度の高いものと理解されている。

四難聴

1 水俣病にみられる難聴の特徴

(一) 難聴の意義

(〈書証番号略〉)

難聴(聴力障害)は、聴覚路の病変の存在部位により、外耳及び中耳の障害による伝音性難聴、内耳から大脳皮質に至る部位の障害による感音性難聴、伝音系及び感音系の両者の障害による混合性難聴に大別され、感音性難聴は内耳の障害による内耳性難聴と内耳より中枢側に障害のある後迷路性難聴に分類される。

(二) 水俣病にみられる難聴の特徴

(1) 水俣病にみられる難聴が感音性難聴であることについては当事者間に争いはない。

(2) 病理学的研究によると、大脳側頭葉の聴覚中枢である横側頭回の皮質神経の脱落が著明であること(〈書証番号略〉)から水俣病にみられる難聴は後迷路性難聴であると一般に理解されている。

(3) さらに内耳性難聴も水俣病において特徴的なものであるかについては当事者間に争いがある。

この点、熊大医学部耳鼻科の野坂保次教授は、同人らが水俣病患者を対象に聴力障害の調査を行なった結果、内耳障害に際してみられる漸進的耳鳴が一一名中四名にみられたこと、鉛、燐、砒素等の中毒では一般に内耳性難聴(蝸牛性難聴)を裏付ける蝸牛神経等の退行変化が認められること等から水俣病においても内耳性難聴(蝸牛性難聴)が出現するのではないかと推測したが、他方、水俣病患者の剖検例からは、死後の変化との鑑別が困難であったため、蝸牛性難聴を証明する蝸牛病変の組織学的検索はできておらず、水俣病における内耳性難聴の出現は確認はされないと報告している(〈書証番号略〉)。また、猪初男らは、新潟水俣病患者一四四例中三二例に内耳障害を示唆する補充現象陽性との所見が得られたと報告するが、水俣病患者における内耳障害の所見が、二次的な内耳血管の異常によるものか、中毒による内耳感覚細胞の異常によるものかはいまだ不明であると所見を述べている(〈書証番号略〉)。

これらの研究結果からすると、水俣病患者において内耳性難聴が出現する可能性は否定できないものの、それがメチル水銀の影響によって特徴的に出現する症状であるか否かについては、現在の医学的知見の下ではいまだ十分に解明されていない段階であり、内耳性難聴をして水俣病に特徴的な症状であるとまで認めることはできない。

2 難聴の診断

(一) 診断方法

(1) 伝音性難聴と感音性難聴の鑑別

(〈書証番号略〉)

伝音性難聴と感音性難聴を鑑別する検査として気導骨導聴力検査がある。気導骨導聴力検査は、気導聴力と骨導聴力の関係から伝音性難聴と骨導性難聴の鑑別に用いられる。すなわち、気導聴力は伝音系、感音系を含めた総合聴力を示し、骨導聴力は感音系のみの聴力を示す。気導聴力と骨導聴力の損失度の開きをエアー・ボーン・ギャップというが、伝音性難聴では気導聴力の低下がみられるが骨導聴力は正常であることからエアー・ボーン・ギャップがみられるのが特徴であるのに対し、感音性難聴では骨導聴力が低下していることから、気導聴力及び骨導聴力とも低下がみられることになり、エアー・ボーン・ギャップがみられないことが特徴であるといえる。この検査に当たっては、オージオメーター(聴力測定装置)を用いて検査結果を純音オージオグラムに記載する測定方法が一般に用いられる。

(2) 内耳性難聴と後迷路性難聴の鑑別

(〈書証番号略〉)

ア 聴覚中枢系の障害による難聴(後迷路性難聴)の場合、純音は聞き取れるが語音聴力の低下がみられるのが一般である。感音性難聴をさらに内耳性と後迷路性とに鑑別するには、純音聴力(単に音が聞こえること)と語音聴力(音がことばとして聞き取れること)に分けて検査する。

イ 語音聴力検査

語音聴力検査は、ことばの聞き取り能力を検査するもので、普通(無歪)語音明瞭度検査(無意単音節語音を単耳で聞き分ける検査)、一側歪語音明瞭度検査(単耳で各種の歪みを加えた語音を聞き分ける検査)、両耳合成能聴力検査(無歪語音や歪語音を用いて単耳及び両耳での閾値又は明瞭度を検査する。)を行い、検査語音を理解できる割合を明瞭度として表される。

一般に、内耳性難聴者より後迷路性難聴者の方が語音聴力の明瞭度が低いことから、内耳性難聴者の明瞭度の下限よりも低い明瞭度しか示さないものを語音聴力悪化とし、感音性難聴中での後迷路性難聴の有無の鑑別の一資料とすることができる。

ウ 聴覚異常順応検査(TTSテスト)

聴覚異常順応検査(TTSテスト)とは、自動的に強さを変化させた気導純音を継続して聞き取らせ、その変化を自動的に記録する装置である自記オージオメーターを用いて行う検査で、その測定結果を記載した自記オージオグラムの波型を検討して連続音及び断続音での可聴閾値を検査することである。

なお、連続音で時間とともに閾値レベルが上昇して音が聞こえなくなる場合を聴覚疲労現象(TTS現象、一過性閾値上昇)という。聴覚疲労現象陽性の場合は、内耳性の障害ではなく、聴神経(第七脳神経)から中枢側の障害が示唆され、後迷路性難聴の鑑別の一資料となる。

エ 補充現象の検査

補充現象とは聞こえが悪いのに、音を大きくすると大きくした比率以上に大きく聞こえる現象をいうが、内耳毛細胞に病的変化があると補充現象が認められることから、内耳性難聴を知る上で役立つものである。したがって、後迷路性難聴の場合は補充現象が陽性を示すことはない。

(二) 診断における一般的留意事項

(1) 後迷路性難聴と内耳性難聴の鑑別について

被告らは、水俣病における難聴は後迷路性難聴であるから、単に感音性難聴が認められただけでは足りず、さらに内耳性難聴と後迷路性難聴の鑑別が必要であって、この鑑別が十分でない場合には水俣病の判断において有意な所見として考慮すべきではない旨主張する。

確かに、前示のとおり、現在の病理学的知見等によれば、水俣病においては大脳の聴覚中枢障害から後迷路性難聴が発症することは一般に認められているが、内耳性難聴の発症機序については不明な点が多く、内耳性難聴をしてメチル水銀の影響による特徴的症状であるとするに足りる十分な医学的根拠は見出されていないものである。しかし、前示のとおり、水俣病患者において内耳性難聴が出現することが各種の調査結果から認められること、現在の医学的知見からするとメチル水銀の影響では内耳性難聴が発症しないとまでは認められているものではなく今後の研究の進展に委ねられていることからすると、メチル水銀の曝露経験を有する者において内耳性難聴が認められる場合、直ちにその難聴をしてメチル水銀の影響によるものではないと判断することは妥当でなく、後迷路性難聴が認められる場合に比べてメチル水銀の影響に起因すると推認すべき可能性が低いというにとどまるというべきである。したがって、メチル水銀の暴露経験を有する者において感音性難聴が認められた場合は、一応メチル水銀の影響を疑うべきであり、それが後迷路性難聴である場合は水俣病の罹患を推認する有力な所見となり得るが、後迷路性難聴であるとまで診断できない場合は有力な所見とはいい難いものの、なお有意な所見であることは否定しえないとするのが相当である。

(2) 騒音性難聴との鑑別

感音性難聴には専ら騒音に起因して発症する騒音性難聴も存するので、被検者に感音性難聴の存在がうかがわれた場合には騒音性難聴との鑑別を要する。

騒音性難聴とは、長期間(一般に五年又はそれ以上の期間といわれている。)にわたって、八〇ないし九〇デジベル以上の騒音の曝露を受けると、内耳のコルチ器の毛細胞等に障害が生じ、それによって発症する難聴である。騒音性難聴の場合、オージオグラムでは四〇〇〇ヘルツ付近に特徴的な聴力損失を示すいわゆるC5(四〇九六ヘルツ)ディップ型がみられるのが特徴である。したがって、感音性難聴が認められる被検者において騒音歴がうかがわれ、オージオグラムでC5ディップ型が示される場合は騒音性難聴である可能性が高いと考えられる。

(〈書証番号略〉)

五言語障害

1 水俣病にみられる言語障害の特徴

(一) 言語障害

(〈書証番号略〉)

大脳の言語中枢により言語機能が障害されていることを失語症(言葉自体を失っている状態で、運動性失語症《ものの用途は理解しているが名前がでてこない等その表現の方法が分からなくなっている状態。》と感覚性失語症《ものの理解自体ができない状態で、喋ることはできるが何を喋っているのか分からない状態がある。》に分類される。)という。

他方、言語中枢の障害によらずに言語を話すことが障害されていることを構音障害という。構音障害には構音器官の筋肉の麻痺等によって起こる麻痺性の障害と構音器官の協調運動障害による小脳性の障害の場合がある。構音障害は、両側錐体路の障害、線状態の障害(パーキンソニスム)、小脳障害、末梢神経、筋肉等の障害等によって起こる。

(二) 水俣病にみられる言語障害の特徴

病理学的所見によると、水俣病の場合、感覚性言語中枢の上側頭回後部や運動言語中枢の下前頭回の瓣蓋部の障害は一般に軽く失語症等の出現は少なく、水俣病の言語障害は専ら小脳障害に起因することが認められている(〈書証番号略〉)。したがって、水俣病に特徴的な言語障害は小脳性の構音障害であって、協調運動障害の一症状であると認めることができる。

小脳性の構音障害の特徴は、いわゆる断綴性言語(間延びしたたどたどしい言葉)や爆発的音声として臨床的に特徴付けられるものである(〈書証番号略〉)。

2 小脳性構音障害の診断

小脳性の協調運動障害に起因する構音障害を診察するには、まず、構音器官(口唇、舌、口蓋等)の筋肉に麻痺等の障害がないことを確かめた上、舌下神経等の構音に関する脳神経の異常や会話から小脳性構音障害の有無を診断する。

第三水俣病にみられるその他の症状について

一味覚及び嗅覚障害

野坂保次が昭和三六年ころ水俣病患者に行った味覚検査において高率に嗅覚及び味覚の障害が認められたこと(〈書証番号略〉)、熊大二次研究班による第二次検診において水俣地区の水俣病と診断された患者のうち33.8パーセントに味覚及び嗅覚の障害が認められたこと(〈書証番号略〉)、武内らが、メチル塩化水銀をシロネズミに投与した実験によるとメチル塩化水銀は味覚受容器の味蕾に障害を及ぼし味細胞の変性崩壊を招来し、味蕾を萎縮消失せしめることが確認されたこと(〈書証番号略〉)、嗅覚の皮質中枢が海馬旁回及び海馬前部に局在し、皮膚味覚中枢もこの付近にあることから両感覚の障害程度には順相関があると認められること(〈書証番号略〉)等からすると、水俣病罹患者には味覚及び嗅覚の障害の出現する可能性があることが認められる。

二精神障害

1 前示のとおり疫学調査によると、水俣病患者の多くに物忘れがひどくなった、怒りっぽくなった等の知能、感情、性格その他の精神症状の出現が認められる。

精神症状の発症機序については、現在のところ必ずしも明らかではないものの、病理学的研究によれば、精神症状に関係する大脳前頭葉の神経細胞の病変が、軽度であるものの、高率に確認されていることが認められていること(〈書証番号略〉)からすると、メチル水銀の影響によることを否定できない。

ただし、水俣病患者の精神症状については、脳の器質的障害という因子の他に、患者らを取り巻く今日までの様々な社会的要因等も強く影響していることを無視し得ないものである(〈書証番号略〉)。

2 水俣病患者に特徴的な精神症状(〈書証番号略〉)

(一) 急性劇症型は初発症状の発現から急速に症状が完成し、ついには朦朧状態、せん妄状態となり多彩な精神症状を呈する。

急性・亜急性では幻覚、妄想状態が強く、かつ明確な意識障害の存在が確認されない例がみられる。思考はまとまらず混乱し、困惑状態を示す。

(二) 慢性期の神経症状は、急性・亜急性型水俣病の後遺症としての精神症状と徐々に進行してきた精神症状とに区別できる。両者ともに急性型等の場合と異なり、幻覚、妄想や躁鬱病状態、挿間性精神病状態等の頻度は高くない。前者では知能機能障害及び性格面での障害が中核となる。後者では、知能機能及び性格面での障害もみられるか前者の場合に比べて軽い。神経衰弱状態、ヒステリー反応、鬱状態がより顕著である。

三全身病説について

1 原告らの主張

原告らは、経口摂取されたメチル水銀は、血管を通じて脳、神経のみならず全身に浸潤することから、脳病変に起因する主要神経症状に限らず、脳血管障害、自律神経障害、高血圧、肝機能障害、腎機能障害等をもたらす全身病であると主張する。

ところで、経口摂取されたメチル水銀が全身の各臓器を傷害する機序についての原告らの主張は、弁論の全趣旨によれば、大要、①水俣病患者の剖検例によると体内に摂取されたメチル水銀は全身の各臓器に沈着していることが報告されていることから、このように各臓器に沈着したメチル水銀がその臓器に障害をもたらすこと、②白木神経病理学研究所の白木博次が熊本水俣病第二次訴訟で証言するところの、メチル水銀が血管に作用して動脈硬化症をもたらし、それによって心臓を中心とした循環系の各臓器に障害をもたらすことの二つの主張にまとめることができる。以下、この仮説を順次検討する。

2 メチル水銀沈着部位の直接的障害に起因する全身病説について

病理学的研究によると、経口摂取されたメチル水銀は、生体内に広く分布し、神経系のみならず一般臓器組織の細胞にも広範囲に沈着していることが認められる(〈書証番号略〉)。

しかし、このように全身各臓器に広く分布、沈着したメチル水銀が全て各臓器を傷害するとの医学的知見は現在のところ得られていないといわなければならない。

すなわち、現在の医学的知見からは、メチル水銀の毒性は選択的であって、障害の好発部位が神経系に集中していることが認められる(〈書証番号略〉)。この点、動物実験から得られた病理学的研究からも、「メチル水銀の神経系以外の臓器組織に対する障害性については、肝臓では肝細胞の変性を電顕的に証明しているが、小葉全体からみると一部の細胞に限られること、唾液線、腎上皮などに対する中毒作用も検討され、確かに単個細胞壊死を招来するが、その再生も速いことが分かった。広範な壊死を招来することはなく、単個壊死と再生の繰り返しは、臓器の機能障害を招来しないことがわかった。」と報告されている(〈書証番号略〉)。

したがって、全身各臓器に沈着したメチル水銀が直ちに各臓器を傷害し、全身病を発症させると考えることは困難であって、このような原告らの主張は採用し得ない。

3 メチル水銀による血管障害(動脈硬化症)に起因する全身病説について

(一) メチル水銀と血管の同心円性内膜肥厚の関係について

(1) まず、一般に呼称されている動脈硬化とは、内膜細胞の増生によって血管内膜層が同心円状に肥厚する血管障害である「同心円性内膜肥厚」を指している(〈書証番号略〉)。

メチル水銀が血管に沈着して動脈硬化を直接的に発症させると仮定するならば、その動脈硬化は中心円性内膜肥厚と分類するのが妥当であり、動脈硬化の発症機序をこのように考える限り、メチル水銀は全身の血管に対して障害を及ぼすことになる。そこで、まず、この仮説を検討する。

(2) 全身の血管における動脈硬化についての研究

ア ワシントン大学チェン・メイ・ショウによるサルを使用した実験結果について

(〈書証番号略〉)

ワシントン大学のチェン・メイ・ショウ博士らは、脳血管病変と有機水銀中毒との因果関係を調べるために、サル二八例に急性高濃度から慢性低濃度のメチル水銀に曝露させる実験を行ったところ、四例に脳血管損傷が見出され、その損傷は小動脈及び細小動脈に起こり、脳実質の変性部位に局在していたと報告した。メチル水銀の投与によって同様の血管変化が脳の微小動脈に再現し得ることがショウ博士のサルを用いた実験によって明らかにされており、メチル水銀による血管変化はうかがえるところである。

しかし、ショウ博士は、かかる血管変化は脳組織の障害部位に現局され、それ以外の総組織の血管や他の全身臓器の血管には認められなかったと報告し、大脳皮質損傷の程度と血管損傷の程度とが対応関係にあるとの事実から、メチル水銀により直接血管変化が起こるというよりも脳組織障害に起因する続発的(二次的)なものであることを強く示唆する旨結論づけている。

イ 武内教授らの研究

(〈書証番号略〉)

武内らは、メチル水銀と全身における血管の同心円性内膜肥厚の関係について研究した結果、水俣病患者の同心円性内膜肥厚も脳以外の臓器の血管では報告されていないこと、水俣病患者の子供に脳動脈、心臓の冠動脈、肝臓の冠動脈に動脈硬化がみられたとの報告については、小児及び若年者の水俣病患者にみられる動脈硬化症は脳萎縮と人工栄養その他による二次的なものであってメチル水銀障害に直接起因するものではない旨結論づけている。

ウ 東京大学の長嶋和郎教授らは、有機水銀中毒と動脈硬化との関係を調べるために、若年者水俣病の対照として、正常若年者及び発達期脳障害児(水俣病によらない脳障害を有する長期療養児)の脳血管及び大動脈の動脈硬化を調査したところ、発達期脳障害を示した若年者の脳動脈には高率にかつ程度の強い内膜病変(若年者水俣病患者に報告されているものと同様の強い動脈硬化や同心円性内膜肥厚)が見出された。さらに、同教授らは、正常若年者の冠動脈硬化症をも検索したところ、脳障害を有する群と正常対照群との間には冠動脈硬化の程度に有意差がみられなかった。同教授らは、この冠動脈硬化の検索結果と右動脈硬化の検索結果を検討し、脳障害児に見出された脳動脈内膜の同心円性肥厚は、脳の器質的病変に伴う二次的変化である可能性が強く、有機水銀中毒とは無関係に生ずることは確かであろうと結論づけている(〈書証番号略〉)。

エ 井形は、出水市における住民検診の結果から、「脳卒中発作と水俣病の間に関連がないことを確かめており」また、眼底動脈硬化と水俣病との平行関係も認められなかったので、少なくともメチル水銀が動脈硬化を促進するという積極的な根拠は得られなかった」と報告している(〈書証番号略〉)。

(3) 以上の研究結果からすると、メチル水銀によって全身の血管に同心円性内膜肥厚が発症すると認めることはできないこと、水俣病患者において脳動脈硬化症を発症している例が存するが、その発症機序については、メチル水銀によって脳実質が傷害されたために脳が萎縮する結果、脳血管の内腔も狭くなるので血圧が上がり、これに引き続いて動脈硬化症が起るものと考えることが相当であると認められ、メチル水銀が血管に沈着して直接動脈硬化を発症させるとの仮説は取り得ない。

(二) メチル水銀曝露者における動脈硬化の発症頻度

(1) 右のとおり、水俣病患者における動脈硬化はメチル水銀による脳実質の損傷・萎縮に続く二次的な病変として発現する可能性が認められるが、水俣病患者における動脈硬化症の発生頻度は他の非汚染地区の住民に対して特徴的なものであるのか、すなわち、水俣病において動脈硬化症は特徴的に出現する病変であるかが問題となる。

(2) 汚染地区における動脈硬化症の出現頻度に関する研究

ア 鹿児島県出水市における死亡原因

(〈書証番号略〉)

昭和五五年から六〇年にかけての鹿児島県における各市町村別の脳血管疾患による死亡率によると水俣病患者が多発した出水市では平均136.5人(人工一〇万人当たり)であって、県下ではむしろ脳血管疾患死亡率が低い地域に属している。

イ 玉城らの研究

(〈書証番号略〉)

国立水俣病研究センター疫学研究部の玉城英彦らは昭和五五年一二月時点での水俣病認定患者中の死亡者三七八人と水銀汚染地域に本籍を有する全死亡者との死亡原因を昭和二八年から昭和五四年ころまでの死亡診断書を解析し、水俣病患者群と対照群とを比較した結果、患者群では、原死因、二次死因及び複合死因として中枢神経系の非炎症性疾患及び肺炎の死亡割合が対照群に比べて有意に高いのに対して、悪性新生物、高血圧性疾患では逆に患者群に有意に低い傾向が認められた旨の報告を行った。

ウ 荒木淑郎らは、高血圧や脳血管障害については水俣病認定患者と一般住民との間に有意差が認められなかったと報告している(〈書証番号略〉)。

(3) 以上の諸研究の結果からすると汚染地区における動脈硬化症の発生頻度は非汚染地区住民の場合と比べて有意差が存すると認めることは困難である。したがって、メチル水銀の曝露歴を有する者において動脈硬化症がみられたとしても、そのことからその者のメチル水銀中毒症の罹患をうかがうことは困難である。

ところで、原告らは、動脈硬化症は一般には老化に伴って出現する病変であるが、メチル水銀曝露歴を有する者にあっては、若年者においても動脈硬化症の出現が認められることが問題である旨主張する。

この点、確かに、ハンター・ラッセルはその論文において、二三歳で有機水銀中毒症に罹患し三八歳で死亡した症例において冠動脈の硬化症等がみられた旨報告している(〈書証番号略〉)。ところで、一般に動脈硬化症と呼称されているものは、血管の内膜層にコレステロール等の脂質が沈着することで線維増殖や泡沫細胞の出現をみるものをいい、学術的には「アテローム性(粥状)動脈硬化」と呼ばれるものである(〈書証番号略〉)。このアテローム性動脈硬化は二〇歳代の若年者においては決して稀な病変ではないことが種々の研究結果から明らかである(〈書証番号略〉)。そうすると、若年者における動脈硬化の出現をして水俣病に動脈硬化が必発するとする原告らの主張は採用することはできない。

4 以上のとおりであって、原告らのいう全身病説は、現在の医学的知見に基づく限り、病理学的、臨床的にも十分な説得力をもつに至っているとは認め難い。

第四遅発性水俣病、長期微量汚染型水俣病について

一問題の所在

本件原告らの中には、メチル水銀の濃厚な汚染のあった昭和三三、三四年ころから一〇年以上も経た昭和四五年ころになって初めて感覚障害等水俣病と同様の神経症状が初発した者や症状の初発時期が昭和四五年より前であっても、汚染地域から転居することによりメチル水銀に曝露される可能性がなくなってから相当期間を経過した後に症状が出現している者がいる。

原告らは、メチル水銀の取込が終了してから相当の年月が経過した後に神経症状が発現する場合があり(以下「遅発性水俣病」という。)、また、不知火海沿岸地域に長期間居住していた者にあっては濃厚汚染期後も長期間にわたって微量に汚染された魚介類を摂食していることから、症状発現時期が遅い場合であっても、メチル水銀の長期微量汚染が影響しているものである(以下「長期微量汚染型水俣病」という。)と主張している。これに対し、被告らは、右原告らの主張にかかる遅発性水俣病や長期微量汚染型水俣病は中毒学の常識に反するものであって水俣病と認めることはできないと反論している。

そこで、水俣病の発症機序から考えて、遅発性水俣病又は長期微量汚染型水俣病といったものが理論的にあり得るかどうかについて検討する。

二化学物質による中毒症の発症機序の一般的特徴

(〈書証番号略〉)

1 化学物質中毒症における量反応関係について

(一) 発症閾値

化学物質や重金属(以下「化学物質」として総称する。)による中毒症は、ある化学物質が生物に対して毒性を発揮するのに必要なある程度の量的蓄積が生体内になされない限り発症するに至らないものであり、生体に毒性を発揮するのに最少限必要な蓄積量を発症閾値という。

化学物質による発症閾値は、それを摂取した生物の感受性に左右されるため、化学物質の種類と生物の種類の組合せに応じて一様ではない。また、特定の化学物質の同一種の生物における発症閾値は全て同じであるのか、個体差(個体ごとの感受性の差異)によって影響を受けるものであるのかは問題である。さらに、同一生体内における各臓器等の組織ごとにおける障害閾値にも差異が存するのかも問題である。特に、水俣病のような各種神経症状が症候群として発症する疾患においては、各症状ごとの発症閾値に差異が存するかも問題となる。

(二) 生体内蓄積の機序

(1) 化学物質の生体内への蓄積を考える上で重要なことは、①生物が一回的な曝露によって生体内に取り込む化学物質の量は化学物質の種類、吸収する器官、経路によってその吸収率が異なること、②化学物質は外界から生体内に取り込まれない限り増加することはないこと、③生物は一旦取り込んだ化学物質を日々分解排泄する作用を有するので、蓄積量は単純に一回的な曝露による吸収量を曝露継続日数で乗じて得られるものではないことである。

この点、細菌やウィルス等の病原微生物による感染症の場合は、いかに少量とはいえ、一旦体内に侵襲した病原微生物はその後自ら増殖する能力を有しているし、また、一旦取り込まれた病原微生物を生体が排泄し得るか否かは生体の抵抗力の有無にかかわることであるから、病原微生物の曝露経験が認められれば感染症の発症の可能性を否定し得ないものである。しかし、化学物質の場合は、病原微生物の場合と違って自ら生体内で増殖する能力を有しないことはもちろん、さらに生体は常に摂取した化学物質を分析排泄する作用を有するため、むしろ時間の経過によって体内蓄積量が減少するという性質がある。

(2) ある生物について化学物質による中毒症を疑う場合、その化学物質が生体内に発症閾値を超えて蓄積しているかを知るには、生物が当該化学物質の曝露を受けたという事実を要するのは当然であるが、さらに、曝露に際して生物が化学物質を吸収する割合(吸収率)、曝露を受けた量及び期間、生物が化学的物質を分解排泄する速度を考慮して判断することが必要となる。

(三) 化学物質の分解排泄速度(生物学的半減期)

(1) ところで、発症閾値を超える化学物質の体内蓄積量を知る上で必要である生体における化学物質の分解排泄速度は、特定の生物における特定の化学物質の生物学的半減期(生体内に吸収された重金属が半分にまで減衰する期間)をもとにして推測することが可能である。

生物に摂取された化学物質は、生物の吸収率に応じて最初急速に増加し、一半減期で限界量の五〇パーセントにまで達するが、増加速度は次第に鈍化し、二半減期を経過すれば二五パーセント、三半減期で87.5パーセント、四半減期で93.8パーセント、五半減期で96.9パーセントとほぼ限界に達し、その後は一〇半減期で99.9パーセントになり漸次的に一〇〇パーセントに近づくのである。

(2) 生物学的半減期の五倍の日数を経過すれば一旦摂取された化学物質はほぼ全て排泄されるとの理論を前提にすれば、以下のような推論が成り立つ。

すなわち、長期間にわたって継続して同量の化学物質を摂取しても、生物学的半減期の五倍の日数を経過すれば、日々取り込まれる量と同量の以前に摂取された化学物質が排泄されるため、吸収と排泄のバランスがとれた状態となり、体内蓄積量はほぼ頭打ちになる。すなわち、生物学的半減期の五倍の日数を経過すれば、その後いかに長期間にわたって同一量を摂取しても体内蓄積量は増加しないことになる。

このような前提のもとに、同一量の特定の化学物質を長期間にわたって摂取し続ける場合の体内蓄積限界量は、当該化学物質の特定生物に対する生物学的半減期をもとにして理論的に算出することが可能であるといわれている。その数式は「一日当たりの摂取量×生物学的半減期×1.44」であって、長期継続摂取によって化学物質が発症閾値を超えて体内に蓄積するかにおいては、その摂取期間の長短よりも一日当たりの摂取量の寡多が大きく影響するといわれる。

(3) 右推論については、健康な生体又は細胞組織に関して諸研究者の間に異論はみられないものの、一旦障害を受けた生体又は細胞組織においてまでも妥当するかは研究者によって見解の相違がある。すなわち、生物の持つ分解排泄能力は健康な生体又は細胞組織と障害を受けた生体又は細胞組織とで差異が存するのではないか。一旦取り込まれた化学物質によって障害を受けた細胞は生物学的半減期の五倍の日数を経過することでその化学物質をほぼ全て分解排泄することが、なお、能力的に可能であるのかについてはさらに問題となる。

2 水俣病もメチル水銀中毒症という化学物質による中毒症であるから、その発症を判断するには、メチル水銀中毒症の発症閾値、メチル水銀の人体吸収率、メチル水銀の分析排泄速度等を知ることが必要である。その上で、遅発性水俣病や長期汚染型水俣病が理論的に首肯し得るかを考察することとする。

三水俣病の発症機序についての理論的考察

1 人体のメチル水銀吸収率について

水俣病にあっては、魚介類に蓄積したメチル水銀を人が経口摂取して体内に取り込むという特徴がある。したがって、メチル水銀の吸収率を考えるには消化器系における吸収率を調べる必要がある。

メチル水銀の腸管吸収率については、①喜田村らによる神戸大学医学部公衆衛生学教室によるハツカネズミによる塩化メチル水銀等の経口投与実験の結果によると二四時間経過後に一〇〇パーセントの体内吸収を認めたこと、②スウェーデン、フィンランドでの人への放射性水銀で合成したメチル水銀経口摂取実験の結果によると吸収率が九五パーセント、九四パーセントであったこと、③一般に脂溶性の有機隣剤や有機塩素剤の腸管吸収はきわめて高率を示すこと等の研究成績があること、④喜田村教授は、メチル水銀の人体における腸管吸収率はほぼ一〇〇パーセントであろうと推定した(〈書証番号略〉)。このような研究結果によると、メチル水銀の人体における腸管吸収率はほぼ一〇〇パーセントであると推認するのが相当である。

2 メチル水銀中毒症の発症閾値について

(一) メチル水銀中毒症の発症閾値に関する研究について

(1) 川崎靖らのサルによる実験

(〈書証番号略〉)

ア 厚生省国立公衆衛生試験所安全性生物試験研究センター毒性部の川崎靖らは、サルに対して塩化メチル水銀を連続投与する実験を行った。

川崎らは、実験に当たってサルを四群に分け、それぞれの群に一日当たり0.01ミリグラム/キログラム、0.03ミリグラム/キログラム、0.1ミリグラム/キログラム、0.3ミリグラム/キログラムの塩化メチル水銀を毎日餌に混ぜて投与した。その結果、0.3ミリグラム/キログラムを連続投与していた群では特徴的な神経学的徴候を含む中毒症候が平均して六二日目(総摂取量は水銀として15.9ミリグラム/キログラム)にあらわれた。0.1ミリグラム/キログラムの群では中毒症状が平均して一八一日目(水銀総摂取量15.3ミリグラム/キログラム)にあらわれた。しかし、0.01ミリグラム/キログラムの群及び0.03ミリグラム/キログラムの群は五二か月を経ても(総摂取量は前者で39.6ミリグラム/キログラム、後者で13.2ミリグラム/キログラムになる。)臨床上のどのような徴候を示さず生存し続けたと報告した。

イ 喜田村によると、サルに一日当たり0.03ミリグラム/キログラムを二年以上投与して発症しなかったということは五〇キログラムの体重の人に換算すれば、体内蓄積量が0.03ミリグラム×50キログラム×60(サルでのメチル水銀の生物学的半減期は六〇日である)×1.44の数式で求めると約一三〇ミリグラムとなって、この蓄積限界値でも発症しない計算になるという(〈書証番号略〉)。

ウ なお、川崎らは右サルを使用した実験において0.01ミリグラム/キログラムの群及び0.03ミリグラム/キログラムの群では病理学的所見からもどのような異常をも見出し得なかった旨報告している。

しかし、この点、新潟大学の佐藤、生田が同様にサルに対して0.03ミリグラム/キログラムのメチル水銀を連続投与した実験では、臨床的症状は見出されなかったが、電子顕微鏡によって神経組織を検査したところ、潜伏期間三二七日で総投与量8.7ミリグラム/キログラムに達する時点で、将来の神経症状を招来し得ると思われる神経組織障害(①鳥距野の神経細胞のゴルジ装置や小胞体膜の拡大、②粗面小胞体膜に付着しているリボゾームの脱落、③小胞体膜の渦巻状重積とAUTOPHASIC VACUOLEの形成、④シナプス膜の変性やシナプス終末内の小空胞の形成、⑤腓腹神経の軸索のNEUREFILAMENTの増加)が明らかに出現していることが確認できた旨報告されていること(〈書証番号略〉)に鑑みると、川崎らがいかなる精度の器具を用いてその病理学的所見を得たのか疑問が残り、右川崎らの所見を直ちに採用することはできない。

(2) 武内による初期水俣病患者の体内蓄積値の試算(〈書証番号略〉)

武内は、初期の水俣病患者の体内蓄積水銀値を算出する試みを行った。試算に当たって、武内は当時の資料から急性患者が激発していた時期の水俣湾及びその周辺海域に生息していた魚介類中の総水銀含有値を約二〇PPM、水俣地域に居住する発症をみなかった一般的な漁夫及びその家族は魚介類を連日平均して二〇〇グラムは摂取していたとし、さらに、当時、現に発症した者は連日平均して魚介類を四〇〇グラムは摂食していたと措定し、さらに、総水銀中にメチル水銀が含まれる割合を五割と考えた上で、当時の水俣病発症者と発症をみなかった住民との体内蓄積値をそれぞれ算出を試みた。

それによると、発症をみなかった漁夫及びその家族らのメチル水銀体内蓄積量は一か月当たり六〇ミリグラムとなり(200グラム×0.02《総水銀値》×0.5《メチル水銀の割合》×30日=60ミリグラム)、現に発症した者の体内蓄積値は一か月当たり一二〇ミリグラムとなる(400グラム×0.02《総水銀値》×0.5《メチル水銀の割合》×30日=120ミリグラム)と算出した。そして、この試算をもとに初期の水俣病患者(急性患者)の水俣病発症閾値を一か月当たり一〇〇ミリグラムと設定している。

(3) イラクのバキルらによるメチル水銀中毒症各症状の発症閾値の研究

(〈書証番号略〉)

ア イラクバクダッド大学のバキルらは、集団食中毒事件の分析結果として、体重五一キログラムの成人で知覚症状が二五ミリグラム、歩行障害が五五ミリグラム、構音障害九〇ミリグラム、難聴一七〇ミリグラム、死亡二〇〇ミリグラムとし、体内蓄積量が一五〇ミリグラムを超えると典型的なハンター・ラッセルの主症候が出そろうと報告している。

イ なお、バキルらが知覚症状の発症閾値を二五ミリグラムと設定したことについて、同大学のラスタムらは①軽症者においても大部分の症例は一つ以上の神経系が障害されていること、②軽症患者で二二〇〇ないし四一五〇ナノグラム/ミリリットルという高い血液中水銀値を示している者があることの二点において、メチル水銀の曝露量と症状の相関関係は認めるに至らなかったと報告していること(〈書証番号略〉)から、被告らはバキルらの右知覚症状の発症閾値の設定を疑問視している。

しかし、ラスタムらの報告については、まず、相関関係を分析する対象とした患者のピックアップの仕方に注意することを要する。すなわち、胎児性水俣病患者の場合、又は幼児や小児の場合、メチル水銀の体内蓄積量が著しくても知覚障害がみられないことが多々存するのであるが、ラスタムらがいう高い血中水銀値を示しながら感覚障害がみられなかった症例が幼児や小児であった場合にはメチル水銀の汚染度の濃淡にかかわらず知覚障害が認められないことは当然である。この点、本件各証拠を精査するも右症例が幼児や小児等でなかったと判断するに足りる証拠は見出せず、右症例が幼児や小児であったのではないかという疑いを払拭することはできない。そうすると、ラスタムらの研究報告から直ちにバキルらの研究結果を信用できないものと判断するのは相当でない。

(4) 喜田村の水俣病発症閾値の推論

(〈書証番号略〉)

喜田村は、熊本や新潟の水俣病患者の摂取した有毒魚介類の水銀濃度(熊本では湿重量で一〇ないし二〇PPMの水銀を含むものがいたし、新潟では一〇PPMを超えるものがいた。)、その推定されるメチル水銀の摂取量(諸般の状況から典型的なハンター・ラッセル症候群を示して発症した成人は一日当たり平均二ミリグラム以上のメチル水銀を経口摂取したものと推測されるという。)から割り出した体内蓄積値の試算や、右イラクのバキルらの研究報告、川崎らのサルを用いた中毒症実験の成績、さらに、スウェーデンのフライベルグらが新潟水俣病発症患者の頭髪及び血中総水銀濃度をもとに分析した結果、最も感受性の高い人におけるメチル水銀中毒症の発症閾値を三〇ミリグラム/七〇キログラムとなると試算していること等から、典型的なメチル水銀中毒症状の発現をもたらす人体のメチル水銀発症閾値は一〇〇ミリグラム前後とみてよいと考察している。

さらに、喜田村は、右各種研究報告から体重五〇キログラムの人においてメチル水銀の体内蓄積量が一〇〇〇ミリグラムに至れば致死量となるとし、一〇ミリグラムをメチル水銀の無作用量レベルとして設定している。

(二) 以上の各研究結果を総合して判断すると、ハンター・ラッセル症候群を呈する典型的な水俣病の人体における発症閾値は体重五〇キログラムの人において一〇〇ミリグラム前後とみられること、ハンター・ラッセル症候群にみられる各症状ごとの発症閾値には差異が存し初発症状である知覚障害については二五ないし三〇ミリグラムであること、少なくとも一〇ミリグラムでは水俣病の各種症状はいずれも出現しないであろうことの各事実が認められる。

3 メチル水銀の生体内における分解排泄速度について

(一) メチル水銀の生物学的半減期に関する研究について

(1) 健常者における生物学的半減期の研究成績として、以下のような報告が存する。

ア スウェーデンのアベルグら研究者三名が、放射性水銀で合成した硝酸メチル水銀を自ら服用して実験した結果、メチル水銀の生物学的半減期は全身測定により約七〇日から七四日であり、そのうち、小脳の半減期は約八五日、その他の臓器では約七一日であったことから、頭中の半減期は他の部分よりもゆっくりであると述べている(〈書証番号略〉)。

イ フィンランドのミーチネンらも同様の実験を行ったところ、男子一〇名におけるメチル水銀の生物学的半減期は七九日プラスマイナス三日、女子六名における半減期は七一日プラスマイナス六日、男女計一六名では七六日プラスマイナス三日との成績が得られたと報告されている(〈書証番号略〉)。

ウ 喜田村は、右研究結果に加えて、イラクのメチル水銀集団中毒事件の分析からバキルらが患者の血中総水銀濃度の減衰から人におけるメチル水銀の生物学的半減期は一六名の患者の平均で六五日であったと報告していること、右アベルグらの実験に用いられた水銀化合物がメチル水銀自体ではなく放射性水銀で合成した硝酸メチル水銀であることの誤差を勘案した上で、メチル水銀の人における生物学的半減期を約七〇日と考えるのが妥当であると述べている(〈書証番号略〉)。

(2) 右研究報告等からすると、少なくとも健常者におけるメチル水銀の生物学的半減期は全身測定において約七〇日であると認めることができる。

(二) ところで、メチル水銀の人における生物学的半減期を考察するにおいては、さらに、全身の各臓器において一律に捉えてよいものか、特に水俣病との関係では、脳組織と他臓器において差異は存しないのかが問題になる。

(1) この点、喜田村は、体内部位別又は臓器別による生物学的半減期に差異はほとんど認められないといい、アベルグらの右実験においては、被検者の前額部を含めた全身五か所にあてた人体計数管から計測された水銀化合物の減衰速度にほとんど差異がみられていないといい(〈書証番号略〉)、自らの神戸大学医学部公衆衛生学教室によるハツカネズミに対する塩化メチル水銀等の経口投与実験の結果によっても脳とその他の臓器との間においてメチル水銀の生物学的半減期には差異が認められなかったという。

(2) しかし、①アベルグらは、右実験において、小脳の半減期は約八五日、その他の臓器では約七一日であったと報告し、このことから、頭中の半減期は他の部分よりもゆっくりであると述べており(〈書証番号略〉)、②白川は、メチル水銀の体内分布は、はじめ肝、腎に多く取り込まれ、やや遅れて中枢神経系のメチル水銀量が増加してくること、剖検例の各臓器水銀蓄積量の経時的推移をみると、脳においては初期には低く、一か月前後で最高となり、その後緩徐に減少しており、血液脳関門があり比較的侵入しにくいが一度蓄積すると出にくいという機構が働いていると考えられることを指摘しているほか(〈書証番号略〉)、③武内は、真の生物学的半減期を厳密に算出するものではないとことわりつつ、初期の水俣病患者の剖検例から脳水銀値の半減する減衰状況を類推したところ、脳における水銀の生物学的半減期は約二三〇日等とかなり長期であったと報告している(〈書証番号略〉)。

これらの諸研究はいずれも、生体内におけるメチル水銀の生物学的半減期は、臓器によって差異が存することをうかがわせるものである。

(3) 以上の諸研究成績からすると、一般論として、メチル水銀の生物学的半減期は、脳とその他の臓器との間で差異が存することは否定できない。

(三) さらに、健康な生体又は細胞組織と障害を受けた生体又は細胞組織との間では、メチル水銀の生物学的半減期が異なるのではないかを検討する。

(1) 水俣病患者におけるメチル水銀の長期遺残性に関する研究報告

ア 白川は、昭和四〇年当時の頭髪水銀量と昭和四九年測定の頭髪水銀量を対比すると、九年前頭髪水銀量が二〇〇PPM以上を示した例は現在でも正常値(3.9プラスマイナス1.5PPM、N=三〇、原子吸光法)をこえる値を示していたこと、昭和四九年に水銀の尿中排泄増加と持続性、臨床効果について六か月間検討したが、九年を経過していても昭和四〇年当時の頭髪水銀量が二〇〇PPM以上であった群では、それ以下であった群より水銀の尿中含有値はいずれの時期においても大であったことを報告している(〈書証番号略〉)。

イ 武内は、水俣病患者の剖検例から生体内の水銀の分布とその推移について以下のとおり報告している(〈書証番号略〉)。

a 水銀は、初期にはほとんどの臓器の細胞(特に実質細胞)内に蓄積沈殿していることが証明された。肝、腎、腎尿細管上皮、甲状腺上皮、汗線上皮や、神経細胞への高度の沈着が証明された。初期には大脳皮質神経細胞に強い沈着がみられた。

b 経過一ないし二年では、神経細胞の沈着は組織化学的には減弱がみられず、脳幹部神経細胞や一部髄質ではむしろ増加傾向がみられる。一〇年前後の経過でもなお沈着が証明され、減少していく。しかし、一八年経過症例では、依然として強い沈着が神経細胞にもグリア細胞にも証明され、食細胞への沈着も衰えをみせなかった。一般臓器では年とともに水銀沈着の減少があるが、肝、腎の上皮細胞、甲状腺、副腎髄質などの実質細胞には長期にわたり遺残しているのが証明された。特記すべき所見は、網内系の食細胞には時とともに証明が容易で、臓器水銀は、時の経過とともに網内系へ移る傾向がみられた。とくに本研究から考えられることは、生体内で生きた細胞と破壊する細胞とでは水銀代謝に差があり、破壊細胞の多い臓器ほど水銀遺残が長く続くことである。

c 電子顕微鏡によると急性剖検例においても、経過例とくに一八年経過例においても水銀の沈着が証明された。その物質は主として神経細胞やミクログリアないし食細胞及びアストロ細胞のライソゾーム内に存在した。不定部位にも水銀の沈着があり、細胞外の神経膠線維間にも微小沈着が認められることがわかった。

ウ 武内の遅発性水俣病についての発生機序の研究

(〈書証番号略〉)

a メチル水銀化合物は、摂取されると全身諸臓器組織に当初はほぼ均等に分布するが、沈着蓄積性については細胞性格と臓器の代謝機序に密接に関連があり、蓄積残留しやすい組織とそうでない組織がある。蓄積残留しても比較的障害されにくい臓器と神経細胞のように障害を受けやすいものがある。多量のメチル水銀を摂取すれば急性発症し、その量が少なくなれば発症するまでの潜伏期は長くなり、その摂取量如何によっては急性発症から慢性発症までありうる。事実人体では数年又は十数年を発症までに要しているものがあり、慢性発症は起り得る事実である。この際発症機序には水銀量のみでなく、単個壊死細胞の累積があることを忘れてはならない。

b 一般に臓器には、再生現象があり単個壊死の累積はなく、したがって機能障害は招来されにくい。しかし、神経細胞の壊死は再生ができず、メチル水銀の繰り返しの摂取は単個壊死の累積を招来し、それが多数に短時間で起これば急性発症となり、長期にわたり少量ずつ起これば慢性発症となる。しかし、このことが神経系の障害の全部であるとは考えられない。メチル水銀の神経毒性が他細胞より強いということが考えられ、神経細胞内の代謝阻害とも密接に関与すると思われる。形態学的ならびに細胞生物学的な成績から神経細胞のニッスル小体すなわちRNA合成ないしRNAによる合成の阻害が重要な鍵となり、とくに神経細胞特有の蛋白合成が問題となる。

エ 土井陸雄「有機水銀中毒の研究とその社会医学的検討」

(〈書証番号略〉)

中毒症状の発現には、アルキル水銀の摂取量・摂取期間と生体側要因として蓄積、排泄、感受性が問題となる。

生物学的半減期として報告されている数値はいずれも個体別にバラツキがある頻度分布の平均値を求めたにすぎず、半減期を考えるには常に個体差及び個体側の感受性(反応)を考慮すべきである。五歳時で発病して以来まったく植物的状態で一八年間生き続けた患者の大脳に総水銀で1.76ないし2.79(メチル水銀は0.35ないし0.43)PPM、小脳に総水銀で4.24(メチル水銀は0.63)PPMの高値な水銀が検出されたことからすれば、アベルグら健康な成人男子に一回の投与を行った場合と、連続摂取で神経症状をきたした症例の臓器、特に中枢神経系での水銀の代謝を同一視することはできない。広範な損傷を受けた脳における水銀の減少が他臓器より著しく遅いことは十分推測できることである。

バーリン(Berlin)らのリスザルを用いたアルキル水銀の連続投与実験によればメチル水銀の投与量があるレベルを超えた場合には生体の反応(この場合は特にメチル水銀に対する血管とくに血管脳関門の透過性及び神経細胞の細胞膜透過性)が増大する可能性を示唆するものである。諏訪望らの金属水銀中毒の一例において、離職後一〇年で死亡した水銀鉱山労働者の脳内に乾燥重量比で八〇PPMを超える水銀が検出された旨の報告がある。

オ イラクのメチル水銀集団中毒事件で、バキルらはメチル水銀の人体における生物学的半減期を一六名の患者の血中総水銀濃度の減衰から推測して、平均で六五日であったと報告しているが、その平均値をとるもとになった右一六名の患者の血中総水銀濃度の初回測定値が半減するのに現にかかった日数は、三五日から一八〇日まで分布していた。

(〈書証番号略〉)

(2) 以上の研究結果からすると、メチル水銀の人に対する生物学的半減期は、摂取した人の個体差(感受性の差)によって影響を受けるものであること、生体内の臓器間でも生物学的半減期に感受性の差が存すること、脳中での減水速度は他臓器に比べて遅いこと、水俣病患者の脳中のメチル水銀は発症後一八年を経過してもなお発見されていること、メチル水銀の脳中での長期残留には血管脳関門の影響が無視できないこと、メチル水銀の侵入によって一旦障害された神経系細胞組織の分解排泄能力は健康な細胞より劣ることの各事実が認められる。

4 遅発性水俣病及び長期微量汚染型水俣病の検討

(一) 右にみたとおり、水俣病の場合、ハンター・ラッセル症候群のそろう典型的水俣病のメチル水銀の発症閾値は約一〇〇ミリグラムであり、知覚症状が出現する発症閾値は約二五ミリグラムである。そして、経口摂取による吸収率はほぼ一〇〇パーセントで、人におけるメチル水銀の生物学的半減期については、健康な成人についての全身測定では約七〇日である。

しかしながら、臓器間でその減水速度に差が存し、特に脳における速度は遅くなること、また、一旦障害を受けた細胞の排泄速度は遅くなることから、発症後一〇数年を経過してもなお遺残する水銀が発見されており、水俣病患者の体内、特に脳におけるメチル水銀の生物学的半減期はいまだ解明されるに至っておらず、かなり長期化すると考えられる。

(二) 白川らは、新潟水俣病患者の追跡調査から、前示のとおり一旦メチル水銀の高濃度汚染を受け(頭髪水銀値二〇〇PPM以上)、その当時特段の症状がみられなかったものの、その後新たなメチル水銀の侵入がなかったにもかかわらず、六ないし八年の経過で水俣病の主要症状が明らかになってきた例が存することを報告している(〈書証番号略〉)。このようなメチル水銀曝露後相当な年月を経て症状が出現する症例をして白川らは遅発性水俣病と呼んでいるが、(一)で述べたようなメチル水銀中毒症の発症機序に関する考察からすると、このような遅発性水俣病が、メチル水銀中毒症の一態様として存在することは否定できないというべきである。

(三) また、長期微量汚染型水俣病についても、①後発した神経症状は、かつて水俣病の発症閾値を超える高濃度汚染を受けたことによって発生する遅発性水俣病としての症状であり、その後の長期微量汚染の影響との因果関係を問う必要がないといえること、②一旦障害を受けた脳細胞におけるメチル水銀の生物学的半減期がいくらであるか明らかでなく、相当な年月を要することが分っているだけであるから、かつてメチル水銀の濃厚汚染を受け、当時、メチル水銀によって脳細胞に障害を来したことが否定できない者においては、その後、一日当たりのメチル水銀の摂取が微量であったとしても長期間にわたって被曝することによって、十分、発症閾値を超えて蓄積する可能性が存するのであって、長期汚染型水俣病の存在を否定することはできないというべきである。

第五感覚障害のみを呈する水俣病罹患者

一問題の所在

被告らは水俣病において感覚障害のみが出現するということは医学的に実証されていないと主張する。他方、原告らは、①有機水銀曝露量が比較的少ない場合、感覚障害という初発症状段階で症状の進行が止っている可能性があること、②感覚障害は他の症状に比べて軽快しにくい症状であることから、一旦は他の症状も出現していたが経時的経過によって感覚障害以外の症状が軽快し感覚障害のみが現在残存している可能性があることを根拠として、水俣病において感覚障害のみが出現する場合があると主張している。そこで、以下、感覚障害のみを呈する水俣病罹患者が存在する可能性を検討する。

二感覚障害という初発症状段階で症状の進行が止っている可能性の検討

1 我が国における疫学調査によると、水俣病患者の多くが、最初に四肢末梢の知覚異常(ビリビリする感じ、しびれ感)を自覚したこと、知覚異常の出現とともに感覚の低下、鈍麻等の感覚障害も出現することが認められること(〈書証番号略〉)、前示のとおりイラクのバキルらの研究によるとメチル水銀摂取量が少ない場合には感覚障害を呈するのみの症例が存在しうること(〈書証番号略〉)、宮川太平のラット実験によると有機水銀によって先行的に末梢神経の知覚線維、脊髄後根、後索、脳神経の三叉神経、聴神経などが選択的に傷害され、有機水銀投与量がある一定量以下の場合(総摂取量七ないし八ミリグラム)は長期間(六〇〇日)経過後における神経系の変化が末梢神経のみに限局されていたこと(〈書証番号略〉)、新潟大学の生田、佐藤らによる人と類似する細胞組織構造を有するサルを使用した実験によると、臨床症状を示さなかったサルにおいても電子顕微鏡での観察を行なったところ、末梢神経に病変が確認されたこと(〈書証番号略〉)の各事実が認められ、これらの事実を総合して判断すると、水俣病における初発症状は感覚障害であり、感覚障害の発症閾値は他の症状の発症閾値よりも低く、また、初発症状としての感覚障害は先行的に末梢神経が傷害されることに起因すると考えられる。

2 ところで、水俣病患者の病理学的所見によると、一般に人の場合は神経中枢病変が主要で多彩であり、末梢神経病変は著しく軽いのが特徴的であるといわれていること(〈書証番号略〉)、黒岩義五郎によると、昭和五八年ころに水俣病患者らの腓腹神経について電気生理学的検査等行なったが明らかな病変が見出し得なかったこと(〈書証番号略〉)、徳臣らによると昭和五六年ころに発病して二〇年を経過する水俣病患者に対して電気刺激による短潜時SEPを記録した結果からは末梢神経における顕著な病変を見出し得なかったこと(〈書証番号略〉)も認められるものであり、この点、先の末梢神経が先行的に傷害されるという動物実験結果との整合性が問題になる。

しかし、病理学的所見によると、一般に末梢神経の障害については神経線維の再生が多くみられ(〈書証番号略〉)、水俣病罹患者においても末梢神経障害については経年的経過によって機能回復が図られる場合が多いと推認される。そして、右黒岩や徳臣の実験をみるにいずれも水俣病罹患後相当な年月を経過した者を対象とするものであるから、その検査成績から末梢神経障害が顕著に認められなかったからといって、メチル水銀が先行的に末梢神経を傷害することを否定することにはならないと考えられる。また、水俣病患者の剖検例からは末梢神経よりも中枢優位の障害所見が一般にみられるものであるとしても、剖検時における末梢神経の神経線維の再生を考えると、人における感覚障害が末梢神経を先行的に傷害されたために初発したものではないと断定することはできない。そうすると、初発症状としての感覚障害の発症機序として、末梢神経が先行的に傷害されることによると考えることも医学的に十分あり得ることであるというべきである。

3 したがって、水俣病における初発症状が感覚障害であって、メチル水銀の曝露量が比較的少ない場合は、感覚障害という初発症状段階で症状の進行が止っている可能性を医学的に否定することはできない。

三臨床上、感覚障害のみが残存している可能性の検討

1 メチル水銀曝露後、一旦、主要症状がそろってみられた患者における各症状の軽快の程度に差異が存するか否かに関しては、急性または亜急性の典型的な水俣病患者においても一〇年以上経過すると症状の程度にいくつかの変化がみられ、失調、振戦、自律神経症状等は改善が著名で、構音障害なども程度が軽くなるが、他方、筋緊張亢進、筋萎縮等が憎悪し、知覚障害や精神症状は不変であること(〈書証番号略〉)、新潟水俣病において初期に水俣病と認定した患者のうち一年以上外来で経過観察した一九例についての神経症状では知覚障害と小脳症状が多く残っていたこと(〈書証番号略〉)、過去に診察した典型的水俣病患者らを数一〇年後にあらためて診察したところ、典型的水俣病患者では主要症状の出現頻度に大差はなかったが、個々の症例でみると表在知覚障害を除き改善を示す者が多く、軽症者では表在知覚の障害は過去及び現在とも全例で存在したものの、その他の症状は典型例に比して頻度が少なく、さらに改善傾向が強かったこと(〈書証番号略〉)、新潟水俣病患者を五年間追跡調査した結果、四肢末梢の感覚障害の改善が最も少なかったこと(〈書証番号略〉)が認められる。

2 以上の調査結果からすると、水俣病の主要症状のうち、感覚障害を除く他の症状は比較的快癒する傾向がみられるのに対し、感覚障害は快癒しにくく長期にわたって残存することが認められる。しかし、本件各証拠を精査するも、感覚障害以外の主要症状が経年的経過によって全く快癒するものであると認めるに足りる証拠はなく、この点はさらに今後の水俣病に関する諸研究に委ねざるを得ないものである。ただし、軽快傾向にある各症状を臨床的に把握し得るか否かについては、臨床検査における技術的問題が存することからすると、臨床的には感覚障害のみしか把握できない水俣病罹患者が存在することは否定できないというべきである。

四まとめ

以上の検討からすると、有機水銀の曝露量が比較的軽度の者にあっては、感覚障害という初発症状の発現段階で症状の進行が止っていること、又は、一旦他の症状も出現していたが経時的経過によって感覚障害以外の症状は臨床上把握することが困難な状況となり、臨床上感覚障害しか捉えられなくなることは、いずれも医学的に想定することが可能であると判断できる。したがって、水俣病においては、臨床症状として感覚障害のみを呈する症例が出現する可能性は否定できないと解するのが相当である。

第六水俣病の判断基準

一判断方法

1 水俣病は、メチル水銀の汚染を受けた魚介類を摂取したことによって生じるメチル水銀中毒症であるから、原告ら個々の水俣病の罹患の有無を判断するに当たっては、個々の原告において、①メチル水銀によって汚染された魚介類を摂取したこと、②その魚介類の摂取によって水俣病の発症閾値を超えるメチル水銀が体内に蓄積されたこと、③その蓄積されたメチル水銀の影響による中毒症状を呈していることが認められることが必要である。右①及び②は原告らにおける有機水銀曝露の事実に関するものであり、③は臨床症状に関するものである。

2 今日における水俣病の病像については、なおハンター・ラッセル症候群として理解されている主要神経症状を特徴とするものではあるが、メチル水銀の曝露の濃淡によって症状の発症頻度が異なること、現に各種の疫学調査成績からみても、水俣病においては典型的なメチル水銀中毒症の症状を呈する例から多様な不全型の症例まで、また、その症度からしても劇症例から軽症例まで不断に連続していることが認められる。

このように多様な病像を呈する水俣病において、訴訟上、個々人の水俣病罹患の有無を判断するということは、結局、いかなる有機水銀の曝露歴を有する者において、いかなる症状が認められた場合に水俣病に罹患している可能性が高いと判断し得るか、すなわち、個々人における有機水銀の曝露経験の有無、曝露の程度、臨床症状の発現経過、発現内容及び程度、他の疾患に起因する可能性等を総合的に検討して、その罹患の可能性を判断するのが相当である。

二他原因との鑑別

前示のとおり、水俣病の症状は、主要症状に限ってみても、いずれの症状もそれ自体は非特異的であって、各症状を出現させる可能性のある他の疾患は少なくないけれども、現在に至るも水俣病という広範かつ膨大なメチル水銀中毒症に起因する健康障害の発症機序・内容・経過・程度等の全てが医学的に解明されているわけでないことを考えると、原告らにおいて現に呈している症状をして積極的にメチル水銀の影響によると証明させることは、実際上不可能を強いることになり妥当ではない。そこで、他原因との鑑別においては、メチル水銀の曝露経験を有する者において、現に呈している症状について、メチル水銀の影響によると考えることより専ら他原因によると考える方が合理的である場合に限り、水俣病ではないと判断することが相当である。

三水俣病の行政認定の判断基準について

1 現在、水俣病患者を行政的に救済せんとする趣旨から、「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法」又は「公害健康被害の補償等に関する法律」に基づいて被告熊本県らは水俣病の認定業務を行っているが、その際、被告熊本県らは水俣病認定申請者個々の水俣病罹患の医学的診断を、神経内科医らで構成されている「公害健康被害認定審査会」(以下「認定審査会」又は「審査会」という。)に諮問している(〈書証番号略〉、証人伊津野良治の証言、証人岡嶋透の証言)。

2 認定審査会における水俣病診断は、現在、環境庁が昭和五二年七月一日に環境庁企画調整課環境保健部長名で発した「後天性水俣病の判断条件について」と題する通知で示した水俣病の判断基準(以下「五二年判断条件」という。)に準拠して行なわれている。この五二年判断条件によると、水俣病による症状は、主に四肢末端の感覚障害、運動失調、平衡機能障害、求心性視野狭窄、歩行障害、構音障害、筋力低下、振戦、眼球運動異常、聴力障害等であるが、これらはいずれも単独では一般に非特異的な疾患であることから、魚介類に蓄積された有機水銀に対する曝露歴を有する者について、臨床上、①感覚障害があり、かつ、運動失調が認められること、②感覚障害があり、運動失調が疑われ、かつ、平衡機能障害又は両側性の求心性視野狭窄が認められること、③感覚障害があり、両側性の求心性視野狭窄が認められ、かつ、中枢性障害を示す他の眼科又は耳鼻科の症候が認められること、④感覚障害があり、運動失調が疑われ、かつ、その他の症候の組合せがあることにより有機水銀の影響によるものと判断される場合であることという症状の組合せが認められる場合に水俣病と診断すべきであるとしている。

(〈書証番号略〉)

3 ところで、被告らは、右の昭和五二年判断条件で示されている水俣病の判断基準をもって水俣病の判断の医学的最低基準とすべしと主張し、臨床上右のような組合せが認められない原告ら、特に臨床上、感覚障害しか呈していない例は水俣病の罹患の可能性が医学的にも極めて低く、水俣病の判断を下すに十分でないと主張している。

しかしながら、前示のとおり、水俣病においては感覚障害しか呈さない症例も存することが認められること、昭和五二年判断条件は、認定申請者が語る魚介類の喫食状況等からは個々人のメチル水銀の曝露量を推し量ることができないとの前提の下で、専ら臨床症状をもとに水俣病の判断を医学的に行おうとする意図に基づくものであると認められるところ(〈書証番号略〉)、後述するように原告らのメチル水銀汚染の濃淡は有機水銀の曝露に関する事実からも推認することが可能であり、水俣病の判断を専ら臨床症状のみに依拠して行うことは相当でないことからすると、昭和五二年判断条件をして水俣病の判断における医学的最低基準であるということは相当ではなく、被告らの右主張は採用することはできない。

四まとめ

以上からすると、原告らの水俣病罹患の有無の判断は、個々における有機水銀の曝露経験及び曝露の程度並びに臨床症状の内容、経過、程度等を総合的に検討し、メチル水銀の曝露経験を有し、その曝露の程度が高度であると認められる者であって、少なくとも四肢に末梢優位の感覚障害が認められ、その症状が他の疾患に起因すると考えるのが合理的であるとまで認められない場合は、その者は水俣病に罹患していると判断するのが相当である。

第七原告らの水俣病罹患の判断についての一般的考察

一有機水銀の曝露に関する事実をめぐる問題点

1 有機水銀の曝露に関する事実に関する証拠資料

(一) 水俣病は、水俣病の発症閾値を超えるメチル水銀を体内に蓄積することによって発症するメチル水銀中毒症であるから、原告らの水俣病罹患の有無を判断するに当たって、まず、原告ら個々におけるメチル水銀曝露の有無及びその蓄積の程度に関する事実を知ることが重要である。この点、不知火海の魚介類の喫食経験を有することに加えて、毛髪水銀値や血中水銀値の測定値が存すれば、メチル水銀曝露の有無及びその蓄積の程度を直接的かつ客観的に把握することが可能であるといえよう。しかし、本件では、右直接的客観的指標となるべき毛髪水銀値等の測定結果は証拠として提出されておらず、また、関係各証拠を精査するに、原告らにおいて有機水銀に曝露された時点又は種々の症状が発現した時点で毛髪水銀値や血中水銀値の測定がなされていたと認めることもできないことから、原告ら個々におけるメチル水銀曝露の有無及びその蓄積の程度に関する事実の認定に当たって、右のような客観的直接的資料に依拠することは困難である。

そこで、本件原告らにおけるメチル水銀曝露の有無及びその蓄積の程度は、結局、各原告らの生活歴、魚介類喫食歴、生活状況、家族等の喫食状況及び発病状況、当時の居住地域の一般的生活環境、当時における居住環境におけるメチル水銀の汚染状況等の種々の事実(以下これらを「有機水銀の曝露に関する事実」と総称する。)を総合して推認せざるを得ない。

(二) ところで、このような原告ら個々における有機水銀の曝露に関する事実は、本件において提出されている証拠からすると、いずれも原告らの記憶をもとにするものである、門祐輔医師又は池田信明医師の作成にかかる各診断書中の「疫学的条件」欄の記載、審査会資料中の居住歴・職歴等疫学的事項としてまとめられている記載、原告ら本人が陳述したことをそれぞれ訴訟代理人がまとめて記載した各陳述録取書の記載及び当法廷における本人尋問の結果から得られた供述内容(以下これらを「原告らの供述に基づく証拠」と総称する。)を中心にして認定することになる。

この点、被告らは、①この原告らの供述に基づく証拠は三〇年も前の事実を記憶に頼って供述したものであり、信用性において限界があること、②不知火海に生息していた魚介類においても、捕獲場所及び時期並びに魚種等からメチル水銀曝露の度合い及びメチル水銀汚染の濃淡が存するものであるが、右証拠からすると現に喫食した魚介類の捕獲場所及び時期並びに魚種等において明らかでない点が多く、現に喫食していた魚介類がそもそもメチル水銀の汚染を受けていたものか、汚染を受けていたことはうかがえるにしてもその汚染度がどの程度のものであったかは不明であること、③仮に、水俣病患者の家族集積性、地域集積性等の事実から、原告らにおいて高濃度に汚染された魚介類を摂食していた事実が推測されるとしても、メチル水銀に対する感受性は個体差が存することから、原告ら本人も同様にメチル水銀中毒症に罹患するということは推認できないこと等を理由に、個々の原告における有機水銀の曝露に関する事実からは、最大限、原告ら個々人がメチル水銀の曝露を受けた経験は推認できるにしても、それを超えて原告ら個々が発症閾値を超えるメチル水銀をその体内に蓄積した事実までは到底推認できないものであるという。

そして、原告らの疾患をしてメチル水銀中毒症によるものか否かは、有機水銀曝露歴から発症閾値を超えるメチル水銀の体内蓄積の有無が不明である以上、結局、臨床症状の特徴を重視してメチル水銀中毒症か否かを判断せざるを得ないと主張する。

(三) そこで、まず、原告らの供述に基づく証拠の信用性を検討し、さらに、有機水銀の曝露に関する事実によって如何なる範囲の事実まで推認し得るかを検討する。

2 原告らの供述に基づく証拠の信用性

(一) 原告らの供述に基づく証拠の中で、最もその記憶に依拠し、また、メチル水銀の曝露の有無及びその蓄積を知る上で中心となる事実は、原告ら個々における魚介類の喫食状況にかかる部分である。

まず、三〇年前の記憶に専ら依拠していることから、供述の正確性に問題が存するのではないかという点についてであるが、食生活という基本的な生活習慣に関する記憶に基づくものであり、刑事事件におけるような過去のある一時点における一回的な出来事の認識を問うような場合と異なり、事実関係において単純であり、かつ、反復継続していた事実の記憶の喚起を求めるものに過ぎないから、三〇年前の記憶とはいえども、その正確性はかなり保たれていると評価することができると考えるべきである。

(二) さらに、各人の生活状況については、本人が最もよく知るものであるから、本人の記憶にかかる供述又はそれを録取したものが最も重要な証拠というべきである。ただし、魚介類の喫食状況、特に多食したか否かについての供述においては、水俣病問題の今日までの経過に鑑みると、一切の誇張が含まれていないともいいきれない。したがって、その供述の信用性の判断においては、原告らの記憶にかかる喫食歴等生活歴の供述の具体性、一貫性、自然さ等を厳格に検討することはもちろん、原告ら個々の職歴、生活程度、家族の生活状況、居住地域の生活様式、地域的階層的食生活状況等諸般の事情に鑑みて判断することが必要である。

3 喫食にかかる魚介類の汚染濃度

(一) 次に、摂食にかかる魚介類のメチル水銀汚染度合いが不明であり、魚介類の多食からメチル水銀の曝露の程度を推認することが困難であるとの点を検討する。

(二) 原告らが現に喫食した魚介類の汚染度を知るには、喫食にかかる魚介類の捕獲場所、捕獲時期、魚種が特定されておれば、それをもとにして推認しうることは当然である。しかし、原告らの中には、右事情を明らかにし得ない者も存する。そのような場合においても、不知火海の各海域における魚介類の汚染状況、原告ら個々が居住していた地域において一般に摂取されていたと認められる魚介類の漁場、居住地域における水俣病患者発生率(水俣病患者の地域集積性)、当時の住民検診において得られている居住地域の住民の毛髪水銀値等からうかがえる原告ら個々の居住地域の当時の一般的な環境汚染の度合いを示す諸事情、さらに食生活を同じくする家族の発症歴(水俣病患者の家族集積性)等を勘案することによって、特に原告ら個々において地域住民とは生活風習が異なっていた、個人的に魚介類の摂食に際し際立った偏食があった、魚介類の入手先が地域住民らと異なっていた等の事情が認められない限り、摂食にかかる魚介類のメチル水銀汚染濃度を推知することは不可能でないと考えられる。

4 不知火海沿岸における一般的汚染状況

(一) 不知火海沿岸地域における生活環境

(1) 本件原告らの昭和四〇年代までの居住地は、田浦町(田浦、海浦)七名、湯浦町(女島)一名、津奈木町(福浜、赤崎、大泊及び岩城)五名、水俣市(湯ノ児、丸島町、汐見町、江添町、平町、浜町、月浦、湯堂、袋、茂道、住吉町、古賀三本松等)二〇名、鹿児島県出水市(米ノ津下鯖町、名護、下知識、蕨島)五名、天草郡御所浦(嵐口)四名である。

(2) 各地域における生活様式(暮らし向き、食生活等)の特徴

右各地域は、いずれも不知火海に面したリアス式海岸の沿岸にあり、鹿児島県出水市を除いていずれも海辺まで山が迫り、耕地が僅かで専業農家の田圃はほとんどなく、あっても蜜柑の栽培が主であって、当時の住民は、ほとんどが漁業又は半農半漁であったが、一般に漁民らは貧しく、その食生活においては、配給米、自作の麦及び甘藷を用いた混合食を主食とし、近海で容易に入手・捕獲しうる魚介類を副食として多食することが一般的であり、家庭によっては魚介類を穀物より多食する例もあった。鹿児島県出水市においては、他地域に比べて農業が盛んであったが、原告らが当時居住していた前記各町村においては不知火海に面していたため、当該地域住民においては、漁師から容易に魚を入手でき、また、住民自身においても近海において容易に魚介類を捕獲し得たことより、魚介類を摂食する機会は極めて多い地域であった。

(〈書証番号略〉、第一、二回検証の結果)

(3) 以上の事実からすると、本件原告らが昭和四〇年代までに居住していた地域は、いずれもその地理的環境からみて不知火海の魚介類を多食する生活環境であったことが認められる。

(二) 職業別にみた魚介類の摂食状況

(1) 新潟大学の二塚信教授は、昭和四〇年ころの原告らの各居住地域を含む不知火海南半分沿岸地域の住民らを対象とした食生活の調査を行ったところ、一日の平均魚介類摂取量は漁師の場合で男子四〇〇グラム女子二五〇グラム、片手間又は漁家を深い関係をもって生活している非漁家の場合男子二〇〇グラム女子一四〇グラムであって、当時の国民栄養調査によるわが国の平均魚介類摂取量レベルが九〇グラムであることと比較すると右各地域住民はその食生活において魚介類を多食していたことが認められると報告した(〈書証番号略〉)。

(2) この報告によると、不知火海沿岸に居住する漁業関係者における魚介類摂食状況は、非漁業関係者に比べて著しく高いこと、非漁業関係者においても一般的国民の摂取量に比べて多量に魚介類を摂食していることが認められる。

(三) 不知火海各海域の魚介類の汚染状況

第一章第四「不知火海沿岸地域の水銀汚染状況」の項で認定したとおり、不知火海各海域に生息する魚介類の汚染状況は概要以下のとおりであった。

(1) 水俣湾及びその周辺海域に生息する魚介類の汚染状況

ア 昭和三四年における水俣湾の魚介類の水銀濃度は、喜田村の調査によるとヒバリガイモドキで一〇八PPM(乾重量当たり総水銀)、アサリで一七八PPM(乾重量当たり総水銀)、イシモチで一五PPM(湿重量当たり総水銀)であった。

イ 昭和三五年から四六年までの間の水俣湾及びその周辺海域の各種魚介類中の水銀濃度は、入鹿山の調査によると、水俣湾沿岸である月浦の緑海岸に固定生息するヒバリガイモドキ中の水銀濃度は、昭和三五年一月に八五PPM(乾燥重量当たり総水銀、以下同じ。)であった。同地区のアサリ貝中の水銀含有量は昭和四〇年までは約三〇PPM、昭和四一年一〇月に八四PPMを示し、昭和四三年七月までの間は総じて一〇PPM前後の値を示していた。同年一一月以降に至って漸く一PPM以下を示すようになった。水俣川河口付近の大崎のアサリ貝については、昭和四三年六月までは五PPM前後を示すことが多く、同年七月以降になってようやく一PPM前後の値を示すようになってきた。

その他の魚介類においても昭和四〇年ころまでの間は、総じて一〇PPM前後という高度の水銀の蓄積が認められ、一PPM以下にまで減少するに至るのは昭和四一年以降であった。

(2) その他の不知火海海域に生息する魚介類の汚染状況

ア 昭和三四年の喜田村教授らによる、不知火海の魚介類中の水銀含有量の調査によると、北では樋島のタチウオに約4.8PPMの総水銀(湿重量当たり)が、南では鹿児島県櫓木のヒバリガイモドキに約10.1PPM(乾燥重量当たり)が認められた。

イ 藤木らの調査によると、昭和四六年及び昭和四七年に至っても、なお、水俣湾内外、水俣川河口、水俣沖タチウオ漁場、御所浦、倉岳、牛深の各海域では対照海域の魚介類と比較して高い水銀濃度を示したことが認められた。

(四) 不知火海沿岸地域住民の汚染状況

第一章第四「不知火海沿岸地域の水銀汚染状況」の項で認定したとおり、不知火海沿岸地域住民の汚染状況はその毛髪水銀濃度からみて以下のとおりであった。

(1) 水俣湾沿岸地域住民の汚染状況

ア 昭和三四年一二月から昭和三五年一月にかけて喜田村教授ら熊大衛生学教室が行った水俣病患者らを含む水俣地方の住民の毛髪(爪)中の水銀量調査によると、水俣地区においては健康者であっても多くは一〇PPMを超える水銀を保有しており、中には一〇〇PPMを超える者もみられており、対照地区の健康者(平均2.28PPM)に比べて毛髪や爪に多量の水銀を保有する者がほとんどであった。

イ 昭和四三年に入鹿山、藤木らが行った水俣市の住民二〇一人(患者五七名、漁業従事者六五名及び一般住民七九名)の毛髪中水銀濃度調査結果によれば、自宅療養患者の平均値は約10.6PPM(最高値64.9PPM、最低値1.5PPM)、漁業従事者の平均値約9.2PPM(最高値73.8PPM、最低値2.6PPM)、一般住民の平均値約8.1PPM(最高値16.1PPM、最低値2.6PPM)であった。

昭和四四年度の調査でも、なお、漁業従事者の毛髪水銀濃度の平均値5.5PPM(最高値18.3PPM、最低値1.2PPM)であったが、昭和四五年度において漸く漁業従事者の毛髪水銀平均値が3.7PPM(最高値9.5PPM、最低値1.2PPM)と減少した。

(2) その他の不知火海沿岸地域住民の汚染状況

ア 昭和三五年一一月から昭和三六年三月にかけて熊本県衛生研究所の松島義一らが行った不知火海沿岸地域(水俣市、津奈木町、湯浦町、葦北町、田浦町、御所浦村、竜ケ岳及び姫戸村)住民の毛髪水銀値の調査によると、田浦、湯浦及び葦北地区等水俣地区以外の一般健康者の水銀含有度の増加が認められている。同人らによる調査は昭和三六年一〇月から昭和三七年三月にかけても行われたが、その結果、昭和三七年に至るもなお高度の毛髪水銀値を示す者が少なくなかった旨報告されていた。

イ 昭和三五年五月から昭和三七年二月にかけて、鹿児島県内の不知火海沿岸及びその周辺地区の住民の毛髪水銀値が調査されたが、それによると、出水市米ノ津地区、長島の東町地区、高尾野町及び阿久根市の各地区において五〇PPMを越える高い毛髪水銀量を示したものが認められていた。

(五) 水俣病患者の地域集積性

第一章第三「水俣病の被害の実態、原因究明の経過並びに被告国及び県らの対策」の項において認定したとおり、大要、水俣市の水俣湾沿岸地域においては、遅くとも昭和二八年ごろには水俣病患者の発生が認められ、特に、昭和三一、二年ころには田中静子ら急性劇症患者が多発していた。

また、昭和三四年ころ以降には、水俣市の水俣川河口付近の地域、葦北郡沿岸部落(津奈木町、田浦町等)、御所浦沿岸部落(嵐口)、鹿児島県出水市(米ノ津、下鯖江)においても、中村末義をはじめてとして多くの急性劇症患者又は急性患者が多発するに至った。

(六) 右のとおり、不知火海各海域における魚介類の汚染状況、不知火海沿岸住民の汚染状況、水俣病患者の地域集積性に鑑みるならば、水俣湾及びその周辺海域における魚介類は、遅くとも昭和二八年ころには水俣病患者の発生をみるに至る程度にまでメチル水銀に汚染されていたこと、特に昭和三一、二年ころには急性劇症患者の多発をみる程度にまで高度に汚染されていたこと、昭和三四年ころにはその他の不知火海海域(葦北町、津奈木、御所浦、出水市等)に生息する魚介類においても急性劇症患者の発生をみる程度にまで汚染されていたこと、不知火海に生息する魚介類や沿岸住民の汚染状況はなお継続していたことが認められる。

5 まとめ

このような同地域における住民らの生活環境、不知火海沿岸地域における汚染環境等の事情に鑑みれば、原告ら個々において、その居住地域、居住期間、生活様式、食生活の在り様、魚介類の摂食状況等において、特に他の近隣住民らと異なる事情がうかがえない限り、一般的には相当高度なメチル水銀の曝露蓄積が推認されるというべきである。したがって、原告らの供述に基づく証拠からその有機水銀の曝露に関する事実を認めるに当たっては、むしろ、その居住地、居住期間、職歴、生活様式、食生活等からみて、当時の不知火海沿岸地域における一般的な環境汚染の影響を受けなかったと認められるか否かの点を重視することが相当である。

二原告らの症状に関する診断書等の信用性

1 原告ら個々の症状に関する証拠資料

原告らの臨床症状に関する医師による他覚的所見を記載した証拠資料は、主に原告らの提出にかかる門祐輔医師又は池田信明医師の作成にかかる診断書、被告国及び同熊本県の提出にかかる審査会資料である。

ところで、原被告とも右証拠資料に関する信用性についてそれぞれ争うものであるから、この点、診察又は検診した医師の医学的知識、能力、水俣病の検査の熟練度、本件原告らに対する診察又は検診の方法及び内容を検討し、診断書及び審査会資料の信用度を判断することにする。

2 門医師及び池田医師の診断書

(一) 門祐輔医師及び池田信明医師の経歴

(1) 門祐輔医師(以下「門医師」という。)の経歴

(証人門祐輔の証言)

ア 門医師は、昭和五五年三月に京都大学医学部を卒業し、同年五月医師免許を取得した。右京病院内科、北病院内科、国立循環器病センター内科脳血管部門に勤務して実務に携わる傍ら、昭和五七年夏ころから京大医学部神経内科において神経内科学の研修をし、昭和六〇年八月日本神経学会神経内科認定医の資格を取得し、その後、耳原鳳病院理学診療科、東大医学部リハビリテーション部、埼玉医科大リハビリテーション部に勤務して神経内科医としての経験を積み、昭和六二年四月から右京病院及び京都民主医療機関連合会中央病院神経内科に勤務した。門医師の専門は神経内科である。

イ 門医師は、京大在学中、公害問題を扱うサークルに所属したころから水俣病に関心を持ち、昭和五一年の春と夏に水俣市現地へ赴き患者らの生活実態や愁訴等の調査を行ったことをはじめ、以後、原田正純医師や藤野糺医師らの講義を受ける等して水俣病に関する知見を深めた。昭和六二年五月ころから、関西や不知火海の一斉検診において水俣病の診断に携り、昭和六三年一一月から本件原告らの水俣病の診断を行っている。

(2) 池田信明医師(以下「池田医師」という。)の経歴

(証人池田信明の証言)

ア 池田医師は、昭和五一年三月に京都大学医学部を卒業し、同年五月医師免許を取得した。耳原総合病院内科、同病院神経内科、東京大学医学部附属病院リハビリテーション部に勤務する傍ら、神経内科の研鑽に努め、昭和五五年八月日本神経学会神経内科認定医の資格を取得し、以後、耳原鳳病院内科及び理学診療科に勤務し、昭和六〇年四月から同病院理学診療科部長、平成二年四月同病院内科部長の役職を務めている。同医師は、国立近畿中央病院附属リハビリテーション学院で臨床神経学の、また、日本福祉大学でリハビリテーションの講義を行っている。専門は神経内科である。

イ 池田医師は、昭和六一年五月に藤野糺医師から関西に在住する水俣出身者の診察を依頼されて以来、水俣病に関心を持つようになり、文献研究や現地患者の診察等を通じて水俣病に関する知見を深めていった。昭和六一年夏ころから、関西における水俣病の一斉検診に加わり、昭和六三年秋ころから本件原告らの診察に当たっている。

(二) 原告らに対する診察の方法及び内容

(〈書証番号略〉、証人門祐輔及び同池田信明の各証言)

(1) 診察の一般的方針

ア 門、池田両医師らは、本件原告らの診察を行うに当たって原則的に三日間の入院を求め、その間に、問診(生活歴、病歴等の聴取)、一般的内科診察、神経学的診察及び神経学的検査を含む各種検査を実施した。被検者一人当たりの診察に要した時間は、問診に約一時間、診察に約一時間程をかけた。また、三日間それぞれの日にわたって被検者の感覚障害を診察した。

イ 視野検査、難聴の検査及び骨レントゲン検査は、それぞれ眼科、耳鼻科及び整形外科の専門医に委ね、その専門的な意見を求めた。眼科医による視野検査はゴールドマン視野計を、耳鼻科医による聴力検査は純音オージオメーターをそれぞれ用いて行なわれた。ただし、いずれの検査所見についても最終的には、診断書を作成した門又は池田医師がそれぞれ自ら行った。

なお、眼科、耳鼻科の専門医とは、証人門祐輔の証言及び弁論の全趣旨によると、眼科医及び耳鼻科医については別紙一五のとおりであるが、いずれの医師も一〇年ないし二〇年の臨床経験を有する者である。

(2) 審査の内容及び方法

ア 問診

被検者の水俣在住時における生活歴等から魚介類の摂食状況を聴取し、特に、感覚障害を来す他の疾患との鑑別のため、既往歴として、糖尿病の有無、末梢神経を障害する薬(特に結核の治療薬)の使用の有無、職歴において水俣病と同様の神経症状を発現させる有機溶剤の使用経験があるか等を注意して聴取した。

イ 精神機能に関する検査

水俣病にみられる各種神経症状の診察に当たっては、それらがいずれも主に被検者の応答をもとにする検査であることから、まず、被検者の応答の一般的信頼性を知るために、診察中の被検者の表情と応答をみて精神機能に関する総合的判断や知能検査を行った。

ウ 小脳性運動失調の検査

a 協調運動に関して、上肢では指鼻指、回内回外運動、書字等の試験を行い、下肢では膝叩き試験、膝踵試験を行った。なお、池田医師は、その診断書によると膝叩き試験を実施していないが、協調運動障害の検査として膝打ち試験を行なったことが認められる。

b 平衡機能に関しては、通常歩行試験、継ぎ足歩行試験、片足立ち試験、ロンベルグ試験及びマン試験を行った。

なお、ロンベルグ試験及びマン試験は、一般に脊髄後索性運動失調を検査するために用いられるものであるが、門医師は、ロンベルグ及びマン試験の出発肢位において身体の動揺が出現した場合には、小脳性の平衡機能障害の診断の一資料として考慮している。

c 脳神経の検査としては、眼球を動かす筋肉(内眼筋及び外眼筋)の運動を支配する神経(動眼神経《三番》、滑車神経《四番》及び外転神経《六番》)の検査において、眼瞼、瞳孔及び眼球運動(向き運動と寄せ運動)の異常の有無を検査し、さら眼振の有無をも併せて診察した。

d 構音障害に関しては、脳神経検査として、構音器官を司る第五(三叉神経)、第七(顔面神経)、第九(舌咽神経)、第一二(舌下神経)の神経の障害の有無を診察した。その際、通常時の会話状況に注意するとともに、パ音、タ音、カ音それぞれの連続的発語、「パタカ」の反復的発語によって発語のスムーズさを診察した。

エ 感覚障害の検査

a 表在感覚については、痛覚では痛覚計を、触覚では筆を用いた。温覚も検査した。深部感覚については、関節位置覚と振動覚の検査を行なった。

b 変形性脊椎症との鑑別に当たっては、整形外科専門医による頸椎、腰椎等の骨レントゲン検査に加えて、門及び池田医師において深部反射異常、病的反射の有無の診察、スパーリングテスト、ジャクソンテストが行なわれた。なお、深部反射については、上肢にあっては上腕二頭筋及び三頭筋、橈骨及び尺骨反射があり、下肢においては膝蓋腱(大腿四頭筋)反射、アキレス腱反射、下顎反射の亢進又は低下を検査した。

末梢神経障害による多発性神経炎との鑑別に当たっては血液検査を行ない、肝性ニューロパチーに関しては、GOT、GTP値を、腎不全による多発性神経炎に関しては、尿中窒素、クレアチニン値を、アルコール性ニューロパチーに関してはγ―GTP値を、筋肉疾患に関してはCPK値をそれぞれ検査した。腫瘍マーカーによって癌性ニューロパチーとの鑑別を、七五グラム糖負荷試験や検尿で糖尿病性ニューロパチーとの鑑別を行なった。さらに、末梢神経障害による多発性ニューロパチーの場合は知覚神経伝導速度の低下又は消滅が一般にみられることから、その他の多発性神経炎との鑑別のために運動及び知覚神経の伝導速度等を検査した。運動神経の伝導速度については上肢では主に正中神経又は尺骨神経を調べ、下肢では主に脛骨神経又は深腓腹神経を調べた。知覚神経の伝導速度については上肢では主に正中神経又は尺骨神経を調べ、下肢では主に腓腹神経を調べた。

オ 求心性視野狭窄の検査

a 眼科専門医によるゴールドマン視野計による視野狭窄検査に加えて、門又は池田医師において、対坐法により視力、視野及び眼底異常の有無を診察した。なお、求心性視野狭窄の有無について、鼻側及び耳側の視野の角度を足して一二〇度以下の場合を求心性視野狭窄ありとする診断基準を用いた。

b 他原因との鑑別に当たっては、緑内症(眼圧が上昇して眼に障害を起こしている状態を指す総称的疾患で求心性視野狭窄をもたらすもの)については眼圧(眼球の内部圧力)検査を行い、網膜色素変性症(一般に幼小期に夜盲で発症し、求心性視野狭窄が徐々に進行し、やがて中心視力が喪失して失明に至る遺伝性疾患)については眼底検査を行った。

カ 難聴

a 門及び池田医師とも聴力検査については耳鼻科の専門医に委ねた。その委託した内容は、主に平均聴力の損失の測定と感音性と伝音性の区別であった。耳鼻科専門医は純音オージオメーターを用いて右検査を行ったが、語音聴力検査は実施しておらず感音性難聴については内耳性難聴と後迷路性難聴の鑑別は行われていない。

b 難聴に関する門及び池田医師による神経内科学的検査としては、リンネ試験(音叉をまず乳様突起に当て音を聞かせ、聞こえなくなった時点でその音叉を耳に近づけ音を聞き取らせる試験。耳元での音が聞き取れなかった場合は外耳道=耳の外から鼓膜までの間の障害又は中耳炎が疑われる。伝音性難聴の有無の検査)、ウェーバーテスト(音叉を額の真ん中に当てて左右同じように聞こえるかをテストする。外耳又は中耳に障害がある場合は障害のある方の耳側の音が大きく聞こえ、内耳より奥に障害がある場合はその障害がある方の音が小さく聞こえる。伝音性難聴と感音性難聴の鑑別に役立つ試験)を行った。

キ その他

脊髄癆との鑑別のために梅毒血清反応、脳血管障害との鑑別のために頭部CT等を実施した。

3 審査会資料

(〈書証番号略〉、証人原田正純、同伊津野良治及び同有村公良の各証言)

(一) 審査会資料の性格

(1) 審査会資料の意義

被告熊本県及び鹿児島県の各知事は、現在、公害健康被害補償法(昭和六二年法律第九七号により「公害健康被害の補償等に関する法律」と改正された。以下「補償法」という。)に基づいて水俣病の認定業務を行なっている。この行政的な水俣病の認定業務に際し、各知事は、認定申請者の水俣病罹患の医学的評価を医師で構成されている公害健康被害認定審査会(正式な名称は、「熊本県公害健康被害認定審査会」、「鹿児島県公害健康被害認定審査会」という。)にそれぞれ諮問して行なっている。審査会資料とは、この諮問機関である認定審査会が申請者の水俣病罹患の医学的評価を下すための申請者に関する有機水銀の曝露歴及び臨床症状等を記載した基礎資料である。

(2) 審査会資料の作成の経緯

ア 水俣病認定業務の概要

補償法による水俣病の認定を求める者は、認定申請書に医師の診断書等必要書類を添付して知事に宛てて市町公害担当課又は県公害担当課に申請書を提出すると、知事による認定申請者に対する所要の医学的検査(検診)及び疫学的条件に関する調査が開始される。この調査の概要は以下のとおりである。

申請者は、まず、県の担当職員(熊本県においては検診センターの疫学班、鹿児島県においては保健婦)による生活歴、自覚症状、魚介類の喫食状況等の有機水銀の曝露に関する事実の調査を受け、その結果は疫学調書に記載される。その後、熊本県においては水俣市にある水俣病検診センター(昭和五一年五月完成)、鹿児島県においては出水市立病院において神経内科等各検診専門医による検査及び診察を受け、その検診結果は各検診専門医の検診録に記載される。所定の調査が完了した申請者ごとに、その疫学調書及び各科の検診録が要約され審査会資料が作成される。知事は、審査会資料を認定審査会に提出して水俣病の医学的評価を諮問する。審査会での審査は一回に二日間程で、六、七〇人について行われる。審査は、専ら審査会資料をもとにして行なわれるが、オブザーバーとして立会している検診専門医からカルテ等をもとにした詳細な説明も随時なされる。審査会は審査の結果、申請者ごとの水俣病罹患の医学的可能性を①水俣病である、②水俣病の可能性がある、③水俣病の可能性は否定できない、④わからない、⑤水俣病ではない、⑥再検討(資料不足、一定期間おいて検討、同様症例を一括して検討等)に分けて知事に答申する。各知事は、審査会の答申に基づいて申請者の水俣病認定にかかる処分を行なう。

イ 審査会資料とは、臨床症状に関する記載に限ると、検診専門医の検診結果を要約転記した資料であるということができる。したがって、審査会資料の信用性を判断するには、検診専門医の検査能力、検診センター等での検査方法、内容等を検討する必要がある。

(二) 検診機関、検診専門医等について

(1) 検診機関は、熊本県においては水俣市にある水俣病検診センター(昭和五一年五月完成)、鹿児島県においては出水市立病院である。ところで、補償法(又は前身である救済法)では検診機関を限定する旨の定めはないが、審査会が検診センター等の検診結果しか実際上審査資料として使用しないため事実上検診センター等が検診機関として限定されていた。なお、昭和六二年ころまでには、大阪、名古屋でも検診が受けられるようになったが、少なくとも昭和五九、六〇年ころまでは熊本の検診センターか出水市立病院しか利用できなかった。申請者が県外移住者の場合でも、検診を受けるには、熊本県出身者の場合は水俣市の検診センターへ、鹿児島県出身者の場合は出水市立病院へ赴く必要があった。

(2) 検診専門医は、主に熊本大学医学部、鹿児島大学医学部の他国公立の医療機関から交代で派遣される医師で、「一定水準以上の神経内科の専門医」であるが、水俣病検診の経験は問われていない。検診には一人当たり平均五ないし九日間以上を要する。検診専門医は一日当たり多くて四名を検診し、一人当たり一時間程検査に充てる。

(三) 検診専門医による検診の内容及び方法

(1) 現病歴等の聴取

まず、県の職員が認定申請者から有機水銀の曝露に関する事実とともに、現病歴(申請者の症状の訴えとその経過)、既往歴を聞き取り、その結果を疫学調書にまとめ、各検診専門医に報告する。

(2) 一般内科学的検査

検診専門医は申請者の全身状態の観察及び血圧測定を行い、水俣病の認定審査において参考となるべき特記事項があれば、審査会委員又は検診専門医において審査会資料中の「一般内科学的所見」の欄に記載する。

(3) 神経内科学的検査

ア まず、左右一二対の脳神経すべての検査を行う。特に、言語障害については失語(言葉や文字の表出又は理解不能による場合)か構音障害(言葉は理解できるが構音器官の異常によって発声が障害される場合)か、さらに構音障害については運動性(発声器又は運動器の麻痺異常による場合)か失調性(協調運動障害による場合)を鑑別して審査会資料に記載する。

イ 頸部については、特に頸部脊椎症との鑑別のため、他動的に頸部を動かして、運動制限、硬直、疼痛、異常音、スパークリング徴候(頭を横に曲げ、上から圧迫した際に肩への放散痛が起こる現象)の有無を診察する。

ウ 四肢運動系については、まず、多発性神経炎等の末梢神経障害との鑑別のために筋萎縮の検査を行う。運動失調の有無を調べる前提として筋力(脱力、筋力低下、粗大力)、筋トーヌス(筋緊張)を調べる。

エ 振戦については、水俣病においては企図振戦が特徴的であるが、検査においては静止時振戦(安静時の振戦でパーキンソン病等によって起こる。)、体位振戦(ある姿勢、体位を保つときにみられる振戦で甲状腺中毒症、アルコール中毒症等によって起こる。)、企図振戦(動作途中の振戦)を鑑別する。

オ 協調運動失調(四肢失調)については、ジアドコキネーシス、指鼻試験、膝踵試験及び脛叩き試験を実施した。

カ 平衡機能障害(躯幹失調)については、両足起立、片足起立、ロンベルグ試験、歩行、継ぎ足歩行の各試験を行った。

キ 反射については深部反射と病的反射(正常ではみられない反射)の有無を検査した。

ク 感覚障害については、表在感覚では筆や綿を使って触覚を、ピン等を用いて痛覚を検査し、その部位を特定した。深部感覚では関節位置覚及び振動覚(C音叉《振動数一二八》を用いて振動を感じるかを尋ね振動が消失するまでの時間を測る。)を検査した。

ケ その他、ラセーグ徴候(坐骨神経痛の場合、仰臥位で一側下肢を進展したまま挙上させると大腿の裏側の神経に沿って痛みを訴える現象)で坐骨神経痛の有無を検査し、さらに起立、歩行障害の一因となる膝関節痛の有無等を検査した。

コ 神経伝導速度の測定

末梢神経障害に起因する多発性神経炎との鑑別のため、運動及び知覚神経伝導速度の測定をした。なお、運動神経伝導速度の正常値下限は、正中神経及び尺骨神経において、二五歳ないし五九歳の場合五三メートル/秒、六〇歳ないし八五歳の場合五〇メートル/秒、腓骨神経の場合四〇ないし六五メートル/秒である。知覚神経伝導速度は、正中神経及び尺骨神経の場合、肘腕間において五九メートル/秒、腕指間において四七メートル/秒、腓腹神経の場合で四〇ないし五九歳で四六メートル/秒、六〇ないし七九歳で腕指間四三メートル/秒とした。

(4) 精神医学的診察

精神科医による問診及び観察によって、被検者の精神的疾患の有無及び主要神経症状の診断を行なった。

ア 心身故障の訴えから心気的傾向の強弱等を調べ、さらに意識障害の有無、情意(感情と意欲)障害の有無、知的機能(見当識、記銘力、記憶力、理解力、判断力、思考力、計算力)障害、内因性精神病様状態(幻覚、妄想、自我障害)の診察、さらに、精神身体的症状が精神的原因(心因)で発現しているか(神経症、心因反応)等症状における神経症的色彩の有無を診察する。

イ 神経症状に関する他覚的所見については、審査会資料中、「神経学的所見の要約」の欄(現在の審査会資料にはない。)において、①「知覚」の欄において感覚障害の有無及び部位を、②「共同」の欄において運動失調(協同運動及び平衡機能障害)の有無を、③「構」、「振」、「粗大力」の各欄においてそれぞれ構音障害、振戦、脱力の有無等の診断結果を記載した。

(5) 眼科学的診察

ア 視野検査としては、看護婦による予診時にゴールドマン視野計を用いて検査した。その際、補助的検査としてフリッカー視野検査(二〇ヘルツの点滅指標を確認させる検査)も行った。予診において異常が疑われた場合は眼科専門医師による本診が行なわれた。医師による本診では、対坐法やアイカップを用いての視野検査が行なわれた。視野狭窄の有無程度については審査会資料中においては最も大きく最も明るい指標(V4を用いて検査した場合の等感度曲線(イソプター)によって診断している。なお、狭窄の程度は鼻側五七度(六〇歳以上では五四度)以上、耳側八〇度以上を正常値として基準化し、耳側八〇度未満において、鼻側五〇度以上で五七度未満の場合を「ごく軽度」、鼻側四〇度以上で四九度未満を「軽度」、鼻側三〇度以上で三九度未満を「中等度」、鼻側三〇度未満を「高度」の狭窄として診断した(なお、六〇歳以上では、鼻側五四度以上を正常、五〇度以上五四度未満を「ごく軽度の狭窄」として診断した。)。

イ 眼球運動検査

a 眼球運動検査においては、小脳性運動失調(協調運動障害)の検査として、両側性の衝動性運動異常(ジスメトリア)の有無を検査し、小脳性の平衡機能障害の検査としては視運動性眼振運動異常の有無を検査した。さらに、水俣病では大脳視覚野の病変の結果、下行路である両眼の内矢状層に変性変化が発生し、その結果、向き運動では、両側に水平方向の活動性追従運動が出現することもあること、大脳皮質病変から寄せ運動において輻輳不全が出現することもあるので、滑動性追従運動異常や輻輳不全の有無も検査した。

b 眼球運動の検査に当たっては、滑動性追従運動(SPM)、衝動性運動(SM)及び前庭動眼反射(VOR)について、それぞれ眼電図(EOG)から記録された波型パターンを検討した。

c 視運動性眼振の検査に当たっては、視運動性眼振パターン検査(OKPテスト)を行い、眼振頻度の減少、緩徐相の抑制等のOKPパターンの出現に注意した。

d さらに、眼振も検査し、自発眼振や誘発眼振という病的眼振の有無に注意した。

(6) 耳鼻科学的診察

ア 耳鼻科医において、難聴や耳鳴、めまい等につき詳細な問診を行い、現病歴を十分に把握した上で、局所所見として外耳、鼻内、口腔内の視診を行った。

イ 聴覚検査

a 難聴の有無及び内耳性難聴と後迷路性難聴の鑑別のために、純音オージオグラムを使用し純音聴力検査を行った。

b 感音性難聴がうかがえる者に対しては、さらに、内耳性難聴と後迷路性難聴の鑑別のために、語音聴力検査、聴覚異常順応検査(TTSテスト)、補充現象の検査を実施した。

(7) その他の臨床所見

ア 頸部及び腰部脊椎症との鑑別のためレ線検査を行った。

イ 脊髄癆では脊髄の後根、後索が主として冒され感覚障害や運動失調を生ずるから、脊髄癆を鑑別するため梅毒検査を、糖尿病による末梢神経障害との鑑別のため尿糖、血糖の検査等各種生化学血清学的検査を行った。

ウ 頭部CTによって頭蓋内に生じた各種器質的変化を確認する補助的検査を行い、脳波を検査して脳機能障害の補助的検査を、筋電図及び神経伝導速度を検査して末梢神経の疾患を診断する補助的検査を行った。なお、末梢神経の障害がある場合には神経伝導速度の低下が一般にみられるという。

4 診断書及び審査会資料の信用性

(一) 門医師及び池田医師の診断書

前示の事実からすると、門医師らは水俣病の診察において医師として十分な能力と経験を有していること、原告らの診察に当たって行われた診察内容及び方法は、現在の神経内科学等の一般医学的水準に鑑みて必要にして十分なものであったというべきである。したがって、診断書の信用性は一概に劣るものであるとはいえない。

(二) 審査会資料

前示の事実からすると、各検診専門医による検診は、その方法及び内容において、現在の神経内科学等の一般医学的水準に鑑みて必要にして十分なものであったと評価できる。ただし、検診専門医らについては氏名、経歴、臨床診察経験等が明らかにされておらず、本件で提出されている証拠からは、その医師としての能力、経験が十分なものであるかについて詳細な検討を加えることはできないのであるが、前示のとおり、検診専門医らは、主に熊本大学医学部、鹿児島大学医学部、その他国公立の医療機関から派遣された一定水準以上の神経内科等の専門医であることは認められることから、検診に当たった医師の能力や経験が殊更劣るとまでいえないものである。したがって、この点において審査会資料の信用性は一概に劣るものであるとはいえない。

もっとも、当裁判所の検証(平成四年一〇月二三日、三〇日)の結果によれば、審査会資料のなかにはボールペン及び鉛筆書きなどの部分、糊様のもので貼りあわせた部分などが存したことが認められ、その正確性に疑いを生じさせる点も存しないわけではないけれども、資料が何名かの検診医などによって作成され、それをまとめたものであるから、そのような形式となったのも止むを得ないところである。

(三) 以上のとおり、診断書及び審査会資料ともその信用性について差異を認めることが困難であるから、両資料が存する原告においては、いずれも等しくその所見を検討することとする。

三臨床症状をめぐる問題

1 神経症との鑑別について

(一) 池田医師は原告らの診察において心理テストを実施しているが、原告らのうち数名の者において心理テストの結果として神経症等の所見が記載されている者が存する。この点、被告らは、心理テストで神経症等の所見が得られている原告においては、感覚障害等の神経内科学的検査所見がみられたとしても心因性の可能性が高いとして、水俣病の判断において有意な所見として扱うべきでない旨主張する。そこで、この点を検討する。

(二) まず、池田医師が実施した心理テストはCMI(コーネル・メディカル・インデックス)、YGテスト(矢田部ギルフォード性格検査)、MAS(テイラー不安検査)等であるが、いずれのテストも被検者の神経症的傾向を知る上で有用なものであるが、これらの検査結果をして直ちに神経症や精神障害の有無を鑑別診断し得るほど信頼性が高いと一般に認められているものではなく、あくまで精神医学的診断を行う上での補助的手段として利用されるに過ぎないものである。したがって、池田医師の診断書において、心理テストの結果が神経症等を示している旨記載されている場合といえども、その原告をして直ちに神経症に罹患していると判断することは妥当でない。

原告らの感覚障害等の症状が、メチル水銀による器質的障害によるものか、専ら心因的要因(ノイローゼ、詐病等)によるものかの鑑別に当たっては、心理テストも有用な一資料となることは否定し得ないものの、あくまで、検査医師が、検査時に被検者を全体的観察(相貌的診断)して判断することが必要である(〈書証番号略〉)。そして、被検者が訴える神経症状が専ら心因的要因に起因する場合は、その応答に矛盾、不自然さ、誇張等の神経症特有の不合理さがみられるものであって(〈書証番号略〉)、神経内科医としての一定の経験を積んだ医師の場合、そのような神経症特有の徴候を被検者の観察から十分に診察することが可能である(証人門祐輔の証言)。

池田医師は、神経内科学的検査を行うに当たって診察中、被検者を全体的に観察することによって精神機能、状態等に関する総合的診断を行っていること(〈書証番号略〉、証人門祐輔及び同池田信明の各証言)からすると、感覚障害等の症状が神経症等の心因的要因に専ら起因すると認めるべきか否かは、その心理テストの結果に拘泥することなく、あくまで、同医師が原告らの全体的観察において神経症的傾向を認めたか否かをもとに判断することが相当であるというべきである。

2 構音障害の検査について

(一) 門及び池田医師は、原告らの構音障害に関して、「パ・タ・カ」の反復発語が拙劣である旨報告している例がある。この点、被告らは右テストでは構音器官の筋肉麻痺等との鑑別が十分行われていないとして、協調運動失調を示唆する構音障害所見として有意な所見と見るべきではない旨主張する。そこで、この点を検討する。

(二) まず、白川らが、新潟水俣病患者を対象にして言語分析を行った結果、「パ・ラ・タ」の反復発語において、水俣病患者では正常人と比べて発語区分が不明瞭、反復の緩徐化(反復間隔の明らかな延長)、反復発語の不規則化が顕著であったことが認められている(〈書証番号略〉)。他方、口唇を使う「パ」、舌を使う「タ」の発語の拙劣については、口唇及び舌に関わる顔筋麻痺の影響が無視できない(〈書証番号略〉)。

これらのことからすると、「パ」・「タ」の反復発語について拙劣であるとの所見が得られた場合、その所見をして小脳性の構音障害であるというには、前提として構音器官の麻痺等が認められていないことが必要である。この点、門及び池田医師においては、脳神経の検査時において顔筋麻痺等の検査も行っていたのであるから(証人門祐輔及び同池田信明の各証言)、「パ・タ・カ」の反復発語拙劣との所見があり、特に構音器官の麻痺等が特記されていない場合は、協調性運動失調を示唆する所見として有意なものであるとすべきである。

3 審査会資料中の神経内科医と精神科医の所見の齟齬について

(一) 審査会資料によると、一日をおいて検査した神経内科医と精神科医の所見が齟齬している例がみられる。この点、被告らは、水俣病のような器質的疾患に起因する感覚障害の場合、日によって検査所見を異にすることは考えられないといい、齟齬がみられる場合はメチル水銀の影響による症状と認めるべきではない旨主張する。

(二) この点、確かに症状が器質的障害に起因する場合、症状の出現が日々異なることは理論的には理解し難いものである。しかし、神経症状の検査はいずれも被検者の応答に頼らざるを得ない性質である以上、被検者の状態、医師側の対応によって所見に差異が生じることを否定できないものであり、被告らの主張は採用し難い。

4 感覚障害において一般に疑われる主な他原因について

(一) 変形性脊椎症

(1) 変形性脊椎症とは、脊椎の変化によってもたらされる消耗性疾患で、脊椎骨、椎間板及び周囲の軟部支持組織における一連の変性変化で、退行性及び増殖性変化によるものがあり、腰椎の変形性変化に由来する変形性腰椎症と頸椎の変形性変化による変形性頸椎症とに大別される(〈書証番号略〉)。

椿は、軽症水俣病の症状と変形性頸椎症の鑑別に資する目的で、昭和四〇年から四八年の間に新潟大学精神内科へ入院し、頸椎症(ただし、腰椎症との合併症も含まれている。)と診断された三六例についての知覚障害の発現態様を調査したところ、両側遠位部の感覚障害を呈する者は三六例中、上肢において一二例、下肢において九例、上下肢において六例であったと報告している(〈書証番号略〉)。このことからすると水俣病の感覚障害との関係で重要なのは変形性頸椎症であるといえよう。

この変形性頸椎症は、頸椎における変形性変化によって脊髄自体が圧迫される場合を頸椎症性脊髄症といい、神経根が圧迫される場合を頸椎症性神経根症という(〈書証番号略〉)。なお、後縦靱帯骨化症(OPLL、脊椎の椎体後面にある靱帯が石灰化して脊髄を圧迫することで発現する症状)も脊髄症と同様の症状を発症させるが、鑑別に当たっては脊髄症と同じに考えてよいとされている(証人門祐輔の証言)。

(2) 頸椎症性脊髄症との鑑別

ア 感覚障害の発現態様の特徴

(証人門祐輔及び同池田信明の各証言)

a 変形性頸椎症のうち、単独で四肢末梢性の感覚障害を生じさせる可能性が存するのは頸椎症性脊髄症である。

b 脊髄症の場合、圧迫された脊髄の部位以下に感覚障害等が現れる。脊髄症における感覚障害は脊髄の圧迫態様に影響されるものであり、脊髄が左右対称に圧迫されない限り四肢すべてに感覚障害が現れることはない。一般に左右対称に脊髄が圧迫されることは稀であり左右いずれかに偏って圧迫されることから、感覚障害の発現にあっても左右いずれかに偏っている例がほとんどである。なお、運動障害における左右差も著明で、上肢、下肢同側性に障害の程度が強い。

c 感覚障害の発症部位については、脊髄症の場合、圧迫された脊髄以下の部位の感覚が総じて障害されるものであり、四肢の末梢優位に感覚障害が発現するというパターンは考えにくい。この点、岡嶋透「頸部脊椎症性ミエロパチー」(〈書証番号略〉)における頸椎症性脊髄症例における知覚障害の人体内分布図においても末梢優位のいわゆる手袋足袋型の神経障害は報告されていない。

d さらに、脊髄症の場合は感覚のすべてに障害が生じるものではなく表在感覚の一部のみの障害等感覚が分離して障害される場合が多い。

イ レントゲン検査所見

頸椎症性脊髄症は、骨棘等によって脊髄に機械的圧迫が加わることが重要な成因であるから、頸椎性脊髄症が存在するならば、その脊髄高位において、レ線検査により脊椎に変形性変化の所見(脊椎管狭窄、椎体後方骨棘、椎体後すべり等)が認められることになる。

なお、変形的変化は、加齢とともに一般的に高率かつ顕著に認められるものであるが、レ線検査による退行性変化(骨棘形成、椎間板減少、椎間孔変形)があっても必ずしも臨床症状を呈するものではない(〈書証番号略〉)。

ウ 圧迫病変部下部の深部反射の亢進

頸椎症脊髄症では、圧迫頸髄部位に応じて上肢に障害髄節を示唆する腱反射の低下が現れるが、その以下の腱反射は亢進する。特に下肢の腱反射の亢進が特徴的である。さらに、病的反射(ホフマン、ワルテンベルグ、バビンスキー等)が陽性となり、膝クローヌス、足クローヌス等の錐体路障害が現れることが多い。

(〈書証番号略〉)

エ 運動障害

頸椎症性脊髄症では、下肢では高度の運動障害、特に痙性麻痺による歩行障害が、上肢では手指の巧緻運動(指の伸展、対向運動等)の障害が特徴的である。障害を受けた頸椎が支配する上肢の部位の筋萎縮が著明である。また、上肢の筋力低下も著明である。運動障害と知覚障害の症度の比較では知覚障害がより軽いことが一般的である。

(〈書証番号略〉)

(3) 頸椎症性神経根症

(〈書証番号略〉、証人門祐輔の証言)

ア 感覚障害の発現態様の特徴

a 各神経根の支配する皮膚の感覚位置は決まっているから、頸椎症性神経根症の場合、障害を受けている神経根によって感覚障害の発現部位が限定されるという特徴がある。たとえば、第五頸神経が障害された場合は上腕の橈側の感覚障害が現れ、第六頸神経が障害された場合は前腕から親指、人差し指辺りに感覚障害が現れる。また、第五、第六頸神経に障害が存する場合は上肢の一定部位の筋萎縮と筋力低下、下肢全体の筋力低下が現れる。

b このように単根性の頸椎症性神経根症では感覚障害が発現する部位が上肢に限られるため、腰椎症等他の神経根障害が合併しない限り、四肢の感覚障害は発現しない。

c 一般に、変形性変化による頸椎症性神経根症、腰椎性脊椎症の場合、左右の神経根が同等に圧迫されることは考えにくく、頸椎症性神経根症及び腰椎変性による神経根症とも一般に一側性であって、両側性となることは稀である(〈書証番号略〉)。

d 頸椎症性神経根症及び腰椎変性疾患による感覚障害は各髄節の神経根に一致した分節的なものであり、手袋靴下型とはならない(〈書証番号略〉)。

イ レントゲン検査所見

頸椎症性神経根症は、椎間腔周辺で神経根が圧迫されて神経症状を呈するものであるから、頸椎症性神経根症が存在するならば、当該感覚障害を生じさせる神経根の高位に対応する椎間板において、レ線上、脊髄の変形性変化(椎間板狭狭小、脊椎辺縁隆起、椎間腔狭小等)が認められる。

ウ 脊椎圧迫試験の陽性所見

頸椎症性神経根症では、スパーリングテスト(頸椎圧迫試験)によって上肢への放散痛が誘発、再現されるという特徴がある。

エ 障害神経根の高位に応じた深部反射の低下

障害されている神経根の高位に応じて上腕二頭筋反射、上腕三頭筋反射の低下が認められる。

(二) 糖尿病性ニューロパチーとの鑑別

(〈書証番号略〉、証人門祐輔及び同池田信明の各証言)

(1) 糖尿病は、多発性神経炎を生じさせる一疾患であり、糖尿病患者にみられる末梢神経障害を糖尿病性ニューロパチーという。糖尿病性ニューロパチーの臨床症状は多様であるが、一般に自覚症状として四肢に左右対称性の疼痛や異常感覚をもって発症する。四肢において手袋靴下型の知覚異常や知覚障害をみる場合もあり、メチル水銀中毒による感覚障害との鑑別を要する。

(2) 鑑別の指標

ア 症状の発現態様

a 感覚障害の発症の経過は、足の先からしびれを感じ、次第に手の先等へ上行することを特徴とする。

b 糖尿病性ニューロパチーの場合、振動覚等深部感覚の低下が表在感覚よりも先に起こることが特徴的である。

イ 深部反射の低下

糖尿病性ニューロパチーは末梢神経障害の一態様であるから、多発性神経炎等と同じく膝蓋腱反射、アキレス腱反射、上肢の各腱反射等、深部反射が全体的に減弱または消失することを特徴とする。特に糖尿病性ニューロパチーの場合はアキレス腱反射の低下が特徴的である。

ウ 神経伝導速度の低下

運動及び知覚神経の伝導速度とりわけ知覚神経伝導速度が早期から低下することが特徴的である。神経は神経線維とその周りの髄鞘とからなり、神経伝導は髄鞘が行う。糖尿病においては髄鞘の破壊がみられることから神経伝導速度の低下が特徴的にみられると考えられている。

エ 糖尿病罹患の有無は、血中又は尿中の糖値の異常によって示唆される。

さらに、糖尿病とコントロールが良好であれば感覚障害(糖尿病性ニューロパチー)が改善するという関係が認められるので、糖尿病のコントロールが良好であるにもかかわらず、四肢末梢性の感覚障害が不変であるか否かの点を考慮することも必要である。

(3) 鑑別に当たって注意すべきこと

ア 七五グラム糖負荷試験における境界型について

七五グラム糖負荷試験における境界型とは、七五グラム糖負荷試験(糖を負荷した後の血糖値を検査する試験)において、糖尿病型の血糖値の変動も示さず、また、正常型の血糖値の変動も示さないパターンで、血糖値の境界域にあるものをいう。糖尿病性ニューロパチーは、糖の代謝異常が比較的長期間継続した場合又は糖尿病治療中に血糖のコントロールを早まり急激に下げすぎた場合に起こる末梢神経障害である。境界型の場合、いまだ糖尿病ではないから糖尿病性ニューロパチー、特に多発性神経炎の中心的症状である感覚低下、脱失は一般に出現しないと考えられている。

ただし、糖尿病性ニューロパチーの徴表となる各神経障害(アキレス腱反射の低下、神経伝導速度の低下、自発痛、異常感覚等)が稀に出現する例がみられることもあるので、鑑別に当たっては注意を要する。

イ 深部反射の低下及び神経伝導速度の低下について

糖尿病の場合は、末梢神経の大径線維(太い有髄神経。神経生理学的には触覚に関与している。)と小径線維(細い有髄神経及び無髄神経。温、冷覚及び痛覚に関与している。)を共に傷害するのが一般的であるが、時として選択的であり、小径線維のみが侵される場合があり、このような場合は、アキレス腱反射や神経伝導速度は正常に保たれているにもかかわらず、異常感覚の出現をみる場合がある。したがって、水俣病との鑑別に当たっては注意を要するが、しかし、このような場合であっても小径線維の障害があるため、患者は著しく激しい痛みを感じることが特徴的である。

(三) 血管障害(脳梗塞、頭蓋内出血)との鑑別

(1) 脳血管障害は、発症が突然か急性であり、病巣症状は系統疾患の形をとらないで、解剖学的な局所症状を示し、多くの場合は片麻痺の症状を呈する等の特徴を有する。脳血管障害によって生じる感覚障害は通常半身または左半身に生じる半身性の感覚障害である。一般に水俣病の場合、感覚障害は四肢において左右対象に発症するものであるから、脳血管障害による場合とはその発現態様によって鑑別し得る。

(〈書証番号略〉)

(2) しかし、水俣病においても感覚障害が半身性を示す場合が認められている。

通常の脳血管障害に起因する不全片麻痺の場合、急速に一側の麻痺を生じ漸次改善するのが一般であるが、水俣病患者にみられる不全片麻痺は発症後徐々に増強するという特徴がある。したがって、感覚障害が半身性の場合は、症状の経過からみて脳血管障害に起因するか否かを鑑別することが必要である。

また、脳血管障害による場合は、不全片麻痺の症例を発症させるので、片麻痺歩行(外側に股関節を中心に半円を描くように爪先で地面を引き摺って歩くことが特徴である。)がみられる。

(〈書証番号略〉)

第六章原告ら個々の水俣病罹患についての検討

第一藤本モカ(原告番号二)

一有機水銀の曝露に関する事実

(〈書証番号略〉、原告本人尋問の結果)

1 生活歴(居住歴、職歴等)

原告は、大正六年五月一八日、熊本県葦北郡田浦町海浦で出生した。父親は主に田畑の耕作を行っていたが、長兄長衛門は漁師をしており、大網漁でボラ、コノシロ、ツナシ(コハダ)等を捕獲し、また、一本釣りでタチウオを捕っていた。父親は、農閑期には長兄とともに漁に出掛けていた。原告は、小学校卒業後、家事手伝いを行っていた。昭和一四年四月一四日に藤本正男と結婚し大阪に転居したが、四か月程して夫が徴兵されたため、同年一〇月田浦町海浦の実家に戻った。昭和二一年四月に復員してきた夫とともに海浦の実家の近くに居住した。夫は土建会社に勤務していた。

昭和三二年一〇月、夫婦で大阪に転居した。大阪府富田林市に約二か月間住んだ後、昭和三三年一月から大阪府泉大津市虫取に居住している。

2 食生活歴

田浦在住中は、長兄や父が漁でとってきた魚、原告本人や母親が浜辺でとったビナ、アサリ、ナマコ、カキ、タコ等を食していた。昭和二五年に長兄が亡くなった後も、水俣の近くで漁をしていた近所の漁師(岡本忠吉、ツネ夫婦)から毎日魚を買って食べていた。ビナ、マガリ、アサリ、ナマコ、タコ、メバル、コチ、ツナシ、コノシロ、エビ、カキ、ボラ、タチ等を毎日三度の食事の惣菜として様々に調理して食していた。大阪に居住するようになってからも度々田浦町海浦の実家に帰省し、その都度、魚介類を摂食し、また、実家からエビやイリコの干しものを送ってもらって食していた。

二現病歴及び既往歴

(〈書証番号略〉、原告本人尋問の結果)

1 現病歴

(一) 発症経過

昭和三〇年又は三一年ころから手がしびれるようになり、編み物ができなくなり、昭和二七年に出生した三女孝子が小学校六年生になったころ(昭和三九年ころ)、手のしびれから針仕事ができなくなり、また、手に感覚がなくなり子供の布団を掴み上げることができなくなった。何時ころか分からないが、しばしばひどい頭痛がおこるようになった。また、夫の存命中(昭和四八年交通事故で死亡)から匂いが分からなくなり、よく鍋を焦すようになった。

(二) 自覚症状

両手の肘付近から先と両足の脛から先がしびれて感覚がない。両手の指先の自由がきかない。熱さを感じることができず、アイロンで火傷しても気付かない。頭痛が相変わらずおこる。周りがよく見えない。朝晩体がだるく気分が悪い日が多い。耳も遠くでゴーンと鳴っている。匂いが分からない。足がひっかかったり、もつれたりしてよく転ぶ。体の各部がピクピクする。手の指にからす曲りがよくおこる。言葉が出にくい。物忘れがはげしい。不眠傾向がある。

2 既往歴

昭和四五年右手骨折、昭和四七年左手骨折、昭和五〇年右足骨折、昭和五二年胆石、昭和四九年から五〇年急性肝炎、胆石手術、昭和五九年膵臓疾患

三水俣病に特徴的な各種症候についての臨床所見

(〈書証番号略〉)

審査会の検診専門医らによる検査日は、神経内科医の検診が昭和五八年六月九日、精神科医の検診が昭和五八年六月八日、眼科検診は予診日が昭和五八年六月八日、本診日が昭和五八年六月九日、耳鼻科検診は予診日及び本診日が昭和五八年六月一〇日である。

1 感覚障害

(一) 診断書

四肢体幹に表在感覚、深部感覚とも末梢優位の感覚低下あり。

(二) 審査会資料

(1) 神経内科学的所見

ア 触覚・痛覚〜右前腕(肘以下の部位)以下に触覚鈍麻、腹部及び両下肢に痛覚鈍麻がみられる。

イ 振動覚〜上肢(右六秒、左7.5秒)、下肢(右七秒、左6.5秒)

(2) 精神医学的所見〜四肢に感覚障害を認める。

2 運動失調

(一) 診断書

(1) 筋力、筋萎縮、筋緊張〜異常なし。

(2) 協調運動障害(指鼻試験、膝脛試験、手の回内回外運動、膝打ち試験)〜いずれも正常である。

(3) 平衡機能障害(継ぎ足歩行、ロンベルグ試験、マン試験、歩行)〜マン試験陽性。その他は正常である。

(4) 眼球運動異常、企図振戦等〜異常なし。

(5) 構音障害〜異常なし。

(二) 審査会資料

(1) 筋力等

ア 神経内科学的所見(脱力、筋萎縮及び筋トーヌス検査)〜脱力については、上肢において、上腕二頭筋、三頭筋に軽度の低下がみられ、手関節屈筋、伸筋に軽度から中等度の低下がみられ、下肢において、腸腰筋、大殿筋に高度の低下がみられ、前脛骨筋、腓腹筋に軽度から中等度の低下がみられる。筋トーヌス(緊張)、筋萎縮とも正常である。

イ 精神医学的所見(粗大力)〜軽度障害あり。

(2) 協調運動障害所見

ア 神経内科学的所見(ジアドコキネーシス、指鼻試験、膝踵試験、脛叩き試験)〜協調運動障害については、下肢において脛叩き試験に軽度の障害が疑われる他、上下肢においては異常を認めず。

イ 眼科学的所見(衝動性運動異常、滑動性追従運動異常及び前庭動眼反射の有無)〜異常なし。

(3) 平衡機能障害所見

ア 神経内科学的所見(両足起立障害、片足起立障害、ロンベルグ試験、歩行障害、継ぎ足歩行障害)〜片足起立障害が極軽度疑われ、継ぎ足歩行障害が軽度に認められる他は異常を認めず。

イ 精神医学的所見〜共同(協調及び平衡)運動障害に異常所見はなかったが、マン試験において異常が認められ、また、動作の緩慢がみられた。

ウ 耳鼻咽喉科学的所見(眼振及びOKP検査)〜水平及び垂直方向とも正常範囲のパターンである。

(4) 企図振戦等(不随意運動)〜異常なし。

3 視野狭窄

(一) 診断書

(1) ゴールドマン視野計〜高度の求心性視野狭窄あり。右(耳側三二度、鼻側三二度)、左(耳側三〇度、鼻側一八度)。

(2) 他疾患との鑑別〜求心性視野狭窄を発症させる他の疾患の存在を示唆する所見はない。

(二) 審査会資料

(1) 予診検査(ゴールドマン視野計)〜昭和五八年六月八日に行われた予診(看護婦による検査)によればゴールドマン視野検査で両側にごく軽度の狭窄が認められている。

(2) 眼科医による再検診(対坐法、アイカップ検査)〜翌九日に行われた眼科専門医によるクレムスキーのアイカップ視野検査では正常との所見が得られた。

(3) 他疾患との鑑別〜機能異常については遠視、老視がある。眼球の器質変化では白内障がみられる。眼底所見ではキースワグナー分類Ⅱa度の変化がある。

4 難聴

(一) 診断書

両側感音性難聴(軽度)あり。平均純音聴力レベルは右一五デジベル、左一五デジベル。

(二) 審査会資料(オージオグラム、TTSテスト、SISIテスト)

純音オージオグラムで骨導聴力優位の所見があり伝音性難聴のパターンがみられた。聴覚疲労、語音聴力とも正常であり、後迷路性難聴の所見は得られなかった。

5 鑑別を要する他の疾患に関する臨床所見

(一) 診断書

(1) 変形性脊椎症

ア 頸部運動制限、スパーリング徴候等〜異常なし。

イ レ線検査〜頸椎に軽度の骨棘形成、第二腰椎に圧迫骨折あり。

(2) 糖尿病〜罹患を示唆する所見はない。

(3) 深部反射、病的反射〜深部反射は正常、病的反射なし。

(4) 神経伝導速度〜右正中神経での運動神経伝導速度四四メートル/秒、知覚神経伝導速度四六メートル/秒。脛骨神経での運動神経伝導速度は導出不能。

(二) 審査会資料

(1) 変形性脊椎症

ア 頸部運動制限、スパーリング徴候等〜運動制限、疼痛、運動時異常音及びスパーリング徴候とも軽度の障害が認められる。

イ レ線検査〜頸椎に軽度の骨粗鬆症がある。腰椎では、第二腰椎に圧迫骨折があり、骨粗鬆症が認められた。

(2) 糖尿病〜罹患を示唆する所見はない。

(3) 深部反射、病的反射〜深部反射は左上肢で低下があり、右膝蓋反射の軽度亢進、左膝蓋反射の亢進、両側アキレス反射の軽度亢進がある。病的反射は認められない。

(4) 神経伝導速度〜正常範囲。

四検討

1 有機水銀曝露歴及び曝露の程度

原告の居住地、居住期間、職業、当時の食生活等有機水銀の曝露に関する事実からすると、原告がメチル水銀の曝露を受けたであろうことは否定し得ないものの、昭和二五年から昭和三二年までの間の摂食にかかる魚介類の捕獲場所は必ずしも明らかでないこと、田浦沖の本格的な汚染が始まるのは昭和三四年以降であるがそのころには原告は既に大阪に転居していること等に鑑みると、原告におけるメチル水銀の曝露の程度は比較的低いものであったといわなければならない。

2 水俣病に特徴的な各種臨床症状の評価

(一) 感覚障害

診断書、審査会資料とも四肢における感覚障害を認めており、四肢末梢優位の感覚障害が存することは否定できない。

しかしながら、審査会資料によると、レ線上、頸椎及び腰椎に変形性変化が認められており、さらに頸部運動制限やスパーリング徴候も認められている。この点、頸椎症性脊椎症の場合、上肢に髄節障害を示唆する腱反射の低下、筋力低下がみられ、それ以下の腱反射は下肢の腱反射を含めて亢進が一般にみられるものであるところ(〈書証番号略〉)、原告においては、深部腱反射については左上肢における低下、下肢における右膝蓋反射の軽度亢進、左膝蓋反射の亢進、両側アキレス腱反射の軽度亢進が認められ、加えて、脱力についても上肢において上腕二頭筋、三頭筋に軽度の低下、手関節屈筋及び伸筋に軽度から中等度の低下が認められる。さらに、診断書においても頸椎及び腰椎の変形性変化が認められている。

これらのことからすると、原告の感覚障害については、変形性脊椎症に起因する可能性が高く、水俣病の判断において有意な所見とは位置付け難いといわなければならない。

(二) 運動失調

診断書によるとマン試験以外異常がみられないとされており、他方、審査会資料においても、精神科医による検査所見は右診断書と同様である。

審査会資料によると、神経内科医による検査では、膝叩き試験で経度の障害、片足起立でごく軽度の障害、継ぎ足試験で軽度の障害が認められている。しかし、原告の検査時の年齢(審査会検診時六七歳)、上下肢における筋力低下、精神科医の検査及び池田医師による検査においてもマン試験陽性との所見以外に運動失調を示唆する所見が得られていないこと等に鑑みるならば、精神科医の右所見をして小脳性運動失調を示唆する有意な所見として位置付けることは困難であるといわなければならない。

(三) 視野狭窄

池田医師は求心性視野狭窄を認めている。また、審査会資料によると予診時(ゴールドマン視野計)に軽度の求心性視野狭窄が認められている。

ところで、審査会資料に基づく意見書では、本診(医師による診断)においてアイカップ検査で正常との所見が得られたことから、原告の求心性視野狭窄は器質的障害に起因するものではないとされている。

この点、前示のとおり、アイカップ検査はゴールドマン視野計検査よりその検査精度において劣るけれども、予診時(ゴールドマン視野計)に軽度の視野狭窄がみられたのに過ぎなかったので、本診においてアイカップ検査だけを施行したものともみられる。原告に視野狭窄があるとしても軽度のものであり、直ちに原告が水俣病に罹患していると認めるに足りる有力な資料ということもできない。

(四) 難聴

診断書では軽度の両側感音性難聴といい、審査会資料では伝音性難聴という。この点、審査会資料に添付されているオージオグラムをみる限り、原告の難聴をして直ちに感音性難聴であると断ずることはできないので、水俣病の判断において、原告の難聴を有意な所見として位置付けることは困難である。

3 判断

以上のとおり、原告の有機水銀の曝露の程度は比較的低く、また、臨床症状の内容及び程度からみて水俣病の罹患を推認することができるほどの有意的な所見は認められないから、原告が水俣病に罹患していると認めることはできない。

第二西川トヨ子(原告番号三)

一有機水銀の曝露に関する事実

(書証番号略)

1 生活歴(居住歴、職歴等)

原告は、昭和一九年七月三〇日、熊本県水俣市江添でチッソに勤務する父鬼塚留次と母ヤスの三女として出生した。父の実家は農業を営んでいたが、父は、昭和三七、八年ころまで被告チッソに勤務していた。母の実家は原告らの居住する家から歩いて約三〇分のところ(湯堂の侍地区)にあり、網元をしていた。母は毎日、実家へ漁の手伝いに出かけており、漁船は湯堂の港や茂道の港に寄港し、捕獲した魚を卸していた。母は漁獲されたボラ、太刀魚、アジ、サバ等を持ち帰っていた。原告の兄弟も湯堂に住む母の妹婿のもとで漁に従事しており、漁獲された魚を持ち帰っていた。

昭和三五年三月中学校卒業後、原告は、愛知県瀬戸市の製陶所に就職するため、水俣市から転出した。同所で三年間程絵付けの仕事をした後、昭和三八年七月ころ、大阪に転居した。大阪ではクリーニング店に約一か月間勤め、さらにスナックで稼働した後、昭和三九年に結婚した。

2 食生活歴

原告は、毎食ごと母や兄弟が持ち帰ってきた魚を摂食していた。原告は、小、中学生のころ(昭和二六年から昭和三五年ころまでの間)、下校に際して百間港に必ず立ち寄り、砂浜に打ち上げられたキビナゴ等の小魚やビナ、カキ、キビナゴ等をとっては摂食していた。

二現病歴及び既往歴

(書証番号略)

1 現病歴

(一) 発症経過

小学生のころから身体にだるさ、しびれ感が出現した。小学校五年生ころ(昭和三〇年ころ)、足のもつれが出現した。中学生になってからも足のもつれから体育の授業に十分参加できず、また、手がしびれて鉛筆が巧く握れずに苦労した。製陶所での絵付けの仕事でも手のしびれから流れ作業について行けず、退職せざるを得なくなった。大阪のスナックで稼働している際、包丁でよく手を切ったが出血を見るまでそのことに気付かないほど痛みを感じなくなっており、また、客に酌をする際、指に震えが出現した。昭和六〇年ころ、めまいがして気を失いかけて病院に運ばれた。

(二) 自覚症状

手足のしびれがきつくなると痛くなる。舌がしびれて味覚がない。身体がジンジンして、頭、肩、背中に痛みが走る。耳鳴り(プァーと音がする感じである。)。サンダルが脱げても気付かない。急にイライラする。何時ごろ出現したか分からないが腕や足の筋肉が常にピクピクしている(軽度の痙攣のような感じである。)。不眠。肩や背筋が凝る。

2 既往歴

高血圧、慢性肝炎。

三水俣病に特徴的な各種症候についての臨床所見

(書証番号略、池田医師による平成三年一〇月一日付け診断書)

1 感覚障害

四肢体幹に表在感覚、深部感覚とも末梢優位の感覚低下あり。

2 運動失調

(一) 筋力、筋萎縮、筋緊張〜いずれも異常なし。

(二) 協調運動障害(指鼻試験、膝脛試験、手の回内回外運動、膝打ち試験)〜いずれも異常なし。

(三) 平衡機能障害(継ぎ足歩行、ロンベルグ試験、マン試験、歩行)〜いずれも異常なし。

(四) 眼球運動異常、企図振戦等〜動作時に軽度の振戦が手指にみられる。

(五) 構音障害〜特記事項なし。

3 視野狭窄〜異常を示唆する所見はない。

4 難聴〜異常なし。

5 鑑別を要する他の疾患に関する臨床所見

(一) 診断書

(1) 変形性脊椎症〜異常を認めず。

(2) 糖尿病〜七五グラム糖負荷試験において境界型を示す。

(3) その他〜胸部レ線において胸膜肥厚あり。

(4) 深部反射、病的反射〜深部反射は正常であり、病的反射はない。

(5) 神経伝導速度〜右正中神経における運動神経伝導速度六四メートル/秒、知覚神経伝導速度七四メートル/秒。

四検討

1 有機水銀曝露歴及び曝露の程度

原告の居住地、居住期間、食生活等有機水銀の曝露に関する事実からすると、原告がメチル水銀の曝露経験を有することはもちろん、その曝露の程度は高度であったと推認できる。

2 水俣病に特徴的な各種臨床症状の評価

池田診断書によると、四肢体幹に表在感覚、深部感覚とも末梢優位の感覚低下が認められている。

感覚障害部位が四肢のみならず体幹にも及んでいるが、前示のとおり水俣病においては全身性の感覚障害を呈する例も認められるものであるから、原告の感覚障害をしてメチル水銀の影響によるものではないと断ずることはできない。

他疾患との鑑別に関しては、糖尿病についての七五グラム糖負荷試験において境界型であること、既往症において慢性肝炎が報告され、また、池田医師において血液検査中γ―GTP値が高値であること(五三三U)から肝障害が認められていることから、原告の感覚障害については、糖尿病性ニューロパチー又は肝性ニューロパチーとの鑑別が問題となる。

この点、右疾患はいずれも多発性神経炎(末梢神経障害性神経炎)であるが、本原告においては、多発性神経炎の特徴である深部反射(特にアキレス腱反射)の低下や神経伝導速度の低下が認められていないこと、その他末梢神経障害による多発性神経炎であることを示唆する所見がないことからすると、原告の感覚障害をして右疾患に起因すると考える方が合理的であるとまではいえない。

むしろ、原告の感覚障害は水俣病の判断において有意な所見というべきである。

3 判断

原告の有機水銀の曝露の程度は高度であり、水俣病の主要症状の一つである感覚障害が認められ、さらに、発症の経過等を総合して考慮すると、原告は水俣病に罹患していると認めることができる。

第三福田シズ子こと福田シヅコ(原告番号六)

一有機水銀の曝露に関する事実

(書証番号略、原告本人尋問の結果)

1 生活歴(居住歴、職歴等)

原告は、昭和二年一〇月一二日、熊本県葦北郡佐敷町大字宮浦(現「芦北郡芦北町」)で出生し、尋常小学校卒業後、生家で農業の手伝いをしていた。昭和二八年三月、福田義勝と結婚し(なお、婚姻届は最初の子どもの妊娠がわかった後である昭和二八年八月三一日に提出した。)、葦北郡田浦村大字海浦(現「芦北郡田浦町海浦」)の夫の生家に居住するようになった。夫は、この当時、網子として漁に従事していたが、漁場は水俣湾等不知火海一円であった。

昭和二九年四月、夫は、小さな漁船を購入し、それまでの網子の身分から一本立ちの漁師として漁に出るようになった。夫は、海浦港沖合の海域で漁をしていた。その後一、二年して夫は動力船を購入し、北は二見から南は米ノ津までの不知火海一円の海域に出漁するようになり、水俣湾でもよく漁をしていた。昭和三三年一月に二女を出産してから昭和四四年までの間、原告は夫とともに動力船に乗って漁を手伝うようになった。

昭和四四年一月ころ、夫が大阪に出稼ぎに出るようになった。その後、夫が京都府宇治市の粟村金属株式会社に勤めるようになったため、原告らは、昭和四五年五月、京都府に転出した。原告は、昭和四五年七月からは大春商事において糸巻の仕事に従事し、その後昭和四七年七月から粟村金属に雑役として勤務し、昭和五三年四月から粟村金属の寮の管理人として住み込むようになり昭和五八年三月まで働いていた。

2 食生活歴

物心ついたころより、魚は家族中好きであったので、計石からの行商から魚をよく買って毎食のおかずにしていた。昭和二八年三月、漁師である夫と結婚してからは昭和四五年に宇治市に移住するまでの間は、夫や原告が漁でとってきた魚介類を毎食ごとに摂食していた。

3 家族等の水俣病罹患状況

夫福田義勝が水俣病の認定を受けている。

二現病歴及び既往歴

(書証番号略、原告本人尋問の結果)

1 現病歴

(一) 発症経過

昭和三六年三月三日に三女を出産したが、このころから原告は頭痛、めまい、腰痛を自覚するようになった。昭和四五年七月から大春商事で糸巻きの仕事に従事していたがこのころから指先を使って細かな仕事をすることが無理になってきた。粟村金属の寮の管理人をしているころから、疲労感、指先の感覚がおかしいためよく茶碗を落とす、ガスの匂いが分からないという症状を自覚した。

(二) 自覚症状

手足の感覚が鈍い、唇の周りの感覚がない。頭痛。耳鳴り。転びやすい。物忘れ。腰痛。呂律が回らなくなる。匂いが分からない。めまい。転びやすい。スリッパや草履が履きにくくすぐ脱げる。指先が使いにくく物を落とす。手足の力が弱くなった。不眠。疲れやすい。根気がなくなった。急にイライラしたり悲しくなる。

2 既往歴

特記事項なし。

三水俣病に特徴的な各種症候についての臨床所見

(書証番号略)

審査会の検診専門医らによる検査日は、神経内科医の検診が昭和五三年三月二五日、精神科医の検診が昭和五三年三月二六日、眼科検診は予診日が昭和五三年三月二八日、本診日が昭和五三年三月三〇日、耳鼻科検診は予診日が昭和五三年三月二九日、本診日が昭和五三年三月三一日である。

1 感覚障害

(一) 診断書

温痛覚、触覚で四肢体幹に末梢優位の低下を認める。深部感覚は正常。

(二) 審査会資料

(1) 神経内科学的所見

ア 触覚・痛覚〜昭和五三年三月二五日の検査では、左前腕以下に触覚鈍麻が疑われたが明確でなく、左上肢全体に痛覚鈍麻がみられた。

イ 振動覚〜上肢(右一三秒、左九秒)、下肢(右八秒、左七秒)

(2) 精神医学的所見〜昭和五三年三月二六日の検査では、左半身に知覚障害が認められた。

2 運動失調

(一) 診断書

(1) 脱力、筋萎縮及び筋緊張〜四肢全体に軽度の筋力低下あり。握力は左右とも一二キログラム。筋萎縮なし。筋緊張は正常。

(2) 協調運動障害(指鼻試験、膝踵試験、手の回内回外運動、膝打ち試験)〜指鼻試験及び膝踵試験は正常。手の回内回外運動はやや遅い。

(3) 平衡機能障害(継ぎ足歩行、ロンベルグ試験、マン試験、歩行、片足立ち)〜ロンベルグ徴候陰性。片足立ち、マン試験、継ぎ足歩行でやや動揺あり。

(4) 眼球運動異常、企図振戦等(不随意運動)〜異常なし。

(5) 構音障害〜異常なし。

(二) 審査会資料

(1) 筋力

ア 神経内科学的所見(脱力、筋萎縮及び筋トーヌス検査)〜異常なし。

イ 精神医学的所見(粗大力)〜下肢に筋力低下が認められる。

(2) 協調運動障害所見

ア 神経内科学的所見(ジアドコキネーシス、指鼻試験、膝踵試験、脛叩き試験)〜三月二五日の検査では、異常なし。

イ 眼科学的所見(衝動性運動異常、滑動性追従運動異常及び前庭動眼反射の有無)〜異常なし。

ウ 精神医学的所見〜三月二六日の検査では、アジアドコキーネシス、指鼻試験に障害が認められる。

(3) 平衡機能障害所見

ア 神経内科学的所見(両足起立障害、片足起立障害、ロンベルグ試験、歩行障害、継ぎ足歩行障害)〜異常なし。

イ 精神医学的所見〜異常なし。

ウ 耳鼻咽喉科学的所見(眼振及びOKP検査)〜視運動性眼振パターンは水平方向は正常であるが、垂直方向に軽度抑制のパターンが疑われた。

(4) 企図振戦等(不随意運動)〜異常なし。

(5) 構音障害〜異常なし。

3 視野狭窄

(一) 診断書

(1) ゴールドマン視野計〜ゴールドマン視野計において右眼耳側四〇度、鼻側四〇度、左眼耳側三〇度、鼻側三〇度の中等度の求心性視野狭窄が認められた。

(2) 他疾患との鑑別〜両眼底周辺部に色素沈着がみられるが網膜色素変性症に認められる骨小体様のものでなく、またERG(網膜電位図)で網膜色素変性症のパターンでなく網膜色素変性症ではない。

(二) 審査会資料

(1) 予診検査(ゴールドマン視野計)〜異常なし。

(2) 眼科医による再検診(対坐法、アイカップ検査)〜異常なし。

(3) 他疾患との鑑別〜眼科医学的検査において網膜色素変性様変化が両眼底周辺部にある。

4 難聴

(一) 診断書

両側感音性難聴。平均純音聴力レベルは左右とも30.0デジベル。

(二) 審査会資料(オージオグラム、TTSテスト、SISIテスト)

純音オージグラムにおいて騒音性難聴にみられる C5ディップ型のパターンがみられた。極軽度の聴覚疲労現象の疑いがある。

5 鑑別を要する他の疾患に関する臨床所見

(一) 診断書

(1) 変形性脊椎症

ア 頸部運動制限、スパーリング徴候等〜異常なし。

イ レ線検査〜腰椎において、第四及び第五腰椎間、第五及び第一仙骨間の椎間板に狭小化あり。第四、第五腰椎の前方に骨棘形成あり。

(2) 糖尿病〜七五グラム糖負荷試験では境界型である。

(3) 深部反射、病的反射〜深部反射は左の膝蓋腱反射がやや亢進している他は異常なし。病的反射は左のトレムナー反射を認める。

(4) 神経伝導速度〜運動神経伝導速度は右正中神経五一メートル/秒、右脛骨神経四九メートル/秒。知覚神経伝導速度は右正中神経五〇メートル/秒、右腓腹神経五二メートル/秒。正常である。

(二) 審査会資料

(1) 脊椎症

ア 頸部運動制限、スパーリング徴候等〜異常なし。

イ レ線検査〜異常なし。

(2) 糖尿病〜罹患を示唆する所見はない。

(3) 深部反射、病的反射〜深部反射は正常であるが、ホフマン反射及びトレムナー反射が陽性である。

四検討

1 有機水銀曝露歴及び曝露の程度

原告の居住地、居住期間、食生活等有機水銀の曝露に関する事実からすると、原告がメチル水銀の曝露経験を有することはもちろん、特に、原告ら家族の職業、食生活を同じくすると推測される夫が水俣病の認定を受けていること等に鑑みると、その曝露の程度は著しく高度であったと推認できる。

2 水俣病に特徴的な各種臨床症状の評価

(一) 感覚障害

審査会資料では、神経内科医、精神科医とも左半身の感覚障害を認めるに過ぎないが、前示のとおり半身性の感覚障害も水俣病において出現することが認められること、門医師による診察では四肢体幹における末梢優位の感覚障害が認められていることからすると、原告の感覚障害をしてメチル水銀の影響によることを直ちに否定することはできない。

診断書によると、原告には、レ線上、腰椎に椎間板狭小や骨棘形成が認められているが、この点、左膝蓋腱反射やや亢進、左トレムナー反射陽性がみられるものの、脛椎に変形性変化がみられないこと、末梢神経伝導速度が正常であり、深部反射もほぼ保たれていること、痙性麻痺様歩行障害も認められていないこと等に鑑みれば、原告の感覚障害をして変形性脊椎症に起因すると考える方が合理的であるとはいえない。

また、診断書によると糖尿病についての七五グラム糖負荷試験において境界型を示していることが認められるが、糖尿病性ニューロパチーに特徴的な深部反射の低下、神経伝導速度の低下が認められないことからすると、原告の感覚障害をして糖尿病性ニューロパチーに起因すると考える方が合理的であるとはいえない。

したがって、原告の感覚障害は水俣病の判断において有意な所見というべきである。

(二) 運動失調

協調運動障害については、審査会資料によると精神科医の検査でアジアドコキネーシス、指鼻試験障害が認められ、診断書によると手の回内回外運動において動作緩慢が認められる。平衡機能障害については、診断書によると片足立ち、継ぎ足歩行でやや動揺が認められ、審査会資料によると視運動静眼振パターンにおいて垂直方向に軽度の抑制が疑われている。これらの所見を総合すると、原告の小脳性運動失調を全く否定することは相当でなく、水俣病の判断において一応小脳性運動失調を示唆する所見として考慮するのが相当である。

(三) 視野狭窄

審査会資料によると視野狭窄が認められなかったが、門医師の診断書によると中等度の求心性視野狭窄が認められている。門医師によると原告の求心性視野狭窄をして網膜色素変性症によるものではないこと、他に原告の求心性視野狭窄を説明し得る他の疾患の存在を示唆する所見は得られていない上、原告の有機水銀曝露の程度は著しく高度であること等に鑑みると、原告の視野狭窄は水俣病の判断において有意な所見であると認めるのが相当である。

(四) 難聴

診断書には、原告に感音性難聴がみられる旨の所見が記されているが、審査会資料中のオージオグラムによると原告の難聴はいわゆるC5ディップ型を示すものであるから、原告の難聴は騒音性難聴である可能性も高く、水俣病の判断において有意な所見といえない。

3 判断

原告の有機水銀の曝露の程度は著しく高度であり、水俣病の主要症状である感覚障害、運動失調及び視野狭窄が認められ、さらに、これらの症状の発症の経過等を総合して考慮すると、原告は水俣病に罹患していると認めることができる。

第四ないし第四六〈省略〉

第七章損害

一損害に対する見解

本来、不法行為による損害賠償制度とは、加害行為と相当因果関係が認められる被害者個々人の現に被った損害を加害者に賠償させて当事者間の公平を図る制度であること、また不法行為による損害賠償請求において損害はいわゆる主要事実をなすものであるから相手方において防御が可能な程度に具体的事実に基づいて損害内容を主張立証することを要することからすると、現に生じた損害について、訴訟において原告らの個別的事情があらわれていないのに、抽象的に「人間としての全生活破壊による全損害」又は「総体としての損害」を裁判所が自由に評価算定することは、そもそも妥当ではないというべきである。

しかし、広範な環境汚染に起因して発生した本件水俣病の場合、その被害者の数が膨大なものであること、各被害者の被った損害は水俣病というメチル水銀中毒症による精神的、肉体的支障や苦痛に止ることなく、不知火海沿岸地域における環境汚染以前の生活からの変容や離脱を余儀なくされたことによる社会的、経済的、家庭的な不利益等様々な損害が発生したであろうことが当然に想定されることに鑑みれば、原告らのこれらの事情を勘案して訴訟による原告らの救済に道を開くことが望まれるところである。このような観点によると、水俣病の場合、同一の環境汚染の下での従来からの生活の変容又は離脱に伴う種々の家庭的、社会的、経済的な不利益については、水俣病罹患者においてある程度の共通性がみられること、病状に関しても、罹患者個々における病状の発症経過及び態様に個人差がみられるものの、感覚障害を中心とする主要神経症状それぞれに起因する精神的、肉体的不利益においてある程度の共通性がみられること、そして、このような被害者らに共通する事情については水俣病に関する今日までの歴史的経緯等の事情からある程度推認することが可能であると考えられる。

これらのことからすると、原告らの水俣病による精神的、肉体的、家庭的、社会的、経済的等一切の今日までの有形無形の損失、不利益を慰謝料として包括して請求することも許されるというべきであって、財産的損害等についても水俣病問題の今日までの歴史的経緯等の事実から共通に推認しうる事情の限度において、慰謝料の算定に当たり斟酌し得ると解するのが相当である。

二一部請求について

原告らは一律に慰謝料として一八〇〇万円を求めるものであるが、これは、本来、膨大な額である「総体としての損害」の一部を請求するに過ぎないものであると主張する。

しかし、原告らは、将来の医療及び健康管理に関する費用を除くとするだけで、「総体としての損害」の全額を何ら明示していないのであるから、右主張をして本来の意味における一部請求であると解することはできない。

三認容原告らに対する慰謝料の算定

本件認容原告らの慰謝料額を算定するに当たっては、まず、メチル水銀中毒の影響によってもたらされていると認められる健康障害の内容及び程度、発症の経過、増悪軽快の状況を中心として、感覚障害に加え中度以上の視野狭窄があるもの、感覚障害のほか中度以上の難聴があるもの、主として感覚障害のみのものの三段階に分類し、さらに、前示一の見解に従い認容原告らにおける水俣病罹患者としての不利益をも斟酌するのが相当である。そして、このような観点から、本件口頭弁論終結日である平成四年一〇月三〇日までの本件に顕れた一切の事情を考慮して認容原告らの慰謝料額を算定するに、本件では三段階に類別して、本件認容原告ら各人の慰謝料額を算定した結果は別紙認容金額一覧表(一)及び(二)の各原告に対応した「慰謝料」欄に記載した金額をもって相当とする。

四弁護士費用

弁論の全趣旨によると、認容原告らは、本件訴訟の提起及び追行を原告ら訴訟代理人に依頼し、報酬の支払いを約したことが認められるが、本件事案の内容、審理の経過、認容額等に照すと、弁護士費用について各原告らに高低の差を認め難く、本件不法行為と相当因果関係に立つ損害として敗訴被告らにおいて負担を命ずべき弁護士費用はそれぞれ一律に五〇万円と認めるのが相当である。

五遅延損害金の起算日

本件においては、原告らの慰謝料等の算定を口頭弁論終結時を基準として算定したので、各認容金額に対する本件口頭弁論終結日である平成四年一〇月三〇日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を付することとする。

第八章除斥期間について

一民法七二四条後段の二〇年の期間は、不法行為による損害賠償請求権の存続期間に関する除斥期間を定めたものと解するのが相当である(最高裁平成元年一二月二一日第一小法廷判決民集四三巻一二号二二〇九頁)。

ところで、不法行為の損害賠償請求権について民法七二四条後段において除斥期間を設けた趣旨は、同条前段に定める三年の時効期間の起算点が被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知ったときとなっており、加害者の法的地位が被害者の主観的事情のいかんによって左右される浮動的なものであることに鑑み、専ら加害者保護の見地から被害者の認識のいかんを問わず不法行為をめぐる法律関係の画一的な確定を図ろうとするものである。そうすると、加害者と被害者間の具体的事情からみて、加害者をして除斥期間の定めによる保護を与えることが相当でない特段の事情がある場合においてまで損害賠償請求権の除斥期間の経過による消滅という法律効果を認めることは民法七二四条後段の趣旨に反するものであるといえる。したがって、右のような特段の事情が認められる場合には、加害者において訴訟上、除斥期間の経過の事実を主張することは権利の濫用に当たると解するのが相当である。

二水俣病に対する救済に関する今日までの経緯をみると、昭和三四年一二月三〇日に水俣病患者家庭互助会等と被告チッソとの間のいわゆる「見舞金契約」が締結されたことを初めとして、以後、患者らを中心として地道な補償交渉や裁判闘争を経た後、昭和四八年に患者らと被告チッソとの間で補償協定が成立し、救済法及び補償法による水俣病の行政認定を受けた患者については右補償協定に基づいて補償問題が解決されるようになり、水俣病罹患者への損害賠償の問題は行政認定を受けて右協定に基づく補償を得ることを原則的な解決方法とするようになった。しかし、救済法及び補償法による認定業務は現実には滞りがちであったことから、近時において右補償協定による患者らの救済が必ずしも有効に機能していない実態が露呈するに至り、本件を含む多数の水俣病問題の司法的解決を求める訴訟が提起されるに至ったのである。(書証番号略)

このような本件訴訟提起に至る経緯をみると、本件原告らにおいてもまず右補償協定による救済を受けることを期待していたことから訴訟提起が遅れたこと、右補償協定による救済の遅延の主たる原因は被告国及び県らによる水俣病の行政認定業務の遅延にあること、また、今日においてもなお水俣病に対する偏見及び差別が存する実態は否定できないものであるところ(証人原田正純の証言)、いずれも不知火海沿岸地域から他県へ移住してきた原告らにおいて、偏見・差別にさらされることを覚悟して損害賠償請求権を行使することは容易なことではなかったであろうと想像できること等諸般の事情に鑑みれば、原告らにおいて損害賠償請求権の行使が遅れたことを責めることが妥当でないことはもちろん、補償問題などの経過を熟知している被告国及び県において殊更除斥期間経過の主張をすることは著しく信義則に反するというべきである。さらに、そもそも公害という広範な環境汚染に起因する水俣病においては、国民の福利増進の責務を担う国又は地方自治体においてこそ、その被害の実態や被害の拡大状況等について積極的に調査解明すべきであり、また、それをするに十分な能力を有するものであるから、原告らの権利行使が遅れたとしても被告国及び県が訴訟上の防御方法を講ずることが長期間の経過により著しく困難になるとも考え難いものである。

右のような諸般の事情に鑑みるならば、本件において、仮に原告らの損害賠償請求権の除斥期間が経過しているとしても、被告国及び県において訴訟上、右事実を主張することは権利の濫用であるというべきであって、これを採用することはできない。

第九章結論

以上の次第であって、別紙認容金額一覧表(一)記載の原告らの被告チッソ、同国及び同熊本県に対する請求は、同表「認容金額」欄記載の各金員及びこれに対する本件口頭弁論終結日である平成四年一〇月三〇日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、別紙認容金額一覧表(二)記載の原告らの被告チッソに対する請求は、同表「認容金額」欄記載の各金員及びこれに対する前同様の遅延損害金の支払を求める限度で、それぞれ理由があるからこれを認容し、別紙認容金額一覧表(一)記載の原告らの被告チッソ、同国及び同熊本県に対するその余の請求並びに同チッソ子会社に対する請求、別紙認容金額一覧表(二)記載の原告らの被告チッソに対するその余の請求並びに同国、同熊本県及び同チッソ子会社に対する請求、別紙請求棄却原告一覧表記載の原告らの被告らに対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用し、仮執行免脱の宣言については相当でないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小北陽三 裁判官岡健太郎 裁判官大野康裕)

別紙

認容金額一覧表(一)

原告番号

原告

慰謝料

弁護士費用

認容金額

西川トヨ子

三〇〇万円

五〇万円

三五〇万円

福田シズ子こと

福田シヅコ

七〇〇万円

五〇万円

七五〇万円

木本正栄

七〇〇万円

五〇万円

七五〇万円

一〇

竹房アサ子

五〇〇万円

五〇万円

五五〇万円

一一

迫本ヨシ子

三〇〇万円

五〇万円

三五〇万円

一二

松永時吉

五〇〇万円

五〇万円

五五〇万円

一八

大山アヤ子

三〇〇万円

五〇万円

三五〇万円

一九

佐々木トミ子

七〇〇万円

五〇万円

七五〇万円

二二

岸本良子

三〇〇万円

五〇万円

三五〇万円

二四

城野ミツエ

七〇〇万円

五〇万円

七五〇万円

二七

長田イズ子

三〇〇万円

五〇万円

三五〇万円

二九

東サクラ

五〇〇万円

五〇万円

五五〇万円

三二

蟻川秀子

五〇〇万円

五〇万円

五五〇万円

三七

上村チヨ

三〇〇万円

五〇万円

三五〇万円

四〇

沖口克明

三〇〇万円

五〇万円

三五〇万円

四二

金子重雄

五〇〇万円

五〇万円

五五〇万円

四五

川元ヨシ子

三〇〇万円

五〇万円

三五〇万円

五四

冨岡正子

三〇〇万円

五〇万円

三五〇万円

五五

中川絹子

三〇〇万円

五〇万円

三五〇万円

六一

藤井クミエ

三〇〇万円

五〇万円

三五〇万円

六八

森裕士

五〇〇万円

五〇万円

五五〇万円

七三

山下宗忠

五〇〇万円

五〇万円

五五〇万円

七四

山端美智子

七〇〇万円

五〇万円

七五〇万円

七五

国本重男こと

李宗述

三〇〇万円

五〇万円

三五〇万円

八二

大矢世嗣

三〇〇万円

五〇万円

三五〇万円

八八

竹田政行

五〇〇万円

五〇万円

五五〇万円

九四

寺下タツ子

七〇〇万円

五〇万円

七五〇万円

九六

西伸男

七〇〇万円

五〇万円

七五〇万円

一〇三

吉本郁子

七〇〇万円

五〇万円

七五〇万円

一〇八

大塚アサエ

五〇〇万円

五〇万円

五五〇万円

一〇九

大塚光吉

三〇〇万円

五〇万円

三五〇万円

一一四

田崎時義

五〇〇万円

五〇万円

五五〇万円

一二七

樋口刀貴男

三〇〇万円

五〇万円

三五〇万円

別紙

認容金額一覧表(二)

原告番号

原告

慰謝料

弁護士費用

認容金額

五二

千々岩吉常

七〇〇万円

五〇万円

七五〇万円

八五

川崎洋治

五〇〇万円

五〇万円

五五〇万円

八七

田口甲子

五〇〇万円

五〇万円

五五〇万円

九〇

竹原トメヲ

三〇〇万円

五〇万円

三五〇万円

一一五

松田勝馬

三〇〇万円

五〇万円

三五〇万円

別紙請求棄却原告一覧表

原告番号 原告

二 藤本モカ

一四 佐々木一雄

二〇 東和子

三一 荒木繁孝

四七 佐々木ユキ子

七六 荒木トキエ

九八 松永ツイ子

一〇七 尾田朋子

別紙当事者目録

(原告肩書の数字は原告番号を示す)

二   原告 藤本モカ

三   同 西川トヨ子

六   同 福田シズ子こと福田シヅコ

八   同 木本正栄

一〇  同 竹房アサ子

一一  同 迫本ヨシ子

一二  同 松永時吉

一四  同 佐々木一雄

一八  同 大山アヤ子

一九  同 佐々木トミ子

二〇  同 東和子

二二  同 岸本良子

二四  同 城野ミツエ

二七  同 長田イズ子

二九  同 東サクラ

三一  同 荒木繁孝

三二  同 蟻川秀子

三七  同 上村チヨ

四〇  同 沖口克明

四二  同 金子重雄

四五  同 川元ヨシ子

四七  同 佐々木ユキ子

五二  同 千々岩吉常

五四  同 冨岡正子

五五  同 中川絹子

六一  同 藤井クミエ

六八  同 森裕士

七三  同 山下宗忠

七四  同 山端美智子

七五  同 国本重男こと

李宗述

七六  同 荒木トキエ

八二  同 大矢世嗣

八五  同 川崎洋治

八七  同 田口甲子

八八  同 竹田政行

九〇  同 竹原トメヲ

九四  同 寺下タツ子

九六  同 西伸男

九八  同 松永ツイ子

一〇三 同 吉本郁子

一〇七 同 尾田朋子

一〇八 同 大塚アサエ

一〇九 同 大塚光吉

一一四 同 田崎時義

一一五 同 松田勝馬

一二七 同 樋口刀貴男

被告 チッソ株式会社

右代表者代表取締役 野木貞雄

被告 チッソ石油化学株式会社

右代表者代表取締役 藤掛康夫

被告 チッソポリプロ繊維株式会社

右代表者代表取締役 藤掛康夫

被告 チッソエンジニアリング株式会社

右代表者代表取締役 伊東久男

被告 国

右代表者法務大臣 三ケ月章

被告 熊本県

右代表者知事 福島譲二

別紙代理人目録

一 原告ら訴訟代理人(訴訟復代理人を含む。)

弁護士浅岡美恵

同 荒川英幸

同 飯田昭

同 石橋一晁

同 一岡降夫

同 小川達雄

同 折田泰宏

同 久保哲夫

同 湖海信成

同 黛千恵子

同 三谷健

同 三重利典

同 村井豊明

同 森下弘

同 吉田隆行

同 若松芳也

同 坂本宏一

同 千場茂勝

同 坂東克彦

同 豊田誠

同 柴田義朗

同 竹内平

弁護士佐藤克明

同 佐渡春樹

同 竹下義樹

同 出口治男

同 徳井義幸

同 中島晃

同 中村和雄

同 夏目文夫

同 尾藤廣喜

同 中村広明

同 松波淳一

同 岩橋多恵

同 籠橋隆明

同 脇田喜智夫

同 小田周治

同 鎌田幸夫

同 井上直行

同 大島真人

同 荻原典子

同 角谷晴重

同 板井優

同 松野信夫

同 仲松正人

同 西尾弘美

同 山本健司

同 大脇美保

同 山田秀樹

同 村山光信

同 宮田学

同 管野兼吉

同 幸田雅弘

同 馬奈木昭雄

同 永井弘二

同 木内哲郎

同 小笠原伸児

同 工藤和雄

同 味岡申宰

同 倉田大介

二 被告チッソ株式会社、同チッソ石油化学株式会社、同チッソポリプロ繊維株式会社及び同チッソエンジニアリング株式会社訴訟代理人

弁護士加嶋昭男

同 塚本安平

同 齋藤和男

同 斎藤宏

同 宇佐美明夫

同 松崎隆

弁護士樋口雄三

同 宇佐美貴史

同 塚本侃

同 松原護

同 森戸一男

同 鈴木輝雄

三 被告国指定代理人

大菅知彦

外四六名

四 被告国訴訟代理人

弁護士 松川雅典

五 被告熊本県指定代理人

魚住汎輝

外三九名

六 被告熊本県訴訟代理人

弁護士 斉藤修

同 柴田憲保

別紙遅延損害金請求起算日一覧表〈省略〉

別紙除斥期間経過原告一覧表〈省略〉

別紙一ないし一五〈省略〉

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